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(光流先輩……!!!)
 何度も、何度も、同じ夢を見た。
 二人仲良く並んで、背を向けられる夢。何も出来ずに立ち尽くす夢。そこから一歩も動けなくなる夢。
 頼むから、連れて行かないで下さい。
 大切な人なんです。おれが、おれの命よりも大切にしている、かけがえのない人。
 だから、お願いだから。
「忍先輩!!」
 二人の姿が見えなくなる直前に、蓮川の視界が明るくなった。
 まだ夢か現実かわからない蓮川の瞳に、忍の姿がはっきりと映った。途端に、蓮川はほっと表情を安堵させた。
 しかし。
「光流……先輩……」
 その隣に並ぶ光流の姿を見た瞬間、鼓動がドクンと高鳴った。
 夢……。夢じゃない。蓮川はドクンドクンと激しく脈打つ心臓を鎮められずにいた。
「蓮川、表出ろ」
 光流が顎で玄関をさした。
「光流、話があるならここで……」
「おまえは黙ってここで待ってろ! 俺と蓮川の問題だ!!」
 有無を言わさない口調で一喝し、光流はさっさと玄関に歩を進めた。
「……大丈夫です。ちゃんと、話つけてきますから。……待ってて下さい」
 瞳に不安の色ばかりを表す忍に、蓮川は遠慮がちにそう言うと、光流の後を追った。


 いつかこうなることは、心のどこかで解っていた。
 この人にいつまでも隠し通せるはずなどない。でも、よりによってこんな最悪な形で。殴られるのは重々覚悟の上であった蓮川だが、光流の態度は思いもかけず冷静なものだった。
 近くの公園までたどり着き、ベンチに並んで座るものの、動悸は少しも治まらず。何か言わなければ。そう思うのに、一つも言葉が浮かんでこない。それなのに、隣に座る光流は相変わらず偉そうに足を組んで、やたら威圧的な雰囲気ばかりを醸し出している。
「確か何ヶ月か前、おまえにあいつの居場所聞いたことあるよな?」
 不意に光流が口を開いた。蓮川がビクッと肩を震わせる。
「……はい」
 あれは、確か忍と恋人同士になるほんの少し前の事だ。突然光流から、ぽつりと、「忍と……連絡とってねぇよな?」と尋ねられ、蓮川は咄嗟に「え? あ……いや、ずっと会ってませんけど……」と応えた。思い出し、蓮川は気まずそうに視線を地面に落とした。
「本当は知ってたんだな?」
「……正直に言わなかったことは、謝ります。忍先輩に……口止めされてたから……」
「俺とのことも、その時に知ったのか?」
「そう……です……」
 蓮川が頷くと、光流は目を据わらせた。
 しばし長い沈黙が続く。緊張の糸が張り詰めるばかりの空間の中、蓮川はなかなか光流に顔を向けられずにいた。
「……相変わらず、人のもんに惚れる癖は治ってねぇみたいだな」
 光流がぼそっと呟くように言った。
 途端に蓮川はカッと顔を赤らめ、光流を睨みつけた。
「す、好きになった時には知らなかったんだから、仕方ないでしょう!? 」
 そう、知らなかったのだ。忍のことを好きになっていた事に気づいた時には、何一つ。蓮川は悔しげに拳を握り締めた。
「大体光流先輩だって、高校時代からずっと、おれに隠し続けてたじゃないですか!? どうしてもっと早く、教えてくれなかったんですか!?」
 知っていれば、今こんな事には。蓮川は胸の内の怒りを躊躇なく爆発させた。
「知ってたら、何か変わってたのか?」
 蓮川の荒ぶる心とは裏腹に、光流はいやに冷静に言った。それが更に蓮川の感情に火をつける。
「当たり前じゃないですか! 知ってたら……おれだって、最初から好きになったりは……!!」
 そう叫んだ瞬間、激しい衝撃が頬に走り、気が付けば地面の上に倒れ込んでいた。
 口の中に血の味が滲む。蓮川は上体を起こし光流を睨みつけた。
「やっぱてめぇに忍はやれねぇ。死んでも取り戻すから、覚悟しておけ」
 まるで家畜でも見るかのような、蔑みに満ちた視線。背を向ける光流に、蓮川は立ち上がり叫んだ。
「おれだって、絶対に渡しません……!!!」
 あなたにだけは、死んでも、絶対に。
 心の内で力いっぱい叫び、蓮川はギリと唇を噛み締めた。
 拳で殴られた頬よりも、心臓の方が遥かに痛い。
 覚悟はしていた。
 していた、ハズなのに……。
 ぽたりと地面に、涙の雫が落ちた。


 どうして教えてくれなかったんですか、どうして。
(知らなかったんだ……!!!)
