HERO



 
「蓮川……」
 その日の夜、壮絶なフェロモンを発しながらベッド上で誘ってくる忍を前に、蓮川は盛大に鼻血を吹いた。
「せ、先輩……っ」
 こんなの無理! 絶対に無理! そう心の内で絶叫しながら忍の上に覆いかぶさった刹那、携帯の着信音が鳴り響いた。
 またいつもの邪魔かと舌打ちし、あくまで着信を無視しようとした蓮川であるが、三回目目の着信が鳴り響いた辺りで我慢が限界に達した。
 しかし携帯のコール音に応えた刹那、
「先生……助けて……!!」
 予想とはとは明らかに違う声を耳に、蓮川は目を見開いた。


 三浦春人と川口理佐の家は隣同士。物心付いた頃から、ずっと一緒だった。兄妹、あるいは姉弟のように育ってきたはずの二人が、どこをどう誤ってこんなことになってしまったのか。狭いアパートの一室。酷く荒んだ瞳をした春人と、半裸のまま震える理佐を前に、蓮川は震える拳を握り締めた。
「どうして……こんなことしたんだ、三浦」
 強姦未遂という言葉がぴったり当てはまる光景。蓮川は低い声で尋ねる。
「……うるせぇな。ムシャクシャしてただけだ」
 投げやりにそう言い放った春人の頬を、蓮川は再度拳で殴りつけた。春人の口に血が滲む。もう一度殴りつけてやろうとしたその時、理佐が庇うように春人に覆いかぶさった。
「いい……! もういいよ……!! ごめんなさい先生……!!」
 身も心もボロボロなはずなのに、理佐は懸命に春人を庇った。欲望のまま身勝手に自分を犯し穢した相手を。
「おまえはいいのか……? それでいいのかよ!?」
「だったらてめぇが慰めてやれよ!?」
 唇に血を滲ませ、春人が叫んだ。一瞬酷く悔しげな瞳で蓮川を睨みつけたが、すぐに二人に背を向けその場を去った。
 春人の部屋に残された理佐が、無残な姿で身体を震わせる。そこにいつもの気の強さは微塵もなかった。蓮川はそっと上着をかけてやり、露になった彼女の肌を隠した。
「先生……わたし、子供じゃないよ……?」
 もう、子供なんかじゃない。とうの昔に。そう言いながら震える理佐に、蓮川はかけるべき言葉が見つからなかった。


 どうしても相談したいことがあるからと、呼び出されたのは駅の公衆電話前。
 佇む巳夜の前に表れたのは、酷く憔悴しきった様子の春人の姿だった。
 「どうしたの?」と尋ねた巳夜に、春人は突然、覆いかぶさるように抱きついた。巳夜の瞳が大きく見開かれる。
「助けて……」
 春人が小さく呟く。
 尋常ではないその様子に、巳夜の心は酷く狼狽えた。
   
    
 何もかもぶっ壊してやりたい気持ちに駆られる時がある。
『春人、いつも一人にしてごめんね。こんなお母さんでごめんね』
 俺は何も責めてなんかいやしない。母さんはいつも俺のために必死で働いてるじゃないか。女手一つでも、いつだって一生懸命に。だから謝る必要なんてどこにもないのに。
 それとも俺がいなければ、母さんはこんなに苦労する必要はなかったのかな。俺が母さんを、そうさせてるのかな。
『大丈夫だよ、あんたにはあたしがついてるじゃない』
 いつもそう言って、俺の手をぐんぐん引っ張っていく力強さが好きだった。でも俺は男だし、一人でだって全然平気だし。おまえなんかいなくたって充分生きていける。だから離れなきゃ。おまえには俺なんかより、もっと似合う男がいくらでもいるだろう。例えばそう、あの尊敬するべき先生みたいな。
 

