secret love

「忍先輩、約束だよ?」

 今朝、にっこり微笑みながらそう言って、先に学校へ向かった瞬が指定した約束の場所は、滅多に使われることのない体育用具室だった。
 しかも五時限目の授業中。だが約束は約束、一時間くらい授業をサボることに何ら抵抗のない忍は、周囲にまるで人の気配がない古びた体育用具室の扉を開いた。

 

薄暗い室内には、既に忍の姿を待つ瞬の姿があった。
 小さく鼻歌を歌いながら跳び箱の上に座っていた瞬は、忍の姿に気づくなり、身軽な動作でひょいっと立ち上がった。

「ちゃんと来てくれたんだね、先輩」

 いつもの少女そのものの愛らしい笑顔を浮かべ、瞬は忍に歩み寄った。そしてまだ開いていた体育用具室の扉をそっと閉める。

「こんなところに呼び出して、何が望みだ?」

 更に薄暗くなった部屋の中、忍は落ち着いた声色で尋ねた。

「うん、あのね……」

 不意に瞬の唇が耳元に近づいてきた。囁くような声で瞬が放った言葉に、忍はほんの一瞬目を見開いた。

「ほう、好きな女の子でも出来たか?」

 忍はどこか感心したようにそう言って、笑みを浮かべながら瞬を見つめた。

「うーん……まあ、そんなとこかな」

 軽い調子で瞬が言う。

「だから、お願いします、先生」

 瞬がぺこりと頭を下げると、長い髪がサラリと流れた。



 事の発端は、一週間前。

 瞬の苦手な科目とする古文を教えている最中、瞬が忍にこう尋ねてきたのがきっかけだった。

「ねえ先輩、もし今度の期末試験で上位を取れたら、一つだけ僕のお願い、聞いてくれる?」

「いいだろう、ただし上位ではなく主席をとれたらの話だ」

「えーっ、主席~!?」

「当然だろう」

 がっくりと肩を落とす瞬に、しかし忍は決して譲歩はしなかった。

 瞬は眉をしかめながらも「わかった」と頷き、その一週間後の試験で、見事に主席の座をゲットしたのである。

 その結果は、忍にとっては喜びに値するものだった。いくら同居人がしごいても全く向上しない猿頭の後輩と違って、教えたことは何でもすぐに吸収してどんどん学習していく瞬には、教え甲斐もあるというものだ。
 それまで意図して人を導くことはあっても、何かを「教える」といった経験が無かった忍にとって、教える喜びというものを感じられることは、結果的に自己を高める事に繋がったのも確かだった。
 無償で人に何かを与えるなど、損にしかならないと思っていたが、自分が真剣になって教えたことで相手が向上していき、才能を後に繋げていく喜びは、何にも替えがたい己の誇りになるのだと、教えてくれたのは誰でもない、この無邪気にまっすぐ自分を慕ってくる後輩だけだ。もし彼が少しでも遠慮というものを知っていたなら、忍は瞬にここまで期待することはなかっただろう。

 しかしいくら瞬の成績が常に上位とはいえ、この進学校で主席の座を獲得するのはそう容易いことではない。今回の無謀とも言える忍の出した条件に見事応えた瞬に、褒美の一つや二つ、やらないわけにはいかなかった。まさかこの自分が、自分以外の誰かに期待する日が来るとは思ってもいなかった。忍は今までに感じたことのない、不思議な充足感に包まれていた。


 そして、今日。

瞬が主席をとったご褒美にと催促してきたのは、「女の抱き方を教えて欲しい」という、忍にとっては予想だにしていなかった望みだった。

 ずいぶんと意外に思いながらも、忍は承諾した。いくら外見がこうとはいえ、中身はごくごく普通の女好きな少年だ。しかもおそらくはまだ未経験。好きな女性が出来たとなれば、事前に知識を得たいのも当然であろう。

「どこから教えればいい?」

 忍は緩やかに微笑しながら、経験豊富な大人の余裕を持って尋ねた。

「やっぱりまずは、キスからかな」

 そう言うと、瞬は悪戯っぽい笑みを浮かべた。ぱっちりとした大きな瞳が期待の色に満ちている。

 忍はふっと静かに微笑むと、そっと瞬の頬に手を当て、唇同士が触れる寸前まで顔を近づけていく。さすがに、もしもこれがファーストキスだったら奪ってはマズいだろうと、真似事だけで終わりにするつもりだった。おそらくは瞬も、すぐに避けるだろうと。

