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「蓮川くん、ずいぶんカッコ良くなったね」
 大学での友人達との飲み会。昨年まで同じ大学の先輩であった女性に、久方ぶりに会うなりそんな言葉をかけられ、蓮川は戸惑いがちに赤く頬を染めた。
 彼女の名は佐々木百合(ささきゆり)。本業の傍ら若い女性向けファッション誌をたびたび飾る美貌の持ち主で、おまけに成績優秀、明朗活発。かつては常に周囲から男が絶えることのない、大学のマドンナ的存在であった女性だ。
 イベントやサークル活動などでたびたび関わることはあったものの、蓮川にとっては漠然と凄い人だな、でも自分とは別世界の人だという認識しかなく、異性として意識したことは一度もなかった。
 それどころか、酒癖だけは非常に悪い彼女に飲み会の帰りに何度もタクシーで送らされ、後には礼の一つも無しという、当然のように奴隷扱いであった日々を思い出す。
 蓮川は半ばうんざりしながら、その日の二次会終了後も久しぶりにタクシーの後部座席で揺られた。泥酔し切って肩に寄りかかってくる百合を見つめ、深くため息をつく。全く、何でいつもおれが送らなきゃならないんだ。蓮川は心の中でぼやき続けた。
「百合さん、つきましたよ……!」
 見慣れた高層マンションの前にタクシーが到着し、蓮川は百合の身体を揺さぶるが、小さく唸るだけで起きる気配は少しもない。ああまたかと、蓮川はタクシーを降りて彼女を背負い、エレベーターに乗った。
 

 広々とした部屋に置かれた大きなソファーの上に百合を降ろすと、突然首の後ろに手を回され、ぎゅっとしがみついてくる。蓮川は眉間に皺を寄せた。
「おれ、もう帰りますね」
 これもいつものことだった。酔うと誰彼かまわず誘惑する彼女の誘いに、たった一度だけのってしまってから思い切り後悔した過去を思い出し、蓮川は一瞬ドキリとしたものの即効で理性を取り戻し突き放した。
「ねえ、ソレって、彼女からのプレゼント?」
 ふと百合が、妙に艶っぽい瞳で見つめてきながら、首にかけていたシルバーネックレスを見つめた。
「……そうです。じゃあ、また」
 蓮川はきっぱりと言い切って百合に背を向けようとするが、ぐいと腕を引っ張られ強引に唇が重なってきた。
 触れたのはほんの一瞬で、蓮川は速攻で百合を押しのけると唇を腕で拭い、蔑みにも似た視線を向けた。
「相変わらず真面目なんだね、蓮川クン」
「そうやって、人をからかうのやめて下さい。おれ、今、凄く大事な人がいるんです」
「あはは、可愛いー。蓮川クン、相変わらず可愛いよ」
 クスクス笑いながら、真面目である事が馬鹿みたいだと言わんばかりに見下してくる百合を前に、蓮川はもう何を言っても無駄だと悟り背を向けた。
「お願い、行かないで」 
 不意に百合の切な気な声が耳に届き、蓮川はぴたりと足を止めた。
「怒ったならごめんなさい……。お願いだから、一人にしないで……」
 涙の入り混じった声。蓮川はやや驚愕を隠せない表情で百合を振り返った。
 ソファーの上に座る彼女の手の甲にぽたぽたと落ちる涙を目前にすると、ますます鼓動が高鳴り落ち着かない気持ちになる。蓮川は困ったように眉をしかめた。
「今日だけで……、ううん、一時間だけでいいから……一緒にいて……」
「……それは……無理です」
「お願い……! 絶対に絶対に、今だけだから……!!」
 駄目だ。この涙に騙されては。この人の言いなりになっては。そう心で分かっているのに、蓮川は縋ってくる百合の腕を振り解くことが出来なかった。
 

 結局、百合が眠るまでただ黙って抱きしめ続けて。
 ほんと、なにやってんだ自分。蓮川は自分自身に呆れながら、ようやく眠った百合をベッドまで運びそっと布団をかけてから、百合の部屋を後にした。
 マンションから出るものの、もう終電も残ってないので家まで歩くしかない。真っ暗な路地をとぼとぼとひたすら歩き続ける。 
 あの女、ほんとに少しも変わってない。蓮川はまたも深くため息をついた。
 一度だけ今日と全く同じようなシチュエーションで情に流され、その後こっ酷い目に合ったというのに、何故に放っておけないんだ自分。どうせ今回もまた、長年付き合い続けている妻子持ちの男と別れる別れないと揉めた挙句に、人を当て馬に使おうとしていただけに違いないくせに。
 何度裏切られても酷い目に合わされても、結局あの女にあの男と別れることなんて出来やしない。
 そんなこともう、嫌というほど解りきっているのに。
(進歩がない……)
 じゃあ今の自分の状況のどこがどう違うのかと、蓮川は深い自己嫌悪に陥った。
 仕方ないんだ。
 好きになってしまったら。
 どんなに利用されても、どんなに酷い目に合わされても、結局は好きになった方の負けなのだから。
 だから百合のことは責められない。もちろん、彼のことも。
 全部全部解っていて、どうしても引き下がれないのは、諦め切れないのは、自分なのだから。
(会いたい、な……)
 首に揺れるネックレスを握り締め、蓮川は夜空に浮かぶ月を見上げた。
 一人にしないでと泣いた百合の気持ちを思い出すと、ますます切なさが胸の内に込み上げる。
 どうか彼女が幸せになれますように。
 そう、心から願った。



