わたしの王子様
王子様って、本当にいたのね。
さらさらの髪。きれいな瞳。細くて長い指が、やさしくわたしの髪を撫でて。
何だかとっても胸がドキドキして、顔を見るのも恥ずかしくて、うつむいてばかりのわたしに、そっと名前を呼びかけてくれた。
そのときからずっと、彼は、わたしの王子様。
その日は朝からパパとママがけんかをして。
さいきんうるさく喋りはじめた、まだ2歳の弟の拓也が、ついにわんわん泣き出して。
それでもママは、怒ったまま一人で家を出て行ってしまった。
「あ~もう拓、泣くなよ~」
そう言うパパの方が泣きそうな顔をして、拓也を抱き上げる。
「何でママ、ああ怒りっぽいんだろう。仕事なんだから仕方ないじゃないか」
「怒ってあたりまえじゃない。ママ、今日みんなで遊園地行くの、楽しみにしてたのよ?」
わたしがそう言うと、パパは深くため息をついた。
「んなこと言っても、大事な仕事なんだよ~」
「パパはわたし達より、お仕事の方がだいじなんだもんね」
「んなわけないだろ~っ! 分かってくれよ頼むから~!!」
なさけない声。
わかってるわよ、そんなことママだって。
でも怒りたくなる時だって、あるに決まってるじゃない。
ママはパパのことが好きだから、約束を破られて、一緒にいられなくて、腹がたつんじゃないの。
「花~、どーしよう……」
そんなこと、わたしに聞かれても。
「夜になれば帰ってくるわよ。たまにはひとりにさせてあげたらいいのよ」
「おまえ……なんでそう冷めてるの? まだ小学生だろ?」
不思議そうな顔をして言うパパに、わたしはフンと顔をそむけた。
まだ、じゃないわ。もう、小学生よ。8歳よ。なんだってわかる年頃よ。いつまでたっても子供じゃないわ。
「でも俺、昼過ぎから仕事だしな~……やっぱここは、先輩達に頼むしかないかぁ」
パパのその言葉に、わたしはすぐに椅子から立ち上がった。
「行く!! すぐに行く!!!」
一番お気に入りの白いワンピースを着て、髪もきれいにくしでとかして、鏡をみて大丈夫って思えるまでしっかり確認して、とっても胸がドキドキするのを感じながら、パパと手をつないで道を歩く。
途中、拓がお腹空いただの、もう歩きたくないだの、うるさかったけれど、わたしは急ぎ足をやめなかった。
見慣れたマンションにたどりついて、チャイムを押そうとしたら、拓が「自分が押す」と駄々をこねて、仕方なくわたしはチャイムを押すのをゆずってあげた。
「ほーい……って、なんだ、蓮川か」
ドアの向こうから出てきたあいてに、わたしはちょっとガッカリした。
「よう花、拓、久しぶりだな~」
「みちゅる~!!」
「お~重くなったな~、拓!」
「みて~! ベルト、おたんじょうび、もらったの!!」
拓はみつるに抱っこしてもらいながら、さいきんお誕生日プレゼントに勝ってもらったばかりの仮面ライダーのベルトを自慢げに見せた。
「お、すげーじゃん! いいもん買ってもらったな!」
「うん!!」
「でもキリがないんですよね、このテのオモチャって」
「よく出来てんな~、最近のオモチャってのは」
玄関先でパパとみつるが世間話をはじめて、わたしはちょっとイライラしてきて、おもわず叫んだ。
「みつるっ、しのぶせんぱいは!?」
「へ? 忍? ああ、今ちょっと買い物行ってっけど、すぐ帰ってくるだろ。まあ入れよ」
みつるのその言葉に、わたしは深くため息をついた。
ダメだわ、おもいっきりテンションさがったわ。
きれいに整理された見慣れた部屋に入ると、拓がバタバタと走り出す。
なんで男の子って、少しの間もじっとしてられないのかしら。毎日ママに怒られてるのに、まるで懲りてないんだから。
「おれ、さんじょ~!!」
「どわっ、やられた~!!!」
さいきんお気に入りの仮面ライダーの真似をして、拓がみつるに体当たりしていくと、みつるはノリノリで床のうえに倒れる。
まるで同じレベルね。バッカみたい。
大きなソファに腰掛けて足をブラブラさせてると、ふと玄関の方から物音がして、わたしは咄嗟に振り向いた。
「あ、忍先輩、お邪魔してます」
「……また預けに来たのか?」
「すいません! ホントすいません!!!」
せっかく会えたのに、少し、迷惑そうな顔。
なんだかちょっと、悲しくなる。
やっぱりわたし、帰ったほうがいいのかなぁ……。
うつむいてると、ポンって頭を撫でられた。
「どうした? 花野。元気なさそうだな」
わたしと同じ目線で、しのぶせんぱいが、笑いかけてくれる。
そうしたら、すっごく胸がドキドキして、わたしはすぐに首を横に振った。
