memory<後編>



「忍っ!!!!!」
 いったいどれだけ車を飛ばしてやってきたのだろうと思われる光流の素早い到着ぶりに、忍と瞬は同時に目を見開いて、慌しく部屋に駆け込んできた光流に目を向けた。
「……って、あれ?」
 そんな忍と瞬のあまりに普通な様子を見て、光流が一気に気の抜けた表情をする。
「おまえ……倒れたんじゃ……」
「倒れたなんて一言も言ってないよ、僕」
 即効で瞬が応える。
「だ、騙したな!?」
 光流が怒りを隠せない表情で声を荒くした。
「騙してないって。苦しんでたのは、本当だもん」
 瞬が厳しい表情をして、まっすぐに光流の目を見据える。瞬の言いたいことをすぐ理解したように、光流は躊躇いがちに忍に目を向けた。
「ご……ごめん、忍。俺、あのマグカップ……」
 戸惑いながら、光流は言葉を続けた。
「おまえがそんなに大事にしてたの……知らなくて……。でも、忘れてたわけじゃねーんだ!!」
 光流の言葉に、忍は少し間を置いて、それから小さくため息をついた。
「もういい。割れたものは仕方ない」
 諦めたようにそう言った忍に、光流は手に持っていたビニール袋から何かを取り出した。
「お、同じのはさすがにどこにも売ってねーし、でも似たようなのもなくて……。いろいろ考えて、これなら割れないし良いかなって……!!!」
 必死で言い訳がましい台詞を口にしながら、光流が忍の前に差し出したのは、プラスチックで出来た水玉模様のマグカップだった。
 瞬間、忍と瞬の顔が凍りつく。
(なにこのバカな生き物……!!!!!!)
 またしても肩を震わせながら、瞬は心の中で絶叫した。
 おそらく必死で考えに考え抜いたのだろうが、その結果がプラスチックのコップ(しかも明らかに100均)って!!!!!とひたすらに笑いを堪える瞬だが、光流は心の底から真剣な様子だ。
 ただただ呆れるばかりの瞬と共に、忍も同じように心の底から呆れた表情をして、それから深くため息をついた。
「いや……それは、どう考えても違うだろう」
 割れるとか割れないとかの問題ではないのだが、光流にそれを分かれという方が無理な話なのかもしれないと、忍は思った。
 瞬の言ったように、昔から、光流は前しか見えていないのだ。高校時代の時間も思い出も彼にとっては過去でしかなく、決して後ろは振り向かない光流だから、過去を振り返ってばかりの自分の心は一生かかっても理解できないのだ。
 そう思うと、つくづく自分がバカで小さくてつまらない人間のように思えて、忍は怒りなどとうに忘れて、仕方ないように光流の手からプラスチックのコップを受け取った。
「ばーか」
 とりあえずこれは洗面所行きだな、などと思いながら、情けない顔をしている光流に柔らかく言い放つと、光流は今にも泣き出しそうな顔をして、唐突に忍の身体を強く抱き寄せた。
「ごめん……っ、ほんとにごめん……!!!」
 おそらくまだ忍が激怒した意味は分かっていないだろうが、物凄く反省してることに違いはないようだ。
「あの……僕の存在、忘れてません?」
 不意に瞬が声をあげて、咄嗟に光流が忍の身体から離れた。
「わ、悪ぃ、つい……!!」
 光流が顔を真っ赤にする。
「ま、あとは二人でごゆっくり。後で飲もうね」
 瞬はクスリと笑ってそう言い放つと、忍に「今日のことは内緒だよ」と目で合図をして、部屋を出て行ったのだった。
 
 
(なんだかな~……)
 良い年してどんどん退化してるかのように思える光流と忍に、瞬は複雑な表情を浮かべる。
 そしてかつての変に大人びた先輩二人を思い出し、穏やかに笑みを浮かべた。
(でも何か、良い感じかも)
 ポリポリと頭をかきながら廊下を歩いている瞬の前に、ふと見慣れた姿が視界に入って、瞬は目を丸くした。
「すかちゃん? 何やってんの?」