 自信を持て、と言われても。
「忍、はいこれプレゼント」
「なんだこれは?」
「そろそろ寒くなってきたから、手袋だよ手袋。高級カシミアの。蓮川には到底買えない高級カシミアの」 
「……いいかげん諦めてくれません光流先輩……っ?」
 蓮川はふるふると拳を震わせながら言った。
 自分も大概だが、この人の諦めなさも大概だ。ちょっとでも気を抜くと、いつでもどこでも邪魔しにやってくる光流を、蓮川はキツく睨みつけた。
「心配するな蓮川、俺はもうきっぱり諦めた。おまえらが幸せならそれで良いと思ってる。だからこれはあくまで友情の印だ、友情の」
「どこの男友達が寒くなったからって理由だけでン万円の高級手袋プレゼントするんです!!??」
 全くもって説得力のない光流の台詞に、蓮川はぶちっと血管の切れる音を耳にした。
「蓮川くーん、俺は君のことも大事な友人だと思ってるよ? だからほら、おまえにも」
 ほいと光流が蓮川に手渡したのは、一枚の写真だった。
 そこにはつい先日、百合をおんぶしながらマンションに入っていく蓮川の姿が映っており、蓮川はぎょっと目を丸くしてから咄嗟に忍の顔を見つめた。
「見たか忍? この世の中に、少女のように純粋に一途に一人の恋人を愛する男など存在するわけねぇんだよ。だからいいかげん目を覚まし……ぐはっ!!」
 バキッと音をたてて蓮川の拳が光流の頬に直撃し、光流はその場にバタッと倒れた。
「違います!! これはただ飲みすぎて泥酔した大学の先輩を送っていっただけで!! 誓って何もしてません!!!!!」
「その証拠がどこにある?」
 ぬっと光流が起き上がって蓮川の耳元で囁いた。蓮川がサーッと顔を青ざめさせる。
「どーせ無理やり迫られてヤッたんだろ? え? こんな美人の据え膳目の前にして手を出さないなんて、おまえそれでも男か!?」 
「(俺のテトを)貴様と一緒にするな!!!」
 ガツッと忍が光流の頭を殴りつけた。
「こいつが何もしてないといったら絶対に何もしてない。自分の経験を元に物事を語るな!! っていうかおまえ、俺と付き合ってる間にどれだけの据え膳に手を出したんだこの色欲魔人!!!」
 結局自分の下衆っぷりを晒しただけの光流を前に、忍はこれ以上ない屈辱を胸に肩を震わせたのであった。
    

 凄まじく殺気立ったオーラばかりを放つ忍を前に、蓮川はおどおどと尋ねた。
「あの、もしかして、知らなかったんですか……?」
 まさか、まさかとは思うけど、光流がずっと浮気(※ではなく据え膳食っただけ)してたのを知らなかったのだろうか。尋ねる蓮川に目も向けないまま、忍は酷く悔しそうに拳を震わせた。やっぱり知らなかったんだと、蓮川は妙に焦りを覚えた。そして光流に対してどこまで下衆なんだろうという想いを抱かずにはいられない。この人に微塵もバレないでヤッていたという事実も凄いと言えば凄いが、いやしかしそういう問題じゃないと思いなおす。
「知ってたら、もっとずっと早くに別れてた……っ」
 今にも泣き出しそうな表情をする忍を前に、蓮川の胸がズキンと痛んだ。
 いまさら過去の浮気とも言えない浮気に、こんなにも心を痛めるなんて。
(やっぱり、まだ……)
 好きなんだな、と、改めて思い知らされる。
 けれどそれを責めたところで、当人は絶対に自覚などしないだろう。蓮川は言いたい気持ちをぐっとこらえ、そっと忍の肩に手を回して抱き寄せた。
「おれは……そんなこと、しませんから。絶対に。信じてくれて、ありがとうございます……」
 ほんとに、ほんとにほんとにこの人は……っ。蓮川は心の内で絶叫しながら、忍の身体を強く抱きしめた。
 忍の負のオーラが消え去り、全てを委ねるように肩に擦り寄ってくる。
 人の気持ちも知らないで、この人は。蓮川は再度心の内でそう責めながらも、仕方ないように目を細めた。
「あの……できたら、手袋……。おれがプレゼントしたいんですけど……。そんなに良いのは買えないけど……」
「……いらない」
「え……?」
「これで……おまえの手で、いい……」 
 ぎゅっと手を握り締められる。その温もりを感じたら。あまりにも綺麗な瞳で見つめられたら。
(ああ、やっぱりこの人は……)
 ズルい人だって、心の底から愛しく思った。
「本当に、絶対に、してないよな?」
「え……?」
 突然、どこか不安気な瞳で見つめられ、蓮川はわずかに狼狽した。
 百合とのことを言っているのだろうか。いや、全くしてないわけじゃないけど。過去に一度はしてるけど。でも、今はあの写真の日のことを言ってるんだよな……? 蓮川は心の内で確認し、忍に真面目な表情を向けた。
「もちろん、何もしてません」
 きっぱり言うと、忍が酷く安心したように満足気に微笑み、ぽすっと胸に寄りかかって甘えてきた。
(か、可愛い……!)
 思いながらも、何故か罪悪感を抱かずにいられないまま、蓮川はそっと忍を抱きしめた。

