うさぎ王子



 
 
  ここはグリーン・ウッド王国。
 今は昔、悪党の頭と呼ばれていた男が作り上げた、数百年も続く王国です。その血を引き継いだ今の王様もまた、歴代の王と同じとても悪い王様でした。
 今日も王様は飽きることなく、また一つ、大いなる野望を抱いているようです。
「国王様、遥か遠い異国の地より、姫に求婚を申し込んできました」
「ほう……次はどこの国の王子だ?」
「東洋で今一番栄えている国、セレーネ王国のフレッド王子です。民想いで教養もあり、おまけに美形だと、国では大層評判がよろしいようで。彼ならばきっと、姫も気に入るのではないかと……」
「そうか、ならばすぐに見合いの席を設けろ」
 迷いもなく目を光らせるの王様の前で、家臣は跪き頭を下げました。


 一体これで何度目のお見合いになるのでしょう。深いため息をつきながら、シノブ姫は壷に飾られた薔薇の花を一輪、手にとりました。そして高価な薔薇を惜しげもなく、くしゃりと握りつぶしてしまったのです。
「あのクソ親父、とっととくたばれ……!!!」
 背後から突然、自分のものではない声が聞こえ、シノブ姫はとっさに振り返りました。するとそこには、金色の髪をしたとても美しい青年が立っていました。
「って顔してるぜ? シ・ノ・ブ・姫」
 青年はからかうように言いました。シノブ姫は青年を鋭い瞳でにらみつけます。
「なんの用だ、ミッシェル王子」
「決まってるだろ、今日こそ結婚の許可を頂きに」
 そっとシノブ姫の手をとり、甲にキスを落とすミッシェル王子の手を、シノブ姫はあっさりと跳ね除けてしまいました。
「誰がおまえなんぞと結婚するか、どこの国の輩かも解らない偽王子のクセに」
「何を仰います、この私の姿を見て、王子と疑わない者はおりますまい?」
 ミッシェル王子は相変わらず冗談めいた声で言いました。シノブ姫はとても面白くない様子です。
「ああ風情だけは立派に王子だが、品も無ければデリカシーも無い。おまけに金も無い。目当てはこの国の財産だけ。そうだろう?」
「相変わらず信用ねーなぁ、俺の目的はおまえだけだっつの」
 ミッシェル王子は苦笑しました。そしてそっとシノブ姫の腰に手を回し、その身体を抱き寄せました。ミッシェル王子がシノブ姫の唇にキスをすると、シノブ姫は諦めにも似た様子で目を伏せ、ミッシェルの唇を受け入れました。
 シノブ姫の白くしなやかな裸体がシーツの上に晒されます。夜の闇に溶けてゆくかのように、シノブ姫はミッシェル王子に身を委ねました。
 

 ミッシェル王子はとても美しく聡明な青年でしたので、この国で彼を慕わないものはいませんでした。けれどその実態は、どこの国とも知れない国の、下町の庶民の息子だったのです。そしてとんでもないことに、美しい容貌を利用し王子のフリをしてこの国に忍び込み、挙句の果てに姫の処女を無理矢理奪った、とても悪い偽の王子でした。シノブ姫はもちろんそのことを知っていましたので、ミッシェル王子の求婚を受け入れる気持ちは少しもありません。
「で、今度の見合い相手は?」
「東洋の王子らしい。噂によると随分な美形だそうだ。おまえに負けず劣らずな。おまけに真面目で優しく民想い、教養も充分ときている。国王も今までにないほど乗り気だ」 
 白いブラウスの袖に腕を通しながら、シノブ姫はどこか楽しげに言いました。
「この面食い」
 ミッシェル王子は目を据わらせ言いました。
「けれど可哀想に、清楚で可憐と噂のお姫様は、実はとんでもない浮気性で淫乱ときた」
「誰が淫乱だ、誰が」
 シノブ姫は氷のように冷たい瞳でもって、ミッシェル王子の喉下に鋭い銀のナイフを突きつけました。
「浮気性は認める、と?」
「遊びでもしなければ、いつまでもこんな馬鹿げた茶番劇をやってられるか」
「へーへー、仰る通りで」
 すっかり帰り支度を整えたミッシェル王子は、先ほどまでの野蛮な素の姿をすっかり隠し、にっこりといつもの王子様らしい笑顔を浮かべました。
「それでは姫、また求婚しに参ります」
 ミッシェル王子はシノブ姫にウィンクを投げ背を向けると、扉を開けて部屋から出て行きました。扉が閉まると同時に、シノブ姫は銀のナイフをドアに向かって投げました。ナイフは音をたてて扉に刺さりました。シノブ姫はとても苛々した様子で爪を噛みます。
 そうして、毎日変わらない部屋の景色を見渡し、切なげに瞳を伏せました。
(俺だって、おまえみたいに自由の身なら、どんなに……)
 シノブ姫は一日のほとんどを、このお城の中ですごしています。たまにお忍びで下町に出掛けて悪戯めいた遊びをすることはありましたが、本来国から出ることは許されていません。本当は国のことなど考えず、自由に世界中を旅することを夢見ていたシノブ姫でしたが、どうしても国を捨てることが出来ない理由がありました。
 それは遠い昔、第一王子の兄と、この国を一緒に守ろうと固い約束を交わしていたからです。
 しかし跡継ぎであるはずの兄王子は、突然姿を消してしまったのです。
 第二王子であるシノブ姫は、兄王子の分も、この国を守っていかなければいけません。
 もうとうの昔に覚悟は決めていたシノブ姫でしたが、たった一つ、どうしても納得のいかないことがありました。 
(姫、って、何だ!!??)
 あまりにも納得のいかないシノブ姫は、天蓋つきベッドのカーテンを、ビリビリと引き裂いてしまいました。
 真っ白なレースのカーテン。真っ赤な薔薇に埋め尽くされた部屋。上等の絹で作られたひらひらレースのブラウス。世の女性達にとっては憧れのものばかりでしたが、シノブ姫にとっては鳥肌が立つほどにおぞましいものばかりでした。
(俺は……)
 シノブ姫はどうしても納得がいかない様子で、ふるふると肩を震わせました。
(俺は男だーーーーーーーーっ!!!!!!!)
 こんなわけのわからない狂った王国も、それを認める王様も、王様の言いなりになる家臣達も、みんなみんな滅んでしまえば良いのに。シノブ姫は心の中で叫びますが、性根まで腐りきった神々の耳には届きません。哀れなシノブ姫は、このまま腐った神々の餌食にされ続けてしまうのでしょうか。
 

