キセキ<前編>
トクン・トクン・トクン。 同じリズムで繰り返される、優しい音。
暗くて、暖かくて、心地良い。
ずっとこの場所にいたい。外になんて、行きたくない。だってきっと、外は怖いところだから。
(大丈夫……)
(大丈夫よ、何も怖くないから)
(だから安心して、会いに来て)
誰かが呼んでいる。
呼んでいるから、行かなきゃ。
本当は、まだ少し、怖いけれど。
会いたい人が、いるから。
頑張って、勇気を出して。
外に出るんだ。
「少し小さいけど、元気な男の子ですよ」
(やっと……会えたね)
暖かい声。あの場所にいた時と同じ、優しい音。
大丈夫。ここは怖くない。
この人が、そばにいるから。
しっかりと、抱きしめていてくれるから。
だからもう……怖くない。
(会いたかったわ)
(……くん)
(……ぶ……くん)
「忍くん!!」
突然耳元に響いた声に、ハッと忍は目を見開いた。
「おはよっ」
目の前のよく見慣れた顔に、途端に忍は不機嫌そうな眼差しを向けた。
身体が妙にダルい。理由は分かっている。
「重い、どけ」
朝っぱらから絡みついてくる光流の身体を押しのけようとするが、光流は離れるどころかぎゅっと忍に抱きついたまま、唇に触れるだけのキスをした。
毎日毎日、過剰なまでの光流のスキンシップに、忍はもはや呆れるしかない。昨夜だって嫌というほど抱き合ったのに。
「どけって、いいかげん……」
「いいじゃん~、もうちょっとこうしてたい」
「……どけ」
我慢の限界だというように、忍は甘えるように擦り寄ってくる光流の腹にドカッと蹴りを入れた。
「ぐわっ!!」
光流は突然の激痛に、床に突っ伏して肩を震わせる。そんな光流を無視して、忍は立ち上がると顔を洗うため洗面所に向かった。
顔を洗って洗面所の鏡を覗き込むと、首筋に赤い印がくっきり浮かび上がっていて、忍は額に青筋をたてた。
(何でいちいちキスマークつけるんだ……っ)
しかもこんな目立つ場所に。
が、言ったところで無駄だということは分かりきっている。もっと強く蹴ってやれば良かったなどと思いながら洗面所を出ると、光流は蹴られたことなど全く気にしてない様子でいそいそと朝食の準備をしていた。
最近、光流は妙に早起きだ。以前は忍より早く起きていることなど滅多になかったのに、どういった心境の変化かは知らないが、大抵忍より早く起きて身支度もきっちり整えている。
「俺、今日バイトあっから遅くなるな」
「ああ」
とりとめのない話をしながら朝食を平らげ、大学に向かう準備を始める。
玄関を出ようと靴を履いたら、不意に背後から抱きつかれて、忍は目を据わらせた。
「おまえな……」
「……好きだよ、忍」
耳元で、優しく囁かれる。けれど忍は、何故だか急に違和感のようなものを感じて、咄嗟に振り返って光流の顔を見つめた。「何?」と言った光流の表情は、いつもと何も変わらない。変わらないのに、どこか違う。けれどどこが違うのか、ハッキリとは分からなかった。
一瞬だけのキスの後、光流がさっさと玄関のドアを開いて外に出た。
何かをはぐらかされた気がした。
「光流!」
「……何だよ、早く行かないと遅刻だぜ?」
やはりいつもと何ら変わりない様子で、光流はそう言って忍に背を向けた。
こんな時、忍は光流のことがまるで分からなくなる。尋ねる隙を決して与えてくれないこんな光流の姿は、決まって大切なことを隠している時だと分かるのに、どんなに問い詰めても決して応えてはくれないことを知っているから、何も言えなくなる。
(ダメだ)
急激に、悔しさにも似た想いにかられ、忍は光流の後を追いかけて腕を掴んだ。
一瞬、光流が苦痛の色を浮かべた。そんなに強く掴んでいないはずなのに。おかしいと怪訝に感じ、忍は光流の服の袖を今掴んだあたりまで捲り上げた。 そして大きく目を見開く。
「光流、これは……!」
手首と肘の中間くらいに、火傷の跡があった。まるで煙草を押し付けられたかのような。
「あー……昨夜、酔っ払いに絡まれて乱闘になっちまって。大丈夫だって、俺の回復力の高さは知ってるだろ?」
光流は苦笑しながらそう言うと、そそくさと袖を元に戻し、くるりと忍に背を向けて歩き出す。
(喧嘩……?)
