promise


 本音では、別にどちらでも構わなかった。
 ただ、まるで当然のように光流が言うものだから、なんだか無性に腹が立って。

「そろそろキスだけじゃ物足りねぇんだけど……」
 いつもより少しだけ長いキスの後、もじもじと顔を赤らめながら言う光流を心底可愛いと思いながら、忍もまた「確かに」と心の中で頷いた。
 初めてのキスから1ヶ月、そろそろ前に進んでも良い頃合かもしれないとは思っていた。けれど、触れ合うたびに照れ臭そうに顔を赤らめる、光流の初心な反応があんまり可愛いものだから、ちょっと焦らしてみたいという意地悪心にかられ、忍はわざと惚けたフリをした。
「何の話だ?」
 にっこり笑った忍の心中を見透かしたのか、光流が目をすわらせ眉を吊り上げた。
「解ってんだろ、いいかげんヤらせろって話だよ」
 声を低くして直接的な台詞を口にする光流は、全然ちっとも何も可愛くないどころか、憎たらしい以外の何者でもなく、忍は途端に額に青筋を立てる。
「いつどこで誰がおまえにヤらせると言った?」
 そんな約束をした覚えは毛頭ないし、はなから決め付けてかかる態度も気に入らない。そのうえ恐ろしくデリカシーのない抑圧的な言葉。思わず殴りたくなるほどの怒りを覚えた忍だが、あくまで理性的に感情を抑えた。
「言ったとか言わないとか、そういう問題じゃねぇだろ?」
 だったらどういう問題だというのか。光流の言葉の意味がまるで解らない忍は、ますます頑なな表情をする。
 そこから先は、全く噛み合わない口喧嘩の応酬だった。
 口で言っても解らないなら拳で解らせるしかない。
 意見が一致した二人は、何がなんでも己の意思を貫くため、男と男の真剣勝負に挑んだわけである
が───。



 憎たらしい。
 ただそれ以外に、心の内で想う言葉は無い忍だった。
 触れるだけの柔らかいキスをされても、切った唇の端が治りきらないままでは、痛みしか感じない。それなのに目の前の光流はと言えば、化け物じみた体質のおかげで傷一つない綺麗な顔。おまけに酷く嬉しそうに表情を緩めているものだから、なおさら苛立ちばかりが増していく。
 けれど約束は約束だから、仕方が無い。勝負に負けたのは確かだ。男ならば腹を括ろうと覚悟は決めたものの、悔しさだけはどうしても拭い切れない忍だった。
「忍~、いーかげん機嫌治せって」
 腹立たしさのあまり、舌を絡ませてきてもまるで応えないでいると、光流が呆れ声を放ち苦笑した。押し倒された体制のまま、忍は無言で光流を睨みつける。
「ちゃんと、痛くないようにするから……」
 どこで知識を得てきたのか、しっかり用意してきたローション片手に、光流は懸命に機嫌取りにくるが、忍の心は硬く張り詰めたままだった。
 そんなに優位を勝ち取ったことが嬉しいのか。優越感に満ちた光流の態度に、ただただ苛立ちが募る。
 はっきり聞いたわけではないが、大して女経験もないであろう童貞同然の男に、この自分が組み敷かれるなど、よく考えても考えなくても冗談じゃない。女を悦ばせる手段ならいくらでも知り尽くしているこの自分が。この自分が……!!!!
