どっきり写真

   

 冬休み終了一日前、蓮川の心は鉛よりも重かった。

「一也、どうした?」

 コタツにうつ伏せながら、もう何度目になるか解らないため息をつく弟に、一弘が眉をしかめながら尋ねる。しかし蓮川はすっくと立ち上がると、兄の声を無視して風呂場に向かった。

 表情に暗さばかりを宿したまま、脱衣所で無造作に服を脱ぎ、風呂場のドアを開ける。

「きゃあっ!!」

 途端に甲高い声が響き、蓮川は大きく目を見開いた。

「ご、ごめんっ!!!」

 耳まで顔を真っ赤にして、即効で風呂場のドアを閉める。

まさかすみれが入っていたとは思わなかった蓮川は、脱いだ服をがしっと掴み、全裸のまま大慌てで居間に戻った。

「弘兄っ!!!!」

「ん~? どうした?」

 タオルで鼻を覆ったまま憤怒の声をあげる蓮川を前に、一弘は新聞を読みながら脳天気な声をあげる。

「すみれちゃん入ってたの知ってたなら教えろよ!!!!」

「え? あいつ先に風呂入ってたのか? そりゃ知らなかった!」

 非常にわざとらしく驚いてみせる兄を前に、わなわなと肩を震わせる蓮川だった。

 


「いいのよやっくん、気にしないで。私達、姉弟なんだから、裸見られるくらいどうってことないわ!」

 あなたはどうってことなくても、俺にとっては大問題なんです!!! そう心の中で叫ぶものの声に出すことは出来ないまま、蓮川は疲れきった表情で「すみませんでした」と頷いた。

 そのままうなだれながらコタツの上に頭を乗せる蓮川に、一弘がやれやれといった様子で問いかける。

「そんなに寮に戻るのが嫌なのか?」

 一弘の問いに、蓮川はピキッと額に青筋をたてて顔をあげた。

「寮に戻るのが嫌なんじゃない、あの人達の顔を見るのが嫌なんだ!!」

 目一杯ムキになる蓮川を見て、一弘は「なるほど」と頷く。隣ですみれが「あの人達って?」って耳打ちをすると、一弘は小声で「隣の先輩達のことだ」と耳打ちした。すみれが「ああ!」と納得の声をあげる。

「この前池田くんがうちに来た時も、冬休みの宿題出来ないからってさんざ叩かれてたものね。やっくん可哀想」

「それはこいつにも問題あると思うがな。まったく、無理に進学校になんか入るからだ」

「誰のせいだ誰の!!!!!」

 そうだ、全ては清く正しい優等生という嘘偽りの仮面で全て騙されていた兄のせいだということを思い出し、蓮川は声を荒げる。しかし今更入ってしまったものはどうにもならない。明日からまたあの悪魔のような先輩二人に、毎日のようにこき使われ苛められるのかと思うと、永久に明日が来ないで欲しいとすら願う蓮川だった。

「よし、わかった。ここはお兄ちゃんが一つ、あいつらをギャフンと言わせる秘密道具をおまえに授けてやろう」

 多少なりとも罪悪感を感じた一弘は、そう言って立ち上がると、しばし部屋から姿を消した。



 数分後に戻ってきた一弘の手には、赤と青の二通の封筒。一弘はその二通の封筒を蓮川の目前に置くと、先に赤の封筒を手渡した。

「まずこの封筒を、あいつらに渡せ。そして「俺の言う事を聞かなかったら、この写真を全校生徒にばら撒く」と伝えるんだ」

 一弘は真剣な表情で言った。蓮川もまた、神妙な顔つきで封筒を見つめる。

「ただし、あいつらに渡すまで、おまえはこの写真を絶対に見るな。おまえが先に見たら効力が薄れる写真だ」

「う、うん……」

 なんだかよく解らないが、一弘の真剣な表情に呑まれたかのように、蓮川はバカ正直に頷いた。

「当然あいつらは、この写真を奪うだろう。だがこっちの封筒に同じ写真がもう一枚入っている。おまえの切り札だ。この封筒だけは絶対に手離すなよ」

「わ、わかった!!」

 幼い頃から「兄の言う事は絶対」と思い込んできた蓮川は、未だその理想を捨てきれないでいる。兄の言葉を微塵も疑う事なく、コクリと頷くのであった。

 