「あ、瞬!」
 瞬の姿を見るなり、蓮川が険しい表情のままに瞬に駆け寄った。
「光流先輩、どこだ!?」
「あ~……今、ちょっと取り込み中。どうしたの?」
「あとちょっとで犯人逮捕ってとこで、あの人、急に車の向き変えて!! しかも何の説明もなしに!! いったい何があったんだ!? 忍先輩に何かあったのか!?」
 どうやら完全に光流に巻き込まれ、一緒にここまでたどり着いたらしい蓮川に、瞬はあからさまに同情の目を向けた。
「何かあったっていうか……まあ、あったのかなあ」
 単なる痴話喧嘩とはさすがに言えず、言葉を濁す瞬である。
「ったく、おかげで始末書もんだよ! なんでああ後先考えないかなあ!? だからいつまでたっても出世しないってのに、ほんっと昔から変わらないよな」
「猛突進型だからねえ。でもそういう光流先輩だから助けられた人も、たくさんいるじゃん?」
「まあ……そりゃ、そうだけど……」
 瞬の言葉に、蓮川はどこか照れくさそうな様子で応える。
「ふだん世話になってるんだから、こんな時くらいすかちゃんがフォローしてあげなよ」
「わーってるよ。もうとっくに覚悟してる」
「大人になったねえ、すかちゃん。偉い偉い」
「撫でるなっ!! おまえ自分だけ背ぇ伸びたからって、セコいぞ!?」
「セコいって言われても……」
 伸びたものは仕方ないじゃん、と瞬は苦笑する。
「ね、すかちゃんは、高校時代のこと思い出すことある?」
「え……なんだよ、急に。最近忙しくて、そんなもん思い出してる暇ねーよ」
「……やっぱり」
 またしても瞬は苦笑した。
 いつでも前に向かって全力投球、他は何も見えなくなる。この二人に忍のデリケートな心を分かれといってもしょせん無理なことだと、つくづく思う。
「でもせっかく久しぶりに四人揃ったんだし、今夜は飲みながら昔語りでもしよーよ」
「だったら早く先輩たち呼んで来いよ」
「あー……あと一時間、待って」
「一時間って……なんで?」
「何でも。先に飲んでよ?」
「ちょ……何でだよ! なんで俺だけ意味不明!?」
 一番の被害者でありながら何も知らされず、怒りを露にする蓮川の声を聞きながら、瞬は実に楽しそうに笑うのだった。
 
 
 忘れていくことが、悲しかった。
 きっと何年たっても、どれだけ年を重ねても、色褪せることはないだろうと信じていた記憶が、どんどん遠ざかっていくことが。
「本当に……大切にしてたんだ……」
 壊れてしまった記憶の結晶。
 高校時代にペアで使っていたマグカップは、一つは大学時代のアパートからマンションに移る引越しの際に割れてしまって、残った一つのマグカップは、ずっと大切に戸棚の奥にしまっていた。
 誰にも触れられないように。
 誰にも壊されないように。
 そして、忘れないように。
 今が幸福であればあるほど、思い出すことが少なくなっていく記憶を、一つでも形に残しておきたくて。
「ごめん……ホント、ごめんな」
 昔と違って滅多なことでは怒らなくなった忍の突然の憤りに、光流はおそらくまだ本当の意味は分かっていないが、忍を深く傷つけたことだけは確かに感じていた。
 そっと忍の身体を抱き寄せ、強く腕に力を込める。
「でも……頼むから、あーいう悪い冗談、やめて」
 そして忍の肩に顔を埋め、震える声を発した。
「俺、本気でおまえに何かあったのかと思って……っ」
「だからって何も……泣かなくてもいいだろう」
 肩に感じる熱い雫に、忍は半分呆れながら言い放った。
「だって……だって……っ」
 まるで子供みたいにぎゅっとしがみついてくる光流の背に、仕方ないように手を添え、忍は静かに微笑んだ。
 もう、遠い過去の思い出にしがみつくのはやめようと思った。