「あ、あのね、お勉強、おしえてもらいにきたの。きょう、ずっとここにいてもいい?」
「当たり前だろ、変な気を使うな」
もう一度頭を撫でられて、泣きたくなるくらい嬉しくなった。
「しのぶしぇんぱい~っ、抱っこ~っ!」
拓がしのぶせんぱいに走りよって、飛びついていく。抱き上げられて、拓は嬉しそうにニコニコと笑う。
なんだか急に、つまらなくなった。
……ズルい。
拓は、ズルいよ。
小さいっていうだけで、何でも持っていっちゃう。
わたしは先に生まれたっていうだけで、いつも我慢ばっかり。
でももう、小学生だし。いつまでも子供じゃないし。しかたないって思うしか、ない。
「光流、おまえも午後から仕事なんだろ? もう出なくていいのか?」
「だな~。そろそろ行くか、蓮川」
「すみません、忍先輩。子供たち、お願いします」
「いつになったらこの貸しをまとめて返してくれるんだ?」
「すいません!! いずれ必ず~~っ!!!!」
パパはどういうわけか、いつもいつも、しのぶせんぱいにはママ以上に弱いみたい。
なにをそんなに脅えてるのか、わたしにはよくわからない。だってわたしにも拓にも、ママみたいにすぐに怒ったりしないし、いつも、とっても優しいもの。
「じゃあ花、拓のこと頼んだぞ。迷惑かけないようにな」
「わかってるわよ、さっさと行ってらっしゃい」
「花~、もうちょっと可愛く言えねーのか? そんなんじゃ嫌われるぞ?」
「みつるもさっさと行けば!? っていうか、早く行って!!」
「こら花っ!!」
わたしの態度に耐えかねて、パパが怒った声をあげる。でもわたしは態度を変えなかった。
「っとに素直じゃねーなー。ちょっと前まであんなに可愛かったのに。「光流のお嫁さんにして~」とか言ってた花ちゃんはどこに行ったのかな?」
「うるさい!! みつるなんか嫌い!! 大っ嫌い!!!」
「花っ!!!」
わたしはパパの声を無視して走り出すと、奥の寝室に入って、すぐにドアをしめた。
「なんか最近、富に生意気になって……女の子ってあんなもんですかね?」
「反抗期じゃねーの? 気にすることねーだろ」
「はあ……。でも子供に嫌われるのってキツいですよ」
「少しは兄貴の気持ちも分かったか?」
「あ、あいつは、別に、親じゃありませんから……っ!」
パパとみつるが、仕事に出かけていく。
わたしはベッドの上にうつぶせに寝転がって、シーツに顔をおしつけた。
バカ……。バカバカバカ!!!
パパのバカ!!!
大嫌い!! 大嫌いよ!!!
「花野」
ふいにカチャリとドアが開いて、低い声がわたしの名前を呼ぶ。
パパもママもみつるも、わたしのことを「花」って呼ぶ。
でもわたしは、そう呼ばれるのは大嫌い。だってなんか、ダサいし、カッコ悪いし。
だけど「花野」って呼ばれるのは、好き。しのぶせんぱいは、いつも絶対に、そう呼んでくれるから。
なのにわたしは、顔をあげられずにいた。
きっとしのぶせんぱいも、わたしのことなんて、可愛くないって思ってる。
こんなわたしなんて、みんな、可愛くないに決まってる。
「せっかく綺麗にしてるのに、服が皺くちゃになるぞ?」
優しい声。
わたしはすぐに体を起こして、すこし乱れた真っ白なワンピースを調えた。
せっかくとかしてきた長い髪も、きっともうぐちゃぐちゃ。泣きたくなる。
「パパもみつるも、大嫌いよ」
「……嘘だ」
「ほんとだもん! 嫌い!!」
「本当に?」
わたしの隣に座ったしのぶせんぱいが、そっとわたしの頭を撫でる。
そうしたら、急に涙が出てきて。
「……好き」
わたしは素直にそう言った。
「ほんとは、大好き。でも……言えないの。どうしても、言えないの! わたし、嫌われちゃうよ……っ!」
どうしようもなく悲しくなって、しのぶせんぱいに抱きつくと、後から後から涙が出てきて止まらない。
なんでわたし、こんなに可愛くないんだろう。
素直になれないんだろう。
パパもママも、みつるも、本当は、大好きなのに。
「大丈夫だ。誰も、おまえのことを嫌いになんかならない」
「しのぶせんぱいも……?」
「ああ」
「わたしのこと、好き……?」
「好きだよ」
「じゃあ……大きくなったら、お嫁さんにしてね……?」
わたしはそう言うと、しのぶせんぱいの頬に、そっとキスをした。
「そういうことは、まだ早い」
「急いで大きくなるから、待ってて」
「花野……」
ちょっと、困ったみたいな顔。
そんな顔、しないで。
わたし、早く大人になるから。誰よりもきれいになって、すてきな女の人になって、いつかぜったい、お嫁さんにしてもらうんだから。