 
 今日は泊まっていく。
 珍しく自分からそう言ってきた忍の瞳は、なんだか凄く艶っぽくて、蓮川は胸の奥がきゅんと疼くのを感じながら、家に帰ると速攻で忍の身体をベッドの上に押し倒した。
 忍の瞳もまた、欲情の色に染まっていた。早く繋がりたいと全身で訴えてくる、そのあまりの色っぽさに、蓮川の熱ももう限界だった。
 昂ぶる心のままに、何度もキスを交わす。忍のシャツの下に手を潜り込ませたその時、耳障りな機械音が部屋に鳴り響いた。しかし蓮川は無視を決め込む。二度目、三度目のチャイムが鳴り響いても行為を止めることはしなかった。
 ……しかし。
「いいかげんに……っ」
 一向に鳴り止まないチャイムの音にいいかげんぶちっと切れた蓮川は、額に青筋を浮かべながら玄関のドアを派手に開いた。
「して下さい、光流先輩!!!!!」
 どこまで邪魔するつもりだ、どこまで!!と憤慨しながらドアを開くと、そこにいるはずの人物はどこにもおらず。代わりに思い切り目を丸くする百合の姿があり、蓮川は途端に拍子抜けした顔を見せた。
「あ……す、すみません……! ちょっと人違いで……。あの、何か用ですか?」
「う、うん……、こっちこそ、急にごめんなさい。どうしても、この前のお礼とお詫びがしたくて」
 百合はいつもとはまるで違う、妙にしおらしい態度でそう言うと、蓮川にリボンがかけられた小さな箱を手渡した。
「寒くなってきたから、手袋なんだけど……良かったら使って?」
「あ……いえ、そんな、気を使わなくても……」
「蓮川くん……」
「は……」
 返事をしようとした瞬間、蓮川の唇に暖かい感触が走った。
 一瞬頭の中が真っ白になった蓮川の目前で、百合が切なげな瞳を向けてくる。
「私……あの日の夜のこと、忘れてないよ?」
 そう言ってにっこり微笑んだかと思うと、百合はすぐさま背を向けて走り去って行ってしまった。
 一瞬にしてパニックに陥った蓮川は、ただひたすら呆然と百合の姿を見送る。
 え……、忘れてないって、だからナニ? 一体何が言いたかったんだあの女は? 何十回と家に送っていった記憶の内に、一度たりとて感謝のかの字もなかったくせに、なんで今頃になってお礼にプレゼント? あまつさえキスしてくるとか、ほんとに何? いったい何なんだあの女は……っ!?
 完全に混乱する蓮川だったが、背後から不穏な空気を感じ取った瞬間、さーっと顔を青ざめさせた。
 恐る恐る振り向くと、そこには案の定、殺気に満ちた恋人の姿。
「な……なんもしてませんって!! ほんとに誓って絶対……」
「信じられるかっ!!! おまえら本気でいっぺん死ね!!!!」
 ガツッと音がしたと同時に、目の前のお星様が回った蓮川であった。


