BORDER<後編>

 決して後悔はしないと、覚悟を決めて挑んだ喧嘩だった。

ただ、泣かせてやりたかった。

 傷ついて、泣き叫んで、今にもバラバラになりそうな心を抱えたままどうする事も出来ないでいる彼を、思い切り泣かせてやりたくて。

そうして傷つけて、ボロボロにして、全てぶち壊して。その後に残ったのは、今までの人生で最高の苦しさばかりだった。

 

 あの日、忍は夜が明けるまで、ずっと泣き続けていた。必死で声を押し殺して。悔しさと悲しさと痛みばかりを胸に。

 今すぐ抱きしめてやりたいと思った。でも、それは出来なかった。忍は今、一人で必死に立ち直ろうとしている。その強さ、気高さ、誇り高さを心の底から凄いと思った。そして、なんて綺麗な心の持ち主なのだろうと。

 だからこそ苦しくて。なぜあんなにも残酷な事が出来たのかと、何度も自分に問いかけた。俺のしたことは本当に正しかったのだろうか。彼はあれで納得できたのだろうか。一晩中、一緒に泣きたい想いを必死でこらえて、考えに考え抜いて、もう二度と壊したりはしないと胸に硬く誓った。

 そして誰よりも、何よりも、大切に守っていこうと、心に決めていたのに。

 

「ち……くしょ……っ」

寮に戻り、光流は頭を抱えながら、背もたれに座っていたベッドの柵を拳で強く叩きつけた。

自分で自分が分からない。なぜあんな真似をしたのか。

許されるはずもない行為。

忍は深夜になっても帰っては来ない。当然だ。もう二度と、こんな場所に帰ってくるはずがない。

苦悩ばかりを胸に、光流はただ自分を責め続けた。

 

 

それから三日が経過しても、忍が寮に戻ることはなく。寮には外泊届を、学校側にはしっかり休みの連絡を入れてはいるようだが、一体どこから連絡しているのか、今どこにいるのかも分からない。

改めて、光流は忍のことなど何も知らなかったのだと思い知らされる。何一つ知りもせずに、知ろうともせずに、自分の感情ばかりをぶつけて壊して涙を流させた、あの時と同じように。

 だが、今、忍の姿を目前にしたところで、何を言えば良いのか。どんな顔を向ければ良いのか。弁解などできるはずもない。

 

「手塚! もう大丈夫なのか?」

 鉛のように重い心を抱えたまま登校する光流の耳に、聞き覚えのある同級生の声が届いた。大きく鼓動が跳ね上がり、咄嗟に振り返った先には、いつものように制服をきっちり着こなし、まっすぐな姿勢で歩く忍の姿があった。

 忍は休んでいたことを心配する同級生に向かって柔らかく微笑みかけると、顔をまっすぐにして光流に視線を向けた。その瞳に感情の色は無い。光流はかける言葉も見つからないままその場に立ち尽くす。忍はそんな光流から視線を逸らし、そのまま同級生と共に学校に向かって歩いて行った。

 

 

 その日は卒業式。

 忍は次期生徒会会長として、送辞を読むために壇上に上がった。

 その表情一つ変えない堂々とした姿を見つめながら、光流は思う。

もう二度と届かないのだろうか。この一年、共に過ごした日々は、少なくとも自分にとってはかけがえのない日々であったはずなのに。

だが全ては自業自得だ。許されるはずがない。

息苦しさばかりを抱えながら、式が終わり体育館から生徒達が群れを成して教室に向かう中、光流ものろのろと歩を進める。


 不意に視界に忍の姿が飛び込んできた。しかしいつものように気安く近づくことは出来なかった。瞳を逸らそうとした瞬間、光流の目が小さく見開く。忍は次々と声をかけてくる卒業生たちに向かっていつもの造り笑いを浮かべながら歩み続ける。けれど、その足取りはわずかではあるがフラついていて、光流は咄嗟に足早で忍に歩み寄り、何も考えずにその腕を掴んでいた。

