悠久の水底<前編>
水音が聴こえる。 真っ暗な闇の底に沈んでいく。
『一緒に、いこう』
『……うん』
怖くはなかった。
ただ、一緒に、いきたかった。
そこがたとえ一面の闇でも。
この手があれば、ほかには何も要らなかった。
だから、連れていって。
この手をずっと、離さないで。
この手だけが、僕のたった一つの全て。
「忍~、起きろ~」
ゆさゆさと肩を揺さぶられ、忍は深い眠りの底からゆっくりと覚醒した。
閉じた瞳を開くと、すぐ目の前によく見慣れた顔と、その向こうには見慣れない景色。いつもと違う柔らかいベッドの感触。
そうだ。確か昨日から、いつものメンバーで実家の所有する別荘に訪れていて。たどり着くなり休憩もそこそこに、周囲を探索するためさんざ歩き回って。今の体のダルさは、疲れ知らずの子供みたいな三人に付き合ったという理由も大きいけれど、それ以上にすぐ隣で気だるげにあくびをするこの男のせいだということを思い出し、忍は起き上がるなり光流の体に蹴りを入れてベッドの上から突き落とした。
不意をつかれた光流が、「わ!」と間抜けな声をあげてベッドの上から転げ落ちる。
「って……あにすんだよっ!?」
「煩い」
忍は怒る光流を一瞥して立ち上がり、パジャマのボタンに手をかける。まさか妙な跡など残していないだろうなと思いながら鏡台に自分の姿を映すと、見えにくい部分にではあるはうっすらと昨夜の名残がしっかり残されていて、ますます苛立ちを覚えたその時、バタン!と派手な音をたてて部屋の扉が開いた。
「先輩、おはよーっ!」
「おはよーございまーす……」
寝起きのダルさなど微塵も感じない瞬と、おもいっきり寝起きのダルさを露にした蓮川が部屋の中に入ってくる。
「早く起きてよーっ、お腹空いた~」
瞬がベッドの上に飛び乗り訴えると、光流は「おー」と力無く返事をして立ち上がり、着替えを始める。
一通り支度を終え、部屋から出てリビングにむかい、昨日のうちに駅前で調達してきた朝食用のパンと冷蔵庫から取り出した牛乳を並べ、それぞれ適当に食卓についた。
「別荘だと食事ついてないのが不便だよね~」
「なに贅沢言ってんだよ、こんなだだっ広い別荘にタダで泊まれだけラッキーだっつの」
パンをかじりながら文句を連ねる瞬に、光流がやや声を荒げる。
「忍先輩、ここにはよく来てたんですか?」
「いや、十年くらい前に来て以来だ」
「別荘って俺、初めてです。こんな綺麗で大きな家、滅多に使わないなんて勿体無さすぎですよ」
実家の三軒分はあるであろう広さの豪邸をぐるりと見回し、蓮川は感心と妬みが入り混じった様子で言った。
「で、今日はどこ行く~?」
「どこっつってもなー……このへん、何があんの?」
「何も無い」
忍にキッパリと言われ、光流が苦笑する。
「何でなんもないとこにわざわざ家建てるんですか?」
蓮川が実に不可解だといった様子で忍に尋ねた。
「単なる税金対策だ。せっかくだから、おまえらもたまには静かにのんびり過ごしたらどうだ?」
「おまえ、またジジむさいことを……。のんびりなんか過ごしてられっか! とりあえず周辺探索! いくぞ蓮川!!」
一気に牛乳を飲み干し、気合と共に光流が立ち上がった。蓮川もつられて慌てて食事を終え、立ち上がる。そのまま二人、玄関に向かって駆け出して行った。
「無理だと思うよー、あの二人にのんびり過ごせって言っても」
「猿だからな」
仕方ないように苦笑する瞬を前に、忍はあくまで優雅に朝食をとりながら低い声で言い切ったのであった。
