face<後編>
「なんか……いつの間にか、けっこう良い雰囲気じゃね?」
「シノブ先輩が蓮川くんを選ぶなんて、ビックリです」
「あんたも結構言うわね、也美」
社員食堂で向かい合わせに食事をとる蓮川とシノブを見つめながら、ミチルが也美にむかって目をすわらせた。
「でもまで付き合ってるわけじゃないんですよね?」
「そこだよ、問題はそこ! けどあの様子じゃ、いつまでたっても進展しそうにねぇな」
微笑ましいと言えば微笑ましいが、傍から見るとどう見ても恋人同士というよりは姉弟程度の距離にしか見えない。またも蓮川の耳を引っ張って遊んでいるシノブを見て、ミチルは深くため息をついた。ありゃ完全にペット扱いだ、と心の中で呟く。
「シノブ先輩、あれで実は結構鈍いもんねぇ」
携帯をいじりながら、唯がまるで人事のように声を発する。
「あんた恋愛方面は得意でしょ。あいつらとも仲良いんだし、ちょっとは協力してやったら?」
「え~、面倒くさい~。だいたい学生じゃあるまいし、いちいち助けられなきゃ前に進めないってあり得ないよ~」
「相変わらず冷たい子だね……」
頬杖をつきながら携帯をいじる唯に、目をすわらせるミチルであった。
「し、忍先輩……っ」
「そのくらい自分で考えろ」
「……って、まだ何も言ってません!!」
抗議の声をあげる蓮川に、忍はどこか呆れたような表情を向けた。
「どうせ告白の仕方でも教わりに来たんだろう?」
忍の言葉に、蓮川は「う……」と喉を詰まらせる。
「だって……忍先輩なら、女性のこと、詳しいじゃないですか」
「俺と同じ手管を使ったところで無駄なだけだぞ、おまえじゃ」
「どーいう意味ですかっ!!」
確かに分からなくはないしその通りなのだが、忍のあまりの言い様に蓮川は憤りを隠せない。
「お~、恋愛相談か? 蓮川」
そこへ、カバンを後ろ手に肩に引っ掛けた光流が声をかけてきた。
「よせって、忍と同じことしたって、おまえじゃ鼻で笑われるだけだっつーの」
忍とまったく似たようなセリフを吐く光流に、蓮川は「すみませんね……っ」とわなわなと肩を震わせる。
「蓮川、男なら当たって砕けろ! 思い出せ、あの若かった時代を!」
言うなり、光流はがしっと忍の肩を掴んだ。
「俺がついてるよ……!」
「わーーーーっ!!!!!!」
途端に蓮川の顔が耳まで真っ赤に染まり、廊下に大絶叫が響き渡る。
「頼むからそれは思い出させないで下さい……っ!!」
思い返すたびに悶えるほどの羞恥に襲われる青き良き時代の記憶を再現する光流に、蓮川は半分涙目で訴えた。
「ま、ここまできたらあと一押しだ。頑張れよ蓮川」
「はあ……」
「忍、今日うち来るだろ?」
「ああ」
いつものように肩を組んで仲良さげに去っていく先輩二人を見送り、蓮川は深々とため息をついた。
あの二人に相談しても何もならないことは分かっているのだが、高校時代から変わらずつい頼ってしまうのは何故なんだろうか。そんなことを思いながら、重い頭を抱えてその場から歩き出したのであった。
『好きです!付き合って下さい!!』
……って中学生かっ!!
『俺がついて……』
……無い! 無いから!! それはもう絶対にあり得ないから!!!!
じゃあ一体、どうしたら良いんだ……っ!! 難しい難しすぎるぞ二十代男の恋の告白!!!