 そして、冬休みはあっけなく終了。

 翌日寮に戻った蓮川は、寮に戻るより先に道中で出会った先輩二人にガックリと肩を落とすものの、すぐに兄に貰った秘密道具を使う事はしなかった。

 
 しかし。


「蓮川、いらねーんなら貰うぞ」

「あっ、それ最後までとっておいた温泉玉子!!!」

 光流があっという間に温泉玉子を喉に流し込んだ横から忍に漬物を奪われ、蓮川はふるふると肩を震わせた。

 実家での豪華な朝食を思い出しつつ、腹を鳴らしながら登校する最中も。

「蓮川、じゃーんけーん」

 ほいっと光流に声をかけられ、条件反射でパーを出してしまった蓮川は、目の前でチョキを出してニヤリと笑みを浮かべる光流を前にハッとする。

「蓮川」

 反対方向から今度は忍に声をかけられ、振り返ると今まさに忍が手を振り上げ「じゃんけん」と言ったところで、またしても条件反射でパーを出した蓮川は、無表情にチョキを出す忍を前に、実に悔しげに開いた手を震わせた。


「いや~、楽チン楽チン」

 三人分のカバンを手に持つ蓮川をバックに、忍と二人身軽に並んで歩く光流が、カカカ!と笑いながら高らかな声をあげた。

「おまえさ、いいかげん急なジャンケンだとパーしか出さねぇ事に気付いたら?」

「余計なことを教えるな光流、学習したら次から使えなくなるだろう」

「平気だって、猿より学習能力ねぇんだから、こいつ」

「確かに猿ほど賢かったら、もっと使い物になっているな」

 どこまでもバカにしてくる二人に、さすがに堪忍袋の緒が切れたか、蓮川は地面にバシッと二人のカバンを投げ捨てた。

「いい加減にしてくださいっ!! 俺はあんた方の奴隷じゃありません!!!」

 顔まで真っ赤にして怒鳴る蓮川を前に、光流と忍はいたって冷静だ。

「奴隷じゃなかったら何だ?」

 忍が真顔で尋ねる。蓮川は俯き、ますます怒りに肩を震わせた。

 しかし数秒後、蓮川は「ふふふ……」と低い笑い声と共に、異様に邪悪な瞳を二人に向けた。

「わかりました。先輩達がそのつもりなら、こっちにも考えがあります」

 蓮川は何かを決意したようにそう言うと、自分のカバンの中から、例の一弘に貰った赤い封筒を二人の前に差し出した。

「なんだ、これ?」

 光流が顔をしかめながら、蓮川から赤い封筒を受け取る。

「いいから見てみて下さい」

 蓮川がそう言うと、光流は怪訝そうな顔をしながらも、赤い封筒の口をビリビリと破く。

「あ、俺には見せないでください! 10秒たったら目を開けますから!」

 「先に見るな」との一弘の忠告をしっかり守り、蓮川は光流が封筒に入っている写真に目を向けるまで、しっかり目を閉じる。しかしその10秒の間に、本当にこんなもので二人をギャフンと言わせられるのだろうかとやや不安になりながら、蓮川は恐る恐る目を開いた。