 突然に腕を掴まれた忍が、光流の顔を見つめ鋭い視線を向ける。それでも構わずその腕を引くと、忍は光流の意図を察したように卒業生たちから離れ、その場から歩き出した。

  数メートル廊下を歩いたところで、忍が光流の手を振り払う。無言のまま、二人は同じ場所に向かって歩き続けた。保健室の手前で、忍がやや足をよろめかせた。光流が咄嗟にその身体を支える。顔色が酷く青い。やはり、本当は調子が優れないのに相当我慢していたのだろう。

「……大丈夫だ。一人で歩ける」

 忍は体制を整えると光流から身体を離し、目の前の保健室の扉を開く。素っ気無い忍の態度に光流は表情を曇らせ、無言でその後に続いた。

「どうした手塚?」

机に向かっていた一弘が振り返って忍に尋ねた。

「すみません、少し調子が悪くて。休ませてもらって構わないですか?」

忍はやや疲れた表情をしながら室内のベッドに向かい、その淵に腰をおろした。先ほどまでとは比べ物にならないほど蒼白な表情に、一体どれほど我慢していたのかと光流は問い詰めたくなったが、口を閉ざしたまま忍を見つめる。そんな二人の様子を見て、一弘は何かを察したように椅子から立ち上がった。

「悪いな光流、少し診ててやってくれ」

俺はこれから用事があるから。そう言って、一弘は保健室を出て行った。

明らかに気遣ってくれた一弘に、光流は心の内で礼を言いつつ、忍の元に歩み寄る。
 目の前に立つと、忍は酷く疲れた様子でベッドの上に倒れ込んだ。横向きになったまま、下から光流を見上げる。怜悧ではあるがどこか憂いを帯びたその瞳に、光流は鼓動が高まるのを感じた。

「忍……」

「……何も言うな」

 光流を見上げたまま、忍は小さく言った。光流は苦悩の色を浮かべ、言われるままに口を閉ざす。

 ずいぶんと長い静寂が二人の間を繋いだ。

 窓の外から賑やかな声がする。卒業生達と、それを見送る生徒達の騒ぐ声だ。あんなことさえ無ければ、自分たちも今頃は、あの声に混じって卒業生達と別れを惜しんでいただろう。改めて、深い後悔が光流の胸の内に広がる。

「……菅原先輩に会ってきた」

 不意に忍が口を開いた。思いがけない台詞に光流が目を見張る。

「みんなと一緒に、卒業したかっただろうな……」

 窓の方向を見つめながら、忍はどこか遠い瞳をして言った。

その一言が、全てを物語っていた。忍が菅原と何を話してきたのかは分からない。ただ、そこには悲しみと、深い後悔だけがあって。改めて自分のしたことの残酷さを思い知らされ、光流の胸の内に痛みばかりが広がっていく。

 一方的に愛される辛さ。苦しさ。やるせなさ。どんなに愛されても愛し返すことが出来ない以上、どれだけ努力して相手の傷を埋めようとしても、そうすればするほど傷はより一層深くなっていく。それを誰よりもよく知っているのは光流自身で。それなのにどうして、その傷と向き合えなどと残酷なことが言えたのか。誰よりも傷つくのは忍自身なのだと分かっていながら。

「……ごめん……」

 泣きたい想いを必死でこらえながら、光流は苦悩の色ばかりを浮かべ、小さく言った。

「……これで良かったんだ」

 忍がそっと、光流の手に自分の手を重ねた。思いがけない忍の行動に、光流がわずかに肩を震わせる。そのまま柔らかく手を握り締められる。握った手から伝わってくる熱い体温が、なおさら光流の鼓動を高まらせた。

「おまえの言う通り、ちゃんと終わらせられたから」

 静かに笑みを浮かべて、忍が光流を見つめる。その瞳があまりに綺麗で、優しくて、胸が締め付けられる。

 終わらせられたのだろうか、本当に。光流は切なげに睫を伏せた。けれど確かに、目の前の忍は以前よりもずっと穏やかな表情をしていて、そこにはもう自分を責める苦悩の色は見られない。
 同時に、光流を責める事も何一つせず。

「でもこのままじゃ、まだ、眠れない」

 先ほどまでの鋭利さは微塵も無い、憂いばかりを帯びた瞳で、忍が光流を見つめた。

 