本当に、そうなのだろうか。忍は眉間にしわを寄せた。
けれどそう言われれば、光流が怪我をして帰ってくるなど日常茶飯事だ。困ってる人や厄介ごとを放っておけない光流は、何かというと揉め事に巻き込まれては挙句乱闘になって、だから怪我なんてまったくもって珍しいものではない。
「無駄なことに関わるなと、いつも言ってるだろう?」
忍は光流の横を歩きながら、怒った風に言い放った。
いつかこのお節介で身を滅ぼすのではないかと、気が気でないのも確かだった。一緒に行動していれば助けることも出来るが、見えないところでは手の出しようもない。
「なに? 一応心配してくれてんの?」
光流は飄々とそんな言葉を口にした。忍は鋭い視線で睨みつける。光流が苦笑した。
「ごめんって、気をつける」
そう言いながらまるで反省していないように、光流は笑って忍の肩に腕をかけた。
ビデオレンタル店でのバイトを終え、深夜のあまり人気のない駅前を歩く光流の前に、数人の男が立ちはだかった。
「いいかげん、しつけーよ。何度来られても、俺は諦めないぜ?」
体格の良いリーダー格の男に、光流は不遜な笑みを向けた。
突然、胸倉を掴み上げられる。光流より遥かに体格の良いその男は、口に煙草をくわえたままニヤリと笑った。
「しぶてぇ奴だな、てめぇも。いい根性してやがる。けどこっちも、仕事ってもんがあるからなあ?」
一瞬の威嚇の後、男は光流の頬に盛大に拳を放った。
激しい衝撃に、光流は地面に投げ出され、電柱に強く背を打ちつけた。
しかしすぐに立ち上がり、すかさず襲いかかってくる男たちに、次々と拳を放つ。幼い頃から場数を踏んでいるだけあって、そう簡単にやられる光流ではない。それでも多勢に無勢、おまけに昨夜の傷もまだ癒えていない。あまりに分が悪すぎた。
雑魚を蹴散らしたは良いが、派手な柄のシャツを着た大柄の男に壁際まで追い詰められ、みぞおちに思い切り蹴りをくらって、光流は地面の上に膝をついた。
隙をつかれ、一人に両腕を背後でがっちり押さえつけられる。身動きとれなくなった光流の前に、リーダー格の男がくわえたタバコを右手に持ち直し、火のついた方を光流の目の前まで近づけた。
「そろそろギブアップしたらどうだ? このままじゃ、ホントに殺されるぜ? お偉いさんの手にかかれば、てめぇみたいな一般庶民なんてあっという間に海の底よ」
「誰がギブアップなんかするもんかよ、この程度で」
男の脅しに、しかし光流は少しもひるまない鋭い眼光を男に向けた。
「く……ぁ……っ!!」
刹那、額に煙草を押し付けられ、激痛に光流が顔を歪ませた。
「顔ならすぐ回復すっだろ? この化け物が」
「回復するっつっても、しっかり痛みはあんだよ……っ」
猛烈な怒りに身を任せ、光流は力を振り絞って自分を押さえつけていた男を振り払い、目の前の男に拳を放つ。しかしあっさり片手で防御され、逆に思い切り頬を殴りつけられ、またも地面の上に突っ伏した。
「今日はこのくらいにしてやる。惜しい男だな、上からの命令でなけりゃ、すぐにでも仲間にしてるんだが」
「誰が……ヤクザなんかになるかよ……っ!!!」
威勢の良い光流の目つきに、男はニヤリと楽しげに笑みを浮かべ、光流に背を向けて立ち去っていった。
「……ってぇ……」
口から流れた血を袖で拭いながら、光流はのろのろと立ち上がった。
とりあえず怪我をしたのが顔で助かったとだけ思う。顔面回復機能があってつくづく良かった、などと、しかし悠長に思っている場合ではない。
これで何度目になるか分からない忍の父親からの脅しに、いつまで忍に隠し通せるか、まるで自信はなかった。
勘の鋭い忍が、今朝のようにそう何度も光流の怪我を見過ごすハズがない。それを分かっているから、光流は必死で隠そうと、忍の前では傷つけられた身体を見せないよう極力努力してきた。一番の問題は身体を重ねる時だったが、そこは目隠しプレイだの服を着たままが良いだのと適当に理由をつけ、嫌がっても半ば無理やりにという手段に出て今まで何とかバレずにきたが、そろそろ限界を感じていたのも確かだった。
以前はある程度時間を置いてだった脅しが、このところ頻繁になってきている。
いいかげん、忍の父も業を煮やしているのだろう。
(どうすれば……)
光流は小さく息をついた。
ただ黙ってやられているだけでは、なんの解決にもならない事は分かっている。たとえ死んでも屈するつもりなどないし、忍のことを手放すつもりもない。
けれど、もし忍がこんなことを知ったら……。
忍は間違いなく、手塚家に戻ろうとするだろう。光流を守るために、何の躊躇もせずに、父の意思に従おうとするに違いない。
(力が……欲しい)
大きな権力を前に、どうすることも出来ない自分の小ささがたまらなく悔しくなって、光流は強く拳を握り締めた。
信じられないほどに、何も出来ない無力な自分。
どうしたら奪えるのか、あの父親の手から。
考えれば考えるほどに、自分の無力さを思い知らされるだけだ。
あの暴力団の一員の言う通り、何の力も持たない一般庶民の青年一人消すことなど、手塚家の頭首にとっては造作もないことだろう。そうまでして、我が息子を手放したくないのか。なぜそこまで忍に執着するのか。
決まっている。それほどの才能を忍が持ち合わせているからだ。そしてその類まれな才能を、平凡なだけのつまらない男に奪われるなど、決してあってはならない事だからだ。
けれど、それならば、忍自身の意思は何も尊重されず、ただ無残に消されてゆくだけなのだろうか。
(そんなこと、させねぇ……!!!)