 沸々と湧き上がる怒りを抑えきれず、忍は突然に上半身を起こすと、光流の肩を押して体制を逆転させた。
 いきなり押し倒された光流は、何事かと目を丸くする。
 構わず忍は勢いよく光流のパジャマのズボンを下着ごと引きずり下ろし、下半身を露にした。既に硬く張りつめているそこを右手で握り締め、性急に唇を寄せ舌を這わせる。
「な……っ、何すんだよ……っ!!!」
「黙れ童貞。どうせ大した女経験もないんだろう? だから途中までリードしてやろうと言ってるんだ」
 さすがに動揺を隠せないが何故か拒みもしない光流に、忍は低い声で言い放ち、躊躇もせずに握り締めた性器の裏筋に舌を這わせる。
「い、いや、確かに大した経験はねぇけど……っ」
 光流は間抜けな声をあげ忍の頭を押しのけようとするが、大した力が篭ってないところを見ると、本気で抵抗する気はまるでないのだろうと忍は判断した。こうなったらとことんやってやる。男を悦ばす術など知らないが、なんとなくは解る。自分も同じ男だからなんとなくは。
 そんなことを思いながら、唾液にまみれた卑猥な音をたて、光流の自身を巧みな舌使いで愛撫する。舌先で先端をなぞると、光流が小さく呻き声をあげた。その声に気を良くした忍は、目を細め硬い性器を喉の奥まで咥え込んだ。髪を掴む光流の手に、徐々に力が篭る。ビクビクと身体が震える。絶頂までそう長くは持たないだろう。
 最後の仕上げとばかりに、忍は咥えた性器を唇をすぼめて締め付け、強く吸った。
「……ぁ……ぅ……っ!」
 ビクリと光流の身体が跳ね上がり、咥内の熱い性器がピクピクと震える。口の中に広がる何とも言えない味もまるで気にならないほどの征服感に包まれ、忍は咥内に放たれた液体をゴクリと飲み干した。
 唇を離し、息を荒くする光流を見下ろす。瞳が潤み頬が紅潮している光流の顔を見つめたら、先ほどまでの苛立ちはずいぶん遠のき、新たな欲望が芽生えた。いっそこのまま犯してやりたいが、それはさすがに光流が許さないだろう。そう思ったら、また負けたことへの悔しさが蘇ってくる。だが考えてみれば、セックスは喧嘩と違って上下で劣勢が決まるわけではない。要はリードした方が支配者なのだ。
「忍……?」
「安心しろ、約束は果たす。いいからおまえはじっとしてろ」
 忍は言いながら、光流の用意したローションに自ら手を伸ばした。蓋を開け無造作に、まだ起立したままの光流の自身にローションを垂らす。間髪入れず上に乗った忍を見上げ、光流はただただ唖然とするばかりであった。
「ちょっ……それはさすがに無理だろ……っ!」
 待て待て待てっ!!!!と制止する光流を前に、しかし忍は譲らなかった。
 秘部に光流の自身をあてがい、腰を沈めようとするが、光流の言う通りさすがにキツい。だが慣らしもせずに無茶なのは覚悟の上だった。このさい痛みなんか関係ない。入れさせてやれば満足なんだろうと、半ば自暴自棄になっている忍は、痛みに顔を歪めながらも懸命に光流を咥え込もうとする。
「……く……っ」
 これ以上はさすがに無理かもしれない。でも、いまさら後に引けるか。大丈夫。このくらい、あの時の痛みに比べたら──。
 忍があくまで攻撃的で強気な瞳に涙を滲ませた、その時だった。
 ふわっと身体が宙に浮き、視界が回る。一瞬何が起こったのかと混乱した忍は、目の前にある光流の顔を確認したと同時に、体制を逆転されたことに気づいた。眉をしかめると、光流が荒っぽい声をあげた。
「だから無理だっつの! いーかげん意地張ってんじゃねぇよ」
 やや怒りが混じった呆れ声。優位を覆された忍が光流に反抗的な目を向けたその瞬間、突然大きく足を開かされて、忍は羞恥にカッと頬を赤く染めた。
「やめ……っ」
「いって! 暴れんなって!」
 こんな体制を強いられて、誰が平然としていられるものか。自分がやったことはまるで忘れて、忍はその体制から逃れようと懸命に身を捩るが、押さえつける光流の力の方が遥かに強かった。どうしたって力では勝てないこと思い知り、忍は悔しさに表情を歪ませる。まるで獣のような瞳で光流を睨みつけるが、力を緩める気は一向にない光流を前に、不意に諦めたように力を抜いた。
「大丈夫……だから」
「何がどう大丈夫なんだ童貞」
 それでも負けを認めたくなくてキツく睨みつけてくる忍を、光流は苦笑しながら見下ろす。
 不意に塞がれる唇。忍は突然の抱擁に目を見開く。光流の柔らかい舌が咥内を巧みに愛撫する。
 こんなキスは、今までにも何度もした。けれど今までは、もっと不器用で幼くて、ただ触れるだけのキスのほんの少しの延長線でしかなかったはずなのに、どうしてこんな慣れたキスを──。
 激しい動揺が忍を襲った。
「……っは……」
 嵐のような激しいキスの後、忍が頬を紅潮させ光流を見上げると、光流は隠していた本性を曝け出すように、口の端をあげて笑った。
(こいつ……っ)
 途端に忍は、屈辱にも似た感情を覚える。
 首筋に光流の唇が這う。同時に腰と胸を指で刺激される。スムーズな手つきも仕草も、全てが初めてなんかじゃないとすぐに解る。      
(嘘つき……!!)