ゆっくりと、扉が開く。

忍が手を伸ばしている。
 何もかも解って、許して、閉じた心を開こうとしている。
 
 そこにあるものは。

 
 あるものは……。

 

「忍……っ」 

解放する心をそれごと包み込むように、光流は忍の言葉を待つより先に忍の上に覆い被さり、その身体を強く抱きしめた。閉じた瞳に涙が滲む。

 ずっと、こうやって抱きしめたかった。ずっと、ずっと、ただこうやって、抱きしめたかっただけなのに。

「ごめん……っ」

 きっともう言わなくても、忍は分かってくれている。けれど、言わずにはいられなかった。

「……好き……だよ……」

そっと忍の頬に手を当て、光流は震える声で伝える。

「おまえが、好きなんだ……」

 潤んだ瞳をそっと近づけ、唇に唇を重ねる。静かに触れるだけのキスをすると、忍は何も言わず黙って受け入れた。唇を離した光流の頬を、忍が両手でそっと包み込んだ

「だったら先にそれを言え、馬鹿」

 からかうような低い声と、優しい微笑み。

光流の胸の内に安堵ばかりが広がって、ますます泣きたいような気持ちになったけれど、絶対に泣いたら駄目だって思った。

それよりも、他にもっと。

「好き……」

 言わなきゃいけない言葉が、ある。

「好き……好き好き好き!!!」

 何度も同じ言葉を口にしながら、光流は忍の胸にぐりぐりと頭を押し付ける。柔らかい髪が何度も顔に当たって、忍がやや迷惑そうに身を捩った。

「好き!! 好きだーーーーっ!!!」

 何を思ったか突然、所構わず叫びだす光流の頭を、途端に忍が拳で殴りつける。

「煩い」

 怒ったように言った忍に、光流はまたガバッと抱きついて叫び出す。興奮のあまり完全に頭の線が一本切れている状態の光流の頭を、忍が再度殴りつけようとしたその時、保健室の扉が音をたてて開いた。

「おまえら……場所をわきまえろ」

 そこには完全に呆れ顔の一弘の姿があった。

 

 

それから先は延々とお説教。

 なりふり構わず「好きだ愛してる」と叫ぶ光流のおかげで、保健室に戻ってきた一弘にはバレバレで。「恥をかかされた」とますます額に青筋をたてた忍に、怒られ続けること既に半日。それでも光流は終始、顔をにやけさせっぱなしだった。

「ちゃんと聞いてるのか貴様は……っ」

「ひーてる! ひぃてるって!!!」

 思い切り両頬を抓られ、光流は苦痛に顔を歪ませる。けれど解放された途端また顔を緩め、忍の肩にガシッと手をかけた。

「次は優しくするから!」

「何をだ?」

 何やらやたらと興奮している様子の光流に、忍は目を据わらせる。唇をとがらせ顔を近づけてくる光流の頭を、忍は即効で殴りつけた。

「ってーなっ! 相思相愛なんだから良いだろ!?」

「せめてきっちり知識を身につけてから実行しろ」

「……分かった。知識つけたら問題ないんだな?」

 光流のやたらと真剣な表情に、忍はやや怯んだように顔をしかめた。

「よーし、待ってろよ忍。きっちり知識身につけて、めちゃくちゃ気持ち良くしてやっからな!」

 ビシッと言い切る光流に、忍は実に嫌そうな顔をするが、光流にとってはそんなの知ったことではない。忍への熱い想いを自覚してしまった以上、あとは一直線に突き進むだけだった。

 

 

「……で、何で俺に聞きにくるんだ?」

「だって他に聞ける奴いねぇし、ちゃんと知識つけないと、あいついつまでたってもヤらしてくんねぇし」

 丸椅子に座って真剣な表情をする光流を前に、一弘は思わず頭を抱える。かねてから単細胞だとは思っていたが、単純にもほどがある。せめて少しは切実に悩めと思うが、彼にとっては「男同士」という弊害など大した問題ではないのだろう。

 さて、どうレクチャーしたものか。早く早くと身を乗り出す光流を前に、一弘はまたも頭を抱え、深くため息をついた。

 