 そして写真に目を落とす光流の姿が視界に入った途端、蓮川は目を丸くする。

「蓮川……てめぇ、こんな写真どこで手に入れやがった!!??」

 光流が青くなって赤くなったかと思うと、手に持っていた写真をぐしゃりと握り潰し、今までに見たことがないほど動揺を露にする。

 蓮川は心の中で「やった……!!!」と神様に祈るように両手を組んだ。そしてまたも「ふっふっふ……」と不敵の笑みを漏らし、勝ち誇ったような顔を先輩達に向ける。

「その写真、全校生徒にばら撒かれたくなかったら、今日から俺の言う事に一切逆らわないで下さい」

「な……!!」

 思いがけない蓮川の言葉に、光流が言葉を詰まらせる。

「あ、その写真は処分しても無駄ですよ。ここにもう一枚同じ写真がありますから」

「ふ、ふざけんなっ! その写真、渡しやがれ!!」

 光流は即座に蓮川がカバンから取り出した青の封筒を奪おうとするが、蓮川はチョコマカと避け、見事なダッシュで光流から逃げ切ったのであった。



 授業中、蓮川はこっそりと青い封筒の中身に目を落とす。

(何でこんなものにあれほど動揺したんだろ?)

 写真に写っていたのは、大口を開けて涎を垂らしながら保健室で眠る光流の姿だった。

 確かに光流のファンの女の子が見たら幻滅しそうな寝姿ではあるが、学園や寮の生徒達には珍しくも何とも無い姿である。蓮川は不思議だと思いながらも、今朝の光流の動揺っぷりを思い出し、愉快さを抑えきれないように顔をにやけさせた。

 これで当分、あの光流を好きなようにこき使える。そう思うと、ますます笑いが止まらない蓮川だった。



 HR中であるにも関わらず、突然派手な音をたてて開いた扉に、しかし大して驚きもせず一弘は振り返った。

「保険医てめぇっ、何考えてやがる!!??」

 入ってくるなりズカズカと足を進め、怒りを露に一弘の白衣を握り締め思い切り揺さぶる光流を前に、一弘は頭を振りながら「あはははは」と脳天気な笑い声をあげた。

「なんなんだよこの写真は!? こんなもんいつの間に撮りやがった!!??」

 光流は怒りばかりを露に、ポケットに入れていたグシャグシャの写真を一弘に突きつける。その隣で、忍はあくまで冷静に一歩引いていた。

「保健室でこーいうことをするからだ、馬鹿者」

 一弘はそう言うと、ベッドの上でガッツリ絡み合った二人の写真を光流の前にチラつかせた。光流が耳まで顔を赤くして、その写真を一弘の手から乱暴に奪い取る。

「あいつには見せていないから安心しろ。もう一枚は全くの別物だ」

「あたりめぇだっ、てめぇそれでも教師か!!??」

「仕方ないじゃないか、可愛い弟が泣いてるんだ。おまえらには、しばらくあいつに付き合ってもらうぞ」

「どーいう意味だ?」

「あいつが満足するまで下僕になれ。もし途中でリタイアしたら、この写真……わかるな?」

 ニヤリと不敵な笑みを浮かべる一弘を前に、わなわなと肩を震わせる光流と、あくまで無表情な忍だった。




「くっそ、あのオッサン……覚えてろよ!!」

 光流は怒りばかりを露に、屋上の壁にガツッと拳を向けた。

「おまえが責任とれ」

 両腕を組みながら、忍が人事のように言う。光流は振り返って「あ?」と忍を睨みつけた。

「やめろと言ったのに、あの場で事に及んだのはおまえだろう」

「アレは、てめぇが(ヤらせるって)約束破ったからじゃねぇか!」

「約束など破るためにあるようなものだ」

 堂々と非常識をかます忍に、ただでさえ苛立っている光流は、更に苛立ちを露に忍の腕を掴み引き寄せ、乱暴に壁に背を押し付けた。

「だったら俺も破らせてもらうぜ?」

「……っ……」

 突然に唇を塞がれ、忍は目を見開いた。払いのけることも出来ないほど強く腕を捕まれ、咥内に舌が割り込んでくる。

「やめ……っ、ろ……!」

「あん時……おまえだって、喜んでたよなぁ……?」

 光流が低い声で忍の耳元に囁く。痛むほど捕まれる手。光流に力づくでこられるとさすがに抵抗は叶わず、片手で器用にベルトを外しズボンの中に手を滑らせてきた光流の指に翻弄され、忍は目を閉じ悔しげに唇を噛み締めた。