 好きで、好きで、どうしようもなかった。
 知った時には、もうどうしようもないほどに。
『すみれが大学卒業したら……』
 あの時も。
『五十嵐の男。もー昔っからずっとあの調子だ、一生やってろ』
 あの時も。
(畜生……!!!)
 どうして、どうしていつもこうなんだ。
 知っていたら。
『俺の彼女。いずれおまえの姉になる人だから、家庭教師してもらえよ』
『あいつにはいつでもすぐ迎えに来てくれる彼氏がいるんだから、おまえが心配する必要ねーよ』 
 そう、言ってくれたら。
 変な気なんか使わずに、まっすぐありのままを伝えてくれたら。  
 最初から、人のものを好きになってたりはしないし。増して相手の気持ちを考えたら、誰が奪おうなんて……!!!
(嘘つき……!!!)
 子供だと思って。何もわからない子供だと思って。
 みんなそうやって変に大人のふりをして誤魔化して、疑わない自分を心のどこかで馬鹿にして。
 疑わないことの、何が悪いんだ。
 ただ、信じただけじゃないか。
 ただ、まっすぐに。
(だって、おれは……)
 好きだったから。
 そうやって遥か高みから見下ろして嘘をついて守ってくれる、優しくて残酷な大人達を、どうしようもないほどに。


 
 今頃になって、鮮明に思い出す。
『忍先輩怒ってなくて良かったね! これでもう安心したでしょ?』      
『そうかなぁ……』
 あの時も。
 なんだか、なんとなく腑に落ちなくて。変だなって思っていたはずなのに。
 真実を突き詰めず、なんだかもやもやした気持ちのまま終わってしまったのは、きっと。
「あの時、光流先輩が言ってくれたんですよね。おれのこと許してやれって」
「……そんなこともあったな」
 あまり思い出したくなかったことのように、忍が眉をしかめた。どこか子供っぽい表情を前に、蓮川はクスリと微笑んだ。六畳一間の狭い部屋で、思い出すのは純粋な少年時代の記憶ばかりだ。
「許してもらえて確かにホッとしたけど、でも、あの後もしばらくずっと、変に遠慮ばかりしてた気がします。だからちゃんと、思いっきり喧嘩してたら良かったって、今は思います……。そうしたら、もっと早く……」
「おまえ、再起不能になってたかもな」
 忍が口の端に笑みを浮かべながらぽつりと呟いた。
「そんなに怒ってたんですか」
 蓮川は苦笑した。
「まあ、かなり、本気で殴っちゃったから、当たり前ですけど……。痛かったですか?」
「当たり前だ。今のおまえほどじゃないかもしれないが」
「……おれは、怒ってないです。殴られたことは」
 蓮川は大人びた表情で言った。
「やっぱどう考えても、おれの方が悪かったと思うし……。怯えてないで、もっと早く光流先輩に伝えるべきだったんです。忍先輩が好きです。貴方に遠慮はしませんって。……あの時みたいに」
 後悔ばかりを胸に、蓮川は言葉を続けた。
「どうしてだろう。彼女とは散々な別れ方したけど、あの時のことだけは、今も少しも後悔してないんです。だから絶対に、これからも遠慮はしません。先輩のこと、絶対に諦めませんから……、だから……」
「俺も……あいつの言う通りに生きるのではなく、自分の気持ちを大事にするって決めたんだ……。そうしてあいつと別れて、自分の意思でおまえを選んだ。だから……」
 忍が切なげに目を細める。
 蓮川もまた切なげな瞳を忍に落とし、唇に唇を寄せた。触れ合ったと同時に、奪うかのように激しく舌を絡ませる。離れては近づき、近づいては離れる。
「あ……ぅ……」
 絡み合う指と指。寄せては返す波に呑まれ、快楽に溺れていく。   

 
 くちゅ、と、音が溢れた。
「ん……んぅ……、あ……」
