悲鳴



 心が悲鳴をあげている。
 それでもなお、日常では笑顔を絶やさない。
 どうしてそこまで無理をするのかと、尋ねても無駄なことだろう。
 
「……ふ……っ……ぁ……」
 見上げた顔が快楽に喘ぐ。
 ベッドのシーツに手をついて、自ら腰を動かす光流の瞳が、一弘の瞳をまっすぐに見据える。
 傷ついて、壊れそうになりながらも、なお誇りを失わない気高い瞳。
「もう限界か?」
「……全然、足んねー……っ」
「残念だけど、時間オーバーだ」
「……っあ……!!」
 一弘の手が光流の腰を掴み、激しく突き上げられて光流は絶頂に導かれた。
 こめかみから汗が流れ、シーツの上にぽたりと落ちる。光流は荒く息をしながら、離れて身支度を整えようとする一弘に鋭い視線を向けた。
「もっと……しろよ……」
「時間オーバーだと言った……」
 突然、肩を掴まれ物凄い力でベッドの上に押し付けられ、一弘が一瞬目を見開いた。
「しろっつってんの、分からねぇ?」
 まるで肉食獣のような眼光を帯びた視線。

 壊れそうなんじゃない、壊れているんだ。
 
 そう気づいた瞬間、一弘は強い力で光流の肩を抱き寄せた。
 そのまま自分の下に組み敷き、首筋に噛み付き、足を開かせ再度自身を埋め込む。苦しげな声が耳元に響く。
「光流……」
「あ……っ……あ……!!」
「俺の声が、聴こえるか?」
「も……っ……と……っ!」
 涙に濡れた瞳が、一途に何かを求める。
 求めているものが何なのか、知っているから、ただ慰めることしか出来ない。
 こんな風になってまで、守りたいのか。
 いっそ壊れてしまえ。
 鬱血するほどに強く手首を握り締め、何度も身体の奥深くまで侵入していく。
 溺れているのは、いったいどちらなのだろう。
 胸の内に沸き起こる感情を必死で打ち消しながら、ただ強く抱きしめた。


 意識を手放したままベッドの上に横たわる光流の髪にそっと触れ、一弘は小さくため息をついた。
 もう、終わりにしなければ。
 何度もそう心に決めて、今日こそは頑なに拒もうとしたはずなのに。
 けれど、とてもじゃないけど放っておけない。
 どんなに強く、大人びて見えても、結局はまだ幼い子供に過ぎないのだ。
 恋一つで、簡単に自分を見失ってしまうほど。

(俺も……一緒か……?)

 それとも、簡単に見失ってしまうから、恋なのか。

(違う……!)

 咄嗟に自己否定をして、一弘はベッドから離れようとカーテンに手をかける。ふと、光流が小さく声をあげ、一弘は振り返った。
 柔らかい髪に触れる。
 長い睫毛。きめ細かい肌。寝ている時だけは、まるで天使だな。そんなことを思ってしまったのが悪かったのか。
 そっと頬に触れ、唇を寄せる。

「……何してんの?」

 突然、低い声と共に光流が目を開いた。
 先ほどまでの無垢な寝顔とは対照的な、酷く冷徹で鋭い瞳。

「減るものじゃないだろう?」
 一弘もまた、冷たい瞳を向けたまま言い放った。
「そういう問題じゃねぇだろ」
 まるで蔑むような態度でそう言うと、光流は上半身を起こす。一弘の目が一瞬険しくなった。
「娼婦だな、まるで」
 一弘のその言葉に、光流が目を見張った。
「なん……だと?」
「聞こえなかったか? 薄汚い娼婦だと言ったんだ」
  冷静に言い放った一弘の白衣の襟を、光流は怒りを隠せない表情で掴みあげる。
「てめぇに……何が分かる」
 一瞬即発で人を殺しかねないような鋭い眼光。極力抑えた声が、心の内に宿る闇を顕著に示している。
「分からないし、分かりたくもないな。おまえは結局、人を信じてないだけだろう?」
 光流が返す言葉を失ったかのように、一弘の白衣を離した。
「自分だけが辛さを背負って、自分だけが苦しんで、それで守ったつもりでいるだけだ。そんなものはただの自己満足以外の何者でもない」
 容赦ない言葉を一弘は続けた。
「蹴りをつけてこいよ、光流。自分の気持ちをしっかり打ち明けて、当たって砕けて来い。そうしないと、いつまでたっても前には進めないんだ」
 
 少しの間を置いて、光流が苦しげに前髪をかきあげる。<
 長い沈黙のあと、光流がようやく口を開いた。
「……傷つけたくない」
 ぽつりと呟くような、苦悶に満ちた声。
「あいつはそんな弱い奴じゃない。信じろよ、これまでのお前達の時間を。そんな簡単に崩れるものじゃないだろう?」
「でも、あいつが好きなのは……「友達」の俺なんだ……」
「そうやって一生、友達でいるつもりなのか? それが出来るのか?」
「やるしか……ねえだろ」
 諦めにも似た口調。
「いいかげんにしろ!!!」
 突然、一弘が光流の胸倉を掴み、シーツの上に強く押し付ける。光流が苦しげに目を閉じた。
「まだガキのくせに、何でもかんでも分かったようなフリをするな! カッコつけるより先に、やるべき事があるだろう!?」
 真剣な瞳と声。初めて目の当たりにする一弘の激情に、光流の瞳は戸惑いを隠せない。
「行けよ、光流。行ってキスでも何でもしてこい。自分曝け出して「好きだ」って叫んでみろ。一生……後悔したくないなら」
 まっすぐに光流の目を見据え、一弘は言った。
「それができないなら、今ここで無理やりにでも俺のものにするぞ」
 あとわずかで唇が触れるほどの距離。
 光流もまた、一弘から目を逸らさない。

「……分かった」
 しばしの睨みあいの後、光流が静かな声を放った。
 光流は一弘の手を押しのけると、軽々とした動作でベッドから飛び降り、ブレザーを片手に立ち上がる。

「さんきゅ……、目、覚めたわ」
 一弘の横を通り過ぎる瞬間、小さく呟いて、光流は保健室の扉をガラリと開いた。
 扉の閉まる音と共に、一弘の瞳に安堵と悲しさが同時に宿った。