 

 手に持ったプラスチック容器に入った潤滑油を差し出し、開口一番「保険医に聞いてきた!!」と自信満々に言う光流を前に、忍は机に身体を向けたままピキッと額に青筋をたてた。どこまでいってもデリカシーの無い光流に怒りを隠せない表情を向けるが、光流はといえば酷く嬉しそうに満面の笑みを浮かべている。

 あれから、キスは何度もした。でもやっぱり、それだけじゃ全然物足りない。
 光流は忍の腕を掴んで立ち上がらせると、いそいそと部屋の中央に置かれたミニテーブルをどけ、空いたスペースに移動する。二人一緒に、向かい合わせに床の上に座り込んだ。

「あ……やっぱ、ベッドの方がいい?」

「……」

「あ、狭すぎるよな、やっぱ。じゃ、床の上に布団敷く?」

「……」

 あくまで無言の忍をよそに、光流はやはりいそいそと忍のベッドから布団を引っ張り出す。狭いスペースに半ば無理やり布団を敷いて、早く早くと忍の身体を布団の上に押し倒す。まるで一刻も早くプレゼントのリボンをほどきたがっている子供そのものだ。

 まったくもって乗り気でない様子の忍は、布団の上に横たわりながらもあくまで冷静なまま光流を見上げる。

「というか、よく考えたら何で俺が下なんだ?」

 無表情のまま、忍が納得のいかない声をあげた。光流がきょとんと目を開く。

「んな細けぇことこだわんなよ。大丈夫、絶対痛くしねぇから!」

 言いながら、光流は忍のシャツのボタンに手をかける。忍が「そういう問題でもないのだが」とますます顔をしかめた。

「忍」

 光流はそんな忍の頭をがしっと掴み、明るい笑みを浮かべる。

「好きだよ」

 そう言うと、忍はようやく少し緩んだ表情をして、光流からフイと顔を背けた。

「痛かったら……途中でやめろよ」

 素っ気無い口調。素っ気無い表情。でもほんの少し、耳が赤くなっていて。光流は思わず、クスリと微笑む。やっべぇ可愛すぎる。そんなことを思いながら、頬に唇を寄せる。くすぐったそうに忍が身を竦めた。

 

唇にキスをする。角度を変え、何度も啄ばむように口付ける。何度しても、飽き足らない気がした。やがて忍の指先が光流の頬に触れ、手の平が頬全体を包み込む。
 思いがけず先に舌を差し込まれ、その柔らかい感触に頭の奥がズキンと響いた。求められるままに、舌を絡ませる。体温が上昇する。抑えきれない欲望を内に秘め、手早く忍のパジャマの上着を脱がせると、その下から滑らかな肌が露になる。どうして今まで、これを見て平気でいられたのだろう。怖いほどに欲望が膨れ上がっていくのを感じながら、光流は忍の胸に唇を寄せた。

「光流……っ」

「……どした?」

 いきなり頭を掴まれ押しのけられ、光流が顔をあげて忍に視線を向ける。突然、忍がすっと立ち上がって部屋中を照らしていた照明を全て消して真っ暗にしてしまった。

「ちょ……何で消すんだよ!?」

 なんっっも見えねぇじゃん!!と光流は抗議するが、忍は「煩い」と言って再び床の上に横たわると、光流の頭を抱きこみ反論を抑えこんだ。

「いや……これじゃマジで、何もできねぇんだけど……」

 表情すら見えない真っ暗な部屋の中、忍の腕の中で光流がなおも抗議の声をあげる。

「……俺がする」

「え……?」

 突然、忍が上半身を起こしたかと思うと、光流のパジャマのズボンに手をかけた。ぎょっと目を丸くする光流をよそに、素早く下着ごとズボンをずり下ろし、既に兆しを見せている光流自身を露にして右手で握り込む。光流が焦って腰を引こうとするより前に、忍が握ったものを咥内に含んだ。艶かしい感覚が全身を駆け抜け、光流はビクリと肩を震わせ目を閉じた。

