Goal
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スタート位置につくと、ゴールが見えるんだ。 それまですごく緊張してあれこれ考えてたりしてたのが、すっと目の前が晴れるような感じで。 ゴールがくっきり、見えてくるんだ──。 「誰か、あいつの足を止める奴はいないのか?」 秋の学生陸上競技大会にて、またもトップの座を奪われた選手達。そのほとんどが、悔しげに表情を歪め拳を震わせる。 負けた悔しさを全身で表現する選手達を、やけに落ち着いた瞳で見つめながら、倉坂優希(くらさかゆうき)は神妙な面持ちを別方向に向けた。 「先輩、蓮川先輩ってば!」 大会が終わり一息ついた先輩に何度声をかけても振り向いてはくれず、携帯電話の画面を見つめながら、まるで心ここにあらず。優希はやや声を荒げた。ようやく携帯電話から目を離し顔をあげた先輩の視線が自分に向けられる。優希は安堵の表情を浮かべ、それから目を据わらせた。 「先輩、今自分がどれほど注目浴びてるか解ってます?」 「……ああ、どうせいつもの事だろ?」 妬み僻み嫉妬で瞳はギラギラと光を放ち、次こそはと闘志に燃える選手たちの視線を浴びながらも、まったく気にしていないように淡々と言い放った一つ年上の先輩──蓮川一也を前に、優希は小さくため息をついた。 この人は、いつもそうだ。日々練習に励み頂点を目指す選手達が、今どれほど悔しい想いをしているのか、どれほど彼と同じ位置を欲しているのか、微塵も考えてはいない。それなのに、毎回圧倒的な速さでグラウンドを駆け抜けトップでゴールする、いまだ負け無しの新星。オリンピックで金メダルも夢じゃないほどの大天才。 「先輩って、ほんとクールですよね……」 普通ならこの大会で優勝したら、涙を流して喜ぶものなのに。優希はまたもため息をつきながら、蓮川のカバンの上に無造作に置かれた優勝メダルを見つめた。 「え、そんなこと言われたの初めてだ」 蓮川が心外だという風に口を開いた。 「クールですよ鬼クールですよ!! 先輩、優勝して嬉しいって思ったことあります!?」 「え……そりゃ、嬉しいに決まってんだろ」 きょとんとした顏つきで蓮川は言った。 「だったら少しは、よっしゃー!!とかやったー!!とか、猛烈に感動して見せたらどうですか!?」 優希がムキになって責め立てると、途端に蓮川の表情が酷く険しいものに変わる。優希は一瞬、怯んだ表情を見せた。 何かそこまで気に障ることを言っただろうか。考えるが、少しも思い当たらない。 「おれ、そーいうの苦手だから。じゃあ、またな」 蓮川は目線を逸らし低い声でそう言うと、優勝メダルを乱暴にカバンの中に押し込み、優希に背を向けた。 「先輩、待っ……!!」 制止する間もなく、蓮川はさっさと歩いて行ってしまった。 その背中が見えなくなるまで見送り、優希はどこか寂し気に目を細めた。 やっと終わった。 思うことは、それだけだった。 この日のために、練習に練習の日々。いったい何のために都内でトップレベルの大学に入ったのかと疑問に思うくらいに、陸上漬けの毎日。でも本当はもう、うんざりだ。もともと好きで始めたわけじゃない陸上。それでも高校時代からずっと続けているのは、常に周囲からの重圧があり、その期待に応えないわけにはいかなかったからだ。かつての異常な執着を見せる高校教師を思い出し、蓮川はチッと舌打ちした。 でもやっと、次の大会までしばらくは、練習から解放される。休日も自由だ。そう思うと、途端に心は踊った。 来週。来週の日曜こそは。 (会える……!) 携帯電話のメールを見つめる蓮川の瞳が、ぱっと輝きを放った。 『そっちに行く』 素っ気無い、たった一行の文章が、何よりも胸を踊らせる。 それはまるで、魔法にかけられたように。 蓮川は閉じた携帯を宝物のようにぎゅっと握り締め、輝きに満ちた瞳を空に向けた。 どうせなら、先輩の部屋の方が、色んな意味で過ごしやすいと思うのですが。 頭の片隅でぼそっと呟きながら、蓮川はピンと尖った乳首から唇を離した。 「あ……ぁ……っ!」 「声……大きいですってば……っ」 ここ、壁薄いんですから。焦りながらそう囁きながらも、愛撫の手は止めない。 少し苦しそうに頬を蒸気させたまま、恋人が睨みつけてくる。