というか、いまさら告白どうこうより、もうしっかり気持ちは伝わってるハズで、だからこそ余計に難しい問題なわけであって。
(だいたいにして、手塚さんは俺のこと、どう思ってんだろ……)
幾日もロクに眠れない夜が続き、その日も休憩所でコーラ片手に悶々と悩む蓮川の隣の席に、シノブが紅茶片手に腰をおろす。
既に横に並ぶのが当たり前みたいなその様子に、どう考えても脈アリだろと思うものの、いざ尋ねるとなるとどうしても言葉が詰まってしまう。
「あの、手塚さん……」
「何かしら?」
「お、俺……俺のこと……っ」
顔を真っ赤にする蓮川に、シノブはきょとんとした顔を向ける。
「俺のこと、何だと思ってるんですか?!」
勢いよく発せられた蓮川の言葉に、シノブは少し考えて、
「私、また何か怒らせるようなことしたかしら?」
やや不安げに言った。
「いや……違いますっ! そうじゃなくて!!!」
「もしかして昨夜、変な夢見た?」
「へ……?」
「でも怒らないで? ちょっと実験してみただけなのよ?」
言うなり、シノブは手に持っていた「呪い100選」なる本を蓮川の目の前に突きつける。
「……なんで俺で実験するんですか……・っ」
蓮川は肩を震わせた。
確かに昨夜、めちゃくちゃ怖い夢を見た。見たけれどもすっかり忘れていたのに。
……じゃなくて、この人本当にそんな才能あるんだ……っ。
ますます蓮川の肩が震える。
「手塚さんっ、確かに呪っても良いって言いましたけど……!!」
「まさか成功するなんて思わなかったの。今度は他の人にするから、許してね?」
ぎゅっと手を握り、哀願するかのような目を向けられ、蓮川の顔が耳まで真っ赤に染まる。
「あ……いや、他の人にはやめて下さい……っ、俺なら全然構いませんから!!」
「そう、良かったわ。どうもありがとう」
にっこりと微笑まれ、ああやっぱり激烈に可愛いなどと思いながら、結局肝心なことは今日も何も聞けない蓮川なのであった。
「蓮川くーんっ」
「わっ!!」
突然背後からガバッと抱きつかれ、蓮川が目を丸くする。振り向くと、そこにはニコニコ笑顔の唯の姿があった。
「いつも急に抱きつくのやめろって!」
「いいじゃん、照れなくたって」
「照れてねーっつの! おまえ彼氏いるんだろ? 誤解されても知んねーぞ?」
「そんなの勝手に誤解する方が悪いのよ。ちょっと他の男と仲良くしたくらいでヤキモチやく男なんて要らないわ」
「はいはい、モテる女は余裕で羨ましいぜ」
「あ、出た出た。モテない男の僻み。みっともな~い」
ズバッと言う唯に、蓮川は恨みがましい目を向ける。
「そんな風に僻まなくたって、蓮川くんはそのまんまで十分、魅力的だと思うけどなあ?」
「え……」
「だからもっと、自信持ちなよ」
からかっているわけでもない、本心からの笑顔を向けてくる唯に、蓮川はやや照れくさそうに人差し指で頬を掻く。
「あ、照れてる。可愛い~!」
「だから男が可愛くてもしょーがないのっ!!」
完全に手の平の上で操られている唯に、蓮川は顔を赤らめて抗議する。
その背後で、シノブがくるっと背を向けて去っていたことには気づかないまま。
どうしてだろう、胸が痛い。
すぐに声をかけようとしたのに。
「シノブ先輩」
呼ばれて振り返ったシノブに、唯はにっこりと微笑を向けた。
「さっき、どうして逃げたの?」
尋ねられ、シノブは咄嗟に唯から視線を逸らす。
「別に逃げてなんかないわ」
「嘘」
はっきりと言われ、シノブは鋭い視線で唯を睨みつける。
「逃げてないわよ。ただ、邪魔しちゃ悪いと思ったから……」
「なんの邪魔?」
「……」
尋ねられ、またしてもシノブは視線を背ける。唯が仕方ないように小さく息をついた。
「分かりやすいね、シノブ先輩」
「な……!」
「好きなんでしょ? 蓮川くんのこと」
ずばり尋ねられ、シノブは返答に詰まった。