植物と土と虫以外は何も無い山道を、ふざけ合いながらそれなりに楽しみつつ歩き、ふと発見した湖を前に蓮川と瞬と光流の三人が一斉に走り出す。何がそこまで珍しいのかと、忍は小さく息をつきながら疲れた様子で歩き続ける。
「忍くん」 まるで人気のない小さな湖の周囲を歩いていると、突然背後から声がして、忍はすぐに反応を示した。
振り向いて、目の前に立つ人物を視界に映した途端、わずかに目を見開く。
「君は……」
大きく表情は変わらないが、多少なりとも驚きを隠せない様子の忍に、目の前の相手はにっこりと微笑んだ。
「久しぶりだね。忍くん」
刹那、緩やかな風が吹いて、二人のサラリとした髪がなびいた。
忍とほぼ同じくらいの背丈。形の整った瞳に長い睫。色の白い肌。サラサラのストレートの髪。上品そうな物腰に柔らかい笑み、落ち着いた喋り方。見目麗しい、忍とどこか似た雰囲気を漂わせるその少年を前に、三人は思わず一瞬言葉を詰まらせた。
「はじめまして、泉っていいます」
にっこりと人当たりの良い微笑みを浮かべながら挨拶をする、泉と名乗った少年を前に、即座に瞬が右手を挙げた。
「僕、如月瞬でーす!」
「あ……蓮川一也、です」
「……池田光流、よろしく」
続いて蓮川が遠慮がちに、光流が気さくな笑みを浮かべて言った。
「泉さんも、この辺りに別荘があるの?」
「ううん、僕は地元人。よくこの湖に遊びに来ていた時に、偶然別荘に泊まりに来てた忍くんと会ったんだよね。覚えてる? この辺りでよく一緒に遊んだ、あの時のこと」
忍の横にぴったり並びながら、泉が親しげに忍に微笑みかけた。
「ああ……覚えてる」
忍もまた、静かな笑みを浮かべながら応えた。そんな二人の様子は、二人にしかわからないような独特の空気を背負っている。多くを口にせずとも分かり合っているような雰囲気に、蓮川と瞬は少し意外な感覚と同時に疎外感のようなものを覚え、ほんの少し寂しいような感覚にも襲われた。
けれど時間が経つにつれ、物怖じしない瞬と根は素直な蓮川はあっさりと泉と打ち解け、虫や草木などの自然にやたらと詳しい泉にいろいろな遊び方を教えてもらい、実に楽しげに時を過ごす。
そんな三人を遠目に、光流が忍を横にぽつりと呟いた
「……なんか、意外」
「何がだ?」
「友達とか、いたんだ?」
「人を欠陥人間みたいに言うな」
「いや……そーいう意味じゃねぇけどさ……」
どこか不服そうな、面白くないような顔をする光流の様子に、忍はすぐにピンときたが、敢えて口にはしなかった。光流の嫉妬深さや独占欲は今に始まったことじゃない。指摘して諌めたところでなおさら意地になって膨れるだけだから、放っておくことにする。それを隠せない光流が可笑しいとも愛しいとも思う。
「今日は、部屋替えするぞ」
「えーっ、何でだよ!? 昨日と同じでいいじゃん!!」
「おまえに付き合ってたら体力が持たない」
素っ気無くそう言って、忍は光流に背を向ける。ふてくされる光流を背後に、忍は泉の元に歩み寄った。どうせだからこの際、とことん意地悪してやる。昨夜の横暴ぶりを思えば、それくらいの仕返しは当然だろう。思いながら、わざと泉と親しげに話す。当然ながら、光流はますます不機嫌になっていくばかりだった。
面白くない。
まったく全然ちっとも、なんも楽しくない。