「おま……っ、それは……っ」

 あまりに巧みな舌使いに、思わず忍の髪をぎゅっと掴んで声を震わせる。まさか忍がこんなことをするなどとは夢にも思っていなかっただけに、その動揺ぶりは半端ではない。半端ではないが、嬉しくないと言えば嘘になる。にしても、何でこんなに上手いんだっ!! 心で叫んだ瞬間、凄まじい快楽が脳天まで直撃した。

「……っ……」

 呆気なく達した光流の精液を、忍は残らず飲み干す。一体どういうつもりなのか光流にはまるで理解できなかったが、そんな疑問よりも限界まで膨れ上がった欲望が勝った。即座に忍の肩を掴み布団の上に押し倒し、性急に忍の衣服を全て剥ぎ取る。忍はやや抵抗を見せたが、ここで止められるわけがない。猛る心のままに、忍の膝頭に手をかけ脚を開かせる。

「……や……っ」

 よほど恥ずかしかったのか忍が身を捩るが、光流は強引に抑え付けたまま、忍の自身を咥内に含んだ。

そこから先は無我夢中だった。ただどうしようもなく愛しくて、めちゃくちゃに感じさせてやりたくて、溢れてくる本能に任せ忍の自身を愛撫する。硬く熱く反応するそこがたまらなく愛しい。
「あ……ぁ……っ」
 ぎゅっと髪を掴まれた瞬間、熱を持った忍の自身がドクンと脈打った。

 いつもより一オクターブ高い声。明らかに感じている忍の声に、喜びと興奮が駆け巡る。

 咥内に放たれた液を全て飲み干すと、光流は忍の身体を強く抱きしめ、耳元に唇を寄せた。

「電気……つけちゃ駄目?」

 すっげぇ、顔見たいんだけど。そう言うと、忍はやっぱり嫌だと首を振る

「なに……もしかして照れてんの?」

 やや低い声で光流が言った。忍は応えないが、どうやら図星のようだ。なるほど先ほどの積極的な行為は照れ隠しだったのかと、妙に納得した途端に、また可笑しさと愛しさが同時に込み上げてきて、光流は苦笑しながら忍の髪に指を絡ませた。

「ばーか、おまえの裸なんて見慣れてるっつの」

 からかい半分の口調で言うと、忍が明らかに怒った瞳で光流を睨みつけた。そういう問題じゃない、と暗闇で少しずつはっきりと映ってきた瞳が物語っている。
 いくら性行為には慣れている忍でも、男に抱かれるのは当然初めての経験で。緊張しないわけが無いのだと思ったら、確かに少し甘えていたのかもしれないと光流は思った。

 優しくしなきゃ。思いながら、忍の前髪を右手でかき上げる。強気を保つことで必死で緊張を押し殺す忍の目元に、そっと口付ける。そのまま唇を頬に滑らせ、口の横に口付け、それから柔らかい唇を覆った。

「キスって……」

 唇を離し、忍の額に自分の額をコツンと当てて、それから小さく囁く。

「こんなに……気持ちいいものだったんだな……」

 知らなかった。涙の滲む想いでそう言うと、忍はまっすぐに光流を見つめ、光流の頭に手を伸ばした。髪に指が絡まる。

「俺も……」

 囁くように言って、忍が唇を寄せてくる。ますます泣きたいような想いで、何度も舌を絡ませる。長いキスの後に唇を離すと、少し潤んだ忍の瞳が目の前にあって。絶対に、絶対に、大切にする。そう思いながら、光流は布団の横に置いておいたプラスチック容器に手を伸ばした。

 
 足を少し開かせると、忍は小さく身体を震わせて顔を横に背けた。光流は濡れた指先を、ゆっくり、少しずつ忍の内部に埋めていく。少しも快楽など無いだろうに、目を閉じてじっと耐えている様子に罪悪感を伴いながらも、止めることは出来なかった。空いた手を忍の自身に絡ませる。先端を擦るとそこはすぐに硬度を増した。