 同じ頃、同じ城の中では、百合の花が飾られた壷を床の上に叩き付け、肩を上下させる姫が一人おりました。
「この国の連中は頭がイカれてるの!!??」
 怒鳴り声をあげたのは、この国の第一王女であるナギサ姫です。
 ナギサ姫は家臣の黒服達に、ありったけの怒りをぶつけました。家臣達はやや困った表情でその場に立ち尽くすばかりです。
「何が姫よ! なにが清楚で可憐で激エロい俺の嫁よ!! あんな性悪で根性曲がったヤリチンが、第一王女である私を差し置いて世界で一番の王子を婿を貰うって、どんなド変態ウォ○トディ○ニー腐女子版よ!!??」
 少しヒステリックなところはありますが、この国で一番まっとうな感覚の持ち主であるナギサ姫は、あまりに理不尽な世の中にどうしても納得がいかない様子です。
 しかし神々とは無慈悲なもので、シノブ姫と東洋の王子との見合いの準備は、順調に進んでいました。
 怒ったナギサ姫は、今日こそシノブ姫を陥れてやると、有名な西の魔女のもとへ向かいました。
 そして魔女から受け取った呪いの薬を飲ませてやろうと、その夜、シノブ姫の部屋にこっそり忍び込もうとしたのです。
 

「こんな夜更けにどうなされました、ナギサ姫?」
 シノブ姫の部屋のドアを開けようとしたその時、背後から声がかかり、ナギサ姫はギクッと肩を震わせました。恐る恐る振り返ると、そこにはミッシェル王子の姿がありました。ナギサ姫はますます焦りを隠せない様子で言い訳をはじめました。
「ち、ちょっと部屋を間違えたのよっ! っていうかあんたこそ、こんな真夜中にシノブの部屋に何の用!?」
 強気で言い返してくるナギサ姫を、ミッシェル王子は壁ドンして言いました。
「野暮なことを仰る。それとも覗き見てみますか? 私と姫の熱い交わりの夜を」
 そのあまりに美しい顔を前に、ナギサ姫の喉がごくりと鳴りました。けれどもすぐに我に返ったナギサ姫は、ミッシェル王子の体を押し退けました。
「ふ、ふざけないでよ、このド変態!! 不潔よっ!!!!」
 泣きながら去って行くナギサ姫を、ミッシェル王子は失笑しながら見送りました
 ふとミッシェル王子は、足元に落ちていた青い小瓶に気づき手で拾い上げました。瓶の中で液体が緑色に光り輝いています。ミッシェル王子はその小瓶を懐にしまい、そっとシノブ姫の部屋の扉に手をかけました。


「はじめまして、フレッドともうします」
 背の高い、褐色の肌をしたフレッド王子は、とても綺麗な目をシノブ姫に向けました。その姿があまりに真摯でしたので、シノブ姫は礼儀正しくぺこりとお辞儀をしました。
「驚かせてしまってすまない。ご覧の通り俺は男だ。姫でも何でもない。わかったらすぐに国に帰……」
 シノブ姫は誠意をもって言います。するとフレッド王子はそっとシノブ姫の手をとり、甲にキスをしました。
「このくにでは、おとこでもおひめさまになれるのですね。すばらしいです」
 フレッド王子は心からそう言って、にっこりと微笑みました。
「わたしのくにでも、おとこだけれど、おんなのこになりたいひと、いっぱいいます。だからわたしは、いつか、それがゆるされるくにをつくりたいとおもっていました。あなたとなら、じつげんできそうです。どうか、わたしとけっこんしていただけませんか?」   
 まっすぐな瞳で求婚してくるフレッドに、シノブ姫は戸惑うばかりでした。
 これまでこの国の財産目当てに、男同士であろうが何だろうが構わず、野心のみで求婚してくる輩はたくさんいましたが、彼はどうやら本気で国の民を想っている、とても心優しい王子のようです。   
 シノブ姫の胸はわずかに高鳴りました。
 そこへ突然、ミッシェル王子がやってきました。突然に抱きこまれ唇を奪われたシノブ姫は、目をぱちくりとさせます。
「生憎こいつは、好きで「お姫様」やってるわけじゃねぇよ、民思いの王子サマ」
「貴様……っ!」
 あまりにも常識のないミッシェルの行動に、シノブ姫は怒りばかりを感じました。けれどもミッシェルは、おかまいなしにフレッド王子に鋭い視線を向けます。
「……わかりました。ざんねんですが、わたしはみをひきます。さようなら、しのぶひめ」
 フレッド王子はあっさりとその場を去っていってしまいました。
 シノブ姫は強引すぎるやり方でフレッドを追い払ったミッシェルに、刃のような瞳を向けました。
「邪魔をするな。おまえがどんなにこの国を狙ってこようとも、おまえのような下賤の輩にこの国は絶対に渡さない」 
 敵意ばかりを向け去っていくシノブ姫の背を、ミッシェルは黙って見送りました。いつものミッシェル王子とは違う、どこか寂しげな表情でした。