「だったら好きって言えばいいじゃん。いつまでも逃げてないでさ」
「誰も、逃げてなんかないわ」
「私には逃げてるようにしか見えないけどな」
飄々とした態度で唯はそう言い放つ。
「自分の気持ちはっきりさせるのが、怖いんじゃないの? 本当は」
「どうして……私が怖がる必要があるのよ」
「まったく素直じゃないなぁ。いいじゃない、さっさと幸せになっちゃえば。誰にだってその権利はあるんだよ?」
まるで全てを見透かされたような唯のセリフに、シノブの頬がカッと赤く染まった。
「あ、あなたに何が分かるのよ……!!」
シノブにキツい目を向けられ、唯の目が酷く真剣なものに変わった。
「だったら、私が蓮川くん、もらっちゃうよ?」
まっすぐにシノブの瞳を見据え、低い声を発する唯に、シノブもまた鋭い眼差しを変えない。
「好きにしたら良いじゃない。あなたがどうしようと、あなたの自由だわ」
半ば投げやりにシノブが言い放った瞬間、唯の手が振り上げられ、乾いた音をたててシノブの頬に直撃した。
「弱虫」
揺ぎ無い瞳でシノブを見据え、唯が低く強い口調で言い放った。そのままシノブの横を通り過ぎ、その場から去っていく。
少し赤くなった頬を押さえ、シノブは小さく肩を震わせた。
鳴り響いたチャイムに、Tシャツと短パン姿で髪もぼさぼさのまま、「へーい」と力無い声をあげながら玄関の扉を開いて、ミチルはぎょっと目を見開いた。
「し、シノブ……?! あんたどうしたの?!」
目にいっぱい涙を溜めたシノブに、突然抱きつかれる。
何も言わずただ肩を震わせ泣き続けるシノブを、ミチルはぎゅっと抱きしめた。その瞳が酷く悲しげに伏せられた。
社に着くなり、耳を引っ張られて強引に男子トイレまで連れ込まれ、蓮川は声を荒げた。
「池田さんっ、ここ男子トイレですよ?!」
「うるせぇ黙れ」
恐ろしいほどの低い声を放ちながら、ミチルは蓮川の身体をバンッ!!と壁に押し当てる。
「てめぇ、よくもあの子泣かせやがったな」
ドスの効いたミチルの言葉に、蓮川が目を丸くする。
「な、なんの話ですか……っ?!」
「うるせぇっ、てめぇの胸に手ぇ当ててよく考えてみろっ!!!」
「いだいいだいいだいっ!!!
窒息するほど胸倉を強く掴まれ、蓮川の表情が青ざめる。
「いいか、今度あの子泣かせたら、あたしがボコボコにブン殴ってやっからな!!」
蓮川にビシッと人差し指を向け、吐き捨てるように言って、ミチルは男子トイレから出て行った。同時にトイレに入ってきた男性社員がぎょっとした顔をするが、ミチルはもちろん少しも気にしない。憤りばかりを露に、蟹股で去っていくミチルを見送った蓮川が、ふうと大きく肩を落とした。
何故にこうも行動パターンが似通っているのか。
またしても居酒屋で鉢合わせした男性社員4人組と女性社員4人組がいつものようにどんちゃん騒ぎを行う中、蓮川は重い心持ちでビールのグラスをテーブルの上に置いた。
「蓮川くん、元気ないね! 飲もーよ!!」
その隣で、唯が明るい声を発する。
「ああ……」
しかし蓮川の返事は心無い。
飲むだけ飲んだ後、カラオケボックスに直行し、歌なんだかただの叫び声なんだか分からない声をあげ続ける光流の横で、もう片方の隣に座るシノブに、蓮川は小さく声を発した。
「あの……俺、なにか、悪いことしましたか……?」
今日、まだ一度も口を効いていないシノブに尋ねるが、にっこり笑って「いつも通りよ」と応えられただけだった。
何も尋ねる隙を与えてはくれないシノブに戸惑いばかりを感じながら胃に酒を流し込み、立ち上がって個室を出る。
いいかげん、疲れてきたかも。
そう思わずにはいられないままトイレから出ると、蓮川を待ち受けていたような唯の姿があった。
「蓮川くん、ちょっと良い?」
「なんだよ」
にっこり微笑む唯に、蓮川は素っ気無い返事を返す。
