key<前編>



「瞬、あのね……」
「ん? なに?」
 今日もスッキリしたところで、さあそろそろホテルを出て帰ろうと立ち上がったところで、目の前の女性に神妙な目を向けられ、瞬は首をかしげた。
 少しの間の後、彼女がうつむいたまま小さく声を発する。
「私……できちゃったみたいなの……」
「え?」
 思わず目を丸くした瞬に、彼女は一瞬の躊躇いを見せた後、涙を浮かばせた瞳で瞬を見つめた。
「赤ちゃん……できちゃったみたい」
 
 
「と、いうわけで」
「結婚するーーー!!???」
 その翌日、自宅に突然やってきた瞬の言葉を耳にした途端、光流が思い切り驚愕を隠せない表情で声を張り上げた。
 そんな光流に、瞬はにっこりと笑顔を向ける。
「うん。そういうわけだから、結婚式、盛り上げてね?」
 どうやらそれを伝えに来たらしい。
 光流の横に座る忍が、一瞬、眉をひそめた。
「ちょ、ちょっと待て瞬! おまえ、んな簡単に決めていいのか!?」
 あくまで冷静な瞬と忍とは裏腹に、光流は動揺ばかりを露に尋ねる。
「うん。だって子供できちゃったんだもん」
「いや……だからって、言っちゃなんだけど、相手の女って……いわゆるその……セ、セフレ……って奴だろ!? 本当におまえの子なのか!?」
「あー……それね。うん、確かに、そんなヘマしない自信はあったんだけど、避妊って100%じゃないからね~」
 小さくため息をつきながら瞬が言った。光流は呆気にとられた顔をする。
「男と女ってこういうのが厄介だよねー。そーいう心配がない先輩達が羨ましいよ」
 瞬のあまりにも露骨な言葉に、光流が顔を赤くする。忍がぴくりと眉を動かした。
「い、いや、確かにそーいう心配はねぇけど、だからって……その……つけなくてもいいってわけじゃねぇんだぜ……?」
 光流がやたらともじもじしながら言う。
「え? そーなの?」
「いや、そりゃ俺だって出来ればつけたかねぇけど、される方はいろいろと後がたいへ……」
「そんな事はどうでもいい!!!!」
 ガツッと光流の横っ面を拳で強打し、忍が立ち上がった。殴り飛ばされ床の上で目を回す光流をよそに、忍は真剣な表情を瞬に向ける。
「瞬、おまえは本当にそれで良いのか?」
「う、うん……」
 床に突っ伏した光流を見つめながらやや動揺しつつ、瞬は頷いた。それから顔を上げ、清々しいまでの笑みを忍に向ける。
「これで良いよ、もう決めたことだもん」
 瞬がきっぱり言ったと同時に、光流がむくっと体を起こした。
「いやでも、おまえさぁ、それはあまりに考え無しってもんじゃねぇか?」
 またも呆れ口調で言う光流に、瞬は目を据わらせる。
「うわ、光流先輩からそんなこと言われても説得力ゼロなんだけど」
「っせーな!! んなこと、俺でさえ考えなくても分かることだ!! おまえ、好きでもない女と結婚してホントに幸せになれると思ってんのか!?」
 ムキになって言う光流とは逆に、瞬はあくまで冷静だ。
「好きだから結婚するに決まってるじゃん」
 あっけらかんと言う瞬を前に、光流は一瞬言葉を詰まらせるが、やはり納得いかないというように反論を続ける。
「だってそいつ、恋人じゃねーんだろ!?」
「そりゃそうだけど、好きでもない相手とセックスなんてしないよ、僕」
 瞬はまたしてもあっさりと言い放った。
「っていうか光流先輩は考え方が古すぎるんだよ。愛し合ってる恋人同士じゃなきゃ結婚しちゃ駄目って、あんなのたかが紙切れ一枚の問題じゃん」
「おま……っ、いいか、結婚ってのはなぁ、一家の大黒柱として女を養っていくという重大な責任があんだぞ!? んな簡単なもんじゃねぇよ!!」
「じゃあ聞くけど、光流先輩は忍先輩のこと養ってるの?」
 目をすわらせる瞬を前に、光流は「う……」と言葉を詰まらせた。確かに養っているどころか、逆に折半したマンションのローンを払い切れなくて三ヶ月滞納している身では、言い返す言葉も無いようだ。
「僕は彼女が好きでセックスして、その彼女に子供ができた。だったら取るべき道は一つでしょ!?」
 瞬はいきなり超強気で声を発する。光流はやや怯みながらも負けずに声を張り上げた。
「だ、だから……っ、その子供がホントにおまえの子かって言ってんだよ!!」
「彼女がそう言うんだから、僕はその言葉を信じる」
 真摯な目を向けてくる瞬に、光流はそれ以上返す言葉を失った。
 忍は神妙な面持ちを崩さない。
 少しの沈黙の後、瞬が穏やかな笑みを浮かべた。
「そういうわけだから、結婚式の日取りが決まったらまた連絡するね」
 またも軽~く言い放って、瞬はさっさと家を出て行ってしまった。
 瞬を見送った後、光流が深くため息をつく。
「ったくあいつは……ちゃんと考えてんだか何も考えてないんだか、昔っからちっとも変わってねぇな」
 もはや何を言っても無駄だと悟ったのか、光流はただ呆れるより他はない様子だ。
「……好きにさせておけ」
 忍はぽつりと小さく言い放つと、光流に背を向けキッチンに向かった。
 その瞳は、どこか寂しげなものだった。
 
