王子様の旅<後編>

  

暗闇と静寂に包まれた城の中、ハーブとティノがもうここに得るべきものは何もないなと判断し、かつて王座であったと見られる椅子が置かれた部屋を最後に、城を出ることを決めた。王座もテーブルも何もかもが古びて、蜘蛛の巣が張りめぐらされた部屋をぐるりと一望する。やはり何も無いなと思ったその時、キラリと放たれた光に目を奪われた。
「ハーブさん、あれは……」
「ああ」
 同時に光る物体を発見した二人は、迷わず足を進めた。
 今にも崩れそうな台座の中央に、それは微かな淡い光を放っていた。
「何かの石でしょうか……?」
 ティノが見つけたそれは、丸い形をした宝石のような赤い石であった。
 不審に思いながらも、ハーブがその石に手を伸ばした刹那。
「ハーブ! それに触れるな!!!」
 切羽詰った声が耳に届き、ハーブは咄嗟に石から手を遠ざけ声の方へ顔を向けた。
 見るとそこには、幻で等身大の姿になったクールと、息を切らせたチェルシー、それから例の王子とその従者達の姿があった。
 随分と焦った様子のクールとチェルシーを前に、ハーブは眉をしかめた。
「なんだよ、この石がどうかしたのか?」
 尋ねるハーブのもとに、クールが歩み寄る。すると目の前の石が、徐々に変化を表した。淡い光が、黒色へと変化していく。クールが目を見張ったその時、突然、石が不気味な黒い光を放った。
「な……!」
 ハーブが驚愕した。
 黒い光がまるで次々と分裂し、まるで人魂のような形をとる。分裂した光の中に、阿鼻叫喚する人の顔のようなものが浮かび上がり、その姿は不気味としか言い様がないものだった。いくつも浮遊するその光が刃となり、そこにいる人々を目掛け攻撃し始めた。ハーブとティノが咄嗟に剣を抜き、攻撃してくる光を次々と受け止め切り裂く。ルマージュとその護衛達も同じく剣を構えた。
「姫、危険なので下がってください!!」
 ルマージュがチェルシーの前に立ちはだかり、光の刃を剣で受け止める。
 しかしルマージュ王子の剣の腕では、その攻撃をまともに受け止めることすら出来なかった。避けきれず、まともに光の刃を受けたルマージュが、その場に倒れこむ。倒れたルマージュを攻撃するかのように襲いかかる光を、咄嗟にハーブの剣が受け止めた。
「駄目だ! とりあえず逃げるぞ!!」
 目の前の光を切り裂くものの、やはり元の形に戻っていく。もはや攻撃は不可能だと悟ったハーブは、その場から走り出した。全員がその後を追う。
 走っても追いかけてくる不気味な黒い光から必死で逃げるものの、数多の光の群れは追撃を止めることはなかった。
「私を狙っている……」
「え……?」
 走りながら、クールがぽつりと漏らした言葉に、ハーブは眉をしかめた。大きく表情には出ないものの、クールは明らかに動揺を見せている。
 突如として、クールがハーブ達とはまるで別方向に足を向けた。
「クール!?」
「おまえ達は出口に向かえ!」
 クールはそう叫ぶと、そのまま別方向に走っていく。するとクールの言う通り、無数の光は方向転換し、クールを追っていった。
「ど、どういう……」
「おまえら、そのまま先に出てろ!」
 焦るティノに、ハーブがそう叫んで、即座にクールの後を追った。
「ハーブさん!」
「ティノ、城を出るよ」
 チェルシーが迷いのない口調で言った。
「でも、クールさんとハーブさんが……!」
「いいから一度出るんだ!」
 チェルシーの切羽詰ったような声に、ティノはぐっと言葉を呑み込み、チェルシーの言葉に従った。