忍は、手塚家の道具などではない。ただ一人の人間だ。
傲慢で、自尊心が高くて、恐ろしいほどの才能に満ち溢れたその一方で、凄く寂しがりで、本当は甘えたいくせに一生懸命我慢ばかりして、泣きたくても泣けなくて、どうしようもなく不器用で。そんな、ごく普通の一人の人間に過ぎない。
だからこそ光流には許せなかった。
忍の心などまるで無視し、ただ手塚家の繁栄のためだけに息子を利用しようとする、忍の父が。
絶対に忍は渡さない。
そう硬く心に誓いながら、光流は血の滲んだ口元を袖で拭った。
大学の講義を終えて自宅へ帰ろうとする忍の前に、一人の男が立ちはだかった。ブランドスーツに身を包み、一見穏やかそうに見えるが、眼鏡の奥に意思の強そうな瞳を宿した、端正な顔立ちをしたその男を前に、忍は大きく目を見開いた。
「お久しぶりです、忍様」
「三島……」
三島と呼ばれた男は、人当たりの良い微笑を忍に向けた。
三島高幸。その昔、父の秘書を勤めていた男で、現在は若き政治家として第一線で活躍している。
忍が彼に会うのは、もうずいぶんと久しぶりのことだった。最後に会ったのは、高校に入学する以前だろうか。できれば一生会いたくなかったその人物を前に、忍は無表情に目の前に運ばれた紅茶のカップを口元に運んだ。
「ずいぶんと大人になられましたね。私のこと、覚えておいでですか?」
「当然だろう」
にこにこと微笑みながら観察するように凝視してくる三島を、忍は鋭い視線で睨みつける。
忘れるはずなどない。幼少時から教育係として常にそばにいて、数々の帝王学を叩き込まれた男だ。いくら優しい微笑を目の前で浮かべていたとて、彼の本性は嫌というほど知っている。彼の要望に添えなければ容赦なく抑え付けられたあの頃の屈辱を、どうすれば忘れられるのかと恨み言の一つでも述べたい気分だったが、述べたところで意味のないことだということも分かっているだけに、ひたすら沈黙するより他はなかった。
そんな忍を相変わらず面白がるように見つめたまま、三島は口を開いた。
「先生に伺いましたよ。なんでも男と同棲なさってるとか?」
あまりに直接的な三島の言葉に、忍の表情が一瞬凍りついた。
「いやあ、驚きましたよ。まさかあなたが男と駆け落ちしたいがために、先生に逆らうとはね。男と駆け落ちしたいがために」
やたらと「男と駆け落ち」を強調する三島に、忍は小さく肩を震わせる。
「誰が駆け落ちだ……っ」
そんなことをしたつもりは毛頭ないし、これからもするつもりはない。
父に素行調査をされているであろうことは承知の上だったが、やはりそこまで調べられていたかと、忍は心の中で深くため息をついた。
「それで、父に俺を説得しろと言われて来たのか?」
「先生直々の頼みとあれば、断るわけにはいかないでしょう。そういうわけですから忍様、すぐにその男とは縁をお切りなさい」
「断る」
父に従う数々の有能な秘書の中でも最も有能であった三島の、貫禄ある高圧的な物言いに、しかし忍は少しも怯まず言い切った。
「あくまで男と駆け落ちなさると?」
「その言い方はやめろ」
またも忍は肩を震わせる。三島が明らかにからかいの意味を含めていることに、憤りを感じずにはいられない様子だ。
そんな忍を前に、三島はあくまで冷静な態度で鞄の中から取り出した書類に視線を落とした。
「池田光流。寺の長男だが養子のため跡は継がず、現在は大学に通いながら、生活のためバイトに励む苦学生。現在のバイト先はコンビニ時給830円。ファミレス時給790円。レンタルビデオ店時給800円。を掛け持ち。たまに単発で引越し屋のバイト時給850円」
「なんなんだ、そのどうでもいいやけに細かいデータは……っ」
調べる方向性が明らかに間違っているかと思われる三島のデータに、忍はすかさずつっこむが、三島はわざとらしく深いため息をついた。
「目を覚ましなさい、忍様。こんな時給800円しか稼げないような男と一緒になったところで、苦労するのは目に見えているでしょう。あなたのような苦労知らずのお坊ちゃんが、こんな時給800円の男と駆け落ちしたところで、後悔するだけですよ。今ならまだ引き返せます、どうか考えを改めていただけませんか」
「時給800円はどうでもいいだろう……っ。なにも俺だって働かないわけじゃ……」
「こんな時給800円の男のために、あなたが身体を張って稼ぐというのですか!? 手塚家のご子息ともあろうお方がなんて嘆かわしいっ!!」
「妙な言い回しをするなっ!」
完全に遊んでいる様子の三島に、忍はいいかげん耐え切れず声を張り上げた。
しかし三島は演技がかった態度を崩さない。眉間に人差し指をあて、またも大きくため息をついた。
「まったくあなたは、昔からちっとも変わってませんね。類まれな賢さでありながら、突然とんでもない事を言い出したりしでかしたり、おかげで私はどれだけ苦労させられたか」
そう言って、三島は目頭に涙さえ滲ませながら言葉を続けた。
「真冬にスイカが食べたいなどと言い出すあなたのために、足を棒にして一日中スイカを探し回ってやっとの思いで私が買って帰ったスイカを一口で「飽きた」と言い放ったり、小学校のテストで連続100回満点とったご褒美に何が欲しいと尋ねたら私の髪の毛が欲しいと言うので、不思議に思いながらも差し上げたら次の日動けなくなってたり、たまに珍しく大人しくしてると思ったら髪が伸びる人形と会話してたりと、もうこのクソガキ何度ぶっ殺してやろうかと思ったか……」
「一秒笑顔が崩れたという理由で竹刀1000回素振りさせるようなやつに言われたくない……っ!!」
いつかぶっ殺してやろうと思っていたのはこっちだと言わんばかりに、忍も怒りを露にする。
「だいたい何です!? 良家のご子息ともあろうお方が、そのユ○クロ最安値の趣味の悪い柄シャツは!!」
「これは俺のじゃない!! 最近雨続きで洗濯できなくて他に着るものなかったんだ!!」
「あなたが洗濯!! そうやってこれからも男のパンツ干すために、約束されたホワイトカラーの道を捨てると仰るのですか!?」
「パンツ干すために捨てるわけじゃない!!!」
いいかげんにしろとばかりに、忍は椅子から立ち上がってバン!!!と強くテーブルを叩いた。
ようやく三島が口を閉じ、しばし忍を見つめた後、三島も立ち上がって鞄を手にした。
「そうですか、ならば私ももう何も言いません。あなたは一度こうと決めたら、どれだけ脅そうがしばき回そうが絶対に屈しない頑固な方でしたからね。いくら説得したとて無駄だということは分かっています。しかし、あなたが考えを変えない限り、あの池田光流という男がいつまで無事でいられるか保障はしませんよ」
三島の言葉に、忍は目を見張る。
「どういう意味だ?」
「おや、あなたともあろうお方が、ご存知なかったのですか? 池田光流という男、既に先生の指示によって何度も暴行を受けてるはずですよ」
そう言って、三島はきびすを返して忍に背を向けた。
「悪いことは言いません、すぐにご自宅にお戻りなさい。あなたが本当にその男を愛していると言うのなら」
さっきとはうって変わった冷たい口調で言うと、三島はレシートを持って勘定を済ませ、喫茶店をあとにした。
見送る忍の肩が、わずかに震えている。
(暴行……!?)
