鋼の男<前編>
ピピッと小さく音を鳴らした体温計を見つめ、忍が目を据わらせた。
三十八度七分。これで計五日目。
「光流」
「……嫌」
低く放った一言と共にガバッと布団を被る光流を前に、忍が額に青筋をたてる。
「嫌じゃないだろう……っ」
「いーやーだーーっ!!!」
忍は無理やりに布団を剥ごうとするが、光流は絶っっっ対に剥がされてなるものかと力の限り抵抗を示した。
駄目だ。こうなると、もはや何をしても無駄でしかない。
忍は小さくため息をつき、布団から手を離す。
「あれ、光流先輩、どーしたの?」
すると突然、背後から脳天気な声と共に、瞬がにょきっと姿を現した。
いつの間に勝手に上がりこんできたのか。せめてチャイムくらい押せと何度も言っているのに、ノックもせず入ってくる寮時代から少しも改善するつもりはないようだ。
「風邪?」
「ああ、もう五日も高熱が続いてる」
「めっずらし~。いつもなら獣並みに即効で回復するのに」
「おまえちょっと診てやってくれ。病院は絶っっっ対に嫌だって言い張るんでな」
忍の呆れ声に、瞬はなるほどと頷いた。
光流の病院嫌いは昔からだ。といっても病院が嫌というよりは、注射だの点滴だのという針を刺される行為を異常に怖がるので、今回もおそらくそれを避けたいがための反抗なのだろう。
学生時代は若いだけあって回復力も早く、そうそう病院に行くまで重体に陥ったことはないが、さすがにそこはよる年波には勝てないのか、光流はもはや喋る元気もないほどにぐったりとしている。
「うわ、ほんと凄い熱だね。水分ちゃんととってる?」
光流の額に手を当てながら、瞬が尋ねた。
「……とってる」
そう言えば病院に行かないで済むと思ったのか。だが肝心の医療器具も検査薬もないこの場所で、いくら診察したところで回復するはずがない。
「光流先輩、一緒に病院行こうか?」
にっこり笑って瞬が言った。途端に光流ががばっと布団をかぶる。
「大丈夫だよ、お薬もらうだけだから。なんも痛いことないってば」
まるで子供をあやすように瞬は説得にかかるが、光流の反応はまるで変わらなかった。
何度優しく言っても布団の中に隠れっぱなしの光流に、瞬はいいかげん苛立ちを感じたように目を据わらせ、布団にがしっと手をかける。
「怪我は平気なくせに、なんで注射一つでそんなに怖がるわけ!?」
まったく意味が分からないと心で叫びながら、瞬は懸命に光流から布団を引き離そうとするが、光流の反抗はとても病人とは思えないほどに凄まじい。
「無駄だ、瞬。諦めろ」
忍が低い声で言った。
「でも、ちゃんと点滴打たないと大変なことになるよ? ほら光流先輩っ、いいかげんにする!! いつまでも若くないんだからね!?」
諦めてなるものかと、瞬は無理やりにでも布団を剥がそうとするが、光流も決して負けない。
そんな二人のバトルを目前に、忍が小さく息をつき、ふと携帯電話に手を伸ばした。
「仕方ない、最終手段だ」
「え……?」
瞬が首をかしげたその数十分後。
「光流先輩、まだ治らないんですか?」
忍の呼び出しという名の命令の元、息を切らせ駆けつけた蓮川が、布団の上にぐったりと寝込む光流に尋ねる。しかし光流は力無い声で「悪ぃ」と応えるだけだった。
「いったい何の病気ですか? ちゃんと病院行ったんですか?」
「まだ行ってない。こいつがどうしても嫌がるんでな」
蓮川の問いかけに、忍が応えた。蓮川は「何でですか?」と首をかしげる。
「よく聞け蓮川、こいつはどうやら注射が怖……」
「行くよ! 行けばいーんだろ!!!」
忍の言葉を遮るかのように、光流が突然ガバッと身を起こした。
「病院が何だってんだよっ、今すぐ行ってやらぁ!!」
何故かやたらとムキになっている様子で、光流がベッドから立ち上がる。わけがわからず、蓮川は怪訝そうに眉をしかめた。そんな蓮川の肩を、忍がポンと叩く。
「そういうわけだから、後は頼んだぞ、蓮川」
「……はい?」
まったくわけがわからないといった風に、蓮川は眉をしかめ首をかしげた。
「なるほどー、光流先輩にはすかちゃん。さすが分かってるね、忍先輩」
「あれにだけは死んでも弱みを見せないからな、あいつは」