 ようやく城の外に出たティノとチェルシー、そしてルマージュとその護衛達は、安全と思われる木の下でほっと一息ついた。
 しかしルマージュの負った傷跡は深く、気が緩んだと共にその場に倒れこんだルマージュを前に、チェルシーは急いで回復魔法を唱えた。
「すみません、姫……」
「それはこちらの台詞です。今すぐ治しますから、目を閉じていて」
 言われた通り目を閉じるルマージュの額に手を当て、チェルシーは真剣な表情で回復を続ける。かなりの精神力を必要とする回復魔法である。深い傷を回復させるには、チェルシーもまた激しく体力を消耗させるが、少しも躊躇いはしなかった。
 それよりも、ただ己の不甲斐なさに嫌気がさした。
 例えルマージュが自身で判断してこの城に入ったのだとしても、やはり巻き込んだのは自分に違いない。最初から利用しようなんて思わず関わらなければ、こんな危険な目に合わせることもなかった。そして剣の腕も何もかも未熟な彼なりに、命を懸けて必死で守ろうとしてくれたにも関わらず、自分は彼の身を案じるどころか迷惑だとすら思っていた。
(最低だ……)
 今は自己嫌悪している場合ではないと思いながらも、後悔の念ばかりが押し寄せる。
 もしもあの一撃で彼が命を奪われていたら、それこそ後悔だけでは済まなかっただろう。著しく体力が消耗しても、少しも苦痛だとは感じなかった。
 ようやくルマージュの傷が塞がった時にはチェルシーの精神力も限界だったが、それでも彼は毅然とした表情で立ち上がった。
「どうか、もう城に帰ってください、ルマージュ王子。ここは貴方のような方が観光気分で遊ぶような場所じゃない」
 突き放すような厳しい声を放つチェルシーを前に、ルマージュ王子は驚愕を隠せず目を見開いた。
「それを言うなら、姫も同じでしょう! 私と一緒に城に戻りましょう!」
「僕は帰りません」
 チェルシーはまっすぐにルマージュ王子を見つめると、意を決したように、衣類の前をはだけた。
 明らかに男性のものである肉体を前に、ルマージュ王子が更なる驚愕の色を浮かべる。
「ずっと騙していて、申し訳ありませんでした。僕は貴方と同じ、一国の王子です。どうか……お許し下さい」
 そう言うと、チェルシーは誠心誠意をもって、ルマージュ王子の前で頭を下げた。
 ルマージュの表情が困惑に満ちる。
 そして戸惑いや憤りや悲しみ、そしてやり切れなさ、全てをぐっと呑み込み、ただ悲しみばかりを宿した瞳をチェルシーに向けると、彼もまたチェルシーに向かい一礼した。
「どうぞ、お気をつけ下さい。無事のお帰りをお待ちしています……」
 真剣に見つめ合う二人の間に、もはやそれ以上の言葉は要らなかった。
 チェルシーはもう一度ルマージュに向かって一礼すると、踵を返し、城の中に向かう。その後を、慌ててティノが追った。