 何度も舌でペニスを蹂躙され、忍の額に汗が滲む。眉が下がり口元はだらしなく緩み、限界まで開いた足の指先がピクピクと痙攣する。
 同時に内壁を指でこすられる。恥ずかしい音が更に羞恥心と欲情を煽り、忍の目尻から涙が零れた。
「あ……、は、あぁ……っ!」
 導かれるままに、忍は蓮川の口の中に精を放った。 
 はぁはぁと呼吸を荒げ肩を上下させている内にも、敏感に尖った乳首に舌が這う。再度ペニスに指が絡んできて、達したばかりのそこを扱かれる。どうにかなりそうな快楽に呑まれ、忍は更に息を荒くした。
「あ……っ、あ、それ……、入れて……」
「これ、ですか?」
 疼いて仕方ない入り口に、焦らすように熱い塊を押し付けられる。
「ん……、は、やく……っ、欲し……っ」
 快楽の限界で声を放つと、唐突に足を開かされ、一気に貫かれた。
「んぁ……っ、あ、んぅ……っ!」
「先輩……、もっと、腰、動かして……っ」
 言われるままに、忍は自らも腰を振った。
「すごい……、いい……っ」
 力強い腕に抱きこまれ、忍はぎゅっと蓮川の首にしがみついた。
 離さないで。たとえどんなに強い力に、引き込まれそうになっても。
 そう、何度も心の内で叫びながら。



 
 覚えの無いアドレスからのメールに、忍はわなわなと肩を震わせた。
『忍くーん、みんなにバラされたくなかったら、番号変えないようにネ』
 語尾にいくつもハートがついたその文章を読み終えるよりも先に、忍は携帯電話をベッドの上に叩き付けた。
(あのクソ馬鹿下衆の極み野郎……っ)
 心の内でありとあらゆる汚い言葉を吐き、猛烈に沸き起こる怒りを抑えきれず、忍は即効で携帯電話を拾い上げた。
「なんでわざわざあいつに俺の携帯番号教えるんだおまえは……っ!!」
『それぐらいで揺らがないでください。大丈夫です、おれは絶対に負けませんから!』 
 一人勝手に燃えあがり、蓮川は即効で電話を切ってしまった。
 ますます忍の肩が震えた。
 あいつもやっぱり底なしの馬鹿だ。なんなんだこの似た物同士の究極の馬鹿共は。
 だいたい勝った負けたの問題じゃないし、蓮川はまだ光流の本当の怖さを解っていない。どんなに逃げても逃げても逃げても、絶対に逃がさないと追いかけてくる、あの蛇のような執念深さを知らないからそんな能天気なことを言ってられるのだ。
 だいたい、蓮川程度が意気込みだけで簡単に抑えつけられる相手なら、自分とて決して逃げたりなどするものか。
 光流と付き合った六年間、戦いに戦い抜いてもう無理だと悟ったからこそ、ようやく離れる決断が出来たというのに……。
『バラすならバラせ。その代わり二度と俺の前に姿を見せるな』
 こうなったらこっちも負けてたまるかとばかりに、忍は強気でメールを返した。
 しかしその数分後。
『もしもし、忍先輩!?』
 即効で瞬から電話がかかり、忍は一瞬にして顔を青ざめさせた。
『なんか光流先輩が、忍先輩とすかちゃんが愛し合ってるとかわけのわからないこと言ってきたんだけど、なんの冗談~?』
「い、いつもの事だろう? 相手にするな」
 忍は到って冷静に言葉を返した。
『だよね~!? まさかいくらなんでも、そんなド最低な真似するはずないよね忍先輩? まったく、僕も忙しいんだから、二人の冗談に付き合ってる暇ないって光流先輩によーく言っといてよ!?』 
 まくしたてるように言ったかと思うと、速攻で電話を切られ、忍はまたわなわなと肩を震わせた。
 物凄く久しぶりに声を聴いたというのに、まるで昨日会ったばかりかのように話してくるあいつは一体……。そして「ド最低」って……。もう何をどう解釈したら良いのか解らないまま、忍はぶちっと頭の血管が切れる音を耳にした。


 確かに昔から、やると言ったことは必ず実行してきた。
 だからといって。