 しかし。

「……っ……」

 一瞬にしてなんの躊躇いもなく、瞬の方から唇を重ねられ、忍は大きく目を見開いた。

 そのまま、いきなり強い力で背後のマットの上に押し倒される。

 あまりに唐突な行為にやや戸惑いを見せながら、忍は自分の上に覆いかぶさる瞬の顔を見上げた。

「ずいぶん……大胆だな」

「こんな感じ、だめかな?」

 少しも悪びれない様子が瞬らしくて、忍は押し倒されたまま笑みを浮かべた。

 しかし次の瞬間、忍は目を見張った。

 瞬が先ほどまでの無邪気な表情とはまるで違った、酷く憂いを帯びた暗い視線を向けてきたからだ。

「しゅ……」

 明らかに様子が激変した瞬を前に、忍が上半身を起こそうとしたその時、瞬の顔が近づいてくる。顎に細い指先が触れ、長い髪が頬をくすぐる。それからピンク色の柔らかい唇が再度唇に押し当てられ、間も置かずに咥内に舌が割り込んできた。

 そこに戸惑いは一切無い。まるで少女に強引に唇を奪われているような錯覚に陥り、忍はやや躊躇しながらも、取り乱すのもみっともないと瞬の口付けに応える。
 柔らかい舌が咥内をまんべんなく犯す。とても初めてとは思えないほど慣れたキスは、もしかすると既に経験済みなのではないかと、忍に疑念を抱かせた。

「次……どうしたらいい?」

長いキスの後、唇が離れると、瞬が静かな声色で尋ねてきた。やや伏せた長い睫の下の瞳には、本気の意思が込められている。

 忍は敢えて諌めることをせず、瞬の腕を掴んで体制を逆転させた。突然に押し倒される格好になり、瞬がぱちっと目を丸くさせる。

「まず脱がせないと、先には進めないな」

 忍は余裕の口調でそう言うと、瞬のネクタイに手をかけた。男同士である事など、この際そんなことはどうでも良くなった。目の前の相手は本気だ。それならこちらも応じるまでだ。元来の負けず嫌いな性格に火がつき、忍が器用な手つきで瞬のネクタイを解いていくと、不意に瞬の手がそれを遮った。 

「ちょっと待ってよ、僕が脱がせる方でしょ?」

 瞬が笑みを浮かべながらきっぱりとした口調で言い、上半身を起こす。そして両の手を忍のネクタイに寄せた。

「言ったはずだよ、「女の抱き方を教えて」って」

 するすると忍のネクタイを解きながら、瞬が穏やかに言う。

「俺に女役をしろと言うのか?」

 忍が眉をしかめた。

「いいじゃん、どうせいつも光流先輩に抱かれてるんでしょ?」

 その言葉に、忍は一瞬にして衝撃を覚え、動揺を露にした。

「おまえ、知って……!」

「大丈夫、誰にも言わないよ」

 決してそう容易く受け入れられるはずはない事実を前に、瞬はあくまで冷静だ。しかし忍は違った。何故ならそれは、自分の弱みを完全に握られたも同然であるからだ。

「ふざけるな……っ。そんな脅迫に誰が……!」

 忍はあまりに唐突な瞬の告白に、動揺と憤りを感じずにはいられなかった。他者に弱みを見せた事が無い人間ほど、崩れ落ちる時は一瞬であることを、忍はすっかり忘れていた。

 すぐにこの場を去ろうと立ち上がろうとしたその時、突然腕をぐいと引っ張られて、忍は再びマットの上にうつ伏せに倒れ込んだ。右手首に激痛が走る。忍が動揺している間に素早く右手首に結んだネクタイを、瞬がぐいと引いた。

「やだな、脅迫なんてした覚えはないよ。だって僕、すごーっく頑張ったじゃない、この日のために」

 瞬がうつ伏せに倒れた忍の背の上に馬乗りになる。全体重をかけられ、忍は身動きがとれなくなった。更に強くネクタイを引っ張られる。肩に痛みが走り、忍はわずかに呻き声をあげた。

「それとも、男と男の約束、破るつもり?」

 いつもの無邪気なものとは明らかに違う、低い声。

 見かけは少女でも、中身は立派に男なのだということを、忍は今の今まですっかり忘れていた。いや、もしかすると忘れさせられていたのかもしれない。忍は額に汗が滲むのを感じた。