野道を一人歩く青年がおりました。
とても疲れた様子で、今にも息絶えてしまいそうです。
『いいか、グリーン・ウッド王国の姫の心を射止めてくるまで、この国の土を踏むことは許さん。石にかじりついてでも姫の心を捕らえて来い!』
 兄王の言葉を思い出し、カイル王子はふるふると肩を震わせました。
(あのクソ兄貴~~~~っ!!!!)
 カイル王子は心の中で叫びました。
 一千マイルも遠い国の王子であるカイル王子でしたが、馬車どころか馬一頭すら与えられず、懸命に歩いてグリーン・ウッド王国を目指していました。なぜならカイル王子の国はとても貧乏で、日々の食糧を得るため、畑を耕すだけで精一杯だったからです。
 ですからシノブ姫の噂を耳にした王様は、第一王子であるカイル王子に、国を助けるためにこの使命を与えたのでした。
 しかしろくな荷物も持たされずに一千マイルも歩き続けたカイル王子は、もはや限界です。何日も食事をとらず、この一日は一滴の水も飲んでいません。
 とうとうカイル王子、あと一歩で城に着くという森の隅で、意識を失ってしまいました。
「おい、大丈夫か?」
 そこへ、ミッシェル王子がやってきました。
 ミッシェル王子は目の前で倒れているカイル王子を助けようとしますが、食糧どころか水一つ持っていませんでした。けれどもたった一つ、緑色の液体が入った小瓶を持っていましたので、それをカイル王子に飲ませてやりました。
 

(くそ……っ!)
 悲しみが止まらないシノブ姫は、いつものように鉄砲を持って狩りに出掛けました。
 そして城を囲う森の中へ行くと、王族にの遊びであるウサギ狩りを始めます。銃の名手であるシノブ姫は、一匹、二匹、三匹と、次々にウサギを殺していきました。
 そこへ、一匹の赤茶色をしたウサギがあらわれました。
 シノブ姫は躊躇することなく、赤茶色のウサギに銃を向けました。けれども弾は命中することなく、赤茶色のウサギは素早く逃げ去っていきました。
 シノブ姫はとても面白くなかったので、逃がしてなるものかと後を追いました。ところがなんと素早いウサギでしょう。どれだけ狙いを定めても、ぴょんぴょんと交わして逃げてしまいます。シノブ姫はますます赤茶色のウサギを捕らえたくてたまらない気持ちになりました。
 

 どうやらその薬は魔女の呪いの薬でした。
 それを飲んだものは、たちまちある物に変身してしまうのです。
(そんなセオリーはともかく、なんでウサギ!!?? 普通そういう呪いのっていったら、カエルとか野獣とか虫とか、いわゆる人間にとって害になったり気色が悪かったりするものじゃないのか!? 可愛い可愛いウサギになったところで愛でられるだけじゃないか!! 間違ってる! 絶対に間違ってる!!!)
 変なところでやけにリアリストなカイル王子は、ウロウロと森の中をさ迷っていました。
 すると突然、目の前に銃を持ったシノブ姫が現れました。ウサギ姿のカイル王子は慌てふためいて身を翻し、シノブ姫の持つ銃から逃げ惑います。しかしどれだけすばしっこく逃げても、シノブ姫は諦めることなく追ってきました。カイル王子は死の恐怖に怯えながら、必死で逃げ続けます。
(死ぬ……! 今度こそ、絶対、死ぬ……!!)
 ぴょんぴょんと跳ね続けるものの、カイル王子の体力は限界でした。とうとう追い詰められたカイル王子は、目の前で鋭い瞳と銃を向けてくるシノブ姫を前に、だらだらと汗を流します。
(どうせ、どうせ殺されるなら……、闘ってから……!!!)
 カイル王子は心の内で強く決意し、後ろ足を思いきり踏み、シノブ姫に体当たりをしていきました。
 シノブ姫は地面の上に倒れこみました。その目元から、真っ赤な血が流れます。カイル王子はハッと目を見開きました。
(ヤバい……っ、このままじゃ、目、見えなくなるかも……!?)
 カイル王子はとても心配になったので、慌ててシノブ姫に近づき、流れる血をぺろぺろと舌で拭いました。
 シノブ姫は静かに目を開き、必死で自分を癒そうとする赤茶色のウサギに、切なげな瞳を向けました。
「……おまえ、……馬鹿……だな……」
 シノブ姫はそっと、赤茶色のウサギの頬を撫でました。


「おまえの名前、何がいい?」
 シノブ姫の腕に抱かれてお城の中までやってきたカイル王子でしたが、目の前でにっこり微笑むシノブ姫に、言葉を返すことは出来ませんでした。それはとても残念でしたが、目の前のシノブ姫があまりにも優しい瞳をして優しく声をかけてくるので、カイル王子はやや怯えながらも安堵の気持ちでいっぱいになりました。
「俺の名前はシノブ。自分では、あまり気に入ってない名前だから、おまえにはもっと良い名前をつけてやる」
 カイル王子はその名を耳にした瞬間、自分の使命を思い出しました。しかし相手がどう見ても姫ではなく王子だったので、頭の中は混乱でいっぱいです。
「シノブ姫、今日もお慰めに参りましたよーーー!!!」
 そこへ突然、ミッシェル王子がやってきました。
 ミッシェル王子が、シノブ姫に背中から抱きつきます。カイル王子は目をぱちくりとさせました。
「なんだよ、このウサギ。今夜の晩飯か?」
 ミッシェル王子がカイル王子の首根っこを掴み上げ、まじまじと覗きます。カイル王子は青ざめて、逃げなければと両手両足をバタバタさせました。
「違う、俺のペットだ」
 シノブ姫はミッシェル王子の手からカイル王子を奪いとり、自分の胸に抱きました。
「ペット? そんな汚ねぇ野ウサギが?」
 ミッシェルは眉をしかめます。シノブ姫は酷く愛しげにカイル王子の頭に頬を摺り寄せました。カイル王子は相変わらず怯え戸惑うばかりです。
「これから一緒に風呂に入る。おまえはさっさと帰れ」
「姫、そんな戯言を! 風呂と聞いて一緒に入らずにいられるほど、私は落ちぶれてはおりませぬぞ!?」
「カッコつけて言う台詞か! この腐女子ご用達ご都合主義のド変態美形攻めが!!!」
 シノブ姫はミッシェル王子を殴ると、カイル王子を抱いて浴室へ向かいました。ますます混乱するカイル王子でありました。

