Eternal fantasy<前編>

 

 空がやや雲ががっていて肌寒い日の朝、川の水で顔を洗うハーブの前に、すっとタオルが差し出された。
「良かったら、どうぞ」
 金色の髪に白い衣をまとった清楚で美しい容姿をした少女が、タオルを手ににっこりと愛らしい笑みを浮かべる。途端にハーブの頬がうっすらと赤く染まって、ハーブは少女から躊躇いがちにタオルを受け取った。
「ありがとう。君、名前は?」
 顔を拭ったタオルを返すと同時に、ハーブはおもいっきり造り顔の端正な顔立ちでもって少女に尋ねた。
 少女もまた、酷く可憐な笑みをハーブに向ける。ハーブが少女の手を握ろうとした刹那。
 ビリビリビリ!!!という雷鳴と共に、ハーブの全身に脳天まで貫かれるような激しい衝撃が加えられ、ハーブはその場に倒れ込んでぴくぴくと痙攣する。
「く……クール……っ、てめぇ……また騙しやがったな……っ!!」
 ぶるぶると全身を震わせながら起き上がり、ハーブは目の前の少女を睨みつけた。間髪入れず少女の姿が煙にまかれ、銀色の長い髪をした青年の姿に形を変える。
「何度同じテに引っかかったら懲りるんだ? おまえは」
 クールはまるで冷静に言い放った。しかし瞳には明らかに怒りの色が見える。
「さすがクールさん……っ、俺のタイプを実によく分かっていらっしゃる……っ」
 ハーブはまだブルブルと体を震わせながらクールに詰め寄る。
 確かにこれで何度目になるか分からないクールの女性変化に、毎回騙される自分が悪い。悪いが、しかし先ほどの美少女があまりにもハーブの好みのタイプ直球ド真ん中だっただけに、悔しさと無念さでいっぱいだった。
「へぇ、ハーブってああいう清純なタイプが好みだったんだ~」
「なのに何で、清純からほど遠いクールさんと付き合ってんですか?」
 するとそこへ、一部始終観察していたらしいチェルシーとティノが現れた。
「うるせぇっ! 俺だってそれが解ったら苦労しねぇよ!!」
 ハーブは声を荒げてそう言うと、スタスタと草原を歩いていく。
「待ってくださいよ、ハーブさん!」
 ティノが慌てて後を追った。
「ある意味すごく失礼な台詞だよね、恋人にむかって」
「まあ……分からないのはお互い様だがな」
 まるで気にしていない様子で、クールもその場から歩き出した。
 だったら何で付き合ってるの??
 首をかしげそう思わずにいられないまま、チェルシーも後を追ったのだった。
 
 
 何で好きなのかと言われても、分からないものは分からないのだから仕方ない。
(でも……)
 月明かりに照らされる宿屋の一室。自分の手の中で眠るクールを見つめながら、ハーブは切なげに目を伏せた。
 眠っている時だけは、こんなに可愛いのに。
 そんなことを思いながら、小さなクールの姿を優しい眼差しで見つめる。
(俺の……クール……)
 もう二度と離さない。そう決めた再会直後のあの日から、大切に大切に守り続けて、この地の果てベルシアまでやってきた。
 今はただ、一日も早く元の身体を取り戻して、早く触れ合いたい。抱きしめてキスをして、全身でクールを感じたい。
 まだ幼かった子供時代、ずっと手を握り締めて共に眠っていた、あの頃のように。
(愛してるよ……)
 手の中のクールが、小さく顔を振る。その邪気のない寝顔を見つめながら、ハーブもまた静かに目を閉じ、眠りに落ちていった。
 