「言って良いことと悪いことの区別もつかんのか貴様は」
 人気のない公園の一角で、忍は真正面から光流を睨みつけ言った。
「言われて困るようなことなら最初からするなって、お母さんいつも言ってなかったっけ?」
 光流がにっこり微笑む。
 心底腹立つ以外の何物でもない冗談に、忍は額に青筋をたてっぱなしで光流を睨みつける。
「よく解った。俺ももう逃げも隠れもしない。別れると言ったら絶対に別れる。何度おまえが追ってきてもだ」
「それでこそ俺の忍君。よっしゃ今すぐ飛び込んで来いこの胸に!!!」
「人の話を聞いてたのか貴様は!!!!!」
 だめだ全く話が通じない。忍はどうしようもない馬鹿を前に嘆くばかりだった日々を思い出し、やはり今すぐ逃げたい衝動にかられた。
「もー、いつまで拗ねてんだよ~? 俺がおまえのこと一番よく解ってるって、おまえが一番よく解ってるだろ~?」
「触るな寄るな近づくな……っ!!!」
 いきなりがばっと抱きついてきてすりすりと頬を寄せてくる光流に、忍はぞわっと鳥肌を立て、思い切り拳を叩きつけた。
 むろん殴ったくらいではびくともしない光流は、即効でむくっと立ち上がり不適の笑みを浮かべる。
「いつまでも反抗する気なら、俺も手段は選ばねーぞ」
「おまえの好きにしろ。俺は無視し続けるまでだ」
 忍はきっぱり言い切ると、光流に背を向けて歩き出した。
 しかし。
「もしもし? 瞬? 聞いてくれよ~! 忍の奴、あんなに「光流が欲しい……っ、光流じゃなきゃイヤ……っ」ってアンアン啼いてたくせに、あっさり他の男に股開きやがって、俺ほんと可哀想じゃねぇ?」
 忍は即効できびすを返し、光流の携帯電話を奪い取った。
 が、受話器の向こうからは何の声もせず。
「……って、グリーン・ウッドの連中に言いふらしてやろうか?」
「この……下衆野郎……っ」
 なんでよりによってこんな奴に、あんなことやそんなことを言ってしまったんだ自分。(※事実だったようです)
 蘇る恋人同士であった日の記憶が忌々しい以外の何物でもなく、忍は今すぐ全ての記憶を抹消したい気分に囚われた。
「残念ながら他にもネタは満載で、なんなら証拠写真もアリで、おまえに逃げ場なんてねぇわけよ。だからもう諦めろ」
「おまえはどこぞのマスゴミか……っ。証拠写真ってなんだ証拠写真て!!!」
「えー、そりゃ、おまえの裸写真とか裸写真とか裸写真とか。蓮川が見たらさぞショックであろう裸写真とか」
 殺したい。まじで今すぐ殺したい。忍は心の中でありとあらゆる呪いの呪文を唱えた。
「おまえのもんは、初めてのプレゼントから写真の一枚一枚まで、一つ残らず大事に大事にとってあるぜ?」
「気色悪いことを抜かすな……っ、それを世間じゃストーカーと呼ぶんだ……!」
「だってそれが愛ってもんだろ? こっちはおまえのママゴトとは違って真剣なの。本気で愛してるの。だからいつだって全力で守ってきただろ? これからも俺がずっと守ってやるから、おまえは安心して……」
「いいかげんにしろ!!!」
 忍は声を張り上げた。
「おまえのそれは愛なんかじゃない、支配だ……!」
 突然、強い力で押し倒され、忍は地面の上に倒れ込んだ。
 光流の身体が覆いかぶさってくる。    
 また。まただ。忍は恐怖に支配された。
「やめ……っ」
「支配? ああそうかもしれねぇな。じゃあ教えてくれよ、何をどうすれば愛なんだよ? 俺のこの気持ちが愛じゃないって言うなら、何をもって愛っていうんだ? 俺にはわからねぇよ、なんせ馬鹿だからな。なあ、頼むから教えてくんねぇ? おまえの言う「愛」ってナニ?」
 暴力にも似た言葉で、忍は追い詰められる。
 いつも、いつもこうだった。