 
(いや男だから。男なんだけど。男なのに……っ!!)
 薔薇の花がいっぱい浮かんだ風呂の中、濡れた銀髪に真っ白な肌ときては、いくら相手が男でもドキドキせざるをえないカイル王子でありました。
(っていうかウサギに風呂は禁物なんですけど!?)
 やはり変なところでリアリストなカイル王子は、心の中でそんなツッコミをするものの、当然伝わるはずがありません。相変わらず一時も離してくれないシノブ姫を前に、カイル王子は諦めにも似た気持ちで腕の中に抱かれるばかりでした。
「なあ、何でおまえを殺そうとした俺の心配なんかしたんだ……?」
 馬鹿だな、と微笑むシノブの目があまりにも綺麗で優しくて、カイルの心臓の鼓動が高鳴りました。
(いや、だって、目が見えなくなったら一大事だから……)
 そう思った直後、そういえば殺されかけてたんだ自分と思い出し、己の単純馬鹿さにつくづく嫌気がさしたカイル王子でありました。

 
     
 人参。林檎。蜜柑に葡萄。見たことも聞いたこともない南国の果実。王族ですら滅多に口に出来るものではない、贅沢品でしかなかった果実が毎日の食卓に並びます。カイル王子は、自分達より更に酷な生活を強いられている下々の民達のことを想い、今すぐこれらを持って帰ってやりたいと思いました。
「どうした? 食べないのか?」
 自分ばかりがこんなものを口にするのは、とてもじゃないが民達に申し訳なくて、カイル王子は共に用意してあった青い葉だけの野菜をモグモグと噛み締めました。  
 すると不意に、シノブ姫がカイル王子の頭をそっと撫でました。
「美味しいか?」
 慈愛に満ちた瞳。カイル王子は胸をどきどきさせながら、全くもって美味しくない野菜をひたすらモグモグと噛み続けました。

 
 モグモグタイム終了後は、一緒にお昼寝タイム。それが終わればまたモグモグタイム。ただ食べて眠って愛でられるばかりの毎日は、カイル王子にとって酷く落ち着かない日々でした。なぜなら彼は王子とはいえ、毎日畑を耕し川で洗濯をし薪を割り火をくべ、下々の民達と変わらない生活をしてきたのですから。
 けれどお城での贅沢な暮らしが当たり前に育ったシノブ姫は、カイル王子の葛藤など知るよしもありません。モフモフは正義だと言わんばかりに、肌身離さずカイル王子を抱きしめて眠る毎日でありました。


 その一方では、苛立ちを隠しきれない人物が約一名。
「殺す……! 今日こそ焼いて食う……!!」
 ギリギリと唇を噛み締め、瞳を嫉妬の炎に染まらせるのは、野うさぎが表れた途端に全然えっちが出来なくなったミッシェル王子(仮)でありました。
 今日もシノブ姫がウサギを離す瞬間を狙い定めるも、一向に離す気配は無く。あまりの可愛がり様に、息苦しいほどの嫉妬を覚えるミッシェル王子、シノブ姫が公務のためわずかにウサギから身を離したその隙に、さっとウサギを奪い去ってしまいました。


 パチパチと燃え盛る焚き火を前に、カイル王子の心臓はバクバクと脈打ち、全身は震え、毛は逆立っています。
「よっしゃ、いい感じに準備できたぜ? 美味しそうなウサギちゃん」
 ミッシェルに首根っこを捕まえられ、食う気満々の目を向けられ、カイル王子は青ざめバタバタと手足を振りました。
 しかし抵抗も空しく、両手両足をしっかり掴まれたまま吊るされ、いよいよ火あぶりにされようとしていたその時でした。
「ウサギ……っ!!!」
 どうやらまだ名前を決めそこねていたらしい、意外に優柔不断なシノブ姫が、一目散に走ってきてカイル王子の身を救いました。そして怒りに身を震わせたシノブ姫によってボコボコにされたミッシェル王子の前で、シノブ姫はぎゅっと強くカイル王子を抱きしめました。
(た、助かったのは嬉しいけれど、やっぱり怖い怖すぎるこの人……!!)
 カイル王子は相変わらず怯えたままでしたが、不意に感じた毛皮の濡れた感触で、ハッと目を見開きました。
 カイル王子を抱きしめたまま、ぽろぽろと涙をこぼすシノブ姫が、まるで小さな子供のようだったからです。
(どうしよう……)
 今すぐ、抱きしめてあげたいのに ただ、抱きしめられることしか出来ない自分を、カイル王子は酷くもどかしく思いました。
(泣かないで。泣かないで下さい)
 カイル王子は心の内で必死で訴えながら、ぺろぺろとシノブ姫の涙を舐めました。
(どこにでもいるようなたった一匹のウサギに、こんなにも愛情を注げるのだろうか……。なんて一途で健気で優しくて、純粋な人なんだろう……。守ってあげなくちゃ)
 もう二度、カイル王子がシノブ姫を怖いと思うことはないでしょう。