 
 さっそく結婚式向けの雑誌を大量に買い込み、ウエディングドレスの好みを尋ねる瞬に、婚約者となった鈴木真奈美(十九歳)は、さして嬉しくもなさそうな表情でパラパラと雑誌のページをめくる。
「瞬……」
「ん?」
「本当に……いいの?」
 躊躇いがちに尋ねる真奈美に、瞬は雑誌に目を向けたまま穏やかな笑顔を浮かべた。
「何が?」
 尋ねると、真奈美はやや暗い表情で黙り込む。
「あ、これなんか似合いそう。こういうの、嫌い?」
「……ううん」
 真奈美は首を振って笑顔を浮かべるものの、やはり浮かない表情で、瞬の問いかけに力なく応えるばかりだった。
 
 
 
 珍しく仕事を早めに終え帰宅した光流は、いつもと違う部屋の中の様子にやや首をかしげた。
 いつもなら台所にいるかパソコンに向かっているか、あるいは部屋の整理をしているか、何かしらに熱中している忍が、パジャマ姿でソファーに座り、ぼんやりとした表情でさして興味もなさそうなテレビに目を向けていたからだ。
「ただいま」
 声をかけると、忍はようやく光流が帰ってきたことに気付き、ハッと目を見張り振りかえる。
「……帰ってたのか、早かったな。悪い、飯作ってないから、適当に食っててくれ」
 素っ気無い声と共に、忍はまた覇気のない表情でテレビに目を向けた。
「ああ、そりゃ構わねーけど……」
 なんとなく「変だ」と思いながら、光流は忍のもとに歩み寄り、忍の隣に腰掛ける。
 少し体を寄せたら、忍がもたれかかるように光流の肩に頭を寄せた。なんだか、甘えているみたいだ。あまりにも珍しいその様子に、光流はやや戸惑いを感じながらも、そっと忍の肩を抱き寄せる。
「……あいつの結婚祝い、何にする?」
 光流は優しい声で尋ねた。
 そうして思い出す。蓮川の結婚式の間中、泣いてたまるかと必死で拳を握り締めていたあの時の自分を。きっと忍もあの時の自分と同じ想いでいるのだろう。嬉しくて、でも何だか寂しくて、本当は思いっきり泣きたいのに意地でも泣けない。お互いつくづく不器用だと、光流は心の中で苦笑した。
「……前に一緒に行ったインテリアショップで、気に入ったソファーがあったみたいだ」
「じゃ、それにすっか」
「いい値段するから、おまえ半分出せよ?」
「……了解」
 痛いなーと苦笑する光流の首に、忍がそっと腕を回す。
 近づいてきた寂しげな瞳が閉じられて、唇に柔らかい感触が押し当てられる。一度離した唇を、角度を変えてもう一度重ね合わせる。ずいぶんと積極的な忍からの抱擁に、光流は柔らかく応えた。そのままソファーの上に押し倒される。
  