そう思いながら、もう一度、キスをしようとしたその時。
「しのぶしぇんぱい~っ!!! どこ~っ!!???」
突然、拓が泣きながら部屋に入ってきて、しのぶせんぱいに抱きついた。
「拓っ、どいて!! 邪魔!!!」
「いや~っ!!!」
「眠いのか? 拓」
しのぶせんぱいがひょいって拓を抱き上げて、ぽんぽんと背中を叩くと、拓は眠そうに目を閉じる。
「もうっ! ズルい!!!」
「すぐ寝かすから、待ってろ」
少し笑いながら、しのぶせんぱいが言う。
わたしは口をとがらせながら、ベッドの上に寝転んだ。
仕方ないから、待っててあげる。
だって、わたし……お姉ちゃんだもの。
夜になったらパパとみつるが帰ってきて、パパはすぐに帰ろうとしたけど、拓がまだ帰りたくないと駄々をこねてしのぶせんぱいから離れなくて、けっきょく一緒にご飯を食べて、みつると遊び疲れた拓がいつの間にか眠ってしまった。
「ねえ、きょう、泊まっていっちゃだめ?」
あしたも学校はお休みだから、おもいきってそう尋ねると、パパが困った顔をした。
「でもママが、心配するから」
「電話する! 今日だけだから、お願い!!」
「いいけど花、オネショすんなよ~?」
「しないわよっ!! みつるのバカ!!!」
どうしてこうデリカシーっていうものがないのかしら、ホント最低!!!
「すぐムキになるとこは蓮川そっくりだよなー」
「だからってあんまりからかわないでやって下さいね。本気で嫌われますよ?」
「本気で嫌い! 大嫌い!!」
「はいはい、すんませんでした、花さん」
なぜなの、ますます腹がたつわ。
わたしは思いっきりみつるを睨みつけたけど、ぜんぜん効果なくて、むしょうに腹がたつばかりだった。
「じゃあすいませんけど、お願いします。明日の昼ごろ迎えに来ますから」
そうパパが言い残して、拓を抱っこして帰っていった。
わたしは夕食の後片付けのお手伝いをしながらずーっとしのぶせんぱいと一緒にいて、そうしてると、みつるがちょっと不機嫌そうになる。 いつものことだけど、そんなのわたしは知らない。
「しのぶせんぱい、お風呂いっしょに入ろ?」
「花っ!! てめー小学生のくせに色気づいてんじゃねー!! 風呂くらい一人で入れっ!!」
「……だめ?」
「駄目。もう一人で入れ」
みつるはどうでもいいけど、しのぶせんぱいがそう言うなら、しかたないわ。
残念だけど、一人でバスルームにむかう。
「おまえな……子供相手に妬くなよ」
「だってだって、おまえが子供ばっか構うから!!」
「おまえらが人に子供押し付けて行くからだろう、好きでやってると思うのかこの俺が」
「あー……はい、ほんっとすいません。ホントごめんなさい」
話の意味はよくわからないけど、みつるがパパよりもっと、しのぶせんぱいに弱いのは、なんとなくよくわかる。
でもなんで、男の人ふたりで、ずっといっしょに暮らしてるのかしら?
だからって女の人にいられても、それは絶対にいやだから、わたしが大人になるまではずっとこのままでいてほしいと思うけど、みつるとしのぶせんぱいを二人きりにするのは何だかイヤだから、わたしは急いでお風呂に入って濡れた髪をタオルで拭きながら、リビングに戻った。
「は、早いな花!!」
ソファーに座った二人が、なんだかとっても慌てた感じ。
わたしはなぜかムッときて、すぐにしのぶせんぱいの隣に座った。
「いっしょに寝るのはいいよね?」
「ダメ!!」
「みつるには聞いてない」
「おまえはほんっと可愛くねーなー……っ、ちったぁ素直になれ!!」
「うるさいっ、あっち行って! 邪魔!!!」
睨みつけると、みつるはもっと怒った顔をするけど、わたしだって負けてらんない。
「光流、おまえはしつこい」
「なに物分かりいいフリしてんだよっ。ったく、昔の誰かさんそっくりだよな、こいつは」
わたしをチラリと見て、みつるが言った。
そして、しのぶせんぱいと目を合わせて、とたんに穏やかな顔をする。
こんな時、わたしはどうしてか、とってもさびしさを感じる。でもそれは、パパとママにもときどき感じるものといっしょで、さびしいけど、なんだか嬉しかったりして、すごく複雑な気持ちになるの。
「しのぶせんぱい、寝よっ!」
わたしはしのぶせんぱいの腕を掴んで立ち上がった。
二人にしかわからない会話を、わたしの前でしないで。
わたしだって、すぐに、大人になるんだから。
そうしたら、絶対にみつるなんかに負けないんだから。
だからそれまで、待っててね。
「大好きよ」
しのぶせんぱい。 わたしの王子様。 |
|