 大切なのは今だ。こうして目の前にいて、変わらない愛情を示してくれる光流が、何よりも大切だなんてこと、分かっていたのに。
「もう……怒ってねえ?」
 光流がうるうるした瞳を忍に向け、不安げに尋ねる。
「怒ってない」
「ほんとに?」
「ああ」
 返事をすると、そっと、唇を奪われる。
 いったい何をあんなに怒っていたのか、もう自分でも分からなくなって、そうしたら突然、どうしようもない愛しさばかりが募ってきた。
 光流の指が忍の頬を包み込み、耳元に光流の唇が伝う。柔らかい髪が鼻先をくすぐって、思わず忍は目を閉じた。
「浴衣……やっぱすげー似合う」
 欲情を露にした瞳でそう言うと、光流は忍の首筋を撫で、浴衣の中にそっと手を滑り込ませた。
 唐突に胸の突起を摘まれ、忍は身体を震わせる。それでも慣れた指は良いところを的確に刺激してきて、ジンと身体の奥が痺れるのを感じながら、促されるままに布団の上に横たわった。
「……ん……っ……」
 硬く尖っていく乳首に舌が這い、少し荒々しい指が内股をくすぐる。
 乱れた浴衣から覗く白い肌が赤みを増していき、恥じらいと熱に満ちていく忍の瞳が、光流の欲情を更に煽る。
 耳の下を舌でくすぐると、ビクビクと身体を震わせる。逃げるように身を捩る忍の腰を抱き寄せ、首筋にもキスをする。浴衣を肩からはだけさせ、背筋から腰に指の腹を滑らせると、敏感な肌が顕著に反応を示した。
 乱れてゆく息が、早くと次の快楽をねだるが、光流はわざと焦らすように指だけを滑らせる。より高みへ導くためだ。
「あ……、あ……!」
 耐え切れないように忍の口から喘ぎ声が漏れる。下着を無造作に脱がし足を開かせると、たまらなく刺激を欲している部分にようやく光流は唇を押し当てた。先端を静かに舌でなぞると先走りの液が滲み、更に硬く張り詰める。
「は……っ……、ぁ、ん、ん……っ」
 抱えられた膝がガクガクと震える。
 同時に感じやすい左の乳首を指で刺激され、忍は一気に限界へと導かれるが、達する直前で口での愛撫を止められる。しかしすぐに手での愛撫に差し替えられ、強く上下に扱かれて、忍は更に高い声を発した。
「あ……イ……く……っ!」
はしたないと分かっていても溺れるあまり漏れてしまう声を、唇で塞がれる。
「忍……もっと舌、出して」
「……ん……ん……っ」
 唾液に濡れた柔らかい舌が激しく絡み合う。
 絶頂の波に襲われもはやそれどころではない忍の舌を、光流はなおも激しく舌で愛撫しながら、忍の身体を限界へ追いやった。
 はぁはぁと息を乱す忍に、しかし弛緩する余裕も与えず、濡れた指を身体の内部へ差し入れると、忍はビクッと痙攣して光流の肩にしがみついた。白い液がたてる音を楽しむように、何度も抜き差しされる指。
「いい音してるぜ……聞こえるよな?」
 耳元で囁かれ羞恥に耐え切れず、忍は涙を滲ませた瞳をぎゅっと閉じる。
 けれど光流はやめるどころか、忍の淡い色をした乳首を唇で吸い上げ、舌の先で円を描く。奥深くまで挿入した指が、ぎゅっと強く締め付けられた。
「すげー……気持ちいい、おまえの中……」
「いや……、も……だめ……」
 一番良いところを絶え間なく刺激され、激しい羞恥心も混じって、今にも泣き出しそうな声が忍の口から漏れる。
 絡み付いてくる肉の感覚は心地よかったけれど、さすがにこれ以上は苛めすぎかと心の中で苦笑して、光流は指を引き抜いた。
「後ろ向けよ」
 濡れた指を舐めながらやや高圧的な口調で言うと、忍はやや躊躇しながらも言われるままに身体を反転させ、手と膝を布団の上につく。身体を支える腕と脚が小刻みに震える。いつまでたってもこの体制には羞恥を感じるらしいが、それを知っているからわざと促す。せっかくの色っぽい浴衣を全て剥ぎ取ってしまうのは勿体無くて、帯は解かないまままにしていた。裸体にからまる浴衣をそっと捲りあげ秘部を露にすると、忍の足が更に震えた。