「ハーブ! 来るな!」
 クールを追う光を薙ぎ倒しながら、ハーブがクールに接近する。
 一体何がどうなっているのか検討もつかないが、クールを置いて逃げるくらいなら命など少しも惜しくはなかった。
 一心不乱に追っていると、城の最上階のバルコニーまでクールが追い詰められる。そこから逃げるには、バルコニーから飛び降りるしかない。クールは額に汗を滲ませた。
「クール!!」
 ハーブが慌てて駆け寄ろうとしたその刹那、黒い光がクールを包み込み、一瞬にして形を失った。
 驚愕するハーブの前で、しかしクールに何ら変化は見られない。けれどハーブは、確かに違和感を感じた。気配がそれまでのクールとはまるで違う。それから、瞳の色も。
「クール……?」
 ハーブはそっと、クールに歩み寄る。
 少しもその場から動かないクールの肩に手を伸ばした刹那、ハーブはハッと目を見開いた。
 等身大のクールの姿。触れられるはずがないのに、確かな感触をその手に感じたからだ。
「おまえ、生身の……!」
 ハーブがクールの肩に両手をかける。やはり間違いなく、目の前にあるのは生身のクールの体だった。
 しかし、クールはいまだ心ここにあらずの状態だ。ぼんやりとした瞳が、ハーブを見据える。
「クール! しっかりしろ!!」
 ハーブが肩を揺すりながら声をかけると、ハーブを見つめる心無いクールの瞳から、一筋の涙が零れ落ちた。
「ハー……ブ……」
 クールの手がゆっくりと動き、指先がハーブの頬に触れる。戸惑うハーブの顔を、クールは両手で包み込んだ。そして酷く切ない憂いを帯びた瞳でハーブを見つめたかと思うと、その唇に唇を寄せた。触れるだけのハーブの唇には、確かな温もりがある。ハーブは混乱し身動きがとれずにいた。
 するとハーブの身体が、じわじわと形を成す黒いオーラに包まれる。唇から、クールの全身から、得体の知れない何かが流れ込んでくるのを感じた。
 このままでは、この黒いオーラに囚われる。
 本能でそれを察知したハーブは、即座にクールの唇に噛み付いた。
 その衝撃で、クールがハッと目の色を元に戻す。
 どうやら自我を取り戻したらしいクールは、黒いオーラに包まれる目の前のハーブを見て、驚愕の色を浮かべた。
「ハーブ……!」
 クールがハーブに手を差し伸べたと同時に、黒いオーラが消え去る。
 ハーブの身体に、特に異常はない。ただ一つの変化を除いて。
「ハーブ……」
 クールの瞳が絶望にも似た色で、ハーブの額を見つめる。その並々ならぬクールの様子に、ハーブは眉をしかめた。
「どう……したんだ……?」
 クールが震えながらハーブの額に指を寄せたその時、バタバタと賑やかな足音が近付いてくる。
「良かった! 無事だったんだね!!」
 城の外から駆けつけてきたチェルシーの声が響いた。
 駆け寄ってくるチェルシーとティノに目を向け、ハーブはまだ神妙な表情を崩さない。
「ハーブさん……その額、どうしたんですか?」
「え?」
 ティノに指摘され、ハーブが自分の額に手を寄せた。しかし特にこれといった違和感はない。
「竜の印……?」
 チェルシーも怪訝そうに眉を寄せ、ハーブの額に目を向け言った。
 ハーブはすぐさま剣を自分に向け、その姿を映した。ぼんやりとしか解らないが、ティノとチェルシーの言うとおり、額には今までなかった何かが刻まれていた。
「それ、どこかで見たことあるような……」
 ハーブの額に刺青のように刻まれた、竜が玉を咥えたかのような絵図。ティノがそれを思い出すまでにそう時間はかからなかった。
「魔王クロレッツの……!」
 それはかつてクールが魔王であった頃に身に着けていた、額飾りの模様そのものの絵図であった。
 ティノが不審げな瞳をクールに向ける。
 クールは茫然とした表情のまま、まるで何かに怯えているかのように肩を震わせ、首を横に振った。
「違う……私じゃない……!」
 クールが酷く怯えた様子で後ずさる。
 恐怖のあまりか、まるで周囲が見えていないクールは、バルコニーが腐っていたことにも気付きはしなかった。
 突然、ガラッと崩れ落ちるバルコニーと共に、クールの身体も落下しようとしたその時、咄嗟にハーブがクールの腕を掴んだ。しかしその身体は既に幻の肉体に戻っていた。まるで手応えがなく、クールの体が地に向かって落下していく。
「クール!!」
 迷わずハーブがバルコニーから飛び降りた。チェルシーとティノが目を丸くする。
 慌ててバルコニーに駆け寄り、二人が落下していった先に目を向けると、眩い緑色の光が放たれ、二人は眩しさのあまり一瞬目を閉じた。
「魔方陣……!」
 クールとハーブが落下した先には、宙に浮いた魔方陣が開かれている。どうやらクールの移動魔法が、落下を防ぐため咄嗟に発動したらしい。
「行こう、ティノ!!」
「え……?」
「このままじゃ二人を見失っちゃう!!」
 チェルシーはそう言うと、慌てて魔方陣に向かって飛び降りた。ティノもまた迷っている暇などなかった。
 思い切って魔方陣目がけて飛び降りた二人の姿は、その移動空間に呑み込まれていった。