 
 翌日、例のごとく、かつて古の竜王が君臨していたという北東の荒廃した城を探索したものの、やはりクールの身体は見つからないままに、ボロボロに疲れ果てた四人、もといハーブのみが疲れ果てたまま、食事にありつこうと町の食堂に足を運ぶ。
「それにしても、地の果てって思った以上に広いんですねー」
 食堂でパンとスープを口にしながら、ティノがクールにむかって尋ねた。
「かつて世界を支配していた多くの王が集った場所だからな。今は荒れ果てているが、古代にはいろいろな神聖獣や妖精達もいて、世界の中心だった場所だ。お前達の住んでいる国とは比べ物にならない広さだろう」
 テーブルの上でハーブに小さくちぎったパンを分け与えてもらいながら、クールが応える。
「へぇ、そうなんだ~。でも何で、こんなに荒れ果てちゃったの?」
「平和なこの地に、ある日突然強大な魔力を持つ『黒の一族』が現れ、数々の王を倒してこの地に君臨したと言われている。しかし『黒の一族』はこの地ばかりでなく、世界を支配しようと人々を恐怖のどん底に突き落とした」
「あ、そこから先は知ってます。「光の勇者」が「黒の王」を倒したんですよね。あの「光の勇者」に、俺、小さい頃憧れたな~」
「でもその「光の勇者」も、結局「黒の王」と相打ちで死んじゃったんだよね。僕は悲しくてあんまり好きじゃなかったな」
 不満げに言うチェルシーに、ティノが「だからカッコ良いんじゃないか!!」と言い返すが、チェルシーは負けずに「でも自分が死んだら意味ないじゃん」と言い返す。
「「黒の王」……か」
 ハーブがぽつりと呟いた。クールが目を見張る。
「クール、やっぱりあの魔法使いは……」
 ハーブが酷く真剣な瞳でもってクールに尋ねたその時だった。
「チェルシー!!!」
 突然、食堂に大きな声が響き渡り、四人は一斉に声のする方へ顔を向けた。
 咄嗟にチェルシーの目が大きく見開かれる。
「お父様!?」
 四人の前に現れたのは、紛れもなくチェルシーの父である現王と、黒髪に眼鏡をした従者らしき青年だった。
「どうしてここに!?」
 目を丸くするチェルシーに、王は歩み寄るなりその身体を強く抱きしめた。
「やっと見つけた……私の可愛い娘……!!」
「いや、息子ですけど」
「まったく、どれだけ心配したと思っているのだ! いつまでたっても帰ってこないうえ、手紙の一枚もよこさず……!!」
 どうやらわざわざ国から可愛い娘(誤)を心配するあまり駆けつけてきたらしい王を前に、チェルシーは苦笑した。
「ご、ごめんなさい~。帰るつもりではいたんだけど、なかなか目的が果たせなくて」
 なんて言って実は旅が楽しくて帰りたくなかっただけとはとても言い出せないままに、チェルシーは言葉を続けた。
「それにしてもお父様、よくここまでたどり着けたね? しかも従者がガルボ一人だけって……」
 チェルシーは黒髪に眼鏡をかけた従者に目を向ける。ガルボという名であるらしい青年は、しかしチェルシーに声をかけることもなければ少しの感情も表に現さない。チェルシーは眉をしかめた。
「何を言う! 私は可愛い娘のためなら、どんな困難でも乗り越えてみせるさ!!」
「いやだから息子ですって」
 やたらと再会の感激に浸っている王に向かって、チェルシーはあくまで冷静だ。
「まあまあ、王様。今日は長旅でお疲れでしょうから、とりあえず宿屋で一晩ゆっくり休んで、それから話されたらいかがですか?」
 肩にクールを乗せたハーブが、宥めるように王に声をかけた。瞬間、王の目がキラリと光るが、すぐに平静なものへと形を変える。
「そうだな、さすがに私も疲れた。今日は君達と同じ宿に泊まることにしよう」
 王のその言葉に、四人はさっさと食事を終え、宿屋に向かうべく支度を始めた。
 