相変わらず不機嫌さばかりを露に、光流は一人ウッドデッキに座り、缶ビールをぐいっと飲み干す。目の前では、蓮川と瞬がはしゃぎながら花火に夢中になっている。それを微笑ましげに見つめる泉と、その横に並ぶ忍。あまりに絵になりすぎているその光景が、なぜか無性に勘にさわる。そしてその理由が自分でわかっていないほど光流も鈍くはない。我ながらガキっぽい。思いながら小さくため息をついた光流の目前に、ひょこっと瞬が顔を覗かせた。
「光流先輩も花火やろーよ、ほら」
「いいよ、おまえらでやってろ」
「何さっきからふてくされてんのー? わかった、ヤキモチやいてんでしょ~?」
図星をさされ、光流は言葉を詰まらせる。無邪気なくせに鋭い勘の持ち主に目を向けると、瞬はにっこりと微笑んだ。
「ほら、行こう? 光流先輩も一緒じゃなきゃつまんないよ」
瞬が強引に光流の腕を引っ張った。後輩に気を使わせるようじゃ終わりだ。そう思った光流は、途端に元気いっぱいの笑みを浮かべ、火のついた花火を思い切り振り回す。蓮川が「危ないですからやめて下さいっ!」と声を荒げた。構わず光流は蓮川に火花を向ける。調子にのって瞬も一緒に火花を連射する花火を蓮川に向け、逃げる蓮川を追い回す。
「面白いね、忍くんの友達」
いつものふざけた光景を前に、泉がクスリと笑いながら忍に向かって言った。
「いつもこんな風なの?」
「そうだな。賑やかすぎて、気が休まる時が無いよ」
「そっか……それなら、良かった」
泉が酷く穏やかな表情で忍を見つめる。忍もまた、落ち着いた瞳で泉を見つめ返した。
ずいぶんと長い静寂の後、泉が緩やかに笑みを浮かべる。
「今日は、帰るよ。明日、また来てもいいかな?」
「……ああ」
忍が静かな表情のままに応えた。
「じゃあ、またね。忍くん」
泉はそう言って忍に背を向け、外灯一つ無い山道に向かって歩いて行った。
忍はその後姿を神妙な面持ちで見送り、はしゃぎ続けている三人の元へ歩み寄った。
翌朝。
「おはよう」
朝食を終え、さて今日は何をしようと、昨日花火をした庭先で考え込んでいる四人の前に、この暑さとは無縁のような涼しげな笑顔を浮かべた泉が現れた。
「あ、泉さん! 昨日はいつの間に帰っちゃったの? 一緒に飲もうと思ってたのに~」
「ごめんね瞬くん、挨拶もしないで帰って。今日はお土産持ってきたよ」
穏やかに言いながら、泉が手に持っていたビニール袋を瞬に手渡す。
「やった~!! スイカだよ、すかちゃん」
「あ……これでスイカ割りしようぜ」
蓮川が提案すると、泉が嬉しそうに微笑む。
「あ、それいいね。すかちゃん、こういうの得意そう」
「……その呼び方は、やめてもらえません?」
いつの間にやら実に親しげに愛称で呼ぶ泉に、しかしいまだその愛称が気に入っていない蓮川は目を据わらせる。
「どうして? 可愛いあだ名じゃない、すかちゃんって。誰がつけたの?」
「えーと……確か光流先輩だったよねー?」
「お、おう……」
突然瞬に声をかけられ、光流がやや訝しげに泉に目を向けた。そんな光流とは対照的に、泉は優しく光流に微笑みかける。光流はますます訝しげに眉をしかめた
何度挑戦しても一向に木の棒がスイカに直撃しない蓮川や瞬に業を煮やした光流が、はりきって見事なまでに一撃で砕いたスイカを食べながら、相変わらず蓮川と瞬は泉相手に実に楽しげだ。
彼は常に温和な人柄で、気も利けば会話上手、おまけに知識は豊富。後輩達を飽きさせない見事な話術や遊び方の伝授で後輩達を虜にしている。人懐こい二人は初対面の相手でも、あまり物怖じすることを知らない。しかし光流は違った。人懐こいようで実のところ警戒心が人一倍強い光流には、その完璧さが逆に胡散臭くてならない。彼が本当に純粋に後輩達と仲良くしたいと思って近づいているなら何も問題はない。けれども決してそうではないように思えてならないのだ。あの笑顔の裏には何かがある。それが悪質なものかどうかまでは測りかねている今の状態で、そう簡単に泉に気を許す気にはなれなかった。