 今までこれといって大切なものが何一つなかったシノブ姫。
 そのシノブ姫に、命より大切なものが出来たとあっては、黙っていないのがナギサ姫でありました。
「それにしても、こんな汚い野ウサギが弱点になるなんて、どこにどうチャンスが転がっているか解らないものねぇ」
 シノブ姫に愛でられているというだけで、なぜか次から次に狙われてしまうカイル王子、またも捕らえられてしまいます。
 ナギサ姫は怯えるうさぎを前に、どうしようかと考えました。
 コトコト煮込んだスープにして美味しくいただいて、モフモフの毛皮で素敵な靴を作りましょう。そして残った足は幸運のお守りに。
 ナギサ姫の命令を受けやってきたコック長が、大きな刃物を振り落としました。


 その日、朝からずっと探しているのに、愛しいウサギの姿が見つかりません。
 シノブ姫は一日中森の中を歩き回ったおかげで、夜にはお腹がぺこぺこになりました。色とりどりのオードブル、焼きたてのパン、魚のオーブン焼き、そしてお肉がたっぷり入ったスープ。いつも少しの食事しか口にしないシノブ姫でしたが、その日はあまりにお腹が空いていたので、一つ残らず平らげました。
 食事を終え満腹になると、突然、一緒に食事をしていたナギサ姫がとても楽しそうに笑い出しました。
「今日のスープの味は格別だったでしょう、シノブ姫」
「ええお姉様、今まで味わったことがないほどに」
「そう、それは良かったわ。だって今日のお肉は、私があなたのために捕まえてきたんだもの」
 ナギサ姫はそう言うと、ドレスの裾をわずかにたくし上げ、赤茶色の毛皮でできた靴をシノブ姫に見せびらかしました。
「この靴も素敵でしょう? そうそう、あなたにもプレゼントを用意したのよ。ウサギの足は幸運をもたらすと聞いていたので」
 突然に青ざめるシノブ姫に、ナギサ姫は変わらない笑顔を向けたままシノブ姫の手をとり、ウサギの足を乗せました。
 それは間違いなく、シノブ姫の愛しい愛しいウサギの足。
 あまりのショックで、シノブ姫はその場で気絶してしまいました。
 ナギサ姫の高らかな笑い声が食卓に響き渡ります。

 
 
 やっと自分にも、愛せるものが出来たのに。
 今はもう形見となってしまった愛しいウサギの足を握り締めながら、シノブ姫は毎日泣き暮らしました。悲しみのあまり、どんどん痩せ細り衰えた体は、ついに病に侵されてしまったのです。
「このまま姫が死んでしまったら、我が国はおしまいだ。こうなったら王子でなくとも誰でもいい、姫の病を治した者を姫の婿に迎えると約束しよう」
 国王様の命令により、王族ばかりでなく、貴族、平民、そして奴隷達までもが、我が我がと姫の病を治すための薬草を求めて旅に出ました。
 そんな中、たった一人、姫の傍に付き添う男が一人、熱にうなされる姫の手をしっかり握り締めていました。
「なあ、そんなにあのウサギを愛しているのか? どうしても、あのウサギじゃなきゃ駄目なのか?」
 ミッシェル王子が真剣な瞳で尋ねると、シノブ姫は苦しげにこくりと頷きました。切なげに目を細めるミッシェル王子は、そっとシノブ姫の手を離し、言いました。
「わかった、俺が探してきてやる。だから絶対に死なずに待ってろ」
 ミッシェル王子はそう言って、何匹も何匹も、同じ赤茶色のウサギを連れてきました。
 けれどシノブ姫が求めているのは決して、同じ色のウサギではありません。
 シノブ姫の命は、いよいよ尽き果てようとしていました。


「まさかここまで大事になるなんて。どうしましょう、もし私の悪戯だって解れば、お父様に酷く叱られてしまうわ……!」
 嘆くナギサ姫の目前で、檻に入れられた赤茶色のウサギが、尖った前歯でガリガリと格子を噛んでいました。
 そう、実はカイル王子は死んでなどおらず、ナギサ姫はほんの悪戯のつもりで、同じ色のウサギを殺して食べて毛皮にしたのです。もちろんナギサ姫に渡したウサギの足も、別のウサギの足だったのでした。
 けれどこんなに騒ぎが大きくなってしまっては、今更本当のことなど言い出せるはずもありません。
 いっそ本当に殺してしまおうか。焦るあまり混乱するナギサ姫は、ウサギを殺してしまおうと檻に手をかけました。
 ナギサ姫が扉を開けると、カイル王子はチャンスだとばかりにナギサ姫の手を噛み、檻の中から脱出しました。 
(シノブ姫……!)
 カイル王子は一目散に走ってシノブ姫のもとに向かいました。けれどナギサ姫の命令により追ってきた黒服の召使い達に、行く手を阻まれます。長い廊下の隅まで追い詰められたカイル王子の前に、じりじりと召使いたちが忍び寄りました。すると突然、大きな網に捕らえらました。、カイル王子は何者かの手によって、その場から連れ去られてしまったのです。 
   


 バタバタともがいて、ようやく網の中から抜け出すと、目の前にはよく見知った顔がありました。
「やっぱおまえ、本物のあのウサギだよな?」
 首根っこを捕まえられたカイル王子の目前で、ミッシェル王子の大きな瞳がまじまじと覗き込んできます。
(そうです。そうです! 間違いないです! だから離して下さい!!)
 カイル王子は必死でミッシェル王子に訴えますが、心の声が届くはずもありません。
 一刻も早くシノブ姫に会いたいのに。このままではこの男に丸焼きにされて骨も残らず食われてしまう。恐怖におののくカイル王子でしたが、突然ひょいと抱き込まれ、カイル王子はぱちくりと目を見開きました。
「俺、ラッキー! これでこの国の財産は全て俺のもの。……国の母ちゃんや弟を助けてやれる」
 ミッシェル王子はそう言うと、すぐにシノブ姫の部屋に向かいました。