『春人、お母さん、再婚してもいいかな……?』
 最近ずいぶんと、明るくなったなって思っていた。いつも疲れた顔をしていた母さんが、凄く生き生きとして笑顔も多くなって、俺も嬉しかった。でもそれは全て、俺の知らない男のためだった。俺のためなんかじゃなかった。だったら最初から、俺なんか要らなかったじゃないか。やっぱり俺が、母さんを疲れさせていたんじゃないか。
『わたし、あんたのこと好きだったけど、もう諦める。他に好きな人が出来たんだ』
 そうだよな、おまえは最初から、俺なんかいなくたって全然平気な奴だった。ただ哀れんでいただけだろう。いつも一人きりで部屋にいた俺のことを。馬鹿で暗くて友達もいなくて、いつも一人だった俺のことを。
 俺はそんな友達も恋人も……家族だって、もう要らない。
 みんな、さっさとどこかへ行っちまえ。
 俺のことなんか捨てて。
 どうせ俺なんか、最初から誰にも必要とされてなかったし、誰にも愛されてなんかいなかった。
 死んじまえ。
 俺を哀れむおまえらなんか。
 可哀想な自分なんか。
 何も出来ない。誰にも必要とされない自分なんか、死んでしまえ……!!!


『凄い……! 凄いよ三浦君……!!!』
 突然に、目の前が明るくなった。
 ただなんとなく、楽しいなって。生まれて初めて夢中になって描いた絵を前に、こんなにも泣くほど感動してくれる人がいるなんて。気持ちが昂ぶって、凄くくすぐったいような気持ちになって、毎日学校に行くのが楽しくなった。その人の顔を見ると何故か心が弾んで、穏やかな気持ちになれた。
 先生。
 ……先生。
「先生……」
 だからどうしても、どうしても、貴女が欲しかったんだ。
 貴女の優しさが。希望が。光が。そして……愛が。 
 でもやっぱり、俺のしたことは間違っていたのかな。
 だからあんたは、そんな目をして俺を見ているのかな。
「……これで満足?」
 いつもの優しさはどこにもない、怒りと憎しみばかりが篭った瞳。
「満足なの!?」
 ああきっと俺は、いつものように間違えたんだ。失敗したんだ。自分で自分の一番大切なものを壊してしまったんだ。 
 だからこれで、ジ・エンド。
 俺の全てが終わった日。
 ……さよなら、俺。



 
 暗いリビングのテーブルに腰掛けたまま、蓮川の表情は酷く憔悴していた。ぴくりとも動かないその姿を、忍もまた暗い面持ちで、黙って見つめた。
 つい先ほどまでの記憶が走馬灯のように蘇る。
 まだ幼い少年の遺影。泣き疲れ死んだような瞳をした母親の顔。棺桶に縋り付いて泣き叫ぶ女生徒の声。茫然と立ち尽くす巳夜の姿。涙をこぼす友人達。親族や知人達の嘆く姿。
『どうして自殺なんて……』
『遺書もないんでしょう? もしかしたら事件なんじゃ……』
 さして関わりのなかったであろう近所の住人達がひそひそと噂する、根も葉もない言葉の数々。
 
 今朝、突然に電話がかかってきた。電話に出るなり固まった蓮川の姿に、忍は尋常じゃないものを感じた。すぐにしっかりしろと正気に戻させ、蓮川と共に向かったのは、警察の遺体安置所だった。
 蓮川が教師になって初めて心を寄せた生徒が、自ら線路に飛び込み命を絶ったのは、一昨日の夜のことだ。
 そのあまりにも無残な姿を前に、蓮川は己を支えているのが精一杯だった。
 忍は今なお心中でもがき苦しんでいるであろう蓮川を想い、ただ見守り続けた。
 まだたったの十六歳。
 今が苦しくたって、これからいくらでも楽しいことが待っていたはずなのに。一体なにが彼をそこまで追い詰めたのか。おそらく蓮川は知っているのだろうが、何一つ言葉にはしない。忍は息苦しい想いばかりを抱えた。
「……俺は大丈夫ですから、先に寝てていいですよ」
 ふと蓮川が顔をあげ、静かな笑みを浮かべて言った。
 昔だったら、「畜生!」と泣き喚きながら感情を爆発させていたであろうが、大人になったのだろう。そのことにやや寂しさを覚えながら、忍はふるふると首を横に振った。こんな時くらい、一人で解決しようとせず、泣いて喚いてもいいから頼ってくれたらいいのに。そう思うけれど、言葉には出来なかった。
「あ……喪服、出しておかなきゃ……」
 蓮川が力なく言いながら立ち上がった。
「俺が……、出して、おくから……」
 忍もまた咄嗟に立ち上がり、遠慮がちに言った。
「……ありがとうございます。じゃあ、風呂入らせてもらいますね」
 蓮川はあくまで他人行儀にそう言って、風呂場に向かっていった。その後姿を見送り、忍は酷く寂しげに目を細めた。
 後で思えば、ここでしっかり話を聞けば良かったのかもしれない。どんな生徒だったのか、何故自殺なんかしたのだろう、今どんな想いでいるんだと、何でもいいから話を。けれど何一つ聞かなかった。聞けなかった。自分の臆病さに嫌悪感ばかりを抱きながら、忍は眠れない長い夜を一人で過ごした。 
 