「私と付き合って」
はっきりとした唯の言葉に、途端に蓮川の目が大きく見開いた。
「何、言って……」
「ずっと好きだったの。だから私と付き合って」
「おまえ……彼氏いるんだろ? からかうのもいい加減に……」
「からかってないよ」
あくまで真剣な目を向ける唯に、蓮川は戸惑いの表情を露にした。
その瞬間、唯の数メートル向こう側にシノブの姿を発見し、目が合った途端にシノブは踵を返してその場から去っていく。
「手塚さん……!」
蓮川は唯の肩を押しのけ、シノブを追ってその場から駆け出した。
「待って下さい……!!」
店内から出て少し歩いたところで肩を掴むと、ようやくシノブは足を止めた。
「……どうして放ってくるの」
シノブは鋭く蓮川を睨みつけ、強い口調で言う。蓮川の目に困惑が走った。
「すぐに戻って」
「……嫌です」
「戻りなさい!!」
「嫌です!!」
叱るような口調のシノブに、蓮川はまるで子供のように頑なな口調で言い返した。
やがてシノブが諦めたかのように小さく息をついた。
「あなたはどうして……そうなの。人を傷つけることが怖くないの?」
「あなたのためなら、誰を傷つけても構いません」
悲しげな目をするシノブに、蓮川は真摯な眼差しを向ける。
「私は……嫌よ」
「……優しいんですね」
そっと目を伏せるシノブに、蓮川もまた悲しげな目をした。
「そうやってずっと、誰かのために、全てを諦めてきたんですね」
あくまで真摯な目を向ける蓮川を前に、シノブは小さく肩を震わせた。
「違うわ……。いつだって、自分のためよ……」
ややうつむいたまま、シノブは言葉を続ける。
「諦めた方が楽だから……。傷つくのが怖いから……。私……そういう、ズルい人間なの」
「違います!」
突然、蓮川の手がシノブの肩を強く握り締めた。
「あなたが本当に怖かったのは、自分以外の誰かが傷つくことでしょう? 誰かが泣くくらいなら自分が諦めた方がずっと辛くないからでしょう? それのどこが、ズルいんですか!!!」
「ズルいわよ……!! だって本当は、渡したくないって思ってるもの!!!」
今にも泣き出しそうな顔をして、シノブが声を荒げた。蓮川がハッとした目を向ける。
「追いかけてきてくれて……嬉しいって……思ってるもの……」
シノブの肩が小さく震える。
蓮川は唐突に、シノブの体を強く抱き寄せた。
「俺は……、俺も……っ、嬉しいです……」
言いながら、蓮川はぎゅっと抱いた腕に力を込める。
「だから……俺のことだけは、諦めないで下さい」
震える声。
「お願いだから、諦めないで下さい……!!」
ぎゅっと抱きしめた手も、声も、震えるばかりで。やっぱり自分が情けないと思いながらも、抱きしめた手は決して緩めずにいると、そっと背にシノブの手が回される。次の瞬間、同じようにぎゅっと力が篭って、同時に蓮川の目に涙が滲んだ。
「如月さんには、ちゃんと謝ります。それで、俺がしっかり恨まれますから……もう、何も心配しないで下さい」
手をつなぎ夜道を歩きながら、ふと、蓮川がぽつりと呟くようにそんなセリフを発した。
そしてピタリと立ち止まり、シノブに真剣な瞳を向ける。
「……好きです。誰よりも、あなたが一番」
真摯な瞳を向ける蓮川に、シノブは切なげな目を向ける。
「私……本当は、少しも強くないの」
「はい」
「弱いから……逃げてばっかりだし、ズルいし、汚いし……きっとこれからも、あなたのことたくさん傷つけるわ」
「いいですよ。俺、打たれ強いのだけは自信あるって言ったでしょ?」
優しく笑みを浮かべて、蓮川は言った。
「本当は……凄く嫉妬深いし、すぐ怒るし、……の、呪ったりも……するんだから……」
少し照れたように、シノブが視線を逸らす。
「いいですってば。怖い夢見ても、俺、すぐ忘れるから」
少し苦笑して、蓮川は応える。