(シノブ姫。シノブ姫。ずっと、ずっと会いたかったです……!!!)
 シノブ姫の腕にぎゅっと抱きしめられながら、カイル王子は瞳から涙を流しました。シノブ姫もぽろぽろと涙をこぼし続けました。
 そして二人とも、ミッシェル王子に何度もありがとうありがとうと繰り返しました。
 愛しいウサギと再会することが出来たシノブ姫の病はみるみるうちに回復し、すっかり元気になった頃、カイル王子の目の前で、シノブ姫は真っ白な衣装を身にまとい、綺麗に微笑みました。
「どうだウサギ?」
 結局名前は決まらないようでそのままウサギになったらしいカイル王子の目前で、シノブ姫は衣装を見せびらかすようにくるりと一回転しました。
(綺麗です! とても綺麗です!!)
 上等の絹で作られた真っ白な花嫁衣裳はとても美しく、カイル王子はぴょんぴょん跳ねながら、心の内で何度もそう訴えかけました。
 そう、明日はシノブ姫の結婚式。見事シノブ姫の病を治したミッシェル王子との、晴れやかな結婚式が催されようとしていました。
「これはこれはいつに増して美しい、我が花嫁どの」
「わざとらしい言い方はよせ。いいか、言っておくが仕方なく結婚してやるんだ。仕方なくだぞ」
 そうは言うものの、シノブ姫の姿はいつになく幸せそうなものでした。
 いつもの二人の様子を眺めながら、カイル王子の胸に、ゆらゆらと漂う蝋燭のような気持ちが込み上げてきました。けれどカイル王子には、黙って二人の姿を眺めることしかできません。
 その日カイル王子は、眠っているシノブ部屋の部屋からそっと出ると、長い廊下をとぼとぼと歩き、緑が溢れる森の中に姿を消しました。



(いいんだ、これで良いんだ……)
 無数の星と満月を眺めながら、カイル王子は何度も何度も、自分にそう言い聞かせました。
 少し……いやかなり胡散臭いところはあるけれど、あのミッシェル王子ならばきっと、シノブ姫を幸せにしてくれる。俺はしょせん、ただ愛でられることしか出来ない小さなウサギ。シノブ姫を抱きしめてやることも出来ない、守ってやることも出来ない、不甲斐ないウサギ。
 元の姿に戻ることも出来ないなら、せめてこの森の中から一生、シノブ姫の幸せな姿を見守っていよう。
 そう決意したカイル王子の目の前で、お星様が一つ、流れ落ちていきました。
 お星様、お星様、どうぞ願いをかなえてください。
 シノブ姫が、この世界で一番、幸せなお姫様になれますように。
 心からの願いを込め、カイル王子は一人身を丸くして、草陰で眠りに落ちていきました。その瞳にキラリと涙が光りました。
 
 
 その次の日、もうすぐ結婚式が始まるというのに、肝心の姫が行方不明になってしまい、城中の者が慌てて姫の姿を探し回ります。
「シノブ、いいかげん諦めろよ。また明日探せばいいだろ?」
 それよりも、みんなが探し回っている。早く城に戻らないと。森の中をさ迷うシノブ姫に、ミッシェル王子が言いました。けれどシノブ姫は頑として城に戻ろうとしません。
「駄目だ、今日は大事な日なんだ。俺とおまえと、それからウサギの、とても大切な……」
 みんなで、家族になる日なのだから。
 そう言って、シノブ姫は涙を一つ、こぼしました。
 その手には、ウサギのために初めてシノブ姫が自分の手でこしらえた、上等な絹のリボン。花婿のリボンと同じ色のものでした。 
 しかしどれだけ探しても、ウサギの姿は見つかりません。
 いつまでも大勢の人を待たせるわけにはいかず、シノブ姫は仕方なくミッシェル王子と共に城に戻ったのでした。
  
 
 何度も自分を呼んでくるシノブ姫を、カイル王子は草の陰からそっと見守っていました。
(ごめんなさい、シノブ姫。あなたのそばにいるのは、あまりにも辛すぎるんです。でもずっと、ここからあなたのことを見守っていますから……)
 ミッシェル王子と共に城に戻っていくシノブ姫の背を見送り、カイル王子はとぼとぼと森の奥に向かって歩きました。
 すると突然、何かが空から降ってきて、カイル王子の体をぺしゃんこに潰してしまったのです。
「いったぁ!!! もう! あの役立たず箒!!!」
 黒い衣装に黒い帽子を身にまとった、それは魔女の姿でした。
 どうやら乗ってきた箒から落ちてきた魔女、尻の下でぺしゃんこに潰れているウサギに気付き、慌てて魔法を唱えました。
 あっという間に元に戻ったウサギは、魔女の手に抱き上げられます。
「ごめんね~、痛かった? 結婚式に招待されて来たんだけど、道に迷っちゃって。君、この城に詳しい? 案内してくれる?」
 やたらめったら明るい声で言う魔女に、いや案内も何も喋れないし、ウサギに頼むことじゃないだろと、相変わらず変なところでリアリストなカイル王子は心の中でツッコミました。
 すると魔女は呪文と共に杖を一振り。
「え……あ……! し、喋れる……!?」
 なんとカイル王子、魔女の魔法で瞬く間に声を発せるようになったのです。  
「さあ、結婚式に案内してくれる?」
 にっこり微笑む魔女に、カイル王子は目をぱちくりと開きました。