 忍は心の内で叫んだ。
 何が童貞だ。何が大した経験がないだ。今までどんな風に、どんな女を抱いたんだ。その唇で。指で。舌で、どんな風に───!!!
 急速に感情が昂ぶり、忍は瞳を潤ませた。
「忍……」
 名前を呼ばれても、何も感じない。その声で、同じように誰かを呼んでいたのだと思ったら。
 泣き出したくなるほどの激しい嫉妬心が忍の心を苛む。まるで裏切られたかのような絶望感と、騙されたかのような嫌悪感。全身が激しく光流を拒絶した。
 性急にパジャマのズボンが引きずり下ろされる。心が追いつかないまま行為を始められ、なおさら嫌悪感ばかりが増した。
「い……や……、いやだ……っ!」
 忍が本気で拒んでも、光流は行為を止めようとはしなかった。
 それなのに、限界まで開いた足の間から感じる艶かしい舌の感覚に、身体は勝手に翻弄される。
 悔しさ。怒り。悲しみ。全ての感情が交じり合って、ただ苦しい。忍の目尻に涙が零れ落ちたと同時に、光流が忍の自身から唇を離した。
「忍、こっち向いて?」
 酷く優しい声で、耳元で囁かれる。忍はふるふると首を振り、瞳に涙を滲ませながら顔を逸らした。どこか幼子のようなその仕草を前に、光流が仕方ないように眉を下げる。
「……っやだ……っ、おまえなんか……」
「うん……」
「嫌い……っ……」
 大嫌いだ。そう心で叫んでいるのに、あまりに優しく抱き寄せられるから、なおさら感情が昂ぶって涙が止まらなくなる。
「わかったよ。……ごめんな?」
 何で謝るんだと、そんなの認めたも同然だと、忍はなおさら光流を責めたくなった。
 認めてなんか欲しくなかった。本当はもうとうの昔に、自分とは違う誰かを愛していただなんて。
「好きだよ……忍」
 抱き寄せられて、額に、頬に、唇に、何度もキスをされる。
 甘いばかりの抱擁がただ切なくて、徐々に昂ぶっていた感情の波が引いていく。目を開いて光流を見つめれば、いつもの光流の顔がそこにあって、忍はようやく少し冷静さを取り戻した。
 まだ出会っていなかった時間を責めてもどうしようもない。過ぎ去った記憶だけの真実に嫉妬しても仕方が無い。それでも、どうしても、自分だけであって欲しかったと願ってしまう。そんなどうしようもない我儘すら、今の光流なら受け入れてくれるような気がするから。
「本当に……?」
「うん。おまえが一番好き」
「絶対だな……?」
「絶対絶対絶対、おまえだけだから」
 今も、これから先も、ずっと。
 そう囁く光流の声を聞いたら、確かな約束を手に入れられたような気がして、忍は光流の首に手を回し、しがみつくように抱きついた。


『本当?』


『絶対?』


 ずっと、ずっと、心の中で叫んでいた。
 いつだって不安で不安でたまらなくて、確かなものが欲しくて。
 本当のことも、絶対のものも、どこにもないと知っているのに。
 今は……今だけは、本当に、絶対にあると、信じられる。

   

「愛してるよ……忍」
 言葉一つで、人はなんて無防備になれるのだろう。
 忍は瞳を閉じ、全てを預けるように身体の力を抜いた。
 撫でるように髪に光流の手が触れる。柔らかな唇の感触。いつか抱いたような懐かしい感覚が心地良くて、熱い温もりにただ身を任せる。
「……ぁ……っ……」
 徐々に迫る波に攫われ、忍はきつく瞳を閉じた。頭の中が霧がかったように白い。何も考えられなくなる。太股に感じる光流の柔らかい髪の感触が、妙に気恥ずかしくて心地良い。湿った舌の感覚に、もう何をどうされても良いとすら思ってしまう。快楽ばかりを与えられ、羞恥心を感じる余裕すらなく、忍は自ら足を開き、ねだるように腰を振った。
