「しーのーぶーっ!!」
「煩い」
すたすたと歩いていく忍の後を光流が犬っころのように追いかけ、相手が明らかに迷惑がっているにも関わらず抱きついてキスをする。
いくら周囲に人の気配が無いとはいえ、公衆の場で堂々とイチャつくのはどうかと思うが。
そんなことを思いながら、一弘は窓際から離れ椅子の上に腰を下ろし、書きかけの書類に目を移す。
ふと、その瞳に暗さが宿り、しかしすぐに口元が小さく笑みを浮かべた。
明日から、ずいぶん寂しくなるな。弟も今頃泣いているのではないだろうか。後で慰めの言葉でもかけるべきかと思ったが、それはやはり慕っていた兄貴分達にしてもらうべきことだろうと思い直した。
窓の外から聴こえる賑やかな声が止み、部屋の中が静寂に包まれた頃、扉がガラリと派手な音をたてて開く。
「……最後まで仮病か?」
「いや、さすがに寝てる時間はねーんだけど、やっぱ最後に来ておかなきゃって思って」
光流がいつもの笑みを浮かべながら、一弘のそばに歩み寄った。患者用の小椅子にドカッと腰を下ろす。
「一也は大丈夫か?」
「あいつは心配ねーよ。俺よりずっと強いからな」
「そうか?」
「そう」
やけにハッキリと頷いた光流に、一弘は微笑を浮かべる。
少しの沈黙の後、光流が少し照れ臭いような、けれど真剣な目を一弘に向けた。
「ずっと……ありがとな」
「えらい素直だな、珍しく」
一弘がニヤリと笑って応えると、光流は勢いよく立ち上がって、同じように笑った。
「俺、素直だもん。事によるけど」
「まあ人間、素直が一番だ」
「うん」
「卒業おめでとさん。頑張って、幸せになれよ」
まっすぐに見つめ合った直後、光流が足を踏み出した。
一弘は机の上の書類に目を向ける。
ペンを握ったその時、突然、頬に暖かい感触が走った。
次の瞬間、唇に触れた───熱。
長い睫毛と、柔らかい髪が、目の前で揺れる。
ガラス玉のような茶色い瞳が、あまりに綺麗で、優しくて。
だからだろうきっと。
何も、言葉に出来なかったのは。
「……じゃあな」
小さくそう言って、大人への道を歩み始めた少年が、扉を開き保健室を出て行った。
パタンと小さく音を立てて、扉が閉まる。
一弘は再び書類に目を落とし、ペンを握り締め、それから緩やかに微笑んだ。
やっぱりまだまだ、子供だな。
最後にずいぶんと、残酷なことをしてくれる。
ぽたりと落ちた一粒の液体が、書類上の文字を滲ませた。