 今更悔やんでも、もう真実を知ることは出来ない。彼の心の内を知っているのは彼だけで、彼が言葉を発さない限り、もう何もかもが自分の勝手な憶測に過ぎないのだから。
 でも頼むから、教えてくれ。
 おまえは何を想っていたんだ。何を感じていたんだ。何を苦しんでいたんだ。
 それとも俺が、あの時追いかけて捕まえて離さなかったら、今こんなことにはなっていなかったのか……?
「……大丈夫? 巳夜ちゃん」
 お経が響き渡る葬儀場。ふと隣の席に座る巳夜の肩を、付き添いで来ていた典馬がそっと抱いた。蓮川と同じように酷く憔悴しきった表情の巳夜は、言葉もなく俯いているばかりだ。。
 蓮川もまた暗い表情のまま、春人の遺影を見つめる。少しでも気を緩めたら、抑えていたものが一気に溢れ出して止まらなくなるのが解っていたから、必死で心に蓋をした。もう一人前の男なのだからと、せめて人前で泣くことを堪えることが精一杯だった。たとえそれが恋人の目前であっても。
 昨夜、心配してくれていた忍の顔が思い出される。黙って傍にいてくれる、それだけで随分と心は救われた。今朝も一緒に行こうかと言ってくれたけれど、もう子供じゃないんだから大丈夫ですと断った。これ以上、あの人に心配をかけてはいけない。早く立ち直って元気な顔を見せなければ。そう心の内で自分に言い聞かせた。
 滞りなく葬儀を終え、参列者が次々と退席していくが、蓮川はなかなかその場を離れられずにいた。同じように、隣に座る巳夜も立ち上がろうとはしない。
「巳夜ちゃん、もう帰ろう」
「……もういいから、先に帰ってて」
「でも」
「お願い、話をさせて」
 その場を離れようと、いや離れさせようとする典馬に、巳夜がいつもとは違うきっぱりとした口調で言った。
 典馬はやや眉をしかめながらも、その場を離れ巳夜から距離を置いた。
「蓮川先生……少しだけ、時間を下さい」
 巳夜が真剣な声を放った。蓮川は神妙な面持ちのまま、彼女と共に立ち上がった。

 
 葬儀場を出た駐車場の片隅。あの日の夜、春人と理佐の間に入ったことを、蓮川は正直に巳夜に告げた。巳夜からもまた、思いがけない返答がかえってきた。その後、春人からの電話を受け駆けつけた巳夜の前で、春人が酷く落ち込んでいた様子だったこと。悩みを聞くつもりで入ったカラオケボックスで、突然に襲いかかってこられたこと。拒絶したその後、春人はすぐに線路に飛び込んだのだと、巳夜は包み隠さず全てを蓮川に話してきた。
「……全部、私のせいなの。貴方は何も悪くない」
 だから、決して自分を責めたりしないで。そう言った巳夜に、蓮川はすぐさま首を横に振った。
「君も……君のせいでも、ない。俺があの時、殴るだけじゃなくしっかり話を聞いていれば、こんなことには……」 
 あの夜に関わったばかりに、どうしても拭うことは出来ない罪悪感を抱えたまま、二人は苦しげに表情を歪めた。 
 けれどすぐに、こんなことは無意味だと悟った。
 互いを責めても、自分を責めても、もう二度と春人が戻って来ることはないのだから。
 もう二度と、あの愛しい笑顔を見ることは出来ないのだから。
「……凄く、いい子だったよね……」
 長い沈黙の後、巳夜が小さく声を放った。その声は、わずかに震えていた。 
 そうして思い出す。
『先生』
 何度もそう呼んでくれた、彼の声。
『蓮川先生、今日、自分で弁当作ってきたんです』
 少し照れ臭そうにそう言って、形の崩れた玉子焼きが入った弁当の中身を見せてくれた時の、小さな子供みたいに期待に満ちた表情。彼の望み通りに「凄いじゃん!」って言ってやったら、酷く照れ臭そうにはにかんだ。
『先生、タイムあがってましたか……?』
 校庭を全力で走った後、息を切らせながら尋ねてきた時の、少し不安げな瞳。「大丈夫、前より全然上がってる、よく頑張ったな!」そう言って肩を叩いたら、初めて満面の笑みを見せてくれた。
『先生』
 何度も何度も、彼の声が頭の中に響く。
 そんな、ついこの前まで当たり前にあった彼との日常を、必死に思い出すまいとしていた。思い出してしまったら、抑え切れないと知っていたからだ。堪えきれず泣いてしまうと、解っていたから──。
「……っ……」
 春人。春人。春人。蓮川は何度も、心の内で彼に呼びかけた。頼むから戻ってきてくれ。もう一度、愛しくて堪らなかった笑顔を見せてくれ。もう一度俺のこと、先生って呼んでくれないか。そうしたら今度は絶対に離さないから。どこまでも追いかけて、強く強く抱きしめてやるから。絶対に一人で死なせたり、しないから──。
 後から後から溢れてくる涙を、もう止めることは叶わなかった。
 身も心もバラバラになってしまいそうな苦しさ。それらを癒すように、巳夜の手がぎゅっと蓮川を抱きしめた。彼女もまた、声を押し殺し涙を流していた。互いに互いの心が痛いほどに解るから、蓮川もまた巳夜の身体を強く抱き返した。今は、今だけは、彼女に傍にいて欲しいと強く想った。彼のことを痛いほどに想い合える、この痛みを分かち合える、今だけは。