「あ……あ……っ、イ……っ!」
 一気に高みに導かれ、忍は大きく身体を震わせた。同時に放たれる白濁。達した後も光流は舌での愛撫を止めない。敏感になりすぎている自身をなおも刺激され続け、忍はビクビクと肩を震わせ、苦痛にも似た表情できつく目を閉じた。
 体の震えが止まると、そっと光流の温もりが離れていく。ようやく快楽から解放されても、乱れた呼吸はなかなか上手に整わず、忍は浅く息を吐き続けた。
 不意に身体を反転させられ、忍は大きく目を開いた。腰を掴まれ膝を立たされる。あまりに恥ずかしい格好をさせられている自分に気づき、忍の顔が耳まで真っ赤に染まった。
「ほら、無理するから赤くなってんじゃん」
 更に恥部を広げられ、まじまじと見つめられているも同然の台詞に、死にたくなるほどの羞恥を覚えた。逃れようとする間もなく、そこに光流の舌が這い、艶かしい感触が脳天を直撃した。忍は初めての感覚に戸惑い翻弄されるが、無理やりにこれも行為の一貫だと自分を納得させる。けれどあまりに執拗な愛撫に、いいかげん限界だと身を捩って羞恥の渦から逃れた。
「いいから……っ、さっさと入れろ……!」
「だーかーらー、いきなりは無理だっつの」
 光流が諭すように言うと、忍はまだ顔を真っ赤にしたまま涙目で光流を睨みつける。光流は苦笑しながら再度忍の腰を掴み、元の体制を強いた。
「とりあえず、指一本からな?」
 なんだかやけに楽しそうな声で言うと、光流はローションで濡れた指をゆっくりと忍の中に侵入させる。
 せめてこの体制はやめてくれと忍は身を捩ったが、光流に駄目だと拒絶される。四つん這いで光流の指を受け入れたまま、忍はぎゅっと目を閉じ肩を震わせた。
「この辺、どう?」
 ぐりぐりと奥を刺激されるが、気持ち良いとか悪いとか感じる以前に羞恥心が勝り、忍は唇を噛み締め嫌だと首を横に振る。今の自分の格好を自覚すればするほど、自尊心はボロボロに砕かれた。
 そんな忍の羞恥心を更に煽るように、光流は右手の中指を挿入させたまま、ローションで濡れた左手を忍の性器に絡ませた。
「や……ぁ……っ」
「こうした方が気持ちいいだろ?」
「良く……ない……っ……」
「嘘つけ、しっかり勃ってきてるぜ?」
 光流がぐちゅぐちゅと音をたてて忍の性器を扱く。明らかにわざと聞かせているのだと思うと悔しさばかりが込み上げるが、差し込まれた指の感覚すら刺激になるほどの強烈な快楽が忍を襲った。
「も……や……っ」
「こんだけ先っぽ濡らしてんのに? 中も、俺のことすげぇ締め付けてる。……もう一本入ったの、解る?」
「あ……っ、ぁ……!」
 滑った指で先端を擦られる。外の刺激が強すぎて、中の感覚はとうに麻痺していた。ぼうっとする頭のせいでいつの間にか羞恥心も忘れ、滲む涙で目の前が見えない。がくがくと震える腕では四肢を支えきれず、布団の上に額を落とし腰を高く突き上げた。
(光流の……っ、入って……)
 男なのに、女みたいに中に指を入れられて、こすられて、こんなに気持ち良いなんて。もっと熱いものを入れられたら、どうなってしまうのだろう。忍は淫乱に喘ぐ自分を自覚するたび、今までに感じたことのない強烈な快楽に襲われ、淫らな我が身に失望を覚える。
「すげ……こするたび、中も締め付けてくる」
「ん……っ、んぅ……、も……苦し……っ」
「じゃ、顔こっち向けて」
 仰向けにされ、限界まで足を開かされる。前も後ろももうぐちゃぐちゃな忍の、ぴんと尖ったピンク色の乳首に、光流は恍惚とした表情で無我夢中に舌を這わせた。忘我しきった忍の目尻に涙がこぼれる。喘ぎ声はいっそう高さを増した。
(や……っ、イ……く……! イく……っ!)