「本当は、いつも凄く不安で……だから、泣いてばっかりで、いっぱい困らせるかもしれないし……」
「不安にさせません!!」
またしても突然、がしっと蓮川の手がシノブの肩を掴んだ。
「絶対、絶対、不安にさせません!!」
強い口調で言ったかと思うと、強くシノブを抱きしめる。
「こうやって、毎日必ず抱きしめて、毎日必ず「好き」って言います……!!」
「本当に……?」
抱きしめられるままに、シノブが尋ねた。その瞳が、少しずつ潤んでいく。
「はい!!」
蓮川は強い口調で応えた。
「約束よ……? 絶対に、不安にさせないで……」
「大丈夫!!」
興奮を抑えきれない様子で、蓮川はシノブの身体を引き離す。そして酷く真剣な顔をシノブに向けた。
「ずっと、俺がついてます……!!」
揺ぎ無い口調で言った蓮川に、シノブは静かに微笑した。
そして細長い指先で蓮川の頬を包み込み、唇に唇を寄せる。
そっと触れた瞬間、どうしようもなく胸が熱くなって。
涙が零れ落ちた瞬間、もう大丈夫だって思えた。
この人となら、きっと、大丈夫。
目を閉じれば、あまりにも自然に、幸福な未来が描ける。
たぶん毎日からかって遊んで、そうしていっぱい笑って。
疲れた時は、必ず抱きしめてもらえて、安心できる言葉をくれる。
そうやって毎日、手をつないで、一生横に並んで、歩いていけそうな気がする。
「ずっと……離さないで」
「はい……っ」
開いた会議室で二人きりになるなり、床に膝をついて土下座をする蓮川を、唯は真顔で見つめる。
「本当に……ごめん!!!」
精一杯の誠意を持って侘びを入れる蓮川に、唯はふっと微笑した。そして腰を落とし、蓮川と同じ目線になる。
「もういいよ。許してあげる」
にっこりと微笑む唯に、蓮川はほっとした表情を見せる。
「そのかわり今度、ランチ奢ってね?」
「……分かった」
「あ……でも、シノブ先輩、またヤキモチやくかな~。あの人けっこう子供っぽいとこあるから、蓮川くん、これから苦労するよ?」
悪戯っぽい笑みを向けられ、蓮川はやや照れくさそうな顔をした。
「でもそんな苦労も、幸せのうちかな。……っと、メールメール」
「あのさ……前から思ってたけど、おまえ何でいつもメールばっか打ってんの?」
「だって返事しないわけにいかないでしょ?」
「いや、誰からのメールって聞いてんの」
「……友達?」
「男だろ」
「友達以上、恋人未満ってとこかな」
「あ、そー。モテる女は羨ましいぜ」
「なに贅沢言ってんの?」
「……ごめん」
またも申し訳なさそうに顔をうつむける蓮川に、唯は小さく微笑んだ。
「……ごめんなさい」
「両方に謝られるのって、けっこうキツいんだけど」
蓮川と同じように顔をうつむけて謝罪の言葉を向けるシノブに、唯は冷たい声を放つ。
シノブが酷く辛そうな表情をした途端、唯はシノブの右頬をぎゅっとつねった。
「変な顔」
そう唯が言ったと同時に、シノブは思い切り唯の手を跳ね除け、キッと唯を睨みつけた。
「弱虫」
しかし唯は少しも変わらない、人を小馬鹿にしたような口調で言葉を続ける。
「蓮川くん、どうして先輩みたいな女選んだんだろ。こんな面倒でズルい女より、私のがずっと魅力的だと思うけどな」
罵られ、シノブは怒りを含んだ視線を唯に向け、肩を震わせる。
「なによ、その顔。本当のことでしょ? すぐ怒るわ拗ねるわヤキモチやくわ、そのくせ自分からは何もしないでただ待ってるだけ。あ、実は全て計算づく?」
嫌味っぽく唯が尋ねたその時、シノブの手が振り上げられ、ばしっと音をたてて唯の頬を叩いた。
赤くなった頬をおさえもせず、唯は変わらない落ち着いた目でシノブを見据える。
「そーやって、最初から怒りなよ」
低い声でそう言うと、唯は厳しい目でシノブを見つめた後、ふと静かな笑みを浮かべた。
「……バカだね、先輩。私、あの程度で傷ついたりなんかしないよ」