 カイル王子の事情を聞いた魔女は、困ったように首をかしげました。
「そっかぁ、それは困ったねぇ。でも君は、本当にそれで良いの?」
「良いも何も、仕方ないんだ。おれはどうせペットのウサギだし……」 
 カイル王子はしゅんと身を縮ませました。
 そのあまりにうじうじ、じめじめとしたカイル王子の様子を見かねて、魔女は言いました。
「今なら言葉話せるんだから、せめて一言、姫に伝えてきたら? あなたが好きですって」
「そんなこと言って、何になるんだ。いいかおれはウサギだぞ、ウサギ。好きだ愛してるだと伝えたところで、ペットであることにはなんら変わりないだろーが」
「ペットじゃ駄目なの?」
「当たり前だっ!」
「愛されてるのに?」
 魔女の言葉に、カイル王子は一瞬、言葉に詰まりました。
「ねえ、君が欲しいのって何なの? シノブ姫の肉体? それとも財産? それともこの国の王位?」
「そ、そんなわけ……っ!」
 そりゃ、肉体はちょっと、いやかなり欲しいけど! そういうことじゃなくて!! 必死で反論するカイル王子、ハッと何かに気付きました。
「おれが欲しいのは……」
 ずっとずっと、一番に欲しかったものは。
 カイル王子はもう一度、自分に問いかけます。
「行っておいでよ。それから、伝えておいで。自分の一番の気持ち」
 穏やかだけれど力強い魔女の言葉に背を押され、カイル王子はその場から勢い良く駆け出しました。


 どうして。どうして居なくなってしまったんだ。  
 今この瞬間、おまえに、おまえにこそ、傍にいて欲しかったのに。
 せっかくの晴れやかな結婚式、少しも幸福そうではないシノブ姫は、今まさにミッシェル王子と誓いのキスを交わそうとしていました。
「おまえさ……本当に、これで良いのか?」
「え……?」
 ふとミッシェル王子に尋ねられ、シノブ姫は閉じた瞳を開きました。
 その瞳から、一筋の涙が流れます。
 どうしてなのか自分にも解らず流れたその涙に、シノブ姫は困惑しました。
「全然幸せそうじゃない花嫁との結婚式なんて、嬉しくねぇんだけど」
 ミッシェル王子はそう言うと、そっと姫の肩を押しました。
「ちゃんと探してきて、連れて来いよ。大丈夫、みんな、待っててくれる」
「ミッシェル……!」
 シノブ姫は酷く嬉しそうに、その場から駆け出しました。手には上等の絹のリボンを持って。


 姫。シノブ姫。
 どうしても、たった一言だけ、あなたに伝えたい言葉があります。
 だからお願い、もう少しだけ待って。待って、待って────!!!!!
 城の廊下を駆け抜け式場へ向かうカイル王子の前に、突然黒服の家臣達が現れ、行く先を阻みました。
「こんな結婚式、何がなんでも中止させてやる。あの子に王位を継がせてなんかなるものですか。そのためには、今おまえに行かれては困るのよ」    
 どうしてもシノブ姫の結婚式をめちゃくちゃにしてやりたいナギサ姫が、カイル王子の首根っこを捕まえようとします。しかしカイル王子は素早く避け、家臣達の間をくぐり抜けて走り出しました。
 ナギサ姫とその家臣達は、慌ててカイル王子の後を追います。
 次々と運ばれる食事の上をぴょんぴょんと跳ねコック達を混乱の渦に巻き込み、美しく着飾った貴婦人達のドレスや帽子を爪で引っ掻き、人の群れを掻き分け掻き分け前へ前へと進むカイル王子、ついに結婚式場へと辿り着きました。
「ウサギ……! シノブなら、今さっきおまえを探しに……!」
 どこまでも間の悪いカイル王子、ミッシェル王子の言葉で慌てて身を翻し、今度は城の外へと向かって走り出しました。


「ウサギ、ウサギ……! 俺のウサギ……!!」  
 何度呼びかけても見つからないウサギを、シノブ姫は懸命に探し続けていました。
 すると突然、空の上から一人の魔女が降ってきました。
「あれお姫様、今日の結婚式はどうしたの?」  
「大事なものを一つ、忘れてるんだ。それが無いと、どうしても結婚式は挙げられない」
「もの? それは、「もの」なの?」
「そうだ、俺の一番大切なものなんだ」
「ふぅん。じゃあ、同じ「もの」になっちゃえ~!」
 魔女はそう言うと、呪文と共に杖を一振り。
 すると何ということでしょう、シノブ姫は銀色の毛に覆われたウサギの姿に変身してしまったのです。
「さあ、その姿で探してご覧。姫にとって真実の「もの」を」
 困惑するシノブ姫に、魔女はそう言い残して去っていってしまいました。
 言葉も発せない姿。シノブ姫はしばし戸惑います。けれどヒラヒラと木の枝で揺れる絹のリボンを見つけた途端、それを咥えて、力強い瞳で走り出しました。


「姫! シノブ姫!!!」
 凄まじいスピードで追っ手を払いのけ森にやってきたカイル王子、必死でシノブ姫に呼びかけます。
 そして毎日のように一緒に過ごした夢のような日々。シノブ姫に抱きしめられて眠った大きな木の下で、カイル王子は一匹のウサギと出会いました。口にリボンを咥え、銀色の毛色をした、それはそれは可憐で美しいウサギです。
「シノブ……?」
 何故でしょう、そんなはずはないのに、カイル王子は確かに、そのウサギにシノブ姫の姿を見つけたのです。 
 そっと近づくと、銀のウサギは目から一粒、真珠のような涙をこぼしました。赤茶色のウサギはふんふんと鼻を寄せ、身を摺り寄せます。銀のウサギもまた、自らの体を赤茶色のウサギに摺り寄せました。
 言葉にしなくてもそれだけで、互いが何者であるのか解ったのです。二匹は何度も何度も身を寄せ合いました。
 ふと銀のウサギが、口にくわえていたリボンを赤茶色のウサギに差し出します。
 口で器用に首に巻きつけると、赤茶色のウサギはまるで花婿のように、凛々しい姿に変貌しました。
 赤茶色のうさぎは、きょろきょろと辺りを見回します。
 見つけたのは、一輪の小さな白い花。口でもぎ取り、その花をそっと、銀のウサギの片耳に巻きつけました。
 赤茶色のウサギは思いました。
 どうしても伝えたかった言葉があるけれど、今はただ、感じたいと。
 自分の目で、自分の身体で、自分の心で欲するものを、ありのままに。
 赤茶色のウサギは、そっと銀色のウサギとキスを交わしました。
 その時、二人の周囲にキラキラと光が放たれ、二人が目を開いた時にはもうウサギの姿ではなく、人間の姿に形を変えていました。
 