 ビクビクと忍の身体が痙攣し、嬌声と共に性器から勢いよく白濁が放たれた。
 意識が飛んだようなうつろな瞳。口元からだらしなく零れる唾液。全身がまだビクビクと敏感に震え続ける忍の唇に、光流は愛しげにそっと唇を寄せた。
 触れるだけの優しい口付けと共に、そっと光流の指が引き抜かれる。途端に酷く切ないような気持ちにかられ、忍は性急に次の刺激を待った。しかし光流は静かな仕草で髪に指を絡ませるばかりで、次の段階に移ろうとはしない。
「早く………準備しろよ………」
 忍は待ちきれず訴えた。 
 中がまだズキズキと熱い。まるで何かを欲しているように。
「え……いや、やっぱまだ、やめとく」
 しかし光流はといえば、すっかり理性を取り戻している様子だ。思いがけない光流の台詞に、忍は突き放されたような気がして、焦りにも似た感情を覚えた。
「なん…で…」
 何か怒らせるような真似をしただろうか。そんな忍の不安とは裏腹に、光流は慈愛に満ちた瞳を忍に向けた。
「ちゃんと慣らしてからにしようぜ?」
「もう平気だ……」
「いや、さすがに俺のもっとデカいんだけど」
「そういう意味じゃない」
 額に青筋をたてる忍を前に、光流は狼狽の色を見せた。 
「だ、だって、痛いのヤだろ?」
「痛いのは嫌だ。でも……」
 忍が目を細め、懇願するような瞳で光流を見上げた。光流が一瞬、瞳に戸惑いの色を浮かべ、それから期待に満ちた瞳で忍の次の言葉を待った。
「最後までするって……、約束……しただろう?」
 忍が応えると、光流はまるで肩透かしをくらったような顔をして苦笑した。
「出来たらそこ、好きだからとか愛してるからとか言ってくれたほうが、俺としては嬉し……」
「いいからさっさと準備しろ!」
「はいはいはい!!!」
 ぐだぐだ乙女チックなこと抜かしてないで、さっさと約束を果たせと忍が噛み付くと、光流は途端に背筋をピンと伸ばす。そしてあくまで従順に、しっかり準備していた避妊具に手を伸ばした。
「つ、つけなきゃ駄目……?」
 ビクビクしながら尋ねる光流を、忍は鋭い瞳で睨みつける。光流は「あんなに嫌がってたくせに……」とまだブツブツ言いながら、しっかりがっつり勃たせている自身に避妊具を装着した。
「じゃ、お願いします……」
 おずおずと、光流は忍の上に覆いかぶさった。
「萎えるからやめろ」
 男としてあまりに情けない姿を前に、忍が目をすわらせる。しかし光流はまるで気にしていないように、にっこり笑った。
「俺は全然いけるけど?」
「それでよく途中でやめようと思えたな」
「だって……やっぱ、大事にしてぇから」
 忍の上に覆いかぶさりながら、光流は酷く優しい声で言った。
「だからもう、お互い意地張るのやめようぜ? これ、喧嘩と違うんだからさ」      
 勝ち負けだとか貸し借りだとか、言ったから言わないからとか、約束したからだとか、そういうことじゃないだろ。
 そう言った光流を前に、忍がきょとんと首をかしげる。まるで意味が解っていない様子の忍を見つめ、光流は困ったように笑った。
「勝ったからとか約束したからじゃなくて、おまえのこと好きだから、大事に抱きたい……。おまえは? 俺のこと、ちゃんと好き?」  
「……言わなきゃ解らないか」
「わかんねーよ。だから解るまでしたくないって言ってんの」
 そう言われて初めて、忍は光流の真意を理解した。
 だがそれなりの想いがなくて、誰がこんな行為にまで及ぶものか。それなのに、何が「解らない」だ。鈍感すぎるにもほどがある。そう心の内で反発しながら、解ろうとしない光流が酷くもどかしくて、忍は悔しげに眉を寄せ光流を見つめた。
「どうしたら……解るんだ……。こんなに……」
 光流の欲しい言葉を口にするのは簡単だと思う。