 どこまでも追い詰められて、散々に貶められて。最終的には愛という言葉にがんじがらめにされ、逃げられない。それははっきりした答えがないからこそ、形がないのもだからこそ、言葉で納得させられるものではなく。簡単には外せない、目に見えない鎖となって人の心をがんじがらめにする。
「嫌だ……っ、頼むから、もう、これ以上は……」
 ガクガクと身体が震える。身体に刻み込まれた恐怖が蘇ってくる。
「蓮川……っ」
 光流の唇が忍の唇を捉えようとした瞬間、忍は叫んだ。途端に、ぴたりと光流の動きが止まった。
 ぎゅっと閉じた瞳を恐る恐る開くと、そこにはいやに切なげな光流の瞳が飛び込んできて、忍は目を見張った。
「そんなに……あいつのことが好きなのか……?」
 先ほどまでとはまるで違う、真剣な瞳。忍は応えにやや躊躇したが、コクリと小さく頷いた。
「なんで、よりによって……」 
 光流が苦悩の表情を浮かべたかと思うと、忍から身を離し立ち上がった。
「光流……」
「……俺は、認めねぇからな。絶対に」
 呟くように言って、光流は忍に背を向けた。




 その数日後。
「頼む蓮川……俺に、忍を返してくれ……。俺はもう……誰にも捨てられたくないんだ……っ」
 うっと瞳に涙を溜める光流を前に、蓮川の瞳にもまた涙がにじんだ。
 そんな二人の前で、忍だけが空虚な瞳を宙に漂わせる。
「光流先輩……おれ、おれ……すみません! 先輩がそんな……辛い過去を背負ってたなんて……っ、おれ、全然知らなくて……!!」
 しまいには涙を流し光流に同情する蓮川を前に、忍の額の血管がぶちっと音をたてて、忍は即座に光流に詰め寄り胸倉を掴みあげた。
「貴様、いつまで自分の不幸な過去を利用するつもりだ? どうせいまだに営業でも同じ手口使ってるんだろう? 寂しい年寄り相手に己の不幸話で同情心かって大して役にもたたない商品売りつけてるんだろう?」
「おかげさまで先月、入社一年目にして営業成績トップの座に登り詰めたぜ忍! おまえにももう金には不自由させない! だからさっさと、そんなどう見てもうだつのあがらない貧乏人なんか捨てて俺のところに戻ってこい!!」
 ぎゅっと忍の手を握り締めながら、やけに力の篭った声で光流は言った。途端に蓮川がわなわなと肩を震わせる。
「光流先輩~~~……っ!!!」
 おれの涙を返して下さいと言わんばかりの蓮川を前に、光流はしかし全く動じない。
「仕方ねぇだろ、大して役にも立たない商品売って売って売りまくるのが俺の仕事だ。目的のためには手段なんか選んでらんねぇよ。それはおまえだってそうだろ忍?」
「反論は出来ないが、俺をその大して役に立たない商品と一緒にするなと言ってるんだ」
 バチバチと二人の間に火花が散った。
「あくまで俺よりこいつを選ぶと?」
「そうだ」
「「この蓮川」をか!?」
「そうだ!!」
 忍はムキになって言うと、蓮川の頭をぎゅっと抱き込んだ。
「おまえみたいな下衆よりずっとずっと、こいつのが100万倍可愛いし純粋だし癒される! 好きだ好きだ言いながら普段は俺のことなんか家政婦くらいにしか思ってないおまえと違って、いつでも尻尾振って待っててくれる!! おまけに誰にでもヘラヘラと懐いていくおまえと違って、警戒心強くて滅多に他人に懐かないこいつには、俺がついてなきゃダメなんだ!!」
「おまえそれどう見てもテト(=ペット)の領域から出てないだけだろ!?」
「俺のテトで何が悪い!? ナウシカとテトの絆の深さを侮るな!! ペットへの愛情舐めるな!!」
「二人とも、いーかげんにして下さいっ!!!!」
 人を馬鹿にするにもほどがある二人の会話に、いいかげん蓮川がぶち切れた。
「忍先輩……っ、もしやずっとおれをペットと思ってたんですか……っ」
「……」