咄嗟に忍は思い出した。
あまりにも不審な光流の腕の火傷の跡。
ドクンと大きく心臓が跳ね上がり、忍はすぐにその場から足を急がせた。
「光流……っ!!」
「あ?」
忍が何やら切羽詰った形相で帰ってきたと思ったら、いきなりTシャツの裾をガシッと掴まれ、光流は目を丸くした。
そして思いっきり裾を捲り上げられ、光流は慌てて忍から身体を離す。
「わ……っ、何なんだよ急に?!」
「いいから見せろっ!!」
「ストーップ!! 落ち着け忍っ!! ヤりたいのはよく分かったから!! 今すぐしてやるから!!!」
「違う馬鹿っ!!」
あくまで逃げようとする光流の肩を無理やり抑え付けて飛び掛り畳の上に押し倒し、容易に逃げられないように上に乗っかると、忍は光流のシャツをまくりあげて素肌を露にした。
見覚えのない幾つかの傷跡を前に、大きく表情には出ないが明らかに驚愕を隠せない目をする。
「どうして……言わなかった!?」
忍の怒りに満ちた声に、光流は焦りを隠せない様子で、忍から視線を逸らす。
「いや……言うつもりではいたけど、タイミングが……。でも、たいしたことされてねーって」
煙草まで押し付けられて、いったいどこがたいしたことないと言うのか。
忍はいきなり立ち上がり、震える声を放った。
「いますぐ実家に行ってくる」
「待てって!!」
光流は即効で家を出て行こうとする忍の肩を掴み引き止めるが、忍の切羽詰った表情は変わらない。
「……分かった。ごめん……黙ってて」
光流はややうなだれたかと思うと、急に忍の腕をガシッと掴んで、近距離まで顔を寄せた。
「よし、今すぐ一緒におまえの実家に行こう! 俺も覚悟を決めた!!」
何か物凄い決意を胸に抱えている様子の光流を目前に、途端に忍の表情が一変して冷静なものへと形を変えた。
「なんの……覚悟だ?」
「決まってるだろ! お義父さんに認めてもらえるまで、俺はぜってぇ諦めねぇぞ!! 二人で頑張ろうぜ!!」
しっかり両手を握られるが、忍はあからさまに引いた様子で、光流の肩をポンと叩いた。
「いや……俺一人でなんとかするから、おまえはここで待ってろ」
一瞬にして、光流が父に土下座しながら「忍君を僕にください!」と言い張る姿が頭によぎり、忍はそれだけは勘弁してくれと心の中で絶叫する。そんなこっ恥ずかしいシチュエーションに耐えられる忍ではなかった。
「何でだよっ!? おまえ一人でどうにかできる問題なのか!?」
「だからっておまえが行ったところでどうにもならないだろう」
「んなことねぇ! 二人で力を合わせれば出来ないことなんてあるか!!」
「俺たち二人だけじゃ、世の中できないことだらけだぞ」
「何でてめーはそう冷めてんだよっ!!」
「おまえが無駄に熱すぎるんだ」
忍はあくまで冷静に言い切った。
「とにかく、一度父と真剣に話し合ってくる。俺の気持ちは決まってるんだ、だから心配するな」
「……でも、万が一、もう俺と二度と会えないように自宅に監禁されたりしたら……!!」
「おまえ変なドラマ見すぎだ」
忍が目を据わらせる。
「いや、あの親父ならやりかねねーって!!」
「……俺の親父に会ったことがあるのか?」
ピクッと忍の眉が形を変えた。
以前に一度だけ手塚邸に呼び出され忍の父親と言い争ったことを、今の今まで忍に隠していた光流は、しまったという表情を隠せない。
「いや……前に、一度だけ……」
「それでまさか「忍君を僕にください!」なんて言ったんじゃないだろうな、貴様は」
「え……あ……いや、まあ、似たようなことは言ったかも……?」
途端に忍の頬がカッと赤く染まった。
はっきり言って最悪以外の何ものでもない様子である。
「いやでもホントに、あの親父ならやりかねねーって。だからやっぱり、俺も一緒に行く。ダメって言っても絶対聞かねえ!」
突然、光流は真剣な目をして忍を見据えた。
「光流……」
忍もまた、光流に真剣な目を向ける。
光流がこんな顔をしたら、何をどう言っても聞かないことは解っている。
しかし。
「すぐに戻ってくるから」
やはり忍には無理というものだった。
二人一緒に父の前で関係を告白するなど、そんな恥ずかしいことをするくらいなら自害した方がマシくらいに、忍にとってはあり得ない現実である。
「忍~~~……っ」
そんな忍とは真逆に、光流はいいかげん覚悟を決めろと言わんばかりに肩を震わせた。
「俺と一緒に生きてくつもりなんだろ!? だったら一緒に困難を乗り越えようと思うのが普通だろ!?」
「だからって出来ることと出来ないことがある!!」
「なんでそう見栄っぱりなんだよ、てめーは……っ」
どこまでいっても平行線の話し合いにいいかげん疲れてきて、二人そろって口を閉ざし、しばらく沈黙が続く。
「……頼む光流、必ずすぐに戻ってくるから、おとなしく待っていてくれ」
先に譲歩したのは忍の方だった。
光流は納得いかないながらも、忍の真剣な表情に、仕方ないように小さく息をついた。
「絶対、絶対絶対絶対、すぐ戻って来いよ?」