 高校時代さんざ遊びまわってた人に、浮気する男なんて最低!!男なんてみんな一緒よ!!なんて女子高生みたいなことを言われても、全然説得力はないのですが。
「忍先輩~~、いーかげん信じてくださいって!」
 百合とは過去に一度だけそういう関係になったことはあるけれど、あくまで忍と付き合う以前の話だし、先日の写真については嘘偽りはいっさい言ってません。何度そう説明しても、不機嫌に背中ばかりを向ける忍に、蓮川は懸命に訴え続けた。
「彼女昔からすごく気まぐれなんで、今日もたぶん気まぐれにからかいに来ただけだと思います。忍先輩なら、なんとなく解るでしょう?」
「……どーいう意味だ」
 人をあのビッチ女と一緒にするなと、忍はジロリと蓮川を睨みつけた。
 いやでも、あまりにも性格一緒なんで!!とは言い出せないまま、蓮川は相変わらず困った顔ばかりを忍に向ける。
「おれってどうも利用されやすい性格みたいで……。彼女にはほんと痛い目に合わされたので、もうそういう気は微塵もないです。お願いだから信じてください」
「言われなくともなんとなく想像はつく。そこまで解ってるなら、何故まだ関わろうとするんだ? おまえのその中途半端な優しさがあの女をそうさせてるんだ」
 返す言葉もない忍の叱責に、蓮川はしゅんとうなだれる。
「忍先輩は……利用したり、してないですよね……?」
 今犬の耳がついていたら確実に垂れているだろう。蓮川はいじけた瞳で忍を見つめた。
「ほんとは……、まだ、光流先輩のことが好きで……。でも、忘れたくて忘れられなくて、当てつけにおれと付き合ったりは……」
 考え出したら止まらなくなり、涙が込み上げてくる。すると突然、バチンと音をたてて両頬を叩かれた。そのまま忍の両手で頬を包み込まれる。
「それ以上言ったら、本気で怒るぞ」
 真剣な瞳を向けられ、本気で馬鹿なことを言ったと思った。
 でも。だけど。
「だって……やっぱり、怖いです……」
 もう二度と、裏切られたくない。利用されたくない。誰かと誰かの幸せのために生きるのではなくて、自分が幸せになりたい。目の前の、大切なこの人と。
「だっておれなんか、光流先輩より良いとこなんて、なんもないじゃないですか……っ」
 顔は普通だし。貧乏だし。なんの甲斐性もないし。すぐ利用される馬鹿だし。
 こんなんで自信を持てなんて言われても、そんなの全然無理だし。
 増してこの人相手に愛されてると心から思える自信なんて、どうしたら持てるんだ。
 蓮川は涙目のまま悔しげに震える。
「馬鹿……。あいつと比べたって、どうしようもないだろう」
 忍がひどく優しい声を発した。
「確かにおまえは普通だし貧乏だし甲斐性もないしすぐ利用される馬鹿だし、おまけに優柔不断で頼りなくてすぐ逆切れするわ拗ねるわいじけるわ、光流より優れてるところなんて一つもないかもしれない」
 全くもって慰めになっていない言葉で完膚なきまでに叩きのめされ、蓮川はあまりの大ダメージに涙も引っ込み、ふつふつと沸き起こる怒りに肩を震わせた。 
 たぶんこの自信のなさは、この先輩達に植えつけられた劣等感のせいでもあるということを、蓮川はしみじみと思い出す。
「でも、好きになるってそういうことじゃないだろう?」
「じゃあおれの何を好きになったのか頼むから具体的に教えてください」
 一気に冷静さを取り戻した蓮川は、据わった瞳で忍に尋ねる。
 しかしピタリと口が止まった忍を前に、蓮川はますます目を据わらせた。
「答えられないんですね?」
「褒めるところが全く浮かばないんだ仕方ないだろう!?」
「逆切れにも程がありますよ!!??」
 結局の所どこまでも堕とされ、蓮川は高校時代と変わらない屈辱に身を焦がすが、実際目の前の恋人に比べ全てが劣っているのだから仕方ないと肩の力を抜いた。
「も……いいです。好きにして下さい。利用されることには慣れてますから……」
 蓮川は完全に諦めきった表情でそう言うと、忍の肩に手をかけ、そのままベッドの上に押し倒した。
「利用なんかしてない」
 あくまで強気な瞳が自分を見据えるが、とても信じる気にはなれないまま、そっと唇を塞ぐ。
(仕方ないんだ、もう……)
 一度好きだって思い込んだら、それを簡単に翻すことが出来ない性格なんだから。
 だから今は、このまま思い込ませておこう。
 例えいつか、あっさりとその意思を翻してしまう日が来るとしても。
 


「ふ……あ、あ、んんっ……」
 潤んだ瞳、切なげに響く声。本当は、相手なんて誰でも良いのかもしれない。自分を心地良くしてくれる相手なら、誰でも。 
「忍先輩、目、開いて……?」
 閉じていたらきっと、誰に抱かれているのか解らなくなってしまうから、蓮川は忍の耳元でそっと囁いた。。
 それなのに、少し愛撫の手を加えると、あっという間に瞳を閉じて遠くに行ってしまう。だから何度も呼び寄せる。確認してもらう。今、目の前にいるのは誰なのか。誰が快楽を与えているのか。
「どうしてすぐ、目閉じちゃうんですか……? だめだって、言ったでしょう?」
「……や……、イ……く……っ」
「イかせて欲しかったら、おれのことちゃんと見て?」
「ん……」
 ぼうっとした忍の瞳が、蓮川を見据えた。少しも焦点の定まっていないその瞳は、まるで小動物のように純粋で、綺麗で、なおさら涙を滲ませたくなる。
 そっと口元に右手を寄せると、忍の舌が蓮川の指を欲しがるように舐めた。咥えさせ、好きなように弄ばせる。艶かしい舌の感触を指先に感じるたびに、下半身が熱く疼いた。
 唇を寄せると、忍が首に腕を回し、自らキスを求めてくる。重ねて舌を絡ませ合う。巧みに動く舌の感覚に翻弄されながら、蓮川の瞳がやや暗い色を帯びた。唇を離すと、忍の頬が紅潮し欲情に染まった瞳が自分を見つめる。酷く鮮烈的なその誘惑に、頭の中がクラリと音をたてた。
 忍がベッドに膝をつき、蓮川のズボンのベルトに手をかけた。慣れた手つきでベルトをはずし、チャックを下ろす。その奥で猛っている蓮川のペニスを飢えた目付きで捕らえ、唇を寄せた。
「……っ……」
 先端を舌先で焦らすように舐め、口を開いてペニスを咥える。あまりにも巧みな愛撫に蓮川は息を乱すが、ふと冷静な表情を取り戻し、忍の頭を掴んでそっと引き離した。
「それは……いい、ので……」
 確か前にも言ったはずだと、蓮川は忍からの奉仕を拒否した。
 忍がどこか不安げに眉を寄せる。それでも、とても受け入れる気にはなれなかった。忍が懸命に奉仕する姿など見たくない。どうしても、思い出してしまうから。
「気持ちよく……ないのか?」
「そう……じゃないです。凄く、いい、ですけど……。でも……」
 しゅんと忍がうなだれるのが解っても、蓮川にとってそれを受け入れるのは容易い事ではなかった。 
「そんな、おれのことなんか、気遣わなくて大丈夫です……。それより、先輩の感じてる顔が見たいんです」
 気を取り直して、蓮川は再度忍を横に寝かせた。
「その気持ちは、俺も一緒だ……。だから……!」
「じゃあ、今からずっと、おれの言うとおりにして下さい」
 過去の男に教え込まれたことなんか、ちっとも嬉しくはない。蓮川はやや高圧的な口調で訴えた。忍はそれを察したのか、切な気に目を伏せ小さく頷いた。この人を、思う通りに動かせる。男の支配欲がむくりと姿を表し、心が震える。蓮川の瞳が獣のように光を放った。

