「好き」が言えるまで


  三日ぶりに抱き合って満足したところで、さあ布団に入って寝ようとしたその時。
「忍、俺のこと好き?」
 いきなり光流が、真顔でそんなことを尋ねてきた。
「……好きだよ」
 忍はにっこり微笑んで、そう応える。言わなければ、光流が不機嫌になるだけだからだ。
 けれど光流は、まるで不満げな表情をする。
「全っっ然、心がこもってない!!」
「どう言えば満足なんだ?」
 仕方ないように忍は尋ねた。
「ちゃんと、俺の顔見て」
 両手でがっちり顔を押さえつけられ、光流の顔がすぐ間近になる。
「気持ち込めて、言え」
「……」
 光流の大きな瞳でまっすぐに見据えられ、忍は開きかけた口を咄嗟に閉じた。
 そして、フイと光流の顔から目を背ける。
「嫌だ」
「何でだよ!?」
「強制されたくない」
 無表情に忍は応える。
 光流がどんどん不機嫌になっていくのが分かっても、態度は変えられなかった。
「だいたい何で、いまさら好きだの愛してるだの言わなきゃならないんだ? そんなこといちいち言わなくても、分かるだろう?」
「……じゃあ、俺もおまえに言わなくていいんだな?」
「言いたくなければ言わなくていい」
「なら、もう言わない。絶対言わない。おまえが言ってくれるまで死んでも言わない」
「好きにしろ」
 半ば意地になっている様子の光流に、忍は冷徹に言い放った。
 光流は思い切り不機嫌オーラを発しながら、忍に背を向けて布団をかぶる。
 忍は小さくため息をついた。
 光流は時折、酷く子供っぽい、と思う。そのうえ一度絶対と決めたことは忍以上に頑固で意地っ張りで、何が何でも翻さない強固な意志の持ち主である。だからこんな風に子供っぽい言い合いになっても、結局最後には忍が折れることばかりだ。
 けれど。
(好き、なんて……)
 言わなくても、もう充分に伝わっているはずだと、忍は思っている。
 毎日のようにキスをして、抱き合って、こうして一緒に眠るなんて、好きでもない相手とできるはずがない。それなのに、光流はどうしてこうも「好き」という言葉を言わせたがるのだろう。
 なんだか女々しいようにすら思えて、なおさら言いたくなくなる。言葉なんて、しょせん上っ面だけのものに過ぎないのに。
 当分怒りの冷めそうにない光流の背中を見つめながら、忍もまた言いようのない苛立ちに襲われ、光流に背を向けて布団をかぶった。けれど眠りに落ちるまでには、ずいぶん時間がかかった。
 