忍の肩に手をかけ、光流はまっすぐに忍の目を見つめて言った。
互いの気持ちを確かめ合うようにしばし見つめ合い、そしてどちらからともなく、そっと顔を近づけていく。
わずかに唇が触れたその時だった。
「忍様、お迎えにあがりました」
突然の声に、二人は思いっきり目を見開き、慌てて体を引き離した。
声の主は三島だった。いったいいつの間にこんな間近までいたのか、まるで気配を感じなかった二人だが、三島は不法侵入などなんのその、ニコニコと微笑んで二人を見つめる。
「貴様……っ、いつの間に……!!」
「私の気配に気づかないなど、鍛錬を怠っている証拠ですよ、忍様」
「だ、誰だてめぇは!?」
光流が見知らぬ男に向かって声を大きくしたと同時に、三島は眼鏡をキラリと光らせて光流を睨みつけた。
「出たな、時給800円の男!」
「あ!?」
突然現れてわけのわからないことを言い出す三島に、光流は思い切り眉をしかめる。
「君が池田光流か。なかなかに軽薄そうな顔立ちで頭も悪そうだが、気に入った」
「全然褒めてねーよっ!!」
「今すぐ一緒に手塚邸に来たまえ」
三島のその言葉に、光流は目を見開いた。
「え……いいのか!?」
「忍様を愛しているのだろう? だったら男らしく、覚悟を決めたまえ。今すぐ手塚邸に乗り込んで忍様のお父上の前で土下座して「忍くんを僕に下さい!!」と叫ぶがいい!!」
「貴様、完全に楽しんでるだろう!?」
どう見ても遊んでいるとしか思えない三島の言葉に、忍は怒りを隠せないが、三島も光流もまるで聞いちゃいなかった。
「誰だか知らねーけど、あんた話分かる奴じゃねーか!やるぜ俺は!」
「おやりなさい!! 心行くまで存分に!!」
「やらんでいいっ!!!」
何故か異常に息の合う二人に、忍はあくまで拒否反応を示すが、やはり二人は聞いておらず、共にさっさと家を出て行ってしまったのだった。
車に揺られながら、忍はもはやつっこむ気も失せるほどに意気消沈し、ただひたすら窓の外を眺めるが、光流と三島は延々と喋りっぱなしだった。
「へぇ、教育係。金持ちの家ってやっぱすげーな」
「金持ちの中でも手塚家はかなり特殊ですけどね」
「あ、やっぱり? 渚さんやこいつ見てたら、分かる分かる。とりあえず普通じゃねーってのは」
「あなたも変わり者ですね。なんでよりによってこんな化け物に恋しちゃったんですか? あなたなら、他に素晴らしい女性がたくさんいたでしょうに」
「それを言われると辛いなー、あはははは!」
「完全に人生棒に振りましたねー、あははははは!」
あくまで能天気かつ、忍にとっては無礼極まりない会話に、忍はふるふると拳を震わせる。しかしもう何もつっこむまいと、あくまで無視を決め込んだ。こいつらに何を言ってももはや無駄でしかないと悟ったようである。
とにかく早く実家に帰って、即効で父に勘当してもらおうと考えながら、もうこの二人の会話は何も聞くまいと精神統一する忍であった。
長い時間をかけてようやく手塚邸にたどり着いた忍と光流と三島は、客室に3人そろって正座しながら、忍の父を待つ。
忍は今すぐこの場から逃げ出したい衝動を必死で抑えながら、一刻も早く決着をつけてこの家から去ろうと決意する。が、隣二人の闘志漂う異様な空気に、嫌な予感を抱かずにはいられなかった。
数分後、スッと客間の障子が開き、和服に身を包んだ忍の父、朔太郎が姿を現した。
貫禄ある雰囲気を漂わせ、机を挟んで3人の前に腰を下ろす。
咄嗟に忍が口を開いた。
「お父さん、僕を今すぐ勘当……」
「お義父さん! どうか忍くんを僕に下さい!!! 僕たち本気で愛し合ってるんです!!!」
「先生!! 忍様は真剣です!! この男を真っ剣に、心の奥底から、それはもう死を厭わないほどに愛してらっしゃいます!! どうか認めてやっては下さいませんか!?」
即効で嫌な予感が当たり、忍はわなわなと肩を震わせた。
しかし厳格な父が、こんな茶番劇に付き合うはずはないだろうと、父の冷静な反応を期待したその時。
「誰が認めるかぁぁぁぁ!!!!!!」
派手な音をたてて目の前のテーブルをひっくり返し、朔太郎が怒声を張り上げ、忍は目を大きく見開いた。
「忍は渡さん!! 貴様のようなチャラ男になど絶対に渡さん!!!」
いつも冷静沈着で落ち着き払った父の姿しか見た事の無い忍は、初めて見る父の激情を露にした姿に、動揺を隠せない様子だ。
「どんなに反対されようとも、僕たちは離れません!! そうだろ!? 忍!!!」
「え……あ……」
「忍様!! 言っておやりなさい!! 僕は彼を愛しているんです、彼に一生を捧げる覚悟です、と!!! それを言いたくてここまで来たんでしょう!?」
「そうだ忍!! 俺たちの愛は永遠だぜ!!!」
「おまえら……いいかげんにしろっ!!!!!」
あまりにも行き過ぎた二人の態度を前に、ブチッと血管の切れる音と共に、忍は思い切り光流の頭を拳で殴りつけた。
光流が畳の上に突っ伏したその時、障子がスッと開いた。
「まあ騒々しいこと、いったい何の騒ぎですの?」