 舌を絡ませながら、光流の手が忍のパジャマの下に潜り込む。五本の指で腰をなぞると、敏感な忍の肌が顕著に反応を示す。そろそろと這わせた指を胸に持って行き、軽く突起を摘むと、忍が小さく声をあげて背をのけぞらせた。光流は親指と人差し指で摘んだ突起を上下に揺らす。硬く反応する片方の突起を口に含み、両方を陰湿なまでに蹂躙する。忍の額に汗が滲み、瞳が潤んでいく。
「……ぁ……、も……」
 もっと別の刺激を欲している事を知りながら、光流は丹念に突起への愛撫を続ける。唾液に濡れた舌で愛撫していた突起から離し、まだ片方を指で弄りながら、衣服の上から硬くなっている中心を空いた手で撫でると、忍は大きく体を震わせ、目を閉じ声を震わせた。
ズボンと下着を同時に摺り下ろすと、限界まで膨れ上がった欲望が蜜を垂らしながらピクピクと痙攣する。しかしそこには触れてやらないまま、もう一度胸に唇を寄せる。先端からじわりと液が滲んだ。
「や……、みつ……っ」
「触わらなくても、ここだけでイけるんじゃねぇの?」
 そう言って、光流は濡れた音をたて、舌で忍の胸を蹂躙する。忍が目尻に涙を滲ませ、ふるふると首を横に振った。
「あ……!!」
 たまらなく刺激を欲している部分に、光流が指を這わせる。ビクンと忍の身体が跳ねた。
 光流は満足気な笑みを漏らし、忍の性器を右手で包み込む。クチュリと淫猥な音をたて上下に扱くと、忍は光流の頭を抱え込みいやらしい悲鳴をあげた。
 かまわず弄り続けると、忍がいやいやと首を横に振る。耳元に「いいんだろ?」と囁いて、こめかみや耳たぶに舌を這わせる。忍の性器が硬く張り詰め、限界が近づいている。
「あ……ぁ……っ、イ……く……っ、い……っぁ……あぁ……っ!!」
 ぎゅっと光流にしがみついたまま、忍は身体を震わせ絶頂を迎えた。放たれた液が光流の手の平にこぼれ、光流のシャツを汚すが、もちろん気にしない。大きく息を乱す忍の髪に口付けながら、濡れた指を忍の内部に進入させ、自分のズボンのベルトを外し、猛った自身を露にする。
 やや指で慣らしてから忍の腰を掴み促すと、忍は欲情に溺れた瞳で欲しい場所に光流の性器をあてがった。ゆっくりと腰を落とし、光流を内部に埋めていく。全て埋まりきるより先に、光流が腰を突き上げた。思いがけない衝撃に忍の背が仰け反る。
「あ……あ……っ!」
「もっと動けよ……っ、ほら……!」
 自らも激しく動きながら、光流は忍の胸の突起に手を伸ばす。強く捻りあげると、忍の内部が強く締め付けてくる。絡みつく肉の感触を存分に味わい、更に激しく腰を突き上げると、忍が耐え切れないように上半身を倒して光流の首にしがみつく。さすがに動きづらさを感じて、無造作に位置を逆転させ、忍の足を抱えあげる。一度精を放った性器がまたも限界を感じているようにヒクヒクと痙攣する。光流は手で包んだ濡れた性器を扱きながら、忍の奥に猛った自身を狙いを定めて打ち付ける。ギシギシとソファーが音をたてた。
「ん……ぁ……っ、あぁぁ……っ!!!」
 乱れに乱れた忍の性器から白濁が放たれる。同時に光流が自身を引き抜き、忍の腹の上に快楽の証を放った。混じり合った液で濡れた忍の痴態が、たまらない充足感で光流の本能を満たす。
「やっぱ……つけたくねぇよなぁ……」
 白濁にまみれ頬を染めて胸を上下させる忍を見下ろしながら、光流が興奮を隠せない表情でぽつりと呟いたその瞬間。
 ピキッと額に青筋をたてた忍の拳が、光流の顔面に直撃したのであった。
 