先ほどまでとはまるで違う優しい声を発する唯に、シノブは小さく目を見開いた。
「ただ……悲しかったんだ。先輩が、私とちゃんと向き合ってくれなかったことが」
真剣な唯の表情に、シノブは切なげな表情を浮かべる。
「でもやっと、本気出してくれたね。だからこれで、終わりにしよ? 私達、これからもずっと、友達だよね?」
「……友達で、いてくれるの?」
「当たり前じゃん。だから私、蓮川くんにフられたくらいで傷つくほどやわじゃないって」
苦笑する唯に、シノブは今にも泣き出しそうな潤んだ瞳を向ける。
「うわ……シノブ先輩、可愛い~」
「な……なによ、それ……っ」
「やっぱ先輩、ズルいよ~、そりゃ蓮川くんも惚れるよねー」
「ズルくないわよ!」
「ズルい! ズルすぎです!! これだから魔性の女はタチ悪いわ~」
「ま、魔性って何よ……!!」
「自覚ないのがなおさらタチ悪い~」
「唯っ、いいかげんにしなさいよ!」
「私が男だったら絶対惚れるわ。まじ惚れだね」
「唯っ!!」
怒るシノブに、唯は実に楽しそうに笑うばかりであった。
「スカちゃん、シノブさん、おめでと~!!」
「しかし進歩ないな、おまえ」
「俺がついて……」
「わーーーーーっ!!!!!!」
がしっと忍の肩を掴み口を開いた光流の声を、咄嗟に蓮川が大声で遮る。
「なんで知ってんですかあんた方は!!!」
「え~、あの時、みんなこっそり追いかけて見てたの気づかなかったの? スカちゃん鈍すぎ~」
瞬の言葉に、蓮川はショックを隠しきれない表情のあと、わなわなと肩を震わせた。
そうだ、この人達はそういう人達だった。解っているのにすっかり油断していた自分に腹立たしさばかりを覚える。
「スカ~~……てめぇ、シノブのこと幸せにしなかったら許さねぇからな~~~!!!」
「池田さんっ、目がイッてます目が!!!」
完全に酔い潰れているミチルに、蓮川はすかさずつっこむが、ミチルはフラフラに酔ったまま立ち上がった。
「どこ行くんですか? 池田さん」
「吐いてくる」
「……行ってらっしゃい」
なんて便利な体質なんだと思いつつ、蓮川はミチルを見送った。その後を、シノブがすかさず着いていく。
「仲良いよな、あの二人」
「高校時代からの親友だからねー」
ぽつりと呟いた蓮川に、也美が応えた。
「昔からずっと?」
「うん、仲良かったよ。誰も入り込めないくらい。ね、唯?」
「だね。もしかして蓮川くんも、入り込めないかもよ?」
「何だよ、それ」
「ミチル先輩に殺されないように、シノブ先輩のこと絶対に泣かしちゃダメだからね」
念を押すような唯の言葉に、蓮川は顔を赤くしながら「わかった」と小さく頷いた。
イチ、ニのサン!!!で勢い良く酒を吐き出して、洗面所で口をゆすいでいると、背中をさすられる。
「もう……飲みすぎよ? ホントに仕方のない子ね」
呆れたような声。ミチルは顔をあげて口元を拭い向き直ると、シノブに緩やかな微笑をむけた。
「シノブ……」
「何かしら?」
同じように静かに微笑むシノブの身体を、ミチルはそっと抱きしめた。
「絶対……絶対絶対絶対!!」
ぎゅっとミチルの腕に力が篭る。
「……幸せになんなよ?」
優しいミチルの声に、シノブもまた優しく微笑んで、ミチルの背に同じように腕を回して、ぎゅっと抱きついた。
「ずっと……ありがとう、ミチル」
穏やかな声を発するシノブの肩に顔を埋めたまま、ミチルは何も応えない。
「私……頑張るから。頑張って、ちゃんと幸せになる。だからもう、大丈夫だから……」
そうシノブが言ったあと、ずいぶんと長い時間、ただ無言で抱き合ってから、やがてミチルが そっとシノブの身体を引き離した。
「うん。……頑張れ」
意思の強い眼差しをして、ミチルが言う。
「あなたもよ、ミチル」
そんなミチルに、シノブは優しい目を向けて言った。