 突然に身体を反転させられたかと思うと下半身を露にされ、後ろにも指を含まされる。忍は壁に手をついて、襲い来る刺激に頬を紅潮させ甘い息を漏らした。

「俺の……欲しい……?」

「……っ、ん……」

「やんねぇよ」

 それよりも、おまえをよこせ。そうとでも言うように、含ませた指と前に絡む手を同時に激しく動かす。

「あ……っ、ぁ……!」

 性急に絶頂に導かれる。白濁を放った瞬間、「おまえは俺のものだ」と囁かれて、忍は全てを奪われたような気がした。

 


 その日の夕食時。

「先輩、トンカツ貰いますね」

「あ……! てめぇ……っ」

「何か文句でも?」

 ニヤリと笑みを浮かべながら、鼻高々に光流のオカズを口にする蓮川を前に、光流は悔しげに蓮川を睨みつけるが、保険医の言葉を思い出すとどうにも出来ない。

 これまでの仕返しとばかりに、朝からカバンを持たされるわ、朝食も昼食も夕食もオカズを全て奪われるわ、宿題は全てやらされるわ、あまりの蓮川の横暴ぶりに、緑林寮の生徒達は遠巻きに眺めながら、さすがに光流が気の毒になってきた様子である。

「一体何があったんだ?」

「さあ?」

 隣で食事を取りながら耳打ちしてくる栃沢に、瞬が黙々と夕食を平らげながら人事のように応える。

「忍、おまえオカズ分けろよっ!」

「残飯処理でもして来い」

 こちらも相当怒っている様子で、今にも呪い殺されそうなほど冷徹に睨みつけられ、「はい」と情けなく頷く光流に、周囲はやはり同情の視線を向けるのだった。



「あーっ、極楽極楽」

 当然のように風呂の順番も譲ってもらい、湯船に浸かりながら、蓮川は満足し切った声をあげた。

「すかちゃん、後でどうなっても知らないよ?」

「大丈夫だって、なんたって俺には秘密道具があるんだからな!」

「その秘密道具が怪しすぎるから言ってんだけど……」

 瞬は呆れながら言うが、浮かれ切っている蓮川の耳に届いているはずもなく、無駄だと悟って小さくため息をついた。



「ほら先輩、さっさとついで下さいよ」

 211号室の部屋のド真ん中であぐらをかき、目の前で正座する光流に手酌を要求する蓮川を前に、忍はあくまで知らんふり、瞬は忍の隣で苦笑しながらその様子を見つめる。

 完全に蓮川の奴隷と化している光流は、もはや我慢の限界だというように、いきなりすっくと立ち上がった。

「蓮川! てめぇいい加減にしやがれ!!!」

 いきなり切れた光流を前に、蓮川はやや動揺しつつも、秘密道具がある安心感から上から目線を崩さない。

「い、いいんですか先輩? あの写真……」

「おう、ばら撒け! いくらでもばら撒け! いいか、俺達の愛はこんなもんで崩されるほどヤワじゃねぇんだよ!!!」

 完全にぶち切れて開き直った光流は、そう叫ぶと蓮川の前に堂々と自分達の絡み写真を突きつけた。

 刹那、蓮川の顔が青くなり赤くなり、それから大量の鼻血と共にバタッと床の上に倒れた。

「なるほど、最初から見せれば良かったんだな」

 泡を吹いて倒れる蓮川を前に、忍があっけらかんと言い放つ。

「おい蓮川っ、しっかりしろ! 蓮川―――っ!!!!」

 光流が慌てて蓮川を介抱し出す。

 そんな三人の様子を、「あーあ」と呆れながら見つめる瞬であった。