 
「ほう、元大魔王が今はそのような姿に……」
 宿屋のベッドに腰掛けたまま、王が物珍しげにクールを見つめる。
「いろいろと大変だったんだよ~。でもおかげで僕の魔法もうんとレベルアップしたよ」
「さすがは「癒しの力」を持つ我が一族だな、チェルシー。これで我が国も安泰だ。明日には一緒に国に戻ろう」
「え……でも……」
 王の言葉に、チェルシーはやや悲しげに目を伏せた。
「今日はゆっくりおやすみ、チェルシー。明日の朝、また迎えに来るからね」
 王は立ち上がり、チェルシーの肩に手をかけて優しくそう言うと、チェルシーとティノの部屋を出て行った。
 少しの間を置いて、チェルシーが小さくため息をつく。
「……まだ帰りたくねぇのか?」
 チェルシーの心中を察したハーブが尋ねた。
「いや……帰らなきゃならないのは分かってるんだけど……」
「言っておきますが、俺は城には戻りませんからね」
 少しも場の空気を読まないまま、ティノが口を挟む。チェルシーがキッと鋭い目でティノを睨みつけた。
「何言ってるの? 僕たち、もう結婚してるんだよ?」
「男同士で結婚もクソもあるかっ!!」
「何万人という国民を守るためには、僕にもおまえにも個人の自由なんてないの!! いいかげん覚悟決めなよ!?」
「うぅ……」
 一国の王女(誤)としてあまりにも正論であるその言葉に、ティノには言い返す言葉も出てこないようだ。
「そこはもう諦めろ、ティノ」
「ちょっと待ってくださいハーブさん!! 元はといえばハーブさんが逃げるからこんなことになったんじゃないですか!!!」
「いや……それはアレだ……、クール、そろそろ寝ようぜ」
「誤魔化さないで下さいよ……っ」
 ティノは怒りを露にハーブの胸倉を掴むが、ハーブはあくまで誤魔化す体制を変えず、クールを肩に乗せたままスタスタと歩いて部屋を出て行ってしまった。
「いつか絶っっ対、この恨み晴らしてやる……っ」
 ティノがわなわなと拳を震わせる。
「無理だって、ティノがハーブに叶うわけないじゃん」
 呆れ顔でそう言って、チェルシーはベッドの上に腰をおろした。
 ふと、その表情が真剣なものになる。
「でも……やっぱりおかしいと思わない?」
「何が?」
「いくらお父様が一国の王とはいえ、従者一人だけの付き添いでここまで来れるはずないよ。しかもあの従者……ガルボっていって僕の幼馴染なんだけど、お世辞にも剣も魔法も腕がたつとは言えないし……。それに、なんだか様子が変だった」
 あくまで神妙な顔つきを崩さず、チェルシーは言った。
「変……?」
「僕を見ても、顔色一つ変えなかった」
「それが、どう変なんだ?」
「……ガルボは昔から、僕に恋してる」
「は……!?」
 チェルシーの言葉に、ティノは途端に眉をしかめた。
「いつだって僕を見るたび頬を染めたりどもったり挙動不審になったりと、なんせ昔から分かりやすい男なんだ。そのあいつが、僕を見ても顔色一つ変えないなんて、絶対におかしいよ」
 かなりムキになるチェルシーに、ティノは顔を引きつらせる。
「だったら最初から、あいつと結婚したらいいじゃねーかっ。そんなに想ってくれる人がいるんだったら!!」
「話がそれてる! つーかホントは僕だって男と結婚なんかしたかないんだよっ!!」
「……はい、すみません」
 立派だ。この人はあまりにも立派な一国の王女(誤)だ。
 そう心の中で呟きながら、涙目で頷くティノであった。
 
 
 自室のベッドに寝転がり、ハーブは疲れたようにふうと息を吐いた。
「大変だよなぁ、一国の王女様っていうのも」
「……守るべきもののためには、捨てなければならないものもあるのだ」
 小さくそう言ったクールの姿が、幻の等身大の姿へと形を変える。
「だから……おまえは捨てたのか?」
 ハーブは上半身を起こし、目の前に立つクールに真剣な目を向けた。
 クールはしばし口を閉ざした後、苦悶に満ちた目をしてハーブを見据えた。
「捨てなければ……何も守れない」
 震える声。しかしハーブは強い眼差しを変えない。
「だからって、人を捨ててまで力を得てどうする!? そんな力なんて……」
「だったらどうすれば良かったんだ!?」
 責めるようなハーブの言葉に、クールは声を荒げた。
「あの時だって、力さえあれば、村のみんなも先生も死なずに済んだじゃないか……!」
 クールの肩がわずかに震える。ハーブは一瞬、返す言葉を失った。
「それでも……過ぎた時間は、もう二度と戻らないんだ、クール」
「私はおまえのように簡単には割り切れない」
「誰が簡単になんて……!」
「簡単だろう!? あの時も、そうだった。復讐なんて意味のないことだと、それよりも前を向いていこうと、おまえは私に言った。なぜそんな簡単に諦められるのか、私にはどうしてもおまえが理解できなかった……。その気持ちは今も変わらない」
 クールは半ば睨みつけるような鋭い視線をハーブにむけた。ハーブの表情は変わらない。
「大切な仲間を……師を殺されて……どう許せと言うんだ!? 私は許せなかった。だから強大な力を得て……復讐を果たした」
「それで……おまえには何か残ったのか?」
 まっすぐにクールを見据え、ハーブは口を開いた。クールの表情がますます苦悩に満ちる。
「何も残っていないのは……おまえも同じだろう」
 低い声でクールは言い放った。
「私がもし他の誰かに殺されても、おまえはきっと、あの時と同じように許すんだろうな」
 クールは酷く冷徹な瞳でハーブを見据えると、ハーブに背を向け、部屋の扉を開いて出て行った。