「ほんと負けず嫌いだもんね、光流先輩。すかちゃんには絶っ対に追い越されたくないってプライドもあるだろうし。でももうとっくに追い越されてるの、気づいてないのかな?」
「馬鹿だからな」
「苦労するね、忍先輩」
心底同情するような瞬の視線を前に、忍はやや複雑な想いで頷いたのだった。
やたらと混んでいる病院の待合室で、蓮川は心の中で深くため息をつく。
まったく、なんで俺が付き添わなきゃならないんだ。そう忍に向けて悪態をつくが、若かりし頃に植えつけられた恐怖心はいつまでたっても拭えない。いつだったかの嫌な夢を思い出しながら、診察を終わらせたら即効で仕事に戻ろうと思いつつ、隣に座る光流に目を向けると、やけに表情が青ざめている。やっぱり相当具合悪いんだと、蓮川が心配そうに光流を見つめていると、突然、光流が勢い良く立ち上がった。
「光流先輩? どーしたんですか?」
「いや……なんか、治った気がする」
「はい?」
そんな青ざめた表情をして、どこが治ったというのか。蓮川は眉をしかめた。
「うん、治った。もう全然大丈夫。帰るぞ蓮川!」
自分で自分を励ますようにそう言って、その場から歩き出す光流の服を、蓮川ががしっと掴む。
「そんなわけないでしょう!? なにわけわかんないこと言ってんですか、光流先輩っ!!」
手首を掴むと、それだけでまだ相当熱があるということが一目瞭然なほど熱い。しかし光流はくじけない様子で、けれどだいぶ無理していると一目でわかるほどに無理な笑顔を造る。
「平気だっつの。この俺だぜ!? いいから早く帰っぞ!!」
「何言ってんですか。大丈夫にしても、もうすぐ順番くるんだから、診てもらってから帰ればいいでしょう!?」
蓮川の言葉に、光流の動きが一瞬ぴたっと止まる。それから、またしても病院の出口に向かって足を進める。蓮川は慌てて光流の腕を掴んで引きとめた。
「先輩……まさか、注射が怖いとか言うんじゃないでしょうね?」
ふと、蓮川が低い声をあげて目をすわらせた。ギクッと光流の肩が震える。
「そうなんですね?」
再度低い声で尋ねる蓮川に、光流は向き直った。
「ち、ちげーよっ、んなわけねーだろ!? わーったよ、診察受けりゃいいんだろ、受けりゃ!! 注射でも点滴でもどんと来い!!」
だいぶ無理のある上ずった声でそう言って、光流は元の席にドカッと腰をおろした。
蓮川は心の中で深くため息をついた。
注射が怖いって、うちの五歳児でももう注射一つで「帰る!!」なんて喚くほど怖がったりしないぞと思いながら、呆れる想いで光流に目をやると、覚悟は決めたらしいが怖がっているの丸解りな様子で、光流は身体を硬直させている。蓮川は可笑しさのあまり、思わずプッと吹き出した。
「な、なんだよ?」
「いえ、大丈夫ですよ。最近は病気で注射打つなんて滅多にないですから」
「……別に、怖がってねーっつの」
どこか面白くない風に光流が言い放つ。
はいはいと心の中で呟いて、蓮川は光流の隣で時間を待ったのだった。
とてもじゃないが、つい最近、万引き犯を自転車で全速力で追いかけ、派手に転倒して負傷した足を五針縫っても全く懲りてない人のすることじゃない。
後輩達が帰った途端に、光流はベッドから飛び起きて勢い良く忍に抱きついた。
忍は呆れた表情をしながらもそっと光流の髪を撫でてやる。いくら馬鹿馬鹿しいとはいえ、当人はめちゃくちゃ怖いのにめちゃくちゃ頑張ってきたのだ。少しくらいは褒めてやらないと、今度こそ何がなんでも絶対に病院には行かなくなる。
「忍~、忍~」
すりすりと胸に頭をすりつけてくる光流の背に手を回すと、しっかりいつもの体温に戻っていて、ようやく熱が下がったことに安堵しながら背を撫でていると、光流の茶色い瞳が忍の顔を見上げた。
「風邪、移っかな……」
「その時はその時だ」
「……ごめん。我慢、できねぇ」
囁くように言って、光流は忍の頬に手を伸ばした。
そっと忍の背をシーツの上に押し付け、首の下に腕を挟み、唇を寄せる。啄ばむような口付けを何度も交わながら、徐々に舌がもつれ合う。混じり合った唾液が顎を伝い、光流の柔らかい唇が忍の首筋に押し当てられる。忍の身体を横向きにさせ、背後から抱きしめるように肩を掴み、敏感な耳の下に唇を寄せると、忍は切なげな吐息を漏らし身体を震わせた。脇の下から手を伸ばし、シャツのボタンを外し露になった胸に指を這わせながら、光流は執拗なほど忍の耳を唇で愛撫し続る。