姿を現したのは、忍の母、佐和子だった。
「あら忍さん、おかえりなさい。三島、ご苦労でしたね」
「佐和子様、お約束通り、お二人を連れて参りました」
三島が突然、礼儀正しい態度に一変して、正座して佐和子に頭を下げた。
「どういうことだ佐和子、おまえがこの池田光流という男を呼び寄せたのか?」
朔太郎が怪訝そうな顔をして佐和子に尋ねた。
忍もまた目を見張る。
「ええ、直接お話したいことがあって。あなたも今一度、息子達と冷静に話し合って下さいませ。いつまでも手塚家の長男を無視されては、親族に示しがつきませんでしょう?」
そう言った佐和子の背後から、またも見慣れた姿が現れた。忍の兄、旭だった。
「忍……」
「兄さん……」
二人の間に、一種異様な空気が漂う。
「池田さん、少しよろしいかしら? 三島も、席を外しなさい」
「は、はい……っ」
光流は慌てて立ち上がり、チラリと忍と旭に目をやって、部屋を出ていく佐和子の後を追いかけた。
忍の目は、あくまで旭に集中していた。
初めて目の前にした忍の兄、旭もまた、光流にとってはずいぶん意外な印象だった。
一見怖そうではあるが、瞳の奥に優しさを宿している人だった。きっと心の優しい人なのだろうと、光流は一瞬にして理解した。
別の和室に通され、向かい合わせに正座をした佐和子が、畳の上に手をついてゆっくりと丁寧に頭を下げる。光流は目を大きくした。
「主人がずいぶん酷い仕打ちをしたようで、申し訳ありませんでした」
幾度かの暴行のことを言っているのだと、すぐに光流は理解した。
「いえ、たいしたことないですから! 頭を上げて下さい!!」
深々と頭を下げる佐和子に、光流は慌てて言う。ようやく佐和子が顔を上げた。
相変わらず年齢を感じさせない清楚な顔立ちとまっすぐな視線に、やはり光流は戸惑いを覚えずにはいられない。そんな光流の緊張を和らげるように、佐和子がにっこりと微笑んだ。
「見かけによらず、根性がおありになって安心しましたわ。さすがは忍さんが選んだ殿方、これで安心して息子をお任せできます」
「え……でもまだ、お義父さんには……」
「案ずる事はありません。手塚家の跡取りは、長男である旭さんに決まっています。忍さんはもともと、気楽な三男坊だったんですのよ。それなのに変に才能に恵まれてしまったものですから、こんな厄介な事になってしまって」
そう言って、佐和子は深くため息をついた。
「それにしても、本当にあの子で良いんですの? あなたならもっと他に素敵な女性がたくさんいらっしゃるでしょうに」
三島とまったく同じことを尋ねられ、光流は思わず苦笑した。
この母にしても三島にしても、育ての親でありながら何故にここまで忍を蔑むのか。忍がいったいどういう育ち方をしたのか不思議でならない光流である。
「いやまあ、普段はともかくとして、あれで結構可愛いとこもあったりしますんで……」
「可愛い……。可愛いんですか……あの子が……」
何故か佐和子は真剣に不思議そうな顔をする。
「は、母親なら可愛いと思ったことくらいあるでしょう?」
「……生後三ヶ月くらいまでかしら、可愛いと思ったのは」
「へ?」
「だってあの子、ちっとも笑わないんですよ? それどころかほとんど泣きもしないんですよ? 生後3ヶ月の赤ん坊がひたすら沈黙してるか眠ってるだけで、ミルク半日あげるの忘れてたって一日オムツ変えるの忘れてたって、ぜんぜん平気なんですよ? そんな不気味な赤ん坊、見たことあります?」
「いや……あんまり関わったことないんで分かりませんけど……」
真剣に訴えてくる佐和子に、光流はまたしても苦笑する。
あの無表情は生まれつきだったのかと、心の中で呟く。しかし言われてみれば確かに、無表情な赤ん坊なんて怖い以外の何ものでもないかもしれない。
「姉の渚も、忍さんが生まれてくる前は本当に楽しみにしていたんですよ、弟か妹ができるって。生まれてからもずいぶん可愛がってましたけど、どんなに可愛がっても一向に笑わない弟に、次第にあの子も可愛がる気も失せてきて。それどころか、たまに一点を見つめて不気味にニヤリと笑ってる弟を見て、どんどん恐怖心を募らせていって……おかげであんな人格破綻者になってしまいましたわ」
「は……はは……」
なるほどそういう理由か、と光流は妙に納得していた。
「物心ついてからも泣きも笑いもせず、当然甘えることなんて一切なくて、珍しく笑ってると思ったら見えないお友達とお話している忍さんを見ていたら、私もこの子にはきっと何か悪いものが取り憑いているのだと育児ノイローゼになりかけたこと数知れず」
佐和子の話を聞きながら、光流は目に涙が滲むのをこらえきれなかった。
なんでそんな化け物好きになったんだ自分、と心の中で自分につっこむが、時既に遅しである。
「池田さん、どうかあの子をよろしくお願い致します。あの子を愛せなかった私のぶんまで!」
「あー……そりゃ愛せないですよね~……分かります~」
涙を滲ませながら、光流は言った。