 クールを見送り、ハーブもまた、苦悩に満ちた表情で拳を握り締める。
 言い返す言葉も出てこなかった。
 だけど、決して許していたわけじゃない。村を焼き尽くされたあと、黒の魔法使いを憎んで恨んで苦しんで、それでも決して誇りを失いたくはなかった。復讐などそんなもの、あの強く正しかった師は何も望んじゃいないはずだと、自分に言い聞かせた。そうして必死で胸の内で憎しみを押し殺して。戻らない過去を振り返るよりも、目の前で苦しんでいる人たちを助けられるならばと、剣の道を選び勇者になった。
『おまえはきっと、あの時と同じように許すんだろうな』
 許していたわけじゃない。
 決して、許していたわけじゃ……!!!
 けれど、己を捨ててまで復讐を果たしたクールと、憎しみを押し殺しただ世界を放浪していた自分と、いったいどちらの想いが深かったのかといえば、紛れもなくそれはクールの想いの方がより深く、より強烈で。
 空虚な想いのまま旅を続けていた自分の心には、やはり何も残ってはおらず、行く先々で勇者として崇められながらも、心はいつも空しいままだった。
 それでも、たった一つだけ。
 どうしても、捨てきれない想いがあった。
 だからあの時、復讐を果たした後、深い闇の底でもがき苦しんでいるクールのことだけは、どうしてもこの手で救ってやりたいと。
 想いながら刃を向け、その先に残ったものは、やはり何もない空虚な心だけ。
 とうにクールには見抜かれていることも、気づいていた。
 自分は本当は、何も愛してはいないのだと。
 愛していないから、許すことが出来るのだと。
 今はっきりと目の前に突きつけられたその真実は、あまりにも痛く、苦しく、悲しい。
(クール……!)
 だけど、おまえのことは。おまえのことだけは。
 ハーブは苦悶した。
 許せるはずがない。もし今、クールを失ったら、今度こそ何一つ残らない、死んだような心で生き続け るだろう。
 失いたくない、ただ一つの物がある。それだけで、心はこんなにも弱くなる。
 なぜもっと、分かり合えないのだろう。
 こんなにも深く、愛しているのに。
 
 
 宿屋を出て枯れかけた木の幹に背を預け、クールは夜空に光る無数の星を見上げた。
 昔、何度もハーブと一緒に見上げた空。あの頃はいつも隣にいて、共に悪巧みをして悪戯ばかりしては師に叱りを受け、毎日は厳しい修行の連続だったけれど、心はいつも温かいもので満たされていた。
 いつか二人で最強の魔法使いになって、世界を旅しようと誓い合った幼い少年時代。 
 だから、許せなかった。一瞬にして全ての幸福を奪いとった、あの黒の魔法使いを。
 どうしても復讐を諦めることが出来ず、かといって師も仲間も失った自分には何も無く。黒の魔法使いに才能を認められ、共に来るかと尋ねられた時、迷うことなく頷いた。そばにいれば、いつか必ずこいつを殺すことが出来る。復讐を果たせる。そのためならば、例え全てを捨てても。殺された師のために、仲間達のために、例え恐ろしい魔物に姿を変えようとも。
(それで……おまえには、何か残ったのか?)
 何もない。けれど後悔なんてしていない。あの時、強く心に誓った想いを果たしたことに、悔いなど何一つない。
 それなのに。
 人の姿も心も捨てた自分に残されたものは、恐ろしい「魔王」という称号のみ。
 自分が自分でなくなっていく。孤独の淵で、何度もあの頃の記憶を思い出す。
 もう一度、戻れたら。
 もう一度だけ戻れたなら、きっと、今なら全てを守れる。
 そう思い、時を支配する魔法を手に入れようと、更に恐ろしい魔王へ姿を変えていく。
 私は、何を間違えた? 
 あの時、どうすれば良かったんだ? 
 どうしたら、この痛みも苦しみも、全て消えて無くなる!?
(ハーブ……!!)
 あんなことを言うつもりは、なかった。
 いつだっておまえが全身で守ってくれていることを、知っているのに。
 傷つけるつもりなどないのに、どうしても、不安ばかりが募っていく。
 あの時袂を分かったように、おまえは誇りのためならば、いつでも私を捨てるだろう。気高く、強く、慈悲深い、圧倒的な正しさでもって、ズタズタにこの醜い心を引き裂く。
 ずっと、そうだった。愛しながら、心のどこかで激しく反発し、反発しながら離れられず、がんじがらめに縛り付けられる。そのたび心が悲鳴をあげる。
 苦しくて、ただ苦しくて、どれだけ信じようとしても、不安ばかりが心を支配する。
 ただ愛したいだけなのに。
 愛して、愛されて、あの頃のように、強い絆で結ばれたいだけなのに。
 