「ん……っ……」
耳たぶを軽く噛むたびに、忍の肩が小さく揺れる。胸の突起は硬く反応を示している。左手で乳首を刺激しながら、ゆっくりと下半身に右手を伸ばしズボンのベルトを緩め、下着の中に手を潜り込ませると、そこも既に硬く張り詰めていた。
「すげ……もう濡れてるぜ?」
忍の性器を握り先端に指を這わせながら、光流は低い声で囁く。忍がぎゅっと目を閉じ吐息を漏らす。明らかに感じているその様子に、光流は欲情の色を隠せない瞳で緩やかな愛撫を続けた。
「ずっと我慢してた?」
「いい……から、……早く……しろよ……っ」
当たり前だと言わんばかりに、忍は強い刺激を欲する言葉を発した。
「久しぶりだもんな、すっげぇ良くしてやるから」
長く抱き合えなかった分(※といってもたったの一週間程度ですが、彼らには長かったみたいです)を取り戻すように、光流は忍の良いところを執拗なまでに責めたてる。忍の頬に赤みがさし、息が乱れ、瞳が潤う。恍惚としたその表情がたまらない。もっと感じさせてやりたくて、光流は上半身を起こすと忍の足を開かせ、中心に顔を埋めた。先からとろとろと愛液を漏らしている忍の性器に唇を押し当て、濡れた舌を這わせる。
「は……ぁ……、ぁ……っ……」
久しぶりの刺激(※といってもたったの一週間です)に、忍がたまらない様子で腰をくねらせ、口元に寄せた自分の人差し指を軽く噛んだ。その反応に気を良くした光流は、忍の性器からいったん唇を離し、いつもの場所に置かれたローションに手を伸ばす。蓋を開け右手の人差し指と中指に垂らして潤わせ、そっと忍の足を再度開かせる。濡れて張り詰めた性器と、欲しくて疼いている秘部。やや恥ずかしげに首を横に背ける忍の痴態が酷く愛しくて、光流は緩やかに微笑んだ。
「忍……」
耳元に唇を寄せ、キスをしながらゆっくりと秘部に指を挿入させる。奥の性感帯を刺激すると、忍は甘い吐息を漏らし、光流の首に腕を回してぎゅっとしがみついた。
一本の指を二本に増やし、慣らすために動きを早くすると、忍はしがみつく腕にますます力を込める。
「あ……だめ……っ、も……っ……」
突然、忍の身体が大きく震え、手を伸ばした性器から白濁が放たれた。思わず「早っ!」と突っ込みそうになった光流だが、腕の中で頬を朱に染めて息を乱している忍を目前にしたら、もっと何度でもイかせてやりたいような気分になり、そっと額に唇を寄せた。
「みつ……る……」
「なに?」
何やら忍がじっと見つめてくるので光流は尋ねるが、忍は応えないまま酷く潤んだ瞳を向けてくるばかりだ。途端に鼓動が高鳴るのを感じて、光流は顔を赤くした。同時に己の欲望が限界まで膨れ上がるのを感じ、忍の膝裏に手を当て足を開かせ挿入の体制に入る。一気に貫いてしまいたい衝動を必死で抑えながら、張りつめたものを入り口にあてがう。
十分に慣らしたそこは、容易に光流を受け入れていく。熱い感覚に、たまらず光流が腰を突き上げた。忍が喉を震わせシーツを掴む。
「あ……ぁ、あ……!!」
互いに理性を失うまでにまるで時間はかからなかった。何しろずいぶん長いこと(※しつこいようですがたったの一週間です)、互いに我慢していたのだ。
「ん……ぁ……っ、イ……く……っ……!」
「俺……も……っ」
結合部がぐちゅぐちゅと音をたて擦れ合う。強く抱き合いながら、二人はほぼ同時に限界に達した。
互いに息を乱し汗を流しながら、額と額を触れ合わせる。
「すげ……良かった……」
「まだまだ、これからだろう?」
忍が光流の頬を両手で包み込み、口元に笑みを浮かべる。光流は一瞬目を大きくし、それから同意したようににやりと笑みを浮かべた。
「とーぜん」
何しろ久しぶり(※たったの一週間です)の抱擁なのだ。今日はいけるところまでとことんいってやる。
病気明けの体力不足はどこへやら、光流はやる気満々で再び忍の唇を唇で塞いだ。 |
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