「なんで黙るんですか、なんでっ!!!」
 ダメだ、どうやら本気みたいだ。蓮川はますます憤慨した。
「そーいうわけだ蓮川、いーかげん諦めろ」
「諦めませんっ!! てかあんたもあんたで、なんつー営業の仕方してるんですかっ!! 寂しいお年寄りを騙すとかほんとサイテーですよ!?」
「騙してねーって。俺は過去の事実も含め今までの自分の気持ちをありのまま語ってるだけだっつの」
「い、いや、そりゃそうかもしれませんが……、そーじゃなくて……っ! もーあんた方と話してると常識ってもんがなんなのか解らなくなってきます……っ」
 ついには嘆きはじめる蓮川を前に、忍がにっこり微笑んだ。
「おまえは何も解らなくていい。そのまま変わらず(俺のペットで)いてくれ」
「……なんか素直に喜べないのは何故なんでしょう」
 確実に心の声を聞き取った蓮川は目を据わらせた。
「解ったな、光流。おまえがどんな手段を使おうと無駄だ。おまえのことは俺が一番よく解ってる」
「……蓮川、おまえはそれで良いのか?」
「え……?」
「仮にも大の男が一ペットの座で満足できるのかと聞いてるんだ」
「そ、それは……っ」
「そうだろう蓮川!? おまえにもプライドいうものがあるだろ!? 男なら、決して飼い慣らされたりするな!!」
「は、はい……っ!」
 いきなり熱血指導をはじめる光流の頭を、忍が思い切り殴りつけた。
「「はい!」じゃない!! すぐ言葉のマジックに騙されるな!!! 俺のことが好きなんだろう!?」
 忍の言葉に、蓮川はハッと我を取り戻した。
「はい! 好きです!!」
「この通りだ光流。俺たちの関係に嘘偽りなど何一つない」
「いや、それ完全に調教だから支配だから」
 光流が鋭く突っ込むものの、もはや忍の耳には届いておらず。蓮川の頭をぎゅっと抱きこむ忍は、まるで拾って来た捨て犬を手放せない子供とまるで同等で、光流は呆れにも似たため息をついた。
「わーったよ、そんなに好きならしばらく遊んでろ。おまえのことだ、どーせすぐ飽きるに決まってる」
 先など解り切ってるというように光流は言い放ち、すごすごとその場を去った。         



 ふわふわの茶色い癖ッ毛。黒目が大きな瞳。もしかして本当に尻尾生えてるんじゃないかと思うくらいに、なにもかもが解りやすく顔に出て、そばにいるだけで酷く安心する。
 ペット……といえば、本当にそうなのかもしれない。けれど。
「そんなに怒るな。ほんの冗談だろう?」
 拗ねて全く口を効かないまま背を向けるばかりの蓮川に、忍は優しく声をかけた。
 ジロリと恨みがましく睨みつけてくる瞳がやっぱり可愛くて、どうしようもなく愛しさばかりが募っていく。
「どーせおれは馬鹿です単純です騙されやすいです。でもだからって、ペット扱いはないでしょう!?」
 今度は噛み付いてくる蓮川に、忍はあくまで優しい口調で言った。
「だから冗談だと言ってるだろう。いちいち本気にするな」
「だって本気としか思えませんっ!」
「……本当にペットだったら、これ以上は許さないが?」
 軽く唇に口付けた後、忍は妙に怪しい目つきで蓮川を見つめた。途端に蓮川の頬が真っ赤に染まる。
「もう……ペットで良いです。その代わり、おれも犬になりますよ?」
 言いながら、蓮川は忍の首筋にがぶっと噛み付いた。
 そのまま唇も、頬も、露にした乳首も、まるで本当に犬になったかのように執拗に舐め回す。
「も……、いいかげん……っ」
「犬なので、言葉は通じません」
 まだ拗ねているのか、乳首ばかりを徹底して責められ、忍はじれったさに下半身を痺れさせた。
「だったら……犬らしく、命令に従え……っ」
「どんな命令ですか、ご主人様……?」
「ここ……舐めろ……」