 
「クール」
 ふと声をかけられ、クールはハッと顔をあげた。
 目の前に歩み寄ってきたのは、王だった。
「どうかされたのですか?」
 荒れる心をどうにか平静に押し戻し、クールは王に尋ねる。
「クール」
 王の手が、クールの頬にそっと触れた。
「私を忘れたか?」
 刹那、王の茶色い瞳が紫色に変化する。
 人のものではない魔の瞳に見据えられ、クールは咄嗟に魔法を唱えようとしたが、遅かった。金縛りにかけられたようにその場から動けなくなる。
「会いたかったよ……私の愛しい、クール」
「お……まえは……」
 王のものではないその声を、クールは確かに知っていた。
 紫色の瞳に縛り付けられたままに、クールは暗闇の中に意識を投じた。
 
 
 
 突然、派手な音をたてて扉が開き、ベッドの上に寝転んでいたハーブが慌てて起き上がった。
「ハーブ、大変だよ!! クールが連れ去られた!!」
 血相を変えて飛び込んできたチェルシーの言葉に、ハーブは大きく目を見開いた。
 
 
「王の正体が、黒の魔法使い……だと……!?」
「はい……そうなんです!!」
 表情を青くするハーブの目前で、従者ガルボが目に涙をためて頷いた。
「王様のお部屋に食事を運ぶため伺った時に、突然黒い影があらわれて、王様の身体を乗っ取ったんです。「我が名は黒の魔法使いフリスク」と確かに名乗りました。私もフリスクに操られるままに、王様と共にこの地にたどり着きましたが、先ほど突然術が解けて、ようやく正気に……!!」
「そうか……よく正気に戻ってくれた! それで、クールはどこに!?」
「たぶん黒の魔法使いに連れ去られたんだと思う。どこを探しても姿が見当たらないんだ」
 チェルシーが動揺ばかりを露に言った。
「どうしましょう、ハーブさん!!」
 ティノもまた焦りと動揺を隠せない。
「と、とにかくフリスクの居場所を……」
「でも、どうやって?」
「それなら心配ありません、姫様」
 不意にガルボが懐から時計のような機械を取り出した。
「それは?」
「王様レーダーです! これで王様の位置がはっきり確認できます!」
 スイッチらしきものを押すと、画面にピコピコとオレンジ色の光が点滅した。三人が一斉に前のめりに崩れる。
「なんだそのどっかで見たことのある怪しい機械は!?」
「無駄なシーンに余計な時間と妄想力を裂いている余裕はないという神からのお告げです!! さあフリスクの元へ急ぎましょう!!!」
「なんかよく分からないけど行きましょう、ハーブさん!!」
「お、おう……!!」
 ベッド脇の剣を腰にさし、ハーブは三人と共に宿屋を後にした。
 