「痛かったら……やめるから」

 どうにか繋がれそうなほどに柔らかくして、光流は忍の足を大きく開かせ、入り口に自らの先端を押し付ける。少しずつ、忍の内部が絡みついてくる。無理ならやめるとは言ったものの、まるで自信は無くなった。強烈な快楽が全身を駆け巡る。けれど忍の手が腕をぎゅっと掴んできた途端に、やはり相当辛いのだと感じて腰を引いたが、忍は光流の腕を離さなかった。

「大丈夫……だから……」

 懸命な声に胸が熱くなる。もう制御は叶わない。出来うる限り痛みを逸らせるよう、握り込んだ前にも刺激を与えながら、ゆっくりと全てを埋め込んでいく。根元まで入った瞬間、忍が小さく呻いた。腕を掴んだ手に力が篭る。

「は……いった……」

 安堵と共に光流は囁くが、本当に辛い想いをさせるのはこれからかもしれない。でも、止められない。どうしようもなく愛しくて、全てをこの手の中に閉じ込めたくて、乱れる呼吸と共に腰を動かす。
 体温が上昇する。
 頭も身体も心も、全てが熱い。

「……く……っ……」

「し……のぶ……」

 好きだよ。何度も囁いた。届いているのかどうかも分からないまま。ただ、忍の瞳に滲む涙と、腕を掴む手の熱さだけが、なおさら熱を高まらせる。
 止められない欲望が限界まで膨れ上がり、混じり合う汗と体温と吐息の中で弾けた瞬間、光流の腕が忍の身体を強く抱きしめた。
 光流は荒い息を吐きながら、唇を忍のこめかみに寄せる。

「へい……き……?」

「ん……」

 わずかに汗の滲む額に自分の額を押し付けると、忍は小さく頷いた。
 頬が紅潮していて、瞳は潤んでいて、やけに艶っぽいその表情は、とても今までの忍からは想像がつかないもので。頬が熱くなると共に、胸の鼓動が破裂しそうなほどに高まる。

「おまえって……」

 もう一度、ぎゅっと忍の身体を抱きしめながら、光流が困ったような声をあげた。でも忍はまるで分かっていないように、何だか酷くあどけない表情を浮かべる。光流はますます顔を赤くした。

 

今まで気づかなかったけど、もしかしたら、もしかすると、こいつって、物凄く……。

 

 体温が上がり高まるばかりの自分の鼓動の音を聴きながら、光流は思う。

 

きっと多分絶対に、これからこの身勝手で我儘で傲慢で計算高くて腹黒い、悪魔みたいな恋人に翻弄されまくるんだろう。それでもやっぱり好きだって思ってしまう自分が解らなくもあるけれど、そんな自分が誇らしくも思えるのも確かで。

たぶん誰も、きっと本人ですら知らない、真っ白な羽根が生えた心を、ずっと大切に守り続けていこうと思うんだろう。

 

「忍……好きだよ」

 

 だから、いつも何度でも、抱きしめながら、ずっと、ずっと囁き続ける。

 世界中の誰よりも、おまえが一番、幸せに笑える時が来るまで。

 

 

 

──時は流れ、五月はじめ。

 

「しっかし、アレにはさすがにビビッたよなぁ」

 校内の長い廊下を歩きながら、光流が隣を歩く忍にむかって思い出したように声をあげた。
 思い出したのは、つい一ヶ月ほど前のこと。寮長初仕事として、寮に新入生を迎え入れた光流の前に、にこにこと可愛らしい笑みを浮かべながら「よろしくお願いしまーす!」と明るい声で言い放った、隣の部屋の髪の長い一年生。

「まあな。でも、俺は嫌いじゃないな」

 薄く笑みを浮かべながら、忍は言った。

「ああ、確かに性格は悪くなさそうだよな。ノリも良いし」

 光流も同意の笑みを浮かべる。二人は顔を見合わせ、校長室の一歩手前でピタリと足を止めた。

「じゃ、いっちょ念入りに歓迎してやるか」

 実に面白そうにニヤリと笑う光流に、忍もまた不屈の笑みを浮かべた。忍のそんな楽しそうな表情は初めて見る。嬉しくて、胸騒ぎがする。なんだか凄く楽しい予感がするのを感じながら、光流は表情を整え校長室の扉をノックした。