「ちゃんと、最後まで教えてよね……?」

 瞬が暗い声色で言いながら、背後で忍の両手首をネクタイで拘束する。こんな馬鹿な。忍は悔しげに唇を噛み締めた。この自分が、後輩の策略にまんまと引っかかるなど、油断するにもほどがある。

「瞬、貴様……!」

「そんな、威嚇しないでよ。傷つけるつもりは、微塵もないからさ」

 今更何をどう言われても、信用などできるはずがない。忍は屈辱ばかりを露に瞬を睨みつけるが、瞬の意思は変わらない。背後から器用に忍のシャツのボタンを外していくと、細く白い指先を忍の胸に這わせた。

「女の人って、ここ、どうしたら感じる?」

 唐突に乳首をきゅっと摘まれる。忍がびくっと肩を震わせた。

「俺は……女じゃない……っ」

 あくまで強気な態度を崩さない忍を前に、瞬はクスリと笑みを浮かべた。

「やだな、分かってるよそれくらい。さっきから言ってるでしょ? 『女の抱き方を教えて』って」

 あくまで「強姦ではない」と言い張る瞬に言い返す言葉もなく、忍は悔しさばかりを胸に口を閉ざす。

「ほら、教えて? 次はどうしたらいい?」

 囁かれながら、執拗に胸を弄ばれる。感じたくなどないのに、背筋がゾクゾクと震える。そうしている間にシャツを縛っている腕まで引き摺り下ろされ、肩が剥き出しになり、上半身が空気に晒された。瞬の唇が背に押し当てられる。艶やかな髪の感触が、相手が瞬であることを明確に忍に感じさせた。

 カチャカチャとベルトを外す音が鳴り、忍は懸命に逃れようとするが、そのたび両手を拘束したネクタイを強く引っ張られて連れ戻される。

 それでもあくまで抵抗を示すと、突然、視界が真っ暗に遮られた。

瞬のネクタイで瞳を覆われたと自覚した時には遅かった。視界の効かない体では、容易に逃げることは叶わない。

「ごめんね。だって、こうでもしなきゃ、約束守ってくれないでしょ?」

 瞬は優しい声で、残酷な台詞を口にする。安易に信頼した自分がどこまでも憎らしい。忍は屈辱に肩を震わせた。

 下着ごとズボンを引き摺り下ろされ、下半身が冷たい空気に晒される。体を横向きにされ、足を開かされた。次に何をされるか分からない恐怖と不安が忍を支配する。忍の額に汗が滲み、拘束された両手と露になった太腿が震える。

「……っ……ぁ……」

 局部に刺激を感じ、忍は唐突に襲ってきた快楽に翻弄された。

 同じ男だけあって、男の身体をよく知り尽くした巧みな愛撫。的確に高みに導かれる。どうにか快楽から気を逸らそうとしても、暗闇と静寂がそれを許さない。次第に自分の息が荒くなるのを感じ、羞恥心がなおさら感覚を高める。

 忍がせめて声だけはあげるまいと唇を噛み締めていると、不意にヒヤリとした感覚が後ろの秘所を襲った。

「ひぁ……っ……!」

 容赦なく入り込んでくる滑った指の感覚に、忍は体を大きく震わせた。

「や……、めろ……っ……」

「もうこんなになってるのに、やめたら辛いのは先輩だよ?」

 あくまでやめる気はないとでも言うように、瞬が更に指を一本増やした。同時に前を扱かれる。

「や……、いゃ……っ、だ……っ」

 あまりの羞恥と屈辱に、忍の口からこらえきれない嗚咽が漏れた。

「泣いてないで、ちゃんと教えてよ、先生。ここ……こうしたら、感じるのかな……?」

「……んぁ……っ!」

「正解みたいだね」 

瞬が耳元でクスリと微笑む。中の性感帯を的確に刺激され、忍は体を震わせた。

 女じゃないのに、まるで女みたいに扱われて、いいように翻弄されている。しかも自分より遥かに経験の浅い一つ年下の後輩に。ただ憎らしくて悔しい。それなのに身体は勝手に刺激を欲しがる。「ずいぶん慣れてるね」その言葉に、忍は顔を熱くした。