っていうか何で愛したんだ自分、とひたすら自分につっこむが、いまさら悔いてもどうにもならない。
「で、でも、あのお義父さまがすんなり忍を手放してくれるとは思えないんですが……」
遠慮がちに光流が尋ねると、佐和子はにっこりと微笑んだ。
「それなら心配には及びません。今日は長旅でお疲れでしょうからゆっくりお休みになって、大事なお話はまた明日にいたしましょう。客間に部屋を用意させますから、お待ちくださいね」
「はあ……」
妙に自信たっぷりの佐和子の口調、光流は頷くより他はなかった。
「お部屋はやっぱり、忍さんと一緒の方がよろしいかしら?」
「え……あ……それは、まあ……」
耳まで真っ赤になる光流に、佐和子はクスリと笑みを浮かべ、部屋を後にしたのだった。
「お父さん、どうか僕からもお願いします。忍を自由の身にしてやって下さい」
父の前に正座し、深々と頭を下げて口を開いた旭に、忍は驚愕を隠せない瞳を向けた。
「ならん! おまえのような脆弱者に、手塚家を背負えるはずなかろう!? 対面上、手塚家の跡取りはおまえに一任するしかないが、おまえ一人では心もとない。忍にはおまえの手足となって働いてもらう。そうすれば手塚家は安泰だ」
「そうやって……忍に裏で汚い真似をさせるつもりなんですね」
旭はそう言って、膝においた拳を震わせた。
「けれどそんなことはさせません。もう、あなたの言いなりにはならない……!! 僕達はあなたの道具ではありません!!」
怒りを露にし、父をまっすぐに見つめ言い切った旭に、忍は驚かずにはいられなかった。
これまで父にいっさい逆らうことなく、ただ萎縮することしか出来なかった兄が、自分のために父と向き合うその姿に、ただ胸打たれる想いだった。
「黙れ!! 許さんと言ったら絶対に許さん!!」
しかし朔太郎は、頑として強固な態度を崩さない。
「良いか忍、あくまであの男と駆け落ちするつもりならば、あの男に薬の一本も打って刑務所に送り込むことなど、私には容易いことだということをよく覚えておけ」
容赦ない口調でそう言うと、朔太郎は客間を出て行ってしまった。
父の言葉に、さすがに忍も肩を震わせずにはいられなかった。父のことだ、やると言ったら絶対にやる。そしてそれが父にとっては造作もないことだということを分かっているだけに、逆らえない自分の無力さがただ悔しいだけだった。
「忍……大丈夫だ、父は必ず俺が説得する。だからおまえは、自分の信じる道を生きろ」
不意に旭が口を開いた。
「兄さん……」
忍は旭に目を向けたが、旭の優しい瞳に見つめられた途端、思わず視線を逸らしてしまった。
話したいことや伝えたいことが胸のうちに渦巻いているのに、うまく言葉にできない自分に、苛立ちばかりを感じながら。
カタンと竹の鳴る音が響き渡り、静寂ばかりが辺りを包み込む。
丁寧に布団が二組並べられた薄暗い和室に身を置きながら、寝巻き用の浴衣を身に纏った忍は、ひたすら気恥ずかしい想いでうなだれる。一刻も早く決着をつけて事態を終わらせたいのに、いったい何故こんなことになっているのか。
「しっかしすげーよな、おまえん家。部屋、いくつあんの?」
同じ浴衣に身を包み、布団の上で胡坐をかく光流が部屋中を見回しながら言った。
「どうでもいいだろう、二度と来ることのない家だ」
「……おまえさ、少しは親に認めてもらう努力ってもん、したらどうだよ? 縁切ることばっか考えてねーで」
光流がやや呆れた風に小さくため息をつく。
「なにをどう認めてもらえと言うんだ、何も分かってないくせに余計な口を挟むな」
しかし忍はあくまで冷徹に言い放った。途端に光流がムッと口をとがらせる。
「悪かったな、金持ちの家の事情なんて知らねーよ。でも、仮にも家族だぜ? そうアッサリと捨てられるものじゃねーだろ?」
「……捨てられたのは、俺の方だ。とうの昔に」
ふと、忍が小さく発した声に、光流は目を見張った。
「愛されたことなんて、一度もない」
その言葉に、光流は悲しげに目を伏せた。
そんなことはないと、言ってやれない現実が確かに目の前にある。その事実があまりに悲しすぎて、光流は自分の浅はかな台詞に自己嫌悪すると共に、そっと忍の肩に手をかけて、その身体を抱き寄せた。
「ごめん、忍……」
光流の右手が忍の頬をそっと包み込む。優しく撫でられる感覚に心地よさばかりを覚えながら、忍はそっと目を閉じる。
切なさにも似た口付け。もっと熱を感じたくて、自ら舌を絡ませると、柔らかく応えてくる舌の感覚が自然と身体を疼かせる。
もっと強く触れ合いたくて、忍は光流の首に腕を回してしがみつくように抱き寄せた。
「ふ……ぅ……っ」
舌への愛撫が徐々に激しくなり、唾液が顎を伝って流れ落ちた。
やがて唇が離れ、首筋から胸に光流の唇が伝う。寝間着の中に光流の手が潜り込んできて、指の腹でそっと太股を撫でられ、忍の頬が薄紅色に染まった。
少しばかり性急に寝間着の帯を解かれ、忍の裸体が露になる。
光流は鎖骨のあたりにいくつか跡を散らした後、唇を滑らせ、少し尖った乳首にやんわりと舌を這わせた。