「言葉は通じませんってば。舐めてほしいとこ、しっかり開いて見せてください……?」
 ゾクッとするような低い声が耳元で響き、忍はぎゅっと目を閉じ、言われるままに足を開いた。限界まで膨らんだペニスが、愛撫欲しさにぴくぴくと震える。 蓮川はそこに唇を寄せ、根元から裏筋に舌を這わせた。
「あ……っ、ああ……、んん……っ」
「ここだけで良いんですか……?」
「ん……っ、ここ、も……」
 忍は自らの手で秘部を広げた。
「やらしいご主人さまですね? 犬だからって何でもしてくれると思ったら、大間違いですよ?」
 ぐいと足を持ち上げられたかと思うと一気に貫かれ、忍は背をのけぞらせた。
「あ……っ! この、馬鹿犬……っ!!」
 そのままガクガクと揺さぶられる。
「その馬鹿犬に突かれて感じてるのは、どこの誰ですか?」
「んぁ……っ! あ……、ひぁ……っ!!」
「イっちゃいました? でもまだまだ、これからです……!」
「ひ……んっ……! あ……あ、ああ……っ!」
 抜き差しされるたびに、隙間からぐちゃふちゃと音を立てて精液が溢れる。
 完全に余裕を無くした忍は、蓮川の身体の下で甘い声をあげ続けた。


   

 改めて考えれば考えるほど、疑問ばかりが泉のように湧き出て、蓮川は苦悩した。
 性格の悪さは天下一品である光流だが、高校時代と少しも変わっていないその美貌は、やはりどこに居ても人を惹きつけずにはいられない。隣に並んで歩くのが嫌で仕方なかった高校時代を思い出し、蓮川は深くため息をついた。
 それは目の前にいるこの人もまた一緒で。並んで歩けば、とても恋人同士には見られないであろう、ショーウィンドウに映る自分の普通すぎる姿にうんざりしながら、道行く人の目を惹きつける恋人をチラリと見つめる。
(光流先輩なら……)
 きっと、堂々と恋人同士だと宣言しても、みんな納得するんだろうな。蓮川は心中で呟き、またも酷く落ち込んだ気分にかられた。
 それなのに、どうしておれなんかを好きになったのだろう。どう考えたって、おかしいだろ。あの光流先輩よりも、自分のことを選ぶなんて。劣等感ばかりを胸に抱いていると、不意に忍がぴたりと足を止めた。
「蓮川、あれ」
「え……?」
 忍が視線の方に一目散に歩いていく。アクセサリー露店だった。
 布の上に並んでいる男性用のチープなクセサリーを見つめる忍を前に、こんなものに興味があったのかと意外に思った蓮川だが、忍が手にとったアクセサリーを見た瞬間に目を据わらせた。
「おれはやっぱりペットですか……っ」
 どう見ても首輪なアクセサリーを迷うことなくはめられ、蓮川はわなわなと肩を震わせた。 
「よく似合ってるぞ」
「全然嬉しくありません!」
「……じゃあ、こっちはどうだ?」
 やや残念そうに言って、忍は別のアクセサリーを手にとった。シンプルなシルバータグのついたネックレスを首にかけられ、蓮川は照れ臭そうに顔を赤らめる。
 いきなりプレゼントなんて、どういう風の吹き回しだろう。慣れないアクセサリーにくすぐったいような気分のまま歩く蓮川に、忍は静かに微笑みながら言った。
「自信を持て、蓮川」
 刹那、蓮川の鼓動がドクンと高鳴った。
 同時に、きっと見透かされていたであろう心の内が恥ずかしくなり、蓮川は頬を赤くして忍を見つめた。
「俺がおまえを選んだんだ」
 そう言って、忍にぎゅっと手を握り締められる。
 どうしよう。今すぐキスしたい。 
 思ったと同時に唇が重なり、蓮川は大きく目を見開いた。
「し、忍先輩……っ」
「なんだ?」
「いや、あの、みんな、見て……」
「だから?」
 思い切り、視線浴びてます。
 でも。 
 だけど。
(もう、ヤケだ……!)
 蓮川は忍の腰をぐいと掴み引き寄せ、ぎゅっと目を閉じ唇を重ねた。