 
 ポケットから取り出した鍵が、チャリ、と小さな音をたてる。
 やっぱりこれは、返すべきなのだろう。
 そう思いながら、忍はいつものように合鍵でドアの鍵を解除し扉を開け、よく見知った部屋の中に足を踏み入れる。
 綺麗に片付けられた部屋。穏やかな空気。シンプルで飽きのこないインテリア。心地よいばかりの空間。柔らかいソファーの上に腰掛け、特にする事も無いのでそのままソファーの上に上半身を倒して寝転ぶ。
 うとうとと眠りかけた頃、玄関から物音がして、忍はゆっくり上半身を起こした。
「……おかえり」
「あ、忍先輩、来てたんだ」
 瞬はいつもの笑顔でそう言うと、脱いだ上着をハンガーにかけ、手を洗いに洗面所に向かう。リビングに戻ってきた瞬は、キッチンに向かいながら忍に問いかけた。
「今日は光流先輩、仕事?」
「ああ」
「じゃあ泊まってく?」
「……いや。今日は、これを返しに来た」
 そう言って、忍は瞬のもとに歩み寄り、手の中の皮製のキーホルダーがついた合鍵を瞬の前にぶらさげた。
 瞬は一瞬、神妙な顔つきをするが、忍の意図を読み取ったようにその鍵を受け取った。
「祝福、してくれるの?」
「当たり前だ」
 忍は無表情で応えた。だが声には優しさが宿っている。
「ありがと、先輩」
 瞬もまた、穏やかな口調で言う。
 少しの沈黙の後、忍が意を決したように口を開いた。
「だが……本当に、いいのか?」
「え?」
「おまえの子かどうか、分からないんだろう?」
 尋ねられた問いに、瞬はわずかに表情を曇らせる。けれどすぐにいつもの穏やかな笑みを浮かべた。
「大丈夫だよ。子供、好きだし」
「そんなに甘いものじゃないぞ、子供一人育てるというのは」
「うわ、さすが経験者。重みが違う~」
「俺は真剣に言ってるんだ!」
 からからうような瞬の声に苛立ちを感じ、忍はやや声を荒げた。
 忍には分かっている。瞬は間違っても、うかつに子供が出来る様な真似はしない。だがそれは当然、言わなくとも瞬自身が一番よく分かっているだろう。それなのに、なぜ相手の言葉に従うのか。なぜ問い詰めもしないのか。真実を暴こうとはしないのか。同じ立場ならとうに真実を突き詰めているであろう忍にとっては、あまりにも納得のいかない事ばかりだった。
 しかし瞬は、そんな忍に真剣な目を向けて言った。
「ちゃんと、考えたよ。責任持って育てる覚悟は出来てる」
 少しの揺るぎもない瞬の瞳から、忍はふいと顔を背けた。瞬がこんな顔をしたら、もう何をどう言っても聞かないことは知っている。普段はこれでもかというほど柔軟な癖に、一度決めた意志は絶対に翻さない頑固なところは、自分や光流とまるで一緒だ。
「おまえは……馬鹿だな」
 どこか悲しげな瞳で忍は言った。
「そうだね。自分でも、馬鹿だって思う。でも、これが僕だから」
 瞬は静かな笑顔を浮かべる。その瞳にやはり迷いは微塵も無い。
「後悔したって知らないぞ」
「その時はその時だよ。僕は後悔しない可能性を信じたい」
「何度も言うが、甘くないぞ」
「うん。でもさ、血のつながりなんて関係ないことくらい、先輩達が一番よく知ってるでしょ?」
 瞬の問いかけに、忍は口を閉ざした。
 返すべき言葉など、何も無かった。忍は浅く息を吐いた。
 本当に、いつの間にかずいぶんと追い越されたものだ。そう心の中で呟いて、忍はその場から足を踏み出した。
「帰るの?」
「ああ」
「心配してくれて、ありがと、忍先輩。光流先輩にも、そう伝えておいて?」
「伝えなくても分かってる。あいつならおおいに盛り上げてくれるだろうから、日取り決まったら連絡しろよ」
「うん」
 瞬が静かに応える。
 忍はそんな瞬に背を向け、居心地の良い空間を後にした。
 心の内に、どうしようもない寂しさばかりを抱えながら。