うっすらと涙が滲んでいるその瞳を前に、胸がドクンと早鐘を打った。 「だ……ったら、……やくっ……、イかせろ……っ!」 さんざ焦らしたせいで完全に切れ気味の恋人を前に、蓮川は苦笑した。 だって、少しでも長く感じててもらいたいんです。そう言葉にしてもますます怒ると解っていたから言えないまま、先走りの液が滲む先端を指で擦る。ビクリと大きく忍の身体が揺れた 一ヶ月ぶりに抱く身体。やけに敏感すぎるように感じるのは、きっと気のせいじゃない。 「あ……っ、あ……! や……っ、あぁ……っ!」 「だから! 声!」 限界寸前まで導かれ完全に忘我し喘ぎを抑えられない忍の口を、蓮川は左手で咄嗟に塞いだ。嫌だと首を振る仕草がたまらなく可愛くて、声を唇で塞いで、一気に絶頂に導く。舌を絡ませながら腕の中で達する恋人を、蓮川は強く抱きしめた。 途端に力が抜け、肩で息をしながらうつろな瞳をする、壮絶に色っぽい恋人の姿。 一瞬にして体温が上昇する。 血液が沸騰する。眠っていた自分の中の獣が目を覚ます。 蓮川は白く細い首筋に噛み付くようにキスをした。 桜色の乳首を引っ掻くと、まるで死にかけの獲物のように、ビクンと身体が跳ねた。 (どうしよう……) 止まらない。止められる自信がない。 蓮川は一瞬呼吸を整えてから、喉をごくりと鳴らした。忍の両足を広げ抱え込む。濡れてヒクヒクと収縮する、物欲しげなそこを目の当たりにしたら、わずかに残っていた理性は木っ端微塵に吹き飛んだ。 「ひぁ……っ!」 少しずつなんていう余裕はなく、蓮川は一気に忍を貫いた。征服感と降伏感が同時に波のように襲ってきて、制御することは叶わない。ベッドがギシギシと耳障りな音をたてるが、もう何も気にならなかった。 それよりも、ただ、欲しい。 「あ……っ、あ、あぁ……っ!」 細い髪も、白い肌も、潤んだ瞳も、濡れた唇も、薄紅色の爪先すら、一つ残らず。 制御できない欲望と共に、忍の中に己の精を放つ。それでもまだ、止まることは出来なかった。 溢れる自身の精液でぐちゃぐちゃと音をたてる忍の中に、何度も抜き差しを繰り返す。 どうしよう。どうしたら、止めることが出来るのだろう。このままじゃ、本当に壊してしまうかもしれないのに。 「先輩……っ、忍せんぱ……っ」 助けて、と願った刹那、ぐいと首を引き寄せられ、欲望に染められた蓮川の瞳に、ようやく正気の色が戻った。 「も……っ、と……っ!」 しがみつかれ、耳元にあまりにも切なげな声が届く。蓮川の頬がカッと赤く染まった。 獣じみた欲望が一気に形を失い、次に襲ってきたのはどうしようもない愛しさで。 蓮川はぎゅっと強く、忍の身体を抱きしめた。忍の好きな一点を目掛け、何度も腰を打ちつける。当たるたびに、忍が嬌声を放つ。 求められていると実感するたびに、ただ与えたいとだけ願った。 濡れたタオルで忍の身体を清めながら、蓮川は遠慮がちに口を開いた。 「銭湯、行きますか?」 「こんな状態で行けるか」 忍にジロリと睨みつけられ、蓮川は「すみません」と萎縮した。 風呂すら装備されていないこの狭い部屋の一室。薄い壁を挟んだだけの隣人に、明日はなんて言い訳しよう。疲労感ばかりを感じながら、蓮川はぐったりと横たわる忍の身体中につけた自分の跡を見つめ、先ほどまでの己の行為を思い出し顔を赤面させた。 「やっぱり、先輩の部屋でした方が……良いと思うんですけど」 この部屋とは違い、風呂も広いベッドもエアコンも完全装備で何一つ不自由しない。隣の部屋に音が漏れることもない。それなのに、何故か滅多に招いてはくれない忍の部屋を思い出す。 「俺はここで構わないが……」 「なんでですか? ここじゃ色々と具合悪いでしょう? 終わっても風呂は入れないしベッドは狭いし、良いとこなんか一つもないじゃないですか! おまけに絶対、隣の部屋に筒抜けですよ!? おれがいつもいい訳考えるのにどれだけ必死か解ってます!?」 「そのくらい適当に、友達とプロレスごっこしてたとでも言えば済むことだろう? おまえが思うほど、隣人は大して気にしちゃいないと思うぞ」 「……おれが、そうだったように?」 不意に蓮川が低い声を漏らし、忍の眉がぴくりと揺れた。 「誰もそんなこと言ってない」 「言ってるのと同じじゃないですか。あの時の先輩達の適当な言い訳、素で納得してたおれも、大概アホすぎると思いますけど!」 