 
『いつでも人の心を忘れてはいけないよ。おまえが本当に強くなりたいと願うなら』
 
 そう師に教えをこうたのは、まだ十ニ歳の幼い頃。
 
「いくぜ! クール!!」
「こい、ハーブ」
 
 勢い良い声と共に、ハーブがバッと両手を目前に広げ、火の魔法を放つ。しかしクールは氷の魔法であっさりと目の前の強大な炎を打ち消した。
 途端にハーブががっくりと肩を落とす。
「えーっ!!! 今の、ぜってぇいけると思ったんだけどな~」
「まだまだ修行が足りないな、ハーブ。この程度の魔法じゃ、いつまでたっても僕には追いつけないよ」
 自信たっぷりに笑みを浮かべるクールを、ハーブは口をとがらせ睨みつける。
 ハーブも村内ではかなり高レベルの魔法の使い手だったが、クールの生まれながらの大きな才能の前には、まるで歯がたたなかった。その力は既に師を越えているのではないかと、この頃は村中で噂されている。
 必死でクールに追いつこうとするハーブと共に修行に明け暮れる毎日。
 ある日、クールは修行の一貫として師に命をうけた、「エルフの森」で暴れまわっているドラゴン討伐のため、ハーブと二人村を出た。
 クールはこの程度のドラゴンなら自分一人で倒せると言い張った。しかし師はそれを許さず、クールにとっては納得いかないままの旅立ちだった。
 三日かけて歩いて辿り着いた「エルフの森」で、二人は強大なドラゴンを前に戦う。しかしクールの単独行動が目立った。少しも力を合わせようとしないクールに、ハーブは怒りの視線をむける。
「いいかげんにしろよ、クール!!」
「うるさい。こんなドラゴン、僕一人で十分だ。おまえはそこで見学してろ」
 必死で戦うハーブに、クールはまるで余裕の台詞をむける。ハーブが拳を震わせたその時だった。
ドラゴンが思いもかけない強力な魔法を、クールめがけて放った。刹那、ハーブが咄嗟にクールの身を庇うように魔法の前に立ちはだかる。
「うあああああっ!!!」
「ハーブ!!!」
 強力な魔法をまともに受けたハーブが、その場で意識を失った。
 クールは動揺を隠せないままに、渾身の魔力を込めて炎の魔法を放つ。ドラゴンは巨体を倒し絶命した。
「ハーブ! ハーブ!!」
 クールが今にも泣き出しそうな顔で、ハーブの身体にすぐさま回復魔法をかけた。しかしクールの「癒しの力」は弱い。どうにかハーブの命を保つことが精一杯だった。
 背にハーブを抱え、クールは懸命に村を目指す。
 たどり着く頃には、クールの体力も魔力も限界で、師の元に着くなりクールは気を失った。
 
 
「おまえが奢った結果だ、これは」
 何日も寝込むハーブを前に、師は厳しくそう言い放った。
 しかしすぐに同じ目線になり、師はぎゅっとクールの手を握り締めた。
「こうやって、ずっと手を握っていておやり。おまえの想いが届けば、ハーブは必ず目を覚ます」
 目に涙を流しながら、クールは頷いた。
 それから幾日も、ろくに睡眠もとらないままに、クールはハーブの手を握り締め、ただ祈り続けた。
 それまで信じていなかった、誰かに向かって。
 
「クール……?」
 ようやくハーブが目を開いて自分の名を呼んだ瞬間、クールはその身体に抱きつき、何度も「ごめんね」と繰り返した。
 そんなクールを、ハーブはぎゅっと抱きしめる。
「もう泣くなよ、俺は大丈夫だから」
 目から大粒の涙を流すクールに、ハーブは優しく囁く。その手がクールの頬を包み込み、やがてそっと、唇が頬に触れた。
「これからは、ずっと、助け合って生きていこうな。俺、おまえを守れるくらい、もっと強くなるから」
「うん……っ……」
 抑えきれない涙のままに、クールはハーブの首に腕をまわし、ぎゅっとしがみつく。
「大好きだよ……ハーブ」
「俺も……大好きだよ、クール」
 純粋な瞳で見つめ合う二人は、誓いを交わすように、唇を寄せ合った。
 まだキスの意味もよく分からない、幼い子供のままに。
 
