弱さなんて、とっくに捨てたと想っていた。
 けれど本当は、分かっていなかっただけなんだ。

「弱みというのはね、失いたくない物のことなの。弱みがないということは、何も愛していないということだわ」

 いつか誰かが言ったその言葉が、胸に突き刺さる。


「ん……ぁ……っ……っ」
 辛くて苦しくて痛くて、そんな胸の内をどうにか快楽でやり過ごそうと、抱きすくめられる腕に身を預けて溺れていく。
 首筋に舌が這う。胸を強く摘まれる。広げた足に伝う体温と、内部に感じる熱い塊。
 もっと溺れていきたくて声をあげたら、突然に口を塞がれた。
 息苦しさに涙が滲む。
 解放と共に呼吸も自由を取り戻して、軽く頬をはたかれて、まだ朦朧とする意識をやっと取り戻した。
「殺す気かよ……」
 抗議の声をあげるが、相手は平然と乱れた衣服を整えるだけで。けれどその冷たい態度が逆に安堵感をもたらす。

「求めてきたのはおまえだろう?」
 乱れた呼吸を整えながら睨みつけてくる光流に、一弘は冷静に言い放った。
「あー……おかげでぶっ飛んだわ」
 満足したのかそうでないのか分からない口調でそう言いながら、光流は制服を身につけていく。
 ふと、保健室のドアがガラリと音をたてて開き、光流は慌ててカーテンを閉めた。
「失礼します」 
 カーテン越しに聴こえる覚えのある声が耳に届き、一瞬目を見開く。

「どうした手塚、おまえもサボりか?」
「いえ……体育の授業中にクラスメートの一人が軽い怪我をして、救急箱を借りに来ただけですが……」
「そうか。お察しの通り、相棒ならそこに寝てるぞ」
 一弘の言葉に、光流はチッと舌打ちする。慌てて布団の中に潜り込むと、シュッと音をたててカーテンが開いた。
「光流、またサボりか?」
「……もーちょっとだけ」
 あくまで寝たフリを決め込む光流に、忍は仕方ないようにため息をつくと、すぐにカーテンを閉めた。
 救急箱を持って忍が出て行ったのを確認して起き上がり、とめかけのボタンを締める。

「良かったな、バレなくて」
 ニヤリと笑う一弘を、光流は心底ムカつくといった様子で睨みつける。
 それから、ふぅと疲れたように息をついた。
「……嘘ばっかり、上手くなるよな」
「罪悪感を感じられるなら、まだマシな方だ」
「なんかさ……弱くなった気がするんだ」
 やや悲しげな瞳をして、光流はネクタイを首にかける。ふと一弘がタイに手を伸ばし、そのまま結び始めた。
「嘘をつくのが、苦しくなったか?」
「あいつは何も疑ってない。俺はいつでも綺麗で正しくて強くて……だから、笑ってなきゃいけねーんだよ」
「おまえはもう少し、自分を曝け出す必要があるんじゃないか? それとも怖いのか? 本当の自分を見せて、絶望されるのが」
「……そうだよ」
 キュッとネクタイが結ばれ、光流はまっすぐな目を一弘に向けた。
「怖いんだ」
 そう言いながら、光流の眼差しは酷く強い。
「……分かるよ」
 優しい声色で一弘は言った。
「人を愛するっていうのは、そういうことだ」


 弱くなる。
 愛すれば愛するほど、心が悲鳴を上げる。
 嘘ばかりの自分に嫌気がさす。

 汚い。
 俺は汚い。
 こんな俺を知ったら、おまえはきっと絶望するだろう。
 だから嘘をつき続ける。
 それでおまえが綺麗な心で笑っていられるのなら。

 この穢れた手は、いつかおまえを壊すかもしれない。

 それでも夢を見ている。

「光流」
「……よう。今から昼飯?」
「ああ」
「腹減った~。今日何食おう」
「ついさっきまで寝てたんだろう?」
「寝てたって腹は減るっつの」
「燃費の悪い体だな」
「決めた。かつ丼ときつねうどんと……」
「太るぞ」
「そのぶん動く!」
「おまえは動きすぎだ。たまにはじっとしてろ」
「だめっ! もー腹減りすぎて限界! 食堂まで走るぞ!」
「待てって……光流!」

 こんな俺を、穢れのない瞳で見つめるおまえに触れるたび、人は美しいと思えるのだから。