「いいかげんにしろ!」 厳しい声で一喝され、蓮川がビクッと肩を揺らし怯んだ表情を見せた。忍はそんな蓮川を、鋭い瞳で睨みつける。蓮川の握り締めた拳が悔しげに震え、瞳にじわりと涙が浮かび上がると、忍は力を緩め小さくため息をついた。 「本当に……そんなこと、言ってない」 「……すみません」 忍が酷く憔悴した表情を見せると、蓮川もまた酷く憔悴し切った様子で、小さく声をあげた。 どうしていつも、こうなってしまうのだろう。決まっている。些細な日常であればあるほど、そこには常に以前の恋人の影がちらつくからだ。またつまらない嫉妬に駆られてしまった自分を後悔しながら、蓮川はそっと忍の身体を包み込んだ。 「せっかく……会えたんだ。頼むから、些細なことでつっかかってこないでくれ……」 忍がやや苦しげな声をあげる。 「はい……。もう……絶対に言いません」 そう、何度言葉にしただろう。それなのに、不安を覚えずにはいられない。こんなつまらない喧嘩、もう二度としたくないと、いつも後悔ばかりを繰り返しながら。 「……また、優勝したんだな」 「え……?」 抱き合いながら、ふと忍が呟くように言った。その視線の先にある、机の上の優勝メダルを見た瞬間、蓮川は大会のことをようやく思い出した。 「お祝い、してくれますか?」 「褒美はもうやっただろう?」 すっと身体を離し、忍が素肌にシャツを羽織りながら、怪しげな笑みを浮かべた。意味を悟った蓮川が顔を赤くする。 「あれって、ご褒美だったんですか? 今、初めて知りました」 「凄いじゃないか。これで何大会連続だ?」 シャツだけを羽織ったまま立ち上がり、忍が机上のメダルを手にとった。 「ええと……小さいのも合わせたら、いくつだったかな……」 「そこまで才能が開花したなら、村上先生に鍛えられた甲斐があったというものだな」 「その名前はちょっと……あんまり思い出したくないです。いや、感謝はしてますけど!」 蓮川が慌ててフォローすると、忍はクスリと小さく微笑んだ。瞬間、蓮川の胸の鼓動が高まる。 「次こそは、見に行ってみたいな。おまえの走る姿」 「別に、いいですよ。そんな大したもんじゃないし。忍先輩も、仕事忙しいんでしょう?」 「まあ、そこそこな」 そっとメダルを元の場所に置き振り返った忍の瞳は酷く落ち着いたもので、高校時代と一つも変わらない忍の姿に、蓮川は切なさにも似た感覚に襲われた。 ああ、どうしてあの頃は、気づかなかったのだろう。気づけなかったのだろう。 「先輩、こっち来てください」 蓮川がそう言って、絨毯の上に座ったまま両手を広げると、忍はきょとんと首をかしげた。 可愛い。そう思いながら、近づいてくるのをじっと待つ。 ふわっと忍の香りが漂い、蓮川は隣に膝をつく忍の髪にそっと触れた。そうすると、まるで決まった事のように、忍が膝の上に顔を寄せて横たわる。さらさらの髪を撫でると、酷く気持ち良さそうに瞳を閉じた。 付き合い始めた頃は、仕事で何かあったのかとしつこく聞いてはウザがられたり、話してくれたらああでもないこうでもないとアドバイスのつもりが、最終自分の愚痴ばかりになっててうんざりされたり、互いに気を使いすぎてよく喧嘩になっていたものだった。 でも今は。 こうして顔を合わせている時間、特に多くの言葉は必要ないのだと。ただこうして寄り添って、触れ合っていれば、それが何よりの癒しになるのだと。この不器用な人のことを解るようになるまで、ずいぶん四苦八苦してしまった。蓮川は思い出し苦笑しながら、ゆったりした表情で眠りに落ちていく忍を見つめる。 本当に、変わってないな。 変わったのは、たぶん、自分の方だ。 無邪気に、純粋に、二人の言うことをただまっすぐに信じていた、あの頃の自分はもうどこにも居ない。 『あ? 夜中煩いって? うるせぇな、俺の寝相になんか文句あんのかコラ』 今だったら、なんて答えるのだろう。何かを答えられるのだろうか。頭をグリグリと痛めつけられて、「あ、ありません!ありませんって!!」って、それで誤魔化されて済んでいたあの頃のままだったなら、今なおどれだけ幸せだろう。 でも、もう二度と戻れない。 知ってしまった今は。 そして、愛してしまった今は──。 そっと握り締めた手に、蓮川はほんの少し力を込め、切な気な瞳を愛する恋人の寝顔に向けた。 |