「あ……っ……」
ピクンと忍の身体が小さく揺れる。
執拗に乳首を愛撫する光流の髪に自分の指を絡ませながら、襲いくる快楽のままに身を委ねる。光流の指が内股をなぞり、勃ち上がってる忍の自身に触れた瞬間、忍は光流の髪をぎゅっと掴んだ。
「んぅ……みちゅ……る……」
いつもの癖で思わず名前を呼んだその瞬間、ふと光流が愛撫の手を止めた。
「今……みちゅるって言った?」
なにやら笑いをこらえているような光流の声に、忍が咄嗟に頬を赤く染めた。
「い、言ってない……っ」
「嘘だ! 絶対みちゅるって言った!!」
「言ってない!!」
「言ったって!! やっべすっげー可愛い!! もっかい言って!?」
何故かやたらと興奮している光流を、忍は思いきり睨みつけた。
「言えって! 「みちゅるぅ、もっとして~」って」
「誰が言うかこの馬鹿!!!」
いいかげんにしろと忍は怒りを露にするが、光流は心底楽しんでいる様子である。
「えー、可愛かったのに。みちゅるって」
「いいかげんにしろよ……っ」
「んじゃ、「して」って言って? たまには可愛くおねだりしてみろよ?」
「おまえ本気で殺すぞ……っ!!」
耐え切れないからかいと羞恥の連続に、忍は本気で怒りを露にした。
光流は「ちぇっ」と仕方ないように舌打ちして、中断していた愛撫を再開させた。突然中心部を握られ、忍はぎゅっと目を閉じた。
そのまま上下に扱かれ、急速な昂ぶりに、シーツを強く握り締める。
「ん……あ……ぅ……っ」
あっという間に絶頂の波に襲われ、忍は身体をのけぞらせる。
しかし達しそうになった瞬間、またも愛撫の手を止められた。
「忍、「して」って言って?」
光流が楽しげに忍の耳元で囁いた。
それを早く言わせたいがために、性急に限界まで追いやったであろう光流の卑劣なやり方に、忍は悔しそうに目つきを鋭くするが、乱れた息が高められた熱を早く解放したがっているのは目に見えてとれる。
「もっとして欲しいんだろ? だったら早く言わないと自分が辛いだけだぜ?」
「この……卑怯者……っ!!」
「ほら、可愛くおねだりしてみろって」
「……っ……ぁ……!」
先走りの液で湿っている先端を指でこすられ、忍はクッと顎をのけぞらせた。
達せないように優しくなぞられては止められ、頭の中が溶けるような快楽に翻弄され、忍の目尻に涙が溜まる。
「も……早く……っ」
必死でこらえようとするが、どうしようもなく強い刺激が欲しくなって、忍は激しい羞恥に苛まれながら声を発した。
「し……ろよ……っ」
「可愛くだってば」
きゅっと先端をこすられ、耳まで赤く染まった忍の目尻から涙が零れ落ちた。
「し……て……っ」
「よしよし、上手にできましたね~、忍くん」
まるで子供をあやすような光流の口調に更に羞恥心を煽られるが、襲ってくる絶頂の波に呑まれ、忍は光流の首にぎゅっとしがみついた。
「あ……あ……っ!」
ビクビクと震える忍の身体を、光流は強く抱きとめる。
息を乱す忍の耳に舌を這わせながら、足を開かせ濡れた指を内部に押し込み、ぐちゅぐちゅと卑猥な音をたてる。
「ん……あ、あぁ……っ」
「そろそろミルクの時間かな? 忍くん」
「嫌……だ……! もう……やめろって……っ!」
「何を~? 早く飲みたいんだろ? ここは欲しがってるぜ?」
赤ん坊がおしめを変えるように膝を折り曲げ、硬くそそり立っている性器も秘部も全てを露にすると、忍は本気でやめてくれと言わんばかりに激しく首を横に振る。耳まで赤く染まり、瞳に涙が浮かび上がる。
「すぐやるから、泣くなって。今、たっぷり飲ませてやるからな」
光流は忍の目尻に溜まる涙をペロリと舐めながら、なおも言葉で責めまくる。どんなに嫌がっても、指をしめつけてくる内部が激しく快楽を欲していることを知っているから、わざと羞恥心を煽る。
指を引き抜くと、光流は自分のものをゆっくり静かに忍の体内に侵入させていった。
全て埋め込んでから、徐々に激しく腰を動かす。忍はぎゅっとシーツを握り締め、背をのけぞらせた。額に滲む汗とこらえきれない喘ぎ声が、激しく感じている証拠だ。
「やべ……すげー……いい……っ」
光流もまた抑えきれない興奮のままに快楽に没頭し、こめかみから汗が流れて忍の胸に零れ落ちた。
「中……ダメ?」
「……ぁ……っ、だめ……だ……っ!!」
「じゃあ……」
達しようとしたその時、光流の手が忍の頭を掴んだ。突然、内部から引き抜かれて、開いた忍の口元に生暖かい液が迸った。反射的に目を閉じた忍の口の中に精液の味が広がって、口元から顎を伝う。
そのあまりに淫らな忍の姿を、光流は興奮を隠せない様子で見下ろすが、いきなり自身を強く握り締められ、光流がハッと目を見張ったその瞬間。
「いっぺん死ね……っ!!!」
「だーっ!!!!!」
心の底から怒りを露にした忍に自身をへし折られ、光流の大絶叫が部屋に響き渡ったのであった。
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