「ちゃんと、幸せになって。でないと、私だって心配なのよ?」
どこか不安げな目を向けられ、ミチルはくるっとシノブに背を向け、両手を頭の後ろに持っていく。
「あんたに心配されるようじゃ、あたしも終わりだわ」
「本気で言ってるのよ。あなたってば、いつも人のことばっかりで、自分のことにはまるで無頓着なんだから」
咎めるようなシノブの言葉に、ミチルは苦笑する。
「それに……知ってるのよ。あなた、手塚主任のこと好きなんでしょ?」
突然、ミチルの動きがピタリと止まる。
「な……なに言ってんだよっ! あんな融通きかない頑固男、好きなわけねーだろ!?!?」
シノブを振り返り、咄嗟に否定のセリフを口にするが、顔は耳まで真っ赤に染まっている。
いつもながら分かりやすい子だわ、と心の中で呟き、シノブはわざとらしくため息をついた。
「あなたも大概、鈍いわよねぇ」
「ち、違うっつってんだろ!!」
「はいはい。違うのね」
「なんだよその余裕のセリフはっ! あんた自分が幸せになったからって調子のんじゃねーっ!!!」
「あらミチル、人間、素直が一番よ?」
「ちょ……っ、なんかムカつくっ! すっげームカつく!! なにその上から目線?!」
ぎゃあぎゃあと喚くミチルを無視して、シノブは澄ました笑顔ばかりを浮かべて先にトイレから出て行く。ふと、シノブの足がピタリと止まり、ミチルを振り返った。
「大好きよ、ミチル」
真面目な目を向けてくるシノブから、ミチルは照れたように顔を逸らした。
「そーいうことは、これからは蓮川だけに言ってやんな」
素っ気無く言うミチルに、シノブは静かに微笑した。
ようやく花粉の時期が終わり、結局新品のまま使えずにいたマスクを見て、シノブがクスリと微笑む。
「どうして使わなかったの?」
「だって……なんか、勿体無くて……」
「馬鹿ね。そんなのいくらでも、買ってあげるのに」
「じゃあまた来年、買って下さい」
照れた表情をする蓮川に、シノブは「いいわよ」と返事をして、マスクの入った袋を穏やかな瞳で見つめる。
「やっぱり、普通のが良い?」
「そうですね。いろんなのがあるけど、なんだかんだいっても普通のが一番使いやすいし、効く気がします」
「……そうね」
小さく声を発して、シノブがじっと蓮川を見つめた。蓮川がやや頬を赤くして戸惑いをみせる。
「な、なんですか?」
「今日、まだ言ってもらってないわ」
「あ……」
ふと思い出したように目を見開いて、蓮川は更に頬を赤くして、それからそっとシノブの体を抱き寄せた。
「……好きです」
想いの詰まった声と瞳。
しばし無言のまま抱き合った後、蓮川はシノブの体を引き離して、真剣な表情をむけた。
「あの……シノブさんも、言ってくれませんか?」
蓮川が尋ねると、シノブは咄嗟に蓮川から目をそむけて顔をうつむけさせる。
「あ……イヤなら、いいですけど! ただ……一度も言ってもらったこと……ないから……」
そう言って、蓮川がやや不安げな目をした瞬間、シノブは顔をあげて、酷く潤んだ瞳で蓮川を見上げた。
「……好き」
精一杯の想いを込めた言葉と、瞳。ほんの少し桜色に染まった頬。
突然、蓮川が両手で鼻を抑えてうずくまる。
「ちょっと……っ、なんで鼻血出すのよ?!」
「す……すみません……っ」
いやだって、それはあまりにも反則です!!!
そう心の中で絶叫しながら、渡されたティッシュを鼻に詰める。
ダメだ。たぶんきっと一生、この人にはかなわない。
「シノブさん」
「なあに?」
こうやって、きっとこれからも、少しずつ、いろんな顔を見せてくれる。
怒った顔。泣いてる顔。拗ねた顔。驚いた顔。……笑った顔。
全部、大切にしていこう。
いつでも本当の顔を、見ていたいから。
「好きです」
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