 けれど、望まれたからといって簡単に言葉にしてしまったら、そんなのただ「言わされている」だけじゃないか。
 ずっとそうやって、嘘をつき続けてきたから。
 本当は嫌なことも「はい」。本当はやりたくないことも「はい」。本当は好きな人も「嫌い」。本当は嫌いな人も「好き」。本当は。本当は。本当は──。
 自分の本当の心とは裏腹の、大人の望む言葉ばかりを言い続けることで褒められて、これで良いんだと自分の気持ちを誤魔化して、いつしか何が本当で何が嘘なのかも解らなくなっていた。
 だから今も、本当に光流の望むまま言葉にして良いのか解らないでいる。今言ったら、また嘘になってしまいそうで。
 でもだからって、ここまで全てを投げ出してるのに、解ってもらえないなんて、あまりにも苦しすぎる。
「こんなに……光流が……欲しいのに……っ」
 そう望むことはただの欲望で、光流の望むものとは違うのだろうか。忍が泣きたくなる想いで訴えると、光流が突然に大きく目を見開き、それから耳まで顔を真っ赤にした。同時に思い切り強く抱きしめられる。
「解った! おまえの気持ちは凄くよく解った! もうほんとごめん!!! 俺が悪かった!!!!」
 何故だかやたらと興奮している様子の光流に抱きしめられ、忍は眉をしかめる。
 おまえってほんとずるい! 反則! これだからもう!! そんなわけのわからないことを言いながら、抱きしめる腕に痛いほど力を込めてくる光流を、忍はやや迷惑そうに押しのけた。
「わけのわからんことを言ってないで続きをしろ……っ」
「言われなくても準備万端! 見ろよ最高に盛り上がったこの俺の分身を! もう全っ部やるから! 俺全部やるから!」
 馬鹿だ。やはりこいつは底なしの馬鹿だ。もはやそんな言葉しか浮かんでこない忍であったが、光流はテンションマックスの様子で忍の膝裏に手をかけ、大きく足を開かせた。
 あまりにいきなりの体制に忍は顔を熱くするが、光流は性急に忍の秘部に唇を寄せ、半ばむしゃぶりつくように舌を這わせた。
(うぅ……~~っ)
 まるで気持ちの準備が出来ていなかった忍は、突然の感触に眉をしかめる。なんかもうどうしたら、という状況下においても、身体というのは正直なもので。捻じ込まれた光流の舌の感触に翻弄され、忍はきつく瞳を閉じた。
 常々奉仕の精神が強いとは思っていたが、セックスにおいてもどうやらそれは一緒らしい。などと明後日なことを思っていたのも束の間、太股や性器を舐められながら再度指を挿入され、あっという間に快楽の渦に叩き落される。それも光流が先ほどまでの数倍興奮しているからなおさらだ。
「忍……、俺の忍……っ」
 まるで大好物の餌をもらった犬のごとく、何度も「俺の」と繰り返し耳元で囁かれ、前も後ろも刺激される。どうやらもうすっかり忍の性感帯を見抜いている光流は、感じる部分ばかりを集中的に責めてきた。こんなことだけは異常に学習能力が高い光流を、忍は心の内で呪った。
「あ……、ん……っぁ……!」
「もっと……慣らしてからな……?」
 光流の荒い息使いが、なおさら全身を熱くする。光流も感じているから、もっと淫らに喘いでも許されると思える。欲望のままに自分を解放できる。誰にも見せたことのない、どうしようもなくいやらしくて恥ずかしい自分を。
「もう……三本入った。俺の……わかる?」
「あ……っ、あ……、だめ……こするの……っ」
 ぐちゅぐちゅと音をたてて扱かれる忍の性器から、とろとろと液が溢れる。達しそうで達せないもどかしい愛撫ばかりに、忍は苦痛にも似た表情を浮かべた。
(やだ……、も……イきた……っ)
 どうしようもなく達したい。忍は自ら腰を振って強い刺激をねだった。 
「すげぇ気持ちよさそ……。指突っ込まれてそんな気持ち良い?」
「ち……が……っ」
「いいんだろ? エロいこと大好きな遊び人の忍クン」  