 
 好きだよ。
 誰よりも、何よりも、愛している。
 それなのに、どうして、信じることはこんなにも難しいのだろう。
 
 
 クールが閉じた瞳を開き、暗闇の中からゆっくりと意識を取り戻す。
 見知らぬ景色を前に、咄嗟にクールは上半身を起こした。見たことのない部屋の中。そして幾本もの銀の格子。
「ようやく目を覚ましたようだな、クール」
 覚えのある声に、クールは銀で出来た鳥籠の柵を両手で握り締め、目の前に立ちはだかる王の姿を借りた黒の魔法使いフリスクを睨みつけた。
「貴様……生きていたのか……っ」
 忌々しげにクールが口を開く。フリスクは微笑した。
「あの時おまえに寝首をかかれ、一旦は消滅した我が身だが、おまえと同じであの姿は借り物。しかし実態は塵程度しか残らなかった故、人の身体を乗っ取れるまでに魔力を回復させるにはずいぶん時間がかかってしまったよ」
 フリスクは冷笑を浮かべながらそう言うと、鳥籠に閉じ込められたクールの長い髪を人差し指に絡ませる。
「それにしても、おまえもずいぶん惨めな姿になったものだな。この身体では、ろくな魔法も使えまい」
「いずれ本体を取り戻す」
「その前に、私ともう一度手を組まないか? この世界を、再び「黒の一族」のものにするために。おまえにはその義務があるはずだ。「黒の一族」の……末裔」
フリスクのその言葉に、クールは目を見張った。
「違う……っ、私は……!!」
「とうに知っていたのだろう? 自分が「黒の一族」の血をひく者だということくらい」
 クールの表情が苦悩に満ちていく。
「おまえと私は同じ心を持つ種族だ。私ならば、おまえの全てを理解してやれる。少なくとも、おまえの愛しい恋人よりは」
 言いながら、フリスクは銀の髪に口付ける。
「もう一度、私と共に生きよう、クール。そのための準備は既にしてある」
「何を……!」
 クールが目を見張ったその瞬間、フリスクが呪文を唱えた。
 黒い光が放たれクールの全身を包み込み、クールが目を閉じた一瞬、意識を奪われた。
 次に目を開いた時、クールは部屋の中に置かれた大きな寝台の上に横たわっていた。黒い衣を纏った身体をゆっくりと起こし、自分の手を見つめる。それから目の前にいるフリスクを見つめ、眼を大きく見開いた。先ほどまで見上げていた巨大な姿とは明らかに違う。
「おまえのために、以前と同じ砂で造った身体を用意しておいた。ずいぶん苦労したが……居心地はどうだ?」
 静かに歩み寄り、フリスクが等身大のクールの頬に手を寄せる。
 クールは咄嗟に呪文を唱えた。しかし何の魔法も発動しない。
「無駄だ、この部屋には特殊な魔法封じがされている。今のおまえには何も出来まいよ」
 どこか面白そうなフリスクを、クールは鋭い視線で睨みつけた。
「私と来い、クール。世界を再び我が「黒の一族」のものにするために」
「断る」
 強い眼差しで、クールはハッキリと言った。
「どうしても?」
「例え今ここで死んでも、貴様の思い通りにはならない」
「そうか……ならば、仕方ない。私の欲しいものは、おまえの魔力だけだ。それを手に入れるためならば、おまえの意思など必要ない」
 冷徹な声色で言うと、フリスクはテーブルの上に置かれていた香を焚くための壷を片手に持った。
「これを……覚えているだろう? クール」
 壷の中から桃色の煙が一筋、揺らめいて部屋中を覆い尽くしていく。
 クールの瞳に動揺の色が走った。
「昔、この香の中、何度も交わったな……。あの時のおまえは、実に美しかったよ」
「やめ……ろ……っ」
 急速に、二度と思い出したくもない忌々しい記憶が甦る。
 いつかこいつを殺すまでは、どんな事にも耐えてやる。唇を噛み締めながら、媚薬の中で思うがままに身体を弄られた、あの頃の激しい屈辱。
 もう二度と屈したりはしない。
 そう強く思うのに、香の効果は絶大だった。
 何度も身体に刻み付けられた熱い感覚が、あまりにも自然に甦ってくる。
「おまえの身体は、しっかり覚えているはずだ。ほら……もう我慢できなくなってきただろう……?」
 顎を捉えられ、唇が重なってくる。クールは襲ってくる感覚を必死でこらえながら、フリスクの唇に歯をたてた。
「……今から存分に、乱れ狂ってもらおうか、クール」
 血の滲んだ唇を手の甲で拭って、フリスクは手の平に丸い小さな卵を乗せ、呪文を唱えた。ピキピキと卵が割れ、突然、幾本もの触手が物凄い勢いで伸びてゆき、植物型のモンスターが姿を現す。