 
 ベルシアの地を出てからというもの、一言も口を効かずただ故郷だけを目指すルマージュに、遠慮がちな様子で護衛の一人が尋ねた。
「王子、本当によろしいのですか?」
「……ああ。城に戻るぞ」
 ルマージュは頑なな表情のまま言った。
 その心中を察し、護衛達は黙々と馬を走らせる。
 綺麗に飾られた馬と自分の身なり、そして形ばかりの豪華な剣を目にするたび、ルマージュは一刻も早く城に戻り、一人になりたい気分でいっぱいだった。
 けれど今は、この護衛達無しではとても国まで辿り着けない。そう思うたびに、情けなさや悔しさ、腹立たしさばかりが自分へと向けられる。
 守りたかった。けれど、守れなかった。
 生まれて初めて恋に落ちた、異国の姫。
 彼女のためならば、命など惜しくはなかった。
 それなのに……。
(男……か……)
 落胆と憤りと、泣きたい想いでいっぱいの中、それでも彼女……いや、彼が、誠心誠意を持って自分に向けた瞳が忘れられない。もしかすると、以前よりももっと激しく心を奪われてしまったかもしれないと思うほどに。
 だからこそ、また会うその時は彼に恥じないよう、違う自分になろうと強く心に誓った。
 城に帰ったら、まず最初に、剣の特訓をしよう。
 次に旅をする時は、護衛など必要ない。たとえどんなに両親や大臣達に反対されようとも、この身一つで旅を続けよう。
 そしていつか必ず、自分自身の力で。
(守ってみせる)
 たとえどんなに脆弱な肉体だとしても、この身は確かに誇り高き王族の血が流れる、一国の王子なのだから。
 


 
 ドサッと地面に投げ出され、ハーブは苦痛に眉をしかめながら辺りを見回した。見知らぬ場所。どうやら森の中。いったい何がどうなったのかと戸惑うハーブの頭上に、次の瞬間凄まじい重みがかかり、ハーブが蛙が潰れたような声と共にその場に潰された。
「ハ、ハーブ! 大丈夫!?」
 少しの時間差で、魔方陣から同じ場所に投げ出されたチェルシーとティノが、慌てて体制を立て直す。
「あ、ああ……」
 ハーブはよろよろと起き上がり、それからすぐさま辺りを見回した。
「クールは!?」
 そういえばと、チェルシーとティノも辺りを見回す。すぐにチェルシーがハッと何かを発見し立ち上がった。そしてすぐそばの木の幹に、そっと手を伸ばす。
「大丈夫、ここにいるよ」
 チェルシーは手の平に載せた小さなクールの身体を、ハーブの目前に差し出した。ハーブがほっと息をつき、チェルシーからその身体を受け取る。
「おーい、起きろ~!」
 とりあえず元凶の元に話を聞かなければ。ハーブが指先でちょんちょんとクールの頬を突っつくと、クールが静かに目を開いた。
 クールは夢から覚めた様子で身体を起こすと、いつもの無表情で辺りを見回す。
「ここはどこだ?」
 それはこっちの台詞だと、三人誰もがつっこみたい想いでいっぱいだった。
「おまえ、もしかして何も覚えてねぇのか?」
「……?」
 事の次第を話す三人であったが、案の定、クールはあの城に入ってからの記憶を全て失っていた。
 おまけに自分で移動魔法を発動させたにも関わらず、どこにワープしたのかすら解っていない。
 そこが地の果てベルシアから遥かに遠い、マルセーヌの地であることを知った三人は、絶望にも似た想いでその場に立ち尽くすはめになったのであった。




「つまり、つまりさ、ふりだしに戻ったってこと!?」
 認めたくはないけど、つまりはそういうことだとムキになるチェルシーに、ティノとハーブは落胆したように頷いた。
 そう、この地は四人が旅を始めて間もない頃に、一度足を踏み入れている土地であった。そこから苦労に苦労を重ね、ようやくベルシアの地に辿り着いたというのに、一体何が悲しくてまたこの地に舞い戻らねばならぬのか。納得いかない三人をよそに、クールはまるで冷静だった。
「来てしまったものは仕方なかろう」
「んなわけねーだろっ! おまえの移動魔法で今すぐベルシアに戻せっ!!」
「残念だが、あの地は特別だ。そう簡単に行き来できるような場所ならラストダンジョンには選ばれてない。そんなものはRPGのお約束だろう」
「わけわかんねーこと言ってる場合かっ!! どーすんだよおまえの体!!??」
 あくまで冷静なクールに、ハーブは噛み付くように言った。
「つまり最初からやり直せってこと?」
 チェルシーも不満を露に言い放った。
「仕方ない。いきなりラストダンジョンから始めてるにも関わらず長編やろうという無謀な神が無理から考えた冒頭だ。それに原作だって一年生二年生何回やってるんだってループなんだから、私達もあと二、三回は同じ場所をループするしかない運命なんだ、諦めろ」
「もうほんっとにわけわかりませんから!!!」
 ティノが即座につっこみ、ハーブもチェルシーも頭を抱えた。
 とにもかくにも、四人のまだまだ旅は終わらないどころか、これからがまた新たな始まりなのである。