「昨夜はよく寝れたか?」
「おかげさまで」
隣に立つ忍に尋ねると落ち着いた声で応えられ、昨夜は蓮川と寝室を共にした光流は、やや面白くなさげに口をとがらせた。
「俺は寝れなかった」
突然、光流は忍の腕を引っ張り、そのまま昨夜自分の寝た寝室まで連れて行く。強引にベッドの上に押し倒してもまだ冷静さを崩さない忍に、軽く苛立ちを覚えて二度目のキスをする。
「……なにを苛ついてるんだ?」
唇を離したと同時に、忍は静かな声色で尋ねた。
「あいつ……何なんだ? いいかげん、教えろよ」
手首を捕らえ押し倒した体制のまま、光流が真剣な目を忍に向ける。
忍もまた真剣な目を光流に向けたあと、小さく息をついた。
「さすが寺の息子だな。それとも本能で嗅ぎ分けたか?」
「なんの話だよ」
「話すから、この手を離せ。こんな体制じゃロクに話もできない」
「……その前に……」
「光流……」
「ちょっとだけ」
光流の手が忍のシャツの下に潜り込む。何がちょっとだけだ。心の中で悪態をつき、忍は光流の手から逃れようと身をよじるが、この馬鹿力ときたらちょっとやそっとの抵抗ではビクともしない。話がしたかったんじゃなかったのか。また心の中で悪態をつき、忍は塞ごうと追いかけてくる光流の唇から逃れる。
「光流……いいかげんに……」
さすがに我慢も限界だ。ボタンが外され露になった胸の突起に光流の唇を感じた瞬間、忍は懇親の力を込めて起き上がろうとする。しかし光流を跳ね除けるより前に、突然扉が開いた。二人の表情が一瞬にして固まる。扉を開いた人物が、一瞬の間の後、にっこり笑って口を開いた。
「あ……ごめんね。お昼ご飯作るから呼びに来たんだけど、先に作ってるね」
おもいっきり焦りを隠せない光流とは対照的に、泉はまるで動じていない様子でいつもの柔らかい口調でそう言うと、静かに扉を閉じた。
少しの間があって、光流が忍の上に乗ったまま口を開く。
「あいつ、ホントに何なんだよっ!?」
この場面を見てあれだけ冷静な対処ってどう考えてもおかしいだろと声を荒げたその瞬間、怒りを露にした忍に鋭い眼光と拳を向けられ、したたかに顔面を殴られた光流がベッドから転げ落ちて目を回したのであった。
結局それ以来、忍は一言も口を効いてくれないどころか目も合わせてくれなくて、どうしてこうなるんだろうと目いっぱい自己嫌悪しながら昼食に作ったカレーを食べ終え、全員で昨日訪れた湖にむかう。こうなったら自分で確かめるしかない。そう思いながら、光流は思いきって泉に接近した。
「あのさ……」
「無理強いは良くないと思うな、僕」
即効で柔らかいけれどズバッとした物言いが返ってきて、光流は言葉を詰まらせる。やっぱりこいつ、いい性格してやがる。心の中で呟いて、光流は鋭い眼差しを泉に向けた。
「そんなに警戒しなくても、大丈夫だよ。僕が欲しいのは、忍くんだけだから。あの子達には何の興味も無い」
酷く冷徹な瞳をして、泉が言う。やっと本性を表した泉に、光流はますます怒りの視線を向け、突然その胸倉を掴みあげた。
「てめぇ……あいつらは、おまえのこと本気で慕ってるんだぞ!?」
「へえ、まずあの子達のために怒るんだ?」
「あ!?」
「君にとって忍くんは、その程度のものなんだね」