「な……!!」
 モンスターの触手がクールの両手首を捉えた。そのまま勢いよく身体を宙に吊らされる。黒い衣の中に、樹液で滑った触手が潜り込んでくる。数本の触手に首筋やうなじ、胸を撫でられ、クールがビクリと身体を震わせた。
「い……やだ……っ、やめてくれ……!」
「言っただろう? おまえの自我など必要ないと。快楽に没頭し、我を忘れるんだ。その瞬間、私はおまえを手に入れる」
「……く……っ……」
 ぬめった触手が、体中を撫で上げる。足元からも触手が伸び、内股や足の付け根をなぞる。クールは身をよじって逃れようとするが、触手は足首にも絡みつき完全に拘束され、逃げることは叶わない。クールの瞳に涙が滲み、屈辱の色が浮かんだ。
「あ……っ……あ……」
 やがて一番敏感な部分にも触手が伸び、無数の細い触手が撫でるように全身を這い回る。クールがこらえきれない快楽に顔を歪ませるその痴態を、フリスクはあくまで冷静に見つめた。
「やはりおまえは、快楽に喘いでいるこの時が一番美しい。どうだ? 気が変わってきたか? おとなしく私のものになるならば、今すぐ解放してやっても構わんが」
 クールの目前に立ち、フリスクは薄く笑みを浮かべる。
「誰が……貴様のものになど……っ」
 誇り高い瞳が、フリスクを見据える。
「そうか……ならば、限界まで耐え続けるがいい」
「う……ぁ……っ!」
 フリスクが言い放った瞬間、触手がクールの性器の根元を強く縛り上げた。
 達することを許さない部分を、なおも触手が這い回る。衣がはだけられ、露になったクールの太股に樹液が伝う。苦しげに眉を寄せ息を乱すクールに、容赦なく絡んでくる触手は決して止まることをしない。
 襲い来る激しい快楽と苦しみに悶えるクールの内部に、数本の触手が潜り込んでいった。
「あ……、いや……だ……っ、あ……!!」
 内側の壁を擦り蠢く物体に、ただ翻弄される。感じたくなどないのに、感じずにはいられない。しかし達することは許されず、気が狂いそうな快楽の嵐に自我を奪われる。けれど、失うわけにはいかない。もう二度と、暗闇に身を投じたくはない。
(ハーブ……!!!)
 翻弄されるばかりの感覚の中、何度も何度も、ハーブの姿を思い出す。それだけが自我を保つ唯一の手段だった。
「誰を想っている? クール」
 強固に自我を失わないクールに、フリスクが低い声で尋ねた。息を乱し潤んだ瞳で、クールはなおもハーブを想い続ける。
「無駄だ、クール。おまえは憎んでいるはずだ、あの光の戦士を」
 まるで暗示にでもかけるように、フリスクがクールの頬に手を寄せ、言葉を続けた。
「ずっと、妬み僻み憎んでいたのだろう? 私たちには決して持つことのできない、光に満ちたあの姿を」
「ち……がう……っ、憎んで……など……」
 涙に濡れた瞳で、クールはフリスクを睨みつけた。
「自分の心を誤魔化すな、クール。私には分かる。おまえは暗闇の中でしか生きれない。無理に光の中で生きようとしても、辛いだけだったのだろう?」
 まるで呪いのようなフリスクの言葉に、クールは頭の中で何度も叫ぶ。
 違う。
 憎んでなどいない。
 憎んでなど、絶対に!!!
「光はいつも闇を打ち消す。消されたくないのならば、私と共に来い、クール」
「ち……がう……っ!!!」
 もう、やめてくれ。気づかせないでくれ。
 ずっと、ずっと、心の内にあった闇を。
「違う……!!!」
 クールの瞳から、幾筋もの涙が溢れる。
「こちらに来るんだ、クール。私が救い出してやる、その苦しみの世界から」
 フリスクの両手が、優しくクールの頬を包み込む。
 刹那、クールの内部に更に幾本かの触手が埋め込まれる。それは音をたてて激しく内部を擦りあげた。
「あ……ああぁ……っ!!」
 こらえ切れない快楽の嵐に、クールは悲鳴にも似た嬌声を放った。
 根元を拘束していた触手が離れ、そのまま絶頂に導かれる。
 頭の中に閃光が走ったその瞬間、クールは意識を失い、腕が力無くだらりと垂れ下がった。同時に触手が縮みクールの身体を解放し、卵の形に戻っていく。
 床に投げ出されたクールの身体を、フリスクはそっと抱きとめた。
 そして意識を失ったクールの頬に手をあて、愛しげに囁く。
「共にいこう。私の美しき……「魔王」」