「めでたし、めでたし……じゃねぇええええええっ!!!!」
 突然叫び出したミッシェル王子を横目に、カイル王子とシノブ姫はあくまで落ち着いた様子で、午後のお茶の時間ををゆるりと過ごしておりました。
「俺は聞いてねぇ、聞いてねぇぞおまえがほんとは人間だったなんて! ってか知ってたらぜってぇ探しになんか行かせなかったし! あくまでペットだからしゃーねぇって思えたんだし! 3Pなんて認めねぇ、俺はぜってぇ認めねぇぞそんなイかれた常識知らずの一妻多夫制なんて!!!」
 意外に常識人であるミッシェル王子、わなわなと肩を震わせますが、それはカイル王子も当然のことです。
「おれだってゴメンですよあんたと3Pなんて死んでも……っ!」
 死ね上層部の腐った連中めと恨みを連ね、さっさとミッシェル王子を部屋から追い出すものの、肝心のシノブ姫はといえば飄々としたものでありました。
「仕方ないじゃないか、俺だって辛いんだぞ? 描いていた夢も希望も全てゼロになってしまって」
「描いてた夢……って、何ですか……?」
 恐る恐るカイル王子が尋ねると、シノブ姫は一輪の薔薇に口付けながら、実に夢見ごこちな表情で言いました。
「面倒な公務はよく働く婿に全て任せ、俺は自分専用に建てた小さな城で、もふもふのウサギと一緒に食べて遊んで寝る。最高に贅沢な毎日だろう?」
「いや、あの、それっておれ、ウサギじゃないと意味ないんじゃ……っ!」
 焦るカイル王子の体を引き寄せ、シノブ姫はくしゃりとその頭を撫でました。
「確かにウサギの方が触り心地は良かったが、人間のおまえからの触られ心地を感じるのも悪くない」
 一緒に食べて遊んで寝ることに違いはないだろうと、シノブ姫はカイル王子の耳元で囁きました。
「そ、そんな堕落した生活はいけません……っ!」
 カイル王子は耳を真っ赤にさせ、真面目な顔をシノブ姫に向けました。
「人間である以上は、あなたにもきちんとした生活をしてもらいます。だからおれの国に来て、一緒に国のために働いてはもらえませんか?」
「……やっぱり、ウサギの方が良かった」
「そんなにウサギは可愛かったですか?」
 カイル王子はシノブ姫の腕をぐいと引き寄せると、とても強引にベッドの上に押し倒しました。
「でも知ってましたか? ウサギって本当は、凄く凶暴なんです」
 それから凄く性欲が強いんですよ?
 そう言ってカイル王子はシノブ姫の唇を奪い、その夜は一晩中抱きしめて離さなかったのでした。




※おまけ※

(とかいう、わけのわからない夢を見てたせいかな……?)
 なんていうかこの、腕に抱きこまれている感覚が、やっぱりまるでペットだなと思ってしまうのは。
 休日の朝っぱらから、ぎゅっとホールドされているおかげで身動き出来ずにいる蓮川は、嬉しいような、男としてのプライドがすたるような、なんとも言えない感覚に苛まれていた。
 とりあえずは、この腕から逃れよう。そっと腕を外し、身を引き離そうとするも、駄目だと言わんばかりに再度引き寄せられてしまう。蓮川は唸った。こうなったらいっそ無理矢理起こしてでもと思うが、それも躊躇われるのは、忍があまりにも気持ち良さそうに眠っているからだ。
(姫……か)
 イカれているのは解っているけれど、今はまさしくそんな気分。
 昔憧れと敬意を持って見つめていた先輩は、実は世間知らずで我儘なお姫様。自分とは、住む世界があまりにも違いすぎる。こんな狭いアパート暮らしのおれに、この人を幸せになんか、出来るのだろうか。
 蓮川は自問自答するばかりの毎日であったが、意外にもお姫様はいつも幸せそうで。
「ん……」
「……おはようございます」
 蓮川はせめて下から見上げてなるものかと、半ば無理矢理に忍を腕枕している体制に変え上から見下ろし、精一杯カッコつけて言ってみた。
 そうしたら、突然、忍の顔が耳まで真っ赤に染まって。
 あまりにも思いがけない反応に、カッコつけるのも忘れて一緒に耳まで赤くなった蓮川は、力一杯忍の体を抱きしめた。
「あ……あのっ、なんか……っ、すみません……っ」
 どこまでも二枚目にはなりきれない蓮川は、胸をドキドキさせながら訴える。
「馬鹿……っ、おまえのせいで朝から性欲止まらないだろーが……っ」
 忍は蓮川の胸に顔を埋めたまま訴える。
 ええと、それは一体、どういう意味ですか? 蓮川は顔を真っ赤にしたまま自問自答した。
「先輩……それって、ウサギみたいですね」
「何をわけのわからんことを……」
「しましょう!」
 蓮川は突然はりきってそう言うと、くるっと体制を翻し、忍の上に覆いかぶさった。
「ウサギみたいな一日」
 唇にキスを落とすと、忍の瞳が何かを訴えかけてくる。
 言葉にしなくても解るそれは、きっと。
「……ん……」
 シーツの上に晒された、無垢で無力なその姿を、蓮川はいつまでも永遠に守ってやりたいと思った。
 小さくて可愛らしい愛と、止まるところを知らない欲望のままに。