 
 翌朝、光流は昨夜のことなど何もなかったかのように、いつもの笑顔で普通に接してきた。単に苛ついていただけなのかと、忍は安堵したと共に、すぐに昨夜のことを忘れた。
 その日の夜。
「忍―、ビデオ借りてきたから一緒に見よーぜ」
「また刑事物か?」
「いいじゃん、おもしれーんだもん」
 最近、光流は異常なまでに刑事ドラマにハマッている。以前からアクション映画やカンフー映画の戦闘シーンが大好きな光流には、刑事物の銃撃戦などたまらないものがあるらしい。
 忍も別に嫌いなわけではないが、しかしこうも似たような、しかもやたらと古いドラマを延々と見させられ、いいかげんうんざりしつつあった。
「おまえ……見てる?」
「ん……」
 一緒にいる間は常にくっつきたがる光流は、ビデオ鑑賞中もだいたい忍にべったりひっついている。そんな光流に、背後から抱きしめられたままふと耳元に囁かれて、忍はぼんやりした表情のまま応えた。
「もしかして眠い?」
「いいぞ、見てて。このまま寝るから」
 昨夜、なかなか寝付けなかったせいか、急に襲ってきた眠気に耐えられず、忍はうとうとと目を閉じる。先にシャワーを浴びてパジャマに着替えておいて正解だったと思いながら眠りに落ちていこうとすると、光流に身体を揺さぶられた。
「えー、せっかくバイト休みなのに、それは駄目」
 光流は不満げにそう言うと、忍の顎に手をかけ顔を引き寄せ、唇を重ねた。
「眠い……」
「すぐ覚まさせてやっから。な?」
 勝手なことを、と忍は思ったが、抵抗する気力もなく、委ねるように光流に身を任せた。
 重なってくる唇の熱さと、絡まってくる舌の艶かしい感触。なんだか納得いかないのに、光流の言うとおりどんどん目は冴えてきて、なおさら納得いかない気分のまま、忍は目を閉じて唇の感触を味わう。
「……ぁ……っ」
 パジャマの裾から潜り込んできた光流の指が胸の突起を柔らかく撫でて、思わず声が漏れた自分の口を塞ぐと、塞いでいた手を捕らえられ、そのまま畳の上に押し倒された。
「ドラマ……まだ途中だろう?」
「そんなもんより、こっちが優先」
 昨夜もしたのに、と思って、ふと、忍は昨夜の事を思い出した。
 あんなに怒ってたクセに、やる事はしっかりやるんだなと呆れた想いで、首筋に唇を這わせる光流の髪に指を絡ませる。
 あっという間にパジャマのボタンを外されズボンも下着ごと脱がされ、太股に光流の柔らかい髪の感触を感じて思わず身体を震わせると、太股の付け根辺りを舌でなぞられる。くすぐったいのか気持ち良いのか分からないその感覚がむず痒くて、忍は光流の頭を押しのけようとしたが、手に力が入らなかった。
「……っ……あ……」
 閉じかけた足を強引に開かされ、一番感じやすい部分に光流の舌を感じる。
 必死で声を抑えて強く目を閉じながら、襲い来る快楽に翻弄されていると、すぐさま絶頂の波が襲ってきた。
 まだダメだと自分に言い聞かせても、的確に良いところを刺激してくる光流の愛撫に、そう長いこと耐えられるはずもなかった。大きく身体が震えて、光流の咥内に快楽の証を解き放つ。
「目、覚めた?」
 残らず飲み込んでから、光流はニヤリと笑って忍の顔を覗き込む。
 忍は桜色に染まった頬のまま、光流から視線を逸らし、まだ少し乱れた息を必死で整えて、上半身を起こした。
 目なんて、とっくに覚めている。それよりも、自分だけ裸にされてイかされて、納得がいかない。忍は光流のパジャマのズボンに手をかけると、既に硬く反応を見せている光流自身を露わにして、性急にそれを口に含んだ。
 ピチャピチャと淫猥な音をたてる。忍は音をたてられるのなんか大嫌いなのに、光流はそれが良いと言う。だからずいぶん、音のたて方も研究した。
「顔……出していい?」
 絶対ダメだと、忍は上目遣いで光流を睨みつけた。
 それだけはやはり、何度やっても慣れないし、少しも良さなんて感じない。むしろ屈辱的すぎて死にたくなる。それでも光流が望むならと、数回に一度は許してしまうが、今日はとても許せる気分ではなかった。
 代わりに、光流の放った精を喉の奥に流し込む。
「あ、そーいやゴム切れてた」
 ふと思い出したように光流が言って、忍は顔をしかめた。
「ならもう寝る」
「えっ!! それはねーだろ、忍くん。大丈夫だって、ちゃんと外に出すから!」
「信用できない」
 そう言って何回裏切られたかしれない。一度快楽に没頭するとどこまでも身勝手になる光流には、もう散々懲りている。
「でも中途半端じゃ、お互い辛くねえ?」
「一回イッてれば充分だろう」
「充分……」
光 流は何か意味ありげな目つきをしたかと思うと、いきなり忍の足首を捕らえて引き寄せた。その勢いで、忍は畳の上に頭を打ち付ける。
「なのかな? 本当に」
「やめ……っ!!」
 膝が胸につくほど折り曲げられて、秘部をこれでもかというほど露わにされ、忍はカアッと頬を赤く染まらせた。しかし光流は構わず、忍の秘部に舌を這わせ唾液で充分に濡らすと、ゆっくりと人差し指を押し入れて、奥の性感帯を刺激する。
「ん……や……っ」
 わざと恥ずかしい音をたてられて、あまりの羞恥に忍の瞳に涙が滲んだ。
「充分って割に、ずいぶん濡れて欲しがってねぇ?」
「も……や……めろ……っ!」
「このままイくならイってもいいぜ? どうする?」
 更に激しく指を動かされて、忍は咄嗟に首を横に振った。
 こんなやり方、卑怯すぎると忍は思うけれど、口には出せない。自分だけ快楽に喘がされて、絶頂に達するのを上から眺められるのには、耐えられない。それならまだ中に出された方がマシだと、忍は光流を受け入れる覚悟を決めた。
「中……出すなよ……?」
「わーってるって」
 その返事は何回も聞いたが、守られたことはほとんどない。
 半ば諦めて、光流を受け入れやすいようになるべく身体の力を抜くと、先端がゆっくりと入り口をこじ開けて侵入してくる。
 いつまでたっても慣れない異物感。しかしすぐにそれは快楽へ結びつく。ズンと内臓を押し上げられて、一際高い声をあげる忍を、光流は容赦なく揺さぶった。
「あ……あ、……んぅ……っ!!」
「イ……きそー……っ」
 結合部がぐちゃぐちゃと音をたてて、同時に前も刺激され、頭の中が白色に染まる。
 もう何がどうなっても良いような快楽に限界を感じたその時、光流が自分のものを引き抜いた。同時に、体液が忍の胸まで飛び散り、わずかにだが顔にも降りかかって、忍は反射的に目を閉じた。そしてすぐに、眉間に皺を寄せて光流を睨みつける。
「あ……わりっ、顔にもかかった?」
 慌てて光流はそばにあったティッシュ箱を引き寄せ数枚手に取ると、忍の顔に飛び散った精液を拭うが、忍の怒りはすぐに収まりそうもなかった。
「シャワー浴びてくる!」
 すぐに立ち上がってバスルームにむかう忍を、光流は苦笑しながら見送った。
 