 これは決して裏切りなんかじゃない。
 そう解っている。解らなければいけない。今は、今だけは。
 それなのに何故、こんなにも心が震えるんだ。
 目の前で抱き合う男女を見つめながら、忍は絶望にも似た瞳でその場に立ち尽くした。
 来なくていいと言われたけれど、やはりどうしても心配で。でもこんな光景を見させられるくらいだったら、来なければ良かった。忍は激しく後悔しながら、彼らから目を逸らした。
 彼らにとっては大切な生徒が一人、命を落しているのだ。今はヤキモチなんて妬いている場合じゃない。そう解っているのに。
 でもだからって、どうして彼女なんだ。どうして俺じゃないんだ。おまえの泣く場所は、いつだって俺の───!!!
 今にも叫び出しそうな心を抱えていると、不意に遠方に見覚えのある姿を発見し、忍は目を見開いた。
 そこには酷く狂気に満ちた瞳で、目の前の男女を見つめる一人の男の姿。
 その手に握られている携帯電話が、バキッと音をたてて破壊された。
 彼の名は確かそう──小泉典馬。
 あまりにも不穏すぎる、けれどあまりにも自分と重なるその姿を前に、忍の心に暗雲が立ち込めた。


 
 人が一人亡くなっても、残酷なほどにいつもの日常は過ぎていく。
 さんざ春人の死を嘆いていた教師も生徒達も、時の流れと共にその存在は徐々に薄れていき、自分のことで精一杯の毎日だ。  
 それは蓮川もまた同様で、採用試験は受かったものの、やはり自分は教師など向いてないのではないだろうか。何度もそう自分を責め、疑問ばかりを抱いた。春人を思い出し胸が痛むことはあっても、もう涙を流すことはない。あるのはただ後悔ばかりだった。
 そんな心の持って行き場のない蓮川を救ってくれたのは、どん底まで突き落とされても雑草のように立ち上がった少女、川口理佐だった。
「だって頑張らないと。わたしもう、この子のママなんだもん」
 春人の子供が出来た。そう言った理佐が見せた力強い瞳を、蓮川は一生忘れないだろうと思った。
 まるで幼稚園児みたいに幼いと思っていた彼女が思いがけず見せた、強さ逞しさ。それは母性からくるものなのか、それとも彼女自身の強さが彼女をそうさせているのか。どちらにせよ、敵わないと蓮川は白旗をあげた。大丈夫なのかと、もう尋ねる隙もないくらいに、彼女の瞳は前を向いている。きっと周囲が何を言ってもその意思を覆すことはないだろう。
「男の子でも女の子でも、「春」って名前にしようと思ってるんだ。先生、この子のパパになってくれる?」
「バ……っ」
「冗談だよ~、この子のパパは春人だけだもん」
 明るく笑ってそう言った理佐に、蓮川は苦笑しながらも、心の内は酷く穏やかだった。
「あの時助けに来てくれてありがとう、先生。ほんとは自分でぶん殴ってやりたかったけど、わたしはやっぱり女だから、どうしても力では勝てなかった。でも先生が、わたしの代わりに殴ってくれたから。どうしようもないあいつのこと、殴ってくれたから。わたし、あいつのこと許せたんだ。だからさっさとわたしとこの子捨てて天国で楽に暮らしてるあいつのこと、ずっと、ずっと、好きでいてやるね」
 どれだけの苦しみの内に、彼女はその答えを出したのだろう。そう思うとやはり胸は痛んだが、もう挫けている場合ではないと、心の底から思わせてくれた彼女に、蓮川は心から敬愛の念を抱いた。