泉は低い声を発すると、光流の手を払いのけ、鋭い視線を光流に向けた。
「だったらやっぱり、僕がもらうよ。君には任せておけない」
しばし無言の睨み合いが続く。
「あいつはものじゃねえ。誰を選ぶかは、あいつが決めることだ」
先に口を開いたのは光流だった。
「じゃあ忍くんが僕を選んだら、君はあっさり身を引くんだね?」
「誰がんなこと言った」
「面白いね、君」
クスリと泉が笑う。完全に人を見下したようなその態度に、光流はますます苛立ちを隠せないように眼光を鋭くする。
「胸の内に独占欲が渦巻いているのに、何も傷つけまいと必死になっている。本当の心と嘘の心が混じり合って、まるで正体が見えない。君が本当に欲しいものは、いつでもたった一つしかないのに」
「……何が言いたい?」
「全てを守りたいと思うなら、自分の本当の心に気づくことだ」
ふと泉が腰を落とし、目の前の湖の水を両手ですくう。すくった水は、あっという間に手の中からこぼれ落ちていった。
「そうでなければ、気がついた時には全てを失っているよ」
泉は冷気をまとった瞳で光流を見据えると、光流に背を向け、忍の元へ足を寄せる。親しげに忍の肩に手を置く泉を目前に、光流は握った拳を小さく震わせた。
きちんと話をしたかったのに。
室内でトランプをするメンバーをよそに、忍は一人、庭へ足を向けた。
外に出て空を見上げると、満天の星が輝いている。東京とはまるで別世界の光景を前に、ささくれだっていた心がほんの少し和らぐ。
「変わってないね、忍くん」
不意に背後から声をかけられ、忍は静かに振り返った。
「今もまだ、泣けないでいるの?」
忍のすぐ目前に立ち、そっと忍の前髪を指でかきあげ、泉は優しく尋ねた。
「……思い出せないんだ」
少しも揺らぎを見せない瞳で、忍は泉の目をまっすぐに見つめる。
「思い出したいなら、僕と一緒においでよ」
忍は応えない。ずいぶん長い間の後、忍は顔を横に背け、どこか切なげに目を伏せた。
「……もう、行けない」
「そういうところも、変わってないよ。今もまだ、自分では何も決められないでいるんだね」
「行けないって言っただろう」
泉の言葉に、忍はややムキになった口調で言い返す。
「思い出したがっているのに?」
泉は冷静な顔つきでそう言うと、そっと忍の頬に手を当てた。
「君が本当に決めているのなら、僕のことなんて忘れていたはずだ」
追い詰めるような言葉。忍は泉と視線を合わさない。
泉は変わらない表情のまま、忍の唇に、ゆっくりと自分の唇を寄せる。わずかに触れたその時。
「忍!」
小さく忍の肩が震えた。
駆け寄ってきた光流の手が、忍の腕を捕らえた。
暗い夜道に向かって、光流は早足で歩く。連れられるままに、忍もまた歩き続けた。振り払うことは出来なかった。
道を外れ、森の中に迷い込む。
光流は相変わらず無言のまま草を分けながら歩くばかりで。あまりの早足に、足元の悪さのせいで忍がつまづいた。地面に倒れる忍の上に、光流が覆いかぶさる。性急に唇を塞がれた。荒々しく割り込んでくる舌に、忍もまた激しく舌を絡ませる。昼間は苛立ちばかりを覚えた強引な抱擁が、今は酷く心地良い。もっと気が狂うような激しさが欲しくて、忍は光流の首に腕を回し、荒ぶる心のままに激しい口付けを交わす。
「……っ……ん……」
「なんで……おまえは、そうなんだよ……っ」
苦しげに光流が声を吐き出す。忍は酷く心無い瞳で夜空を見つめる。もう一度唇を塞がれ、ハッと我に返ると、暗闇にうっすらと光流の顔が映る。暗すぎて表情はわからない。わからないけれど、怒っているのだけは確かで。どうしてかなんて、考えるまでもない。