 
「ごめんって~、まだ怒ってんの?」
 光流に背を向けて眠りに落ちようとする忍に、光流は背後からぴったりひっついて、忍の身体を抱きかかえる。
 しかし忍はあくまで無視を決め込んだ。
 以前よりずいぶんマシにはなったものの、光流の身勝手さには、やっぱりいつまでたっても屈辱しか覚えない。謝るくらいなら最初からするなと、心の中で悪態をつく。
「忍~……」
「うるさい、さっさと寝ろ」
「ちぇ……分かったよ。おやすみ~……」
 ふと光流は諦めたように小さく息をついて、忍から離れて布団をかぶった。
 いつもなら抱きついたまま寝るのに、珍しい、と思って、忍は少しだけ違和感を感じた。
 しかし元々くっついて眠るのはあまり好きじゃない忍にとっては、重苦しい感覚から解放されるのはかえって有難い事だった。途端に睡魔と疲労感に襲われ、忍はすぐに眠りに落ちていった。
 
 
 ずっと胸の内がもやもやするような違和感の原因に、忍がようやく気づいたのは、それから一週間ほど経過してからだった。
 光流があまりに普通に、いつもと変わらない態度で接してくるものだから、なかなか気づけずにいた。けれどやはり違和感は常に心の一部につきまとっていて、スッキリしない感覚が続いていた。
 そう、あれ以来、光流は絶対に「好き」だの「愛してる」だのという言葉を口にしなくなっていた。
 それまでまるで呪文のように繰り返されてきたその言葉がないというだけで、これほどまでに違和感を感じるのかと、忍は妙に落ち着かない気分になる。そしてそれに気づいてしまってから、光流の態度や言葉、セックスに至るまで、光流の一挙一動に言いようのない不安に囚われた。
 そうして、思い出す。そんな時、いつも光流が囁いてくれた言葉を。
 