「あーもう疲れた~~!!」
 山奥から町までの長い道のり、チェルシーが疲れ果てた声をあげる。
「何でそこの町に行くまでにも、移動魔法使えないんですか?」
「魔方陣を描くには「ワープチョーク」という貴重なアイテムが必要なのだが、そのアイテムが底をついたのだ」
「ホント強引な展開ですね」
「RPGなんてそんなもんだ」 
 もはや突っ込む気力も無く、ハーブが冷めた口調で言った。
 もう夜も遅いし、疲労も限界。とりあえずテントを張ろうとハーブが支度を始める。
 ハーブが杭を打とうしたその時、隣にちょこんとチェルシーが座った。
「僕にもやり方、教えて」
「……なんだよ、急に?」
 今まで人に任せっきりだったチェルシーにそんなことを言われ、ハーブはやや目を丸くした。しかしチェルシーは何も言わず、ハーブと一緒に支度を始める。チェルシーの真剣な表情を見てその意図をなんとなく察したハーブは、尋ねられるままに、テントの張り方をチェルシーに伝授していった。
「はーっ、けっこー重労働~!!」
 いつもよりだいぶ時間をかけて出来上がったテントを前に、チェルシーが汗を流しながら感嘆の声をあげた。
「慣れりゃ簡単なもんだろ? ま、覚えといて損はねーよ」
「だねー。野生の猿と違って、さすがに木の上じゃ寝れないし」
「誰が猿だ誰が」
 ハーブが目を据わらせる。
 それから、何か食料を狩ってこようと踵を返したハーブは、不意に背後に重みがかかったのを感じてハッと目を見開いた。
「……ごめんなさい」
 ハーブの背に抱きついたチェルシーが、小さく声を発する。
 ハーブはやや照れくさそうに天を仰ぎ、それから仕方ないように微笑した。


 

 もう、守られながらの観光気分な旅はやめにしよう。
 そう心で決意して、チェルシーは長い髪を邪魔にならないよう一つに束ね、重い荷物をその背に負った。
 まだまだまだまだ先は長そうだけれど、この世界には、まだうんと学ぶべきことと、知るべきことがある。
「じゃ、はりきってベルシアに向かいますか」
「……いや、待て」
「どしたの、ハーブ」
「すっっかり忘れてたけど、俺のこの額の模様、何なんだ?」
「あ、そーいやちっとも消えないねえ」
 再度布でハーブの額をこするチェルシーだが、ハーブの額に刻まれた印は相変わらずくっきりと刻まれていて、少しも消える気配はない。
「クール、おまえほんとに知らねぇのかよ!?」
「まったく記憶にないな。だが何かしらの呪いには違いないだろう」
「冷静に言うな、冷静に……っ」
 ハーブがわなわなと肩を震わせる。
 この額の絵図からして、元凶は間違いなくクールであるはずなのに、肝心の本人が何も記憶にないのでは対処の仕様がない。
「まあ今のとこ命には別状なさそうだし、元の場所に戻って調べるしかないね」
 チェルシーがあっけらかんとした口調で言った。
「安心しろハーブ、私がかけた呪いなら、せいぜい悪夢を見る程度のものだ」
「んなもん見ないで済むなら見たくねーよっ! おまえいい加減に反省ってもんを知れよ!?」
 いつか絶対、本気でしばく。本気で泣かす。本気で犯る。などと思いながらも、小さな小さなクール相手に本気で何を出来るはずもなく、額に刻まれた呪いを抱え心で泣きながら、新たな長い道のりを歩き続けるハーブなのであった。