「俺を見ろよ」
「見てるよ。いつだって、おまえだけを」
「見てねぇだろうが!!!」
光流が声を荒げる。けれど忍にはその意味がわからない。
「誰でもいいんだろ? こうして手を引っ張って、連れて行ってくれる相手なら、おまえは誰だって!!」
「……違う」
「違わねぇ」
「違う!!」
「違わねぇよ!!」
苦しい。
ただ苦しさばかりが、互いの胸の内に広がっていく。
唇が、首筋を、胸を、腰を伝う。光流の指が忍の髪に絡む。光流の唇が忍の背に降り注ぐ。あまりの激しさに耐え切れず逃げようとする腰を捕らえられ、更に深く繋がりあう。地面に生える草を掴む忍の手の爪に土が潜り込んだ。
「あ……ぁ……、い……っぁ……」
「俺を……見ろよ……っ」
「や……光流……っ、あ……!!」
強く抱きすくめられ、忍の瞳に涙が滲む。
今自分が感じているのが痛みなのか歓喜なのかもわからないまま、ただ身を委ねる。奪いたいのか壊したいのか愛したいのか、わからないまま強く抱きしめる。繋がる肌と肌だけが、ただ一つの真実を物語っている。
欲しい。 ただ、欲しい。
まるで枯れかけた植物のように。砂漠の中で水を求めてさ迷うように。
欲しくて欲しくて、けれど飢えを満たす方法が他に無いから、今はただ繋がっていたい。
そこにあるのが、たとえ痛みばかりだとしても。
「……ただ、思い出したかったんだ」
「……何を?」
「昔……彼とした約束を」
上半身を起こし乱れた衣服を整えた後、無数の星が光る夜空を眺めながら、忍は遠い目をして言う。
寝転んでいた光流は、忍の首に腕をかけ、その体を抱き寄せた。そうしなければ、どこかに行ってしまいそうだった。
忍は光流の上に折り重なり、長い睫毛を伏せる。
「……そんなに不安がるなよ」
「おまえがそうさせてんじゃねぇかよ」
ふてくされた声。忍は思わずクスリと笑ってしまう。光流はますます眉間に皺を寄せた。
「死んだ人間に嫉妬しても仕方ないだろう」
あまりにも意外な事実。冷静に告げた忍とは裏腹に、光流は思い切り目を丸くする。
「さすがにそこまでは気づいてなかったか?」
「……マジ?」
「鈍いな」
「あんなハッキリした幽霊、わかるかっ!!」
「前に遭遇した幽霊だって、ハッキリしてたじゃないか」
即座に突っ込みをいれる光流に、忍は小さく笑いながら、光流から身を離して上半身を起こす。
「どうりで胡散臭いはずだ。で、あいつの目的はなんなんだよ? 昔、何があった?」
光流もまた立ち上がり、衣服にまとわりついた草や土を掃いながら忍に尋ねる。
「殺されかけた」
またしても、あまりに冷静にとんでもない台詞を吐く忍に、光流は驚愕のあまり言葉を失う。それから呆れたようにため息をつき、前髪をかきあげた。
「で……あいつはまた、おまえを殺そうとしてるわけ?」
「たぶんな」
「たぶんな、じゃねえっ!!」
落ち着いてる場合かと光流は声を荒げるが、忍はあくまで落ち着いたままで。
「だったら念仏でも唱えてくれるか? あいにく俺は、霊を見る力はあっても、祓う力まではないんだ」
小さく笑いながら、本気なのか冗談なのかわからない口調でそう言うと、忍はその場から歩き出した。
「俺だってそんな力ねーよっ!」
追いかけながら、光流はぎゃあぎゃあと喚きたてる。
流れ星が一つ、満天の夜空に光を放った。
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