 例えば、ちょっとした事が原因で言い合いになった時。
「わーったよ、俺が悪かった。……ごめんな」
「……」
「意地っ張り」
 本当は自分が悪いと分かっているのに、謝ることなんて絶対に出来ない忍を、光流はそう言って抱きしめる。
 なんでいつもこうなるんだろうと、忍は自分のことが酷く情けなくなる。こんな自分を、どうして光流は好きなんだろうと思ったら、不安感が胸いっぱいに広がって、いつか捨てられるんじゃないかと怖くなる。
 そんな時、光流はいつも「好きだよ」って囁いてくれる。
 その言葉一つで、救われたような気分になって、安堵した。
 なのに、今はその言葉がない。

 
 例えば、身体を重ねている時の、熱い抱擁。
 キスだけじゃ、足りない。指を絡ませても、強く抱きしめあっても、目を閉じていたら、触れ合っているのが誰なのか分からなくなる。
 声を、聴かせてほしい。
 名前を読んで、いつもみたいに、囁いてほしい。
 そう思うのに、それを言ってほしいと素直に口に出せずに、無言で抱かれるだけの毎日。
 
 
 例えば、眠りに落ちる時。
 一日の終わり。明日の朝が来たら、夜までずっと抱き合えない。
 だから、せめてこの時に、しっかり確認しておきたい。
 光流の中でいつも自分が一番であることを、ちゃんと教えて欲しい。
 明日もまた大勢の人に囲まれて笑っている光流を見ても、不安にならないように。
 
 
 知らなかった。
 「好き」という言葉一つが、こんなにも重いものだったなんて。
 ずっと言葉なんて、飾りでしかないと思っていた。それよりもずっと、心で繋がっている方が大事なのだと。
 でも、違う。
 光流があまりに当たり前に、いつも優しく囁いてくれるから、ずっとそれに甘えていたのだと、忍は今になって初めて思い知る。そして今まで、造った笑顔でしかそれを言ったことのない自分が、酷く恥ずかしくなった。
 言われることに、慣れすぎていた自分。光流は決してそれを口にしない自分に、どれだけ不安を感じていたのだろう。
 それでも、溢れるほどに愛情を注いでくれる。仕方ないなって笑って、許してくれる。
(バカだ……)
 言われなくなって、初めて気づくなんて。
 いまさら求めても、もう遅いのかと、後悔ばかりが先に立つ。
 でも、言えない。
 「好き」って言ってほしい、なんて、光流の顔を見たら、絶対に言えない。
 胸がどうしようもなく高鳴って、息が苦しくなって、言葉が詰まってしまうから。
(でも……)
 ちゃんと、言わなければ、と忍は思う。
 与えられるばかりじゃなくて、与えてやりたい。
 同じものを、同じだけ、返したい。
 胸いっぱいに広がるその想いを伝える決心をして、忍は光流にまっすぐな視線を向けた。
 
 
「なに? 俺の顔になんかついてる?」
 テレビを見ていた光流が、忍の視線に気づいて、きょとんとした顔をする。
「光流……」
「ん?」
「……しようか?」
 にっこり微笑んで、忍が言った。
 途端に光流が怪訝そうな顔つきになる。
「なに企んでんだ? おまえ」
「普通にしたいだけだが?」
 完全に疑いの目を向けられ、忍は表面上は微笑みながら、心の中で冷や汗をかく。
 笑顔の仮面さえ被ってしまえば何でも言えるのに、なぜ仮面を外そうとした途端に言えなくなってしまうのか、自分でも分からない。こんな笑顔取り繕ったところで、光流には通用しないと分かっているのに。
「おまえが嫌なら、無理にとは言わないが」
「するに決まってんだろっ!」
 ガバッと忍に覆いかぶさり、光流は性急に忍の唇にキスをする。
 いや、だからこんなハズじゃなくて、と心の内で思いながら、忍は光流の身体を押しのけた。
「光流……」
 ちゃんと、まっすぐに光流を見て、真剣に言わないと、と思う。
「なに?」
「たまにはちゃんと、布団でしないか?」
 けれど光流の目を見た途端に、やっぱり微笑むことしかできなくて、光流はまたも怪訝そうに眉をしかめた。
「……