 まるでこれまで我慢してきたことへの仕返しだとばかりに、光流が耳元で囁く。
 ずっとそんなことを思っていたのかと、忍は怒りと羞恥にまみれながらも、与えられる快楽にただ翻弄される。
「おまえ、こんな感じやすい身体でよく女抱けたな? それとも女の前でも、そーいう顔見せてたのかよ?」
 異常なまでに興奮しているせいか、段々と獣じみた支配欲と、隠していた嫉妬心を露にする光流の言葉に、忍は違うと首を振る。
「もう二度と、そんな顔他の誰にも見せるなよ? 約束できる?」
「は……っ、ん……ぅ……」
 限界まで追い詰められて、心はとうに服従している忍は、早く達したいとばかりにコクコクと従順に頷いた。
「いつもこんくらい素直なら良いんだけどな」
 まるで小さな子供を叱るように囁かれる。
 幼稚なだけの過去などとうの昔に経験済みで、なにもかも見抜いている光流だからこそ、プライドが打ち砕かれても反論は出来なかった。
「これからは勝手な真似させねぇからな。約束破ったら容赦なく泣かすから……覚悟しろよ?」
 こんな風にと、乱暴なまでに足を開かされ、忍は恐怖に全身を強張らせた。
「あ……!!!」
 あまりにも性急に、熱い塊が侵入してくる。無茶苦茶にも程があるが、さんざ慣らされたおかげで覚悟していたほどの痛みはなかった。
 光流の額から、汗がぽたぽたと流れ落ちる。性欲と支配に満ちた男の瞳。まるで理性を忘れた飢えた獣だ。余裕なんてどこにもない。だからこそ、なおさら渇望されていると実感できる。
「忍……っ、すげぇ……いぃ……っ」
「あ……く……っ、この……ケダモノ……っ」
 指とは比べ物にならない熱い塊で内部を突かれ、忍は苦痛に顔を歪めた。
 何が「大事にしたい」だ。やってることは懲罰そのものだと自覚していないのか。
 あまりにも激しい抱擁。心も身体も粉々に砕かれる。
 光流を苦しませるような真似、今までしたくてしてきたわけじゃない。けれどそうしなければ、ずっと求めていた人に必要とされなかったから。
 でもこれからは、光流がいる。もうそんなことしなくて良いって言って、抱き締めてくれる。例え欲望に身を任せ間違った道を歩んでも、強い力で引き戻してくれる。だからもっと。
(もっと……欲し……っ)
 忍の瞳から涙が溢れ、こめかみに伝った。
 酷いことをされているのに、目の前の最高に感じている光流の顔を見れば、熱い吐息を聞けば、全身の熱さを感じれば、心は切に願う。
 もっと、もっと、深く入ってこい。もう絶対に、どこにも逃がさないから。 
「光流……っ……、光流……!」
 これが愛なのか欲望なのか支配なのか、何も解らない。
 ただ想うのは、一つだけだ。
 おまえが。
 おまえが欲しい。
 他には何も、要らないから。
 気が狂うほどの激しい高揚を感じながら、忍はしがみつく光流の背に爪痕を残した。





 この行為のどこがどう、喧嘩と違うというのだろう。
 忍は全身が痛むのを堪えながら、隣ですやすやと眠る光流を見下ろし、すっかり冷静になった頭で思う。
 綺麗に治った顔と一緒で、寝顔もずいぶんと満足し切った安らかなものだ。
 そっと柔らかい髪に指を絡ませる。
 憎らしいのに、どうしても離れられない。愛しいのに、めちゃくちゃに傷つけて引き裂きたい。大切にしたいのに、誰にも奪われない場所に閉じ込めてしまいたい。
 この荒波のような感情を、どう言葉にすれば良いのだろう。
 それともこれが──。


 溢れてきそうな言葉を即座に飲み込み、忍は目を細め窓の外に浮かぶ青白い月を眺めた。
 言ってしまったら、きっと、抑え切れなくなる。
 本当は、いやきっと絶対に、どうしようもなく我儘な自分だから、今はまだ自分すら誤魔化して、気づかないフリを続けよう。
 生まれて初めて手に入れた、大切なものを守り続けるために。