「自分ばかり気持ち良くなってないで、ちゃんと教えてくれない? 次、どうしたらいいの?」

 突然に愛撫の手を止められ、瞬が耳元で意地悪く囁く。

 もう憎まれ口を叩く余裕すらなくて、忍は顔を背けて唇を震わせる。

 それなのに瞬は容赦しない。足を大きく開かされる。秘部に熱いものが押し当てられたかと思うと、次の瞬間から、それはじわじわと体内に浸入してきた。

「あ、あ……!」

 圧迫感と中を擦る刺激がたまらず、忍は嬌声を放つ。

 長い髪の感触を頬に感じたと共に、唇を塞がれた。柔らかい舌が舌に絡まる。

唇を離したと同時に、視界が明るくなった。忍は突然の眩しさに目を細める。瞳を開いた刹那、そこには「男」の顔をした瞬が、どこか暗い表情で自分を見下ろしていた。

「泣いてるね……」

 静かな声でそう言うと、瞬は細い指先を忍の目元に寄せ、涙を拭う。

「もうちょっとで終わるから……ね?」

 甘く響く声で言ったかと思うと、瞬は忍の膝に手を当て足を広げさせ、容赦なく忍の中を犯した。

「しゅ……っ、や、あ、あ……っ!!」

 瞬の荒い息遣いが耳元で響く。髪に指が絡まる。酷いことをするくせに、額に、頬に、優しく唇が降り注ぐ。

 どうして。何故。そんな叫びを心の内で繰り返しながら、忍はただひたすらに翻弄され続けた。

 


 
 カチッとライターの着火音が鳴り響く。

その音に覚醒を促され、忍はゆっくりと目を開いた。

 ぼんやりとした視界に写ったのは、ここに来た時と同じように跳び箱の上に座る瞬の姿。その手にはライターが握られ、口には煙草がくわえられていた。それが自分のものだと把握するのに時間はかからなかった。

「美味いか?」

 忍がマットの上に横になったまま小さく尋ねると、瞬はふぅと煙を一吐きし、それから思い切り眉をしかめた。

「全然。よくこんなもの、毎日吸えるね」

 瞬はそう言うと、跳び箱から下り、横たわる忍の目前に膝をつくと、火のついた煙草を忍の口元に寄せた。

「要らん」

「うん、やめた方が良いと思うよ」

 せっかくの綺麗な身体が、勿体無いよ。そう言って、瞬は煙草を床に押し付けて火を消した。

 人をここまで穢しておいて、なにが綺麗だ。忍は心のうちで悪態をつくものの、声にはしない。

「じゃあ、僕もう行くね」

 すっと立ち上がり、瞬は倉庫のドアに向かっていく。

 扉に手をかけたその時、忍は上半身を起こした。

「瞬……」

 忍の声に、瞬は扉を開けようとした手をピタリと止めた。

「なに?」

 忍に背を向けたまま、低い声を発する。

「どうして……こんな……」

 少しの間の後、忍はやや震える声で尋ねた。

 瞬は応えない。ただ背を向けたまま黙り込む瞬の様子が、やはりいつもとは別人のように見えて、何故か酷く胸の鼓動が高鳴った。

「しゅ……」

「ありがとね、先輩」

 突然、瞬が振り返って明るい声で言い放った。いつもの無邪気な笑顔を浮かべて。

「頑張った甲斐あったよ。嬉しかった」

 まるで挨拶でも交わすかのように爽やかにそう言うと、瞬は扉を開き、体育用具室を後にした。


 サラリと揺れた、長い髪。

 見慣れた後姿が、酷く大人びて見えたのは、きっと気のせいなんかじゃない。




 自分以外誰もいなくなった静かな部屋の中、忍は神妙な面持ちで、潰されて火を消された煙草を見つめる。

 何故。どうして。こんなことをする理由なんて、ただ一つしかない。

 もう一度、忍は同じ疑問を自分に投げかける。

『光流先輩にいつも抱かれてるんでしょ?』


 この自分が認めるくらい、頭の良い奴だから。

 きっともう全てを解っているのだろう。


 どうして、こんなに長い間、彼が自分に向ける瞳の奥にあるものに、気づいてやれなかったのだろう。

 後悔ばかりが、忍の胸の内に渦巻く。

忍は床に置かれた煙草の箱とライターを、そっと手にとった。

 箱から煙草を一本取り出して火をつけようとして、ほんの一瞬、躊躇った。

 こんなものに頼るよりも、全てぶち壊して限界なんて軽く飛び越えて、それから諦められるだけの強さが、自分にもあったら良いのに。

 

 昨日までの瞬の笑顔が、今はあまりにも遠い。いつの間にか勝手に巣の中から飛び立っていってしまった、雛鳥のように。

 きっともう二度と戻ることはない笑顔を思い出しながら、忍はただ己の愚かさを悔い、揺らめく煙草の煙を見つめ続けた。