 そのすぐ後に、巳夜から妊娠したと告げられた日には、運命の神様とは本当にいるものなんだなと、蓮川は深く感銘を受けた。  
「おめでとう」
 蓮川は心からそう思い、彼女に微笑を向けた。
 けれど、蓮川が予想していたような反応はなく。理佐とは対照的に、巳夜の表情は酷く重々しいものだった。
「……ありがとう」
 どこか無理に笑っているのが解った蓮川は、ふと彼女の前髪の生え際に小さな傷痕を見つけ、眉をしかめた。
「怪我……したの?」
「あ……ちょっと、机の角にぶつけて……」
「もう一人の身体じゃないんだから、気をつけてね」
「うん……ありがとう」
 力なく微笑む巳夜を、蓮川はやはりもやもやした気分のままに見つめた。


 せっかく採用試験も受かって、これから本格的に教師生活が始まるというのに。
「忍先輩」
「……」
「忍先輩ってば」
「……何だ」
 ようやく振り向いてくれたものの、酷く不機嫌そうな忍を前に、蓮川は額に汗を滲ませた。
 忍が何故だか最近、やけに不機嫌だ。
 春人の件があって以来、放っておきすぎたせいだろうか。
『こいつらこう見えて人一倍繊細なんだから常に構ってやらねーと、あっちゅーまにもっと都合の良い相手見つけて去っていくぞ!!』
 不意に過去の光流の言葉が思い出され、蓮川は焦りに焦った。
 それは困る。凄く困る。この人がいなくなったら困る通り越して死ぬ。危機感ばかりを覚えた蓮川は、暢気に筋トレなんかしてる場合じゃないと、速攻でダンベルを置いて忍の身体をぎゅっと抱きしめた。
「す、すみません……! あの、今から一緒にお風呂入りますか!?」
「……もう入った」
「じゃ、じゃあ、今から一緒に……色々……し、しましょうか?」
「……色々って?」
 それまでそっぽを向いていた忍が、ふと顔を向けたかと思うと、瞳はまだ少し拗ねているものの、頬はわずかにピンク色に染まっていて。
(うわ……、可愛い……っ)
 明らかに何かを期待している忍を前に、蓮川の心臓は一気に跳ね上がった。
「忍先輩が好きなこと、いっぱい……」
 幼い頃から構うものがなかったので、構い方とか正直よく解らないけど、今日は構う構い倒す。そう心の中で絶叫しながら、蓮川は忍の手をとりベッドに急いだ。