  
 黒いバイヴレーションを最奥まで差込み、ガクガクと足を奮わせるその痴態を目前にしたら、興奮は収まらなくなった。
 四つん這いで尻を高く突き出しながら、屈辱に身を震わせながらよがり続ける。あの忍先輩が。ゾクゾクと全身に鳥肌が立つのを感じながら、蓮川は音を放ち振動するバイブに手をかけた。
「持っててあげますから、自分で動いてください」
 どれだけ屈辱を強いられても、忍は従順に蓮川の言葉に従った。その姿はまるで快楽に飢えた獣だ。理性なんて欠片もない。普段の彼からは想像もつかないほどに、欲望にまみれた素の姿。
「ん……っ、ん……」
「ほんとにやらしいですね、先輩。こんなもので、そんなに気持ち良くなるんだ……?」
 蔑みの台詞を耳元で囁くと、忍は瞳に涙を滲ませた。それでもなお、快楽のありかを求めて腰を振り続ける。達したくてたまらないその様子を存分に楽しんでから、蓮川はバイブを持った右手を交互に激しく動かした。
「あ……っ、あ、あ、ん……!」
「いいですよ、イッて。それとももっと、太いの入れてあげましょうか?」
「や……いや……っ、お……まえの……が、欲し……っ」
 忍がいやいやと首を振りながら、涙の混じった声をあげた。
 今にも達しそうな忍の内部から、ずるっとバイブを引き抜く。ローションに塗れたバイブにさんざ犯され開ききったそこが、物欲しげに蓮川を誘った。  
 たまらず蓮川は忍の身体を反転させ、足を大きく開かせる。忍の顔を見下ろすと、うつろな瞳が懇願の色を浮かべ自分を見つめる。たまらない。でも、もっと、もっと、求めさせたい。蓮川は焦らすように、猛った自分のペニスを忍の入り口に擦り付けた。
「……やく……っ、入れ……ろ……!」
 もう限界だと、忍がいつもの命令口調で言い放った。
「それが……人に物を頼む態度ですか……?」
 確か、少しでも生意気な口を聞いたら、容赦しないのが先輩達ではなかったでしょうか。思い出し、蓮川はわざと入り口部分ばかりをかき回した。同時に乳首に唇を寄せ舌先で愛撫する。焦らしに焦らされた忍が、目尻から涙をこぼした。
「お……願い……からっ、入れ……て……」
 いっそもっと苛めてやろうかと思ったが、蓮川の熱ももう限界だった。
 忍の両足を肩にかけ、遠慮なしに一気に貫く。我慢していたぶん容赦なく腰を動かすと、忍の内部もまたぎゅうぎゅうに締めつけてきた。 
「あ…ぁ…っ、イ……く……!!」
「まだ……ダメです……っ」
 休むことなく腰を動かしながら、蓮川の右手が忍のペニスの根元をぎゅっと握り締めた。
 達することを許されず、忍が苦しげに眉を寄せ涙に混じった嬌声を放つ。
「いや……っ、離……せっ! イきた……っ」
「学習能力なさすぎですよ……? こういう時は、なんて言うんでしたっけ?」
「い……イかせて……くださ……」
 屈辱と悔しさのあまり涙を流す忍を前に、さすがに同情心が芽生えた蓮川は、握っていたペニスを上下に扱きながら腰を打ち付ける。でもきっと、自分が感じていた屈辱はこんなものじゃない。思い出すとめちゃくちゃにしてやりたい欲望が膨れあがり、蓮川は遠慮なしに何度も忍を貫いた。
「あ……、あ、だめ……っ、も……、無理…ぃ…っ!」
 苦しげに喘ぐ忍の口を、蓮川は咄嗟に左手で塞いだ。
「いい子だから、おとなしくしてて下さいね。隣に聴こえるって、何度言ったら解るんです……?」
 お仕置きだとばかりに、蓮川は達したばかりの忍のペニスに指を絡ませた。中を蹂躙しながらぐちゅぐちゅと音をたてて上下に扱く。完全に意識が飛んだ忍が、耐え切れず左手を噛んでくる。蓮川もまた、忍の首筋に歯をたてた。
 いっそこのまま、本当に噛み千切って、全て残さず食らい尽くしてやろうか。
 そうしたら、過去も未来も全て、この人の、なにもかも。
(おれの……ものだ)
   



「あの、また……、妻子持ちの彼と揉めたんですか?」
 性懲りもなく理由をつけては会いにやってくる百合に、蓮川は率直に尋ねた。
 すると百合は一瞬目を逸らし、酷く子供っぽく口をとがらせた。
「……三人目の子、できたんだって」
「二人目の時点で諦めないのが不思議です」
 深くため息をつきながら、蓮川は言った。百合がカッと顔を赤くする。
「だって! もうほんとに疲れたって! 子供は可愛いけど、奥さんにはもう愛情の欠片もないって!!!」
「そんなわけないでしょう? 長年連れ添ってきた相手ですよ? 確かに愛はないかもしれませんけど、情は必ず残ってますって。何でそれが解らないんですか?」
 言ってから蓮川は、まさに自分のことだと自己嫌悪に陥った。
 人のことならこうも冷静に物事を見つめられるのに、自分のこととなると何故にこうも現実を見失ってしまうのか。解っているのに離れられないからこそ、百合の気持ちがよく解り、蓮川は仕方ないようにため息をついた。
「おれにこんなこと言う権利ないですけど……。もういいかげん、諦めてください。百合さんなら、他に素敵な男がたくさんいるじゃないですか」
「……じゃあ、私と付き合って」
「だからなんで、おれなんですか!?」
「好きだからに決まってるでしょう!?」
 蓮川に負けず劣らずの勢いで告白してくる百合に、蓮川はただただ怪訝そうな瞳ばかりを向けた。
「好きって……おれの何が、好きなんですか……」
「いつも、助けてくれたじゃない、私のこと」
 百合に真剣な瞳を向けられ、蓮川は戸惑いの色を浮かべた。
「何度も家に送っていってくれた。いっぱい私の話聞いてくれた。一番苦しい時にいつもそばにいてくれて、ぎゅって抱きしめてくれた。だから、蓮川くんならきっと私、あの人を忘れられると思う」
 一途な瞳に、うっかり情を寄せそうになるが、蓮川はこらえた。
「そうやって、おれを利用するの、もうやめて下さい」
「利用なんて……!」
「してるんですよ! ここでおれが抱きしめたって、彼氏に会えばあっさりおれのことなんか忘れる、あなたはそういう女なんです!! 金輪際二度と、おれの前に姿を現さないでください!!!」
 酷いことを言っているという自覚はあった。けれどもう、中途半端な優しさは傷つけるだけだと解っているから。
 案の定、さすがに傷ついた瞳を隠せない百合は、今にも泣き出しそうに肩を震わせ、蓮川に背を向けて走り去っていった。
   

 最低だ。でも結局は、傷つくことしか出来ない、傷つける事しか出来ない、それが恋というものなんだ。
 蓮川は心の中で割り切って、百合のことはいっさい忘れようとした。家路につこうと歩を進める。
 たびたび訪れるオープンカフェを通り過ぎようとしたその時、蓮川は目を見開きピタリと足を止めた。
(せん……ぱい……?)
 見覚えのある後姿。
 それは確かに、よく知る人達の見慣れた姿で。
 一瞬、視界がぐらりと揺らいだ。
 高校時代と少しも変わらない、あの頃は当たり前に見ていたはずの光景。二人並んで肩を組んで、酷く楽しそうに会話をしているその姿に、あの頃は酷く安心して、それ以外の感情なんて一つも無かった。
 それなのに、どうして今、心はこんなにも揺らいで、少しも動悸が止まないんだ。どうしてこんなにも、苦しいんだ。
(いやだ……!!)
 見たくない。こんな景色。全て消えて、無くなってしまえばいいのに。
 そう思った刹那、忍がゆっくりと振り返り、一瞬だけ視線が合った。けれどほんの一瞬だけ。蓮川はすぐさま忍から顔を逸らし、その場を去ろうと踵を返した。
「蓮川!!」
 しかし、忍の声がそれを遮った。
「どうして逃げるんだ……!」
 いつかどこかで聞いた台詞。それは確か、自分が言ったはずの言葉だったのに。
 あの頃は、解っていなかった。現実に直面するのが、こんなにも不安で怖くて、どうしようもなく苦しい事だなんて。
 でも、とてもじゃないけど言葉になんて出来ない。それを認めるのは、あまりにも惨めで情けなくてカッコ悪すぎる事だと解っているからこそ、今はただ一刻も早く逃げ出したかった。
 何から?
 誰から?
 どれでもない、今の自分のこの感情から逃げ出したくて、蓮川は引き止める声を聞かずその場から走り出した。しかし次の瞬間、忍と一緒にいた人物に行く手を遮られる。
「逃げるのかよ」
 見下ろされ、挑発的な言葉を投げつけられる。蓮川は悔しさの中に殺気すら帯びた瞳で、光流を睨みつけた。
「逃げません……!」
「逃げてるだろうが」
「あんたに……あんたみたいな人に、なにが解るんですか!?」
 だめだ。これ以上言っては。止まれ。頼むから止まってくれ。そう自分に言い聞かせるのに、後から後から感情が溢れてきて止まらない。
  それなのに、目の前の相手は酷く冷静で。なおさら自分が惨めで情けなく思えてくる。消してしまいたいのは、消えてしまいたいのは、きっと自分だ。そう思った瞬間、背後からぎゅっと抱きしめられ、蓮川は目を見張った。
「もう……やめてくれ、光流」
 愛しい人の優しい声が、耳元で響く。途端に蓮川の瞳から攻撃の色が消え、涙の雫が頬を伝った。
「……一生そーやって甘ったれてろ、ガキ」
 光流が吐き捨てるように言って、背を向けて去っていく。
 悔しさや惨めさばかりが波のように襲ってくる。それなのに、後から後から溢れてくる涙を止めることは出来なかった。
「不安にさせて……悪かった」
 抱きしめられて、そっと囁かれる。ぎゅっと目を閉じた蓮川の瞳から、いくつも涙が零れた。
 違う。全部おれが悪いのに。なんであなたが謝るんですか、なんで。蓮川は何度も心の内でそう叫んだ。
「ごめ……ごめん、なさい……っ、おれ……疑ってた……わけじゃ……」
 どうして、信じられなかったのだろう。信じられないのだろう。
 いつでもこんなに、愛されているのに。
「解ってる。おまえのことなんて、もう全部解ってる。……この単純馬鹿」
 酷く優しい声で罵られた刹那、蓮川は霧が晴れたように過去のことを思い出した。
 いつでも冷徹で、血の色ミドリで、優しさなんて欠片もないと思っていた。でも思い出せばあの頃も、いつでもそっと支えてくれていた。誰にも気づかないくらいの、誰よりも深い愛情で。
 確信を持った瞬間、どうしようもない愛しさが溢れてきて、蓮川は強く忍の身体を抱きしめた。
「忍先輩……っ」
 ほんとに、ほんとにほんとに馬鹿だ。
 たとえ出会ったのが一年前でも一年後でも、それよりずっとずっと前でも、ずっとずっと後でも。
 もっと、この人を見つめていたなら。
 目に見える姿形だけで判断するのではなく、放つ言葉に惑わされるのではなく、その裏側にある心をしっかりと自分の目で見つめていたなら。
 絶対に絶対に、好きになっていた。
 たとえその時、この人に大切な人がいたとしても。かけがえのない恋人がいたとしても。離れられない相手がいたとしても。
 きっと、絶対に、必ず、好きになっていたに違いないんだ──。
  



 例えばあの頃、好きになっていたら。
 そんな架空の話を想像しても、意味のないことなのかもしれない。
 けれど、やっぱり、してしまうんだ。

「忍先輩、お、おれ、あなたのことが好きです……!!」
「ほう、それはなんの冗談だ蓮川? また罰ゲームか何かか?」
「ち、違います……っ! おれ、あなたのことが本当に……!!」
「光流によく言っておこう。すぐバレる嘘はつくなって」

 結局は、少しも変わってはいなかったのかもしれない。
 何度も何度も告白してはフられて、最後は諦めるしかなかったのかもしれないし、諦めなければ今と同じように手に入れられたのかもしれない。
 だから、もしもの話なんて、結局は意味がないもので。
 大切なのは、今、この時、この瞬間に。

「忍先輩、おれ、あなたのことが大好きです」
「……ああ、俺もだ」

 何度も何度も何度でも、飽きるくらいにしっかりと。
 自分の気持ちを確かめて、自分の心を知って、自分の瞳を信じることなんだって、やっと気づいた。





 
 -おまけの後日談-


 だから、どうして、なんで、あなたという人は!! 
 どーいう思考回路をしていたら連絡もなしにやってきては許可も無く人の部屋にずけずけ上がり込んで、おまけに人の恋人にベタベタ出来るんですか!!??
「ハッピーバースデイ忍くん!!」
 パンと派手にクラッカーを鳴らし、光流ががばっと抱きついたついたところで、忍が頭にクラッカーのゴミをかぶりながら、もはや呆れて言葉も出ない状態で光流の身体を押しのけた。
 今日はクリスマス兼忍の誕生日、いつものようにおうちデートでゆっくり過ごした後は、めいっぱいいちゃいちゃする予定だったのに。蓮川は悔しさにひたすら身悶える。
「ほら忍、誕生日プレゼント。昔おまえが欲しがってた、蓮川には死んでも買えない高級ブランド腕時計」
「いいかげんにして下さい光流先輩っ!! 下心見え見えですよ!?」
「そんなもん微塵もねーって。大事な大事な親友からプレゼント貰うくらい、恋人だったら広い心で見守ってやれよ?」
 ニヤニヤと微笑みながらそんなことを言われても。蓮川は額に青筋を立てまくる。
「どこの男友達が、親友の誕生日プレゼントにン十万の高級時計プレゼントするんですか……っ」
 もうほんと頼むからいい加減にしてくれと蓮川は訴えるが、実際昔からの親友でもある以上、光流の言い分も決して間違っているわけではなく。
「なあ忍、俺たち、たとえ別れてもずっと親友だよな? もちろんおまえと恋人だった頃の思い出は、全部大事にこの胸の中にしまってある。忘れもしないぜ、あれはおまえが初めて俺に誕生日プレゼントくれた時のこと(※当時16歳)。公園で無言で俺の手を握ったかと思えば、左手の薬指にシロツメクサの指輪はめてくれて。ずっと一緒に生きていこうって誓い合ったあの日の思い出は、俺の永遠の宝物……ぐはっ!!」
 うっとりと語りだした光流の顔面に、忍の拳が直撃した。
 あまりにも恥ずかしすぎる、思い出すと消えて無くなりたいほどの黒歴史でしかない過去の記憶を語りだす光流に(※事実だったようです)、忍が顔を真っ赤にして怒りの表情を向ける。
「忍先輩……っ、なんでその可愛すぎる一面を、あの頃おれに見せてくれなかったんですか!!??」
「死んでも見せられるか馬鹿者!!!!」
 がっと牙を剥く忍の横で、蓮川は猛烈に悔しげに拳を握り締めた。
 よく考えたら、忍もあの頃はまだったの16歳。16歳。16歳。その年齢を反芻させるたびに、とにかく色々な面で悔やまれてならない蓮川だった。くそ……っ、自分の馬鹿! 馬鹿馬鹿馬鹿!!! なんであの頃、もっとしっかりこの人を見ていなかったんだ!!!! 何度も自分を叱咤するが、失われた過去は二度と取り戻せるはずもなく、蓮川は激しく自己嫌悪に陥った。
「畜生……っ、おれだって、おれだって、シロツメクサの指輪欲しかった……!! 光流先輩ずるいっ! ずるすぎですっ!!!」
「ざまあみろ蓮川。他にもこんなピュアッピュアな思い出が腐るほどあるんだぜ俺には?」
 拳を握り締め悔しがる蓮川を前に、ふっふっふと笑いながら物凄く自慢げに蓮川を見下ろす光流を、忍が凄まじい冷気を放ちながら再度殴りつけようとしたその時だった。
 ピンポンと玄関のチャイムが鳴る。
 今度は誰だ今度はと、蓮川が足を急がせ玄関のドアを開いたと同時に、蓮川の表情が固まった。
「蓮川くん、メリークリスマス!!」
 パンと派手にクラッカーを鳴らした百合の目前で、蓮川が頭にクラッカーのゴミをかぶりながら愕然と目を見開いた。
「ゆ、百合さん……、なんで……っ」
「もちろんクリスマスプレゼント渡しに♪」
「いや、あの、この前、あなたに凄く酷いこと言ったのに、こんなもの貰う筋合いは……」
「いいの! あの時、はっきり言ってくれてありがとう!! おかげで私、すっぱりきっぱり目が覚めたわ!! だからあなたのこと、絶対に諦めないって心に決めたの!」
 晴れ晴れと笑みを浮かべながら、百合はがばっと蓮川に抱きついた。
 な、なんなんだこの超絶ポジティブ思考のビッチ女は!!! 蓮川は完全にドン引きしながらも頭の中はパニック状態であったが、抱きつかれたまま背後を振り返った瞬間にひっと顔を青ざめさせた。
「困ります!! おれには大事な人がいるんです!! 頼むからすっぱりきっぱり諦めて下さい!!!」
「大事な人……?」
 目を丸くする百合の身体をがばっと引き離し、蓮川は背後に冷気オーラを放つ忍に目を向けたが、蓮川が歩み寄るより先に忍の方から近づいてきた。そして強引に光流を引っ張ってきたかと思うと、百合の前にぐいっと差し出した。
「これがその相手です」
「い……!?」
 にっこり微笑みながら言う忍の前で、蓮川と光流が同時に目を見開いた。百合もまた、愕然とした表情を二人に向ける。
「そういうわけですから、あとは二人きりにしてあげましょう。僕はこの二人のただの友人なんですが、この後暇なので、良かったら一緒にお食事でもどうですか?」
 あくまで紳士的に穏やかにふるまう忍を目前にした途端、百合が顔を真っ赤にして完全に恋する乙女の瞳を忍に向けた。
「え、ええ、私なんかで良かったら是非……!」
「じゃああとは二人でごゆっくり。ただの友人の俺なんかが、二人きりの時間を邪魔して悪かったな」 
「え……ちょっ、忍先輩……!!??」
 忍は焦る蓮川を一睨みしたかと思うと、百合の肩を抱いて去っていってしまった。
「やっぱ相変わらず強ぇわ」
 呆然とする蓮川の隣で、光流が飄々と言い放った。
「え……いや、あの、これは一体どういう……」
「仕方ない蓮川、飲むぞ」
「いやあのっ、誰と誰が恋人同士って……っ。おれ、明日からどうしたら良いんですか~~~!!???」
 頼むから教えてください光流先輩!!!
 蓮川の大絶叫が響き渡るばかりの六畳一間。
 その壁の向こうで、やけに騒がしいないつものことだけど、と隣人がゲームのリモコンを操作しながら心の中で呟いた。