 ちょっと悪戯心にかられ、忍が待っているであろう刺激ではなく、また指をゆっくりと入れていく。
「あ……や……っ!」
 忍は違うと言わんばかりに、ぎゅっとシーツを握り締め、身を捩る。襲ってくる刺激に、唇をかみ締めてぎゅっと目を閉じた。
「光流……もう……っ」
「もう?」
「入れ……て……っ」
 震える声。少しずつ開かれる足が、早くとねだっている。
 今自分がどれだけ痴態をさらしているのか、もう本人に自覚はないだろう。
 光流もまた沸き起こる興奮を抑えきれないように、忍の上に覆いかぶさる。が、ふと思い出したように「あ」と口を開いた。
「やべ、ゴム持ってねぇ」
「いい……から……っ!」
「えー、でも」
 最初からつけるつもりなどないくせに、わざと焦らして先端を秘部に押し付ける。
 欲しくて疼いているそこは、淫らな液で濡れぼそり、ヒクヒクと痙攣している。
「早く……っ」
「おまえ……エロすぎ」
 光流は興奮を抑えきれない表情でそう言うと、グイと乱暴に忍の細い腰を掴み引き寄せ、押し付けていたものを一気に中に押し込んだ。忍が背を反らせ、その口元から一筋の唾液が顎に伝った。更に奥まで進むと、求めていたそこはキツく締め付けてきて、光流は眼を閉じ余裕がなくなるのを感じながら動き始める。
「あ……あぁ……あっ!!」
 もう手で支えてるのも辛いらしく、忍は上半身を倒して揺さぶられるままに快楽に没頭した。
 光流は激しく腰を打ちつけながら、握り込んだ前にも刺激を与える。そうすると更に強く締め付けられ、光流のこめかみから汗が流れ落ちた。
 もう自制はきかなかった。ひたすらに忍の身体を貪り、ラストに向けて激しく動く。濡れた音が響き渡り、忍の太股に液が伝う。
「あ……イく……っ、だめ……っ!!」
「く……っ」
 瞬間、きゅっと絞るように締め付けられ、光流が低い声を漏らすと共に、忍もまた限界に達した。
 欲情を吐き出した後の恍惚に浸りながら、光流は強く忍の身体を抱きしめる。
 荒く息を乱し布団の上に突っ伏した忍は、濡れた瞳でぼんやりとした壁を見つめた。
 ふと顎を捕らえられ、熱い唇が重なってくる。
「すげ……良かった」
 繋がり合ったまましばらく快楽の余韻に浸る光流とは裏腹に、忍は一瞬にして現実に戻り額に青筋をたて、低い声で言い放った。
「……で、この後どうするんだ?」
 即座に光流が顔をひきつらせる。
「だっておまえが出していいって~」
「誰も中に出していいなんて言ってない!!」
「ご、ごめんなさい~!!!」
 いくつになっても考えなしの光流に忍は腹をたてるが、汚れた布団と浴衣はもうどうにもならないのであった。
 
 
「光流先輩っ、もう本気でいいかげんにして下さいね!!」
「だから悪かったって! 責任は俺がとるって言ってんだろ!?」
「一緒に仕事してる以上、先輩一人の問題じゃないんです!!」
 酔いも回っているせいかいつもより強気な蓮川に、光流はまるで言い返せない様子でひたすらに頭を下げるが、まあ当然であろう。
 そうこうしている内に蓮川が酔い潰れ、疲れ切った様子で光流が大きくため息をついた。
「なんか俺、最近こいつに怒られてばっかな気がする」
「そりゃ今回はどう見たって光流先輩が悪いよ」
「わーってるよ、だからさっきから謝ってるだろ!?」
「だったら僕にも謝ってくんない?」
「え……何でだよ?」
 きょとんとする光流をよそに、瞬は既に布団に横たわって眠っている忍にチラッと眼を向けて、小さくため息をついた。
 何故に忍がそこまで疲れているのかは、もはや考える余地も無い。
「僕は今日ほど光流先輩をズルいと思ったことはないよ」
「あ?」
 ひたすらうなだれるばかりの瞬の言葉に、光流はただ首をかしげるだけだった。