 
 普段は信じられないほど鈍くてマイペースで無関心。あからさまに態度に出さないと通じないのは重々解っているだけに、わざと冷たくすることなんて日常茶飯事。そのたび焦っては必死になる姿が可愛くて。そんな自分の試し行為が我ながら子供じみていると解ってはいても、ついまた同じことを繰り返してしまう忍であった。
「それ……使うの……っ」
「イヤですか?」
 四つん這いの姿勢で尻にあたるヒヤリとした感覚に、忍はビクッと身体を震わせた。
「これ、好きですよね……?」
「ん……っ……」
 ズブッと音をたてて侵入してきたバイブが、音を鳴らして中で捻る。振動が奥を刺激し、忍は快楽に目を細めた。
「こっちも……」
 蓮川の手に握られたブルブルと音をたてるローターが、忍の乳首を刺激した。桜色の乳首がツンと立ち、頬が同じ色に染まる。あまりの気持ち良さに耐え切れず、忍は腕の力を抜いて前のめりに倒れた。バイブの入った尻が突き出され、更に卑猥に映る姿を、蓮川が興奮を隠せない瞳で見つめる。
「そんなに使ってないのに随分慣れてるみたいですけど……もしかして一人で遊んでました?」
「……んっ、し、してな……っ」 
「嘘ばっかつく人はお仕置きです」
「ふ……ぁ……っあ……!」
 ズプズプとバイブが出し入れされる。忍は苦しげに眉を寄せ、両手でシーツを掴んだ。
「も……や……ぁ、おまえの……っ、が、欲し……っ」
 忍が目一杯感じながらも、涙目で蓮川を見つめ訴える。蓮川はカッと耳まで赤くさせ、動かしていたバイブを速攻で引き抜いた。ローションで濡れバイブで開ききったそこがヒクヒクといやらしく収縮して蓮川を誘う。蓮川は忍の腰を掴むと、一気に自分のものを押し込んだ。
「あ……あ……っ、い……い……っ!!」
 蓮川が獰猛なまでに腰を振ると、忍は更に強くシーツを掴みながら快楽に溺れた。
 幾度かの射精でドロドロに汚れたシーツに、更に欲望を放つ。汗と精液にまみれた忍の身体を、蓮川は息を荒くしながら背後から抱きしめた。
「ずっと……一人でさせて、ごめんなさい……」
 繋がったまま耳元でそう囁くと、忍は涙に濡れた顔を蓮川に向け、蓮川の頭を引き寄せキスをねだった。せがまれるままに、蓮川は唇に唇を重ねる。
 ペニスを引き抜くと、忍の中から放った液体がドロリと溢れた。
 あまりにもいやらしいその姿を前に、蓮川の瞳がギラリと光った。
(いっそこのまま……)
 孕ませてしまいたい。
 そんなとても口には出せない欲望を渦巻かせながら、再度ペニスを捻じ込み、快楽の海に溺れた。


 
 何度も何度も鳴り響くメール音に、巳夜の心は苛まれていた。
『今、どこにいるの』
『何時に帰ってくる?』
 過去の怪我のせいで身体が不自由なため、自宅で出来るウェブデザイナーの仕事をしている彼は、二十四時間ほぼ欠かさずといってよいほど、巳夜の様子を逐一監視している。
 以前からそれを敏感に感じていた巳夜であるが、このところの異常なまでの監視ぶりには、いいかげん辟易としていた。
「だめじゃないか巳夜ちゃん、一人の身体じゃないのに、こんな遅くまで出歩いてちゃ」
「仕事だもの、仕方ないでしょ……」
「どうせ辞めるのに、そんなに熱心にすることないよ」
「……私、子供を産んでも辞めるつもりはないよ」 
「どうして? まだ赤ん坊なのに母親がそばにいてくれないなんて、子供が可哀想だと思わないの?」
 責められるように問い詰められ、巳夜は口をつぐんだ。
「仕事は絶対に辞めてもらうよ」
「……辞めない」
「どうして? 何か辞めたくない理由があるのかなぁ……?」   
 不意に典馬が立ち上がる。不穏な空気を感じ、巳夜は一歩足を引いた。
「理由は……あるよ……! 教師の仕事が好きだからに決まって……」
 言い終わらないうちに、突然に頬に強い衝撃が走った。
 殴られ床に倒れこんだ巳夜の肩を、典馬がそっと掴む。
「嘘をつくなよ、あの男がいるからだろ?」
「ちが……っ」
「本当はそのお腹の子、あいつの子じゃないの?」
「違う……っ!!」
 どうして。どうしてそんなことを。涙の混じった瞳で見つめる巳夜を見下ろす典馬の瞳は、恐ろしく冷たい。何度違うと言っても決して信じてはくれない典馬を前に、巳夜は涙を拭い唇を噛み締めた。

 
 蓮川一也。
 幼い頃に両親を亡くし、年の離れた兄と二人きりの生活。高校進学と同時に兄が結婚。私立の寮に入り高校生活を満喫した後、大学に進学。その後一流企業に勤めるものの早期退職。現在は高校教師。都内のマンションにて、高校時代の友人と同居生活。
「……同居、ねぇ」
 パソコン画面に映る目の前のデータを眺め、典馬は嘲笑しながら呟いた。
 典馬がマウスをクリックすると同時に、画面に一枚の画像が開かれた。
 手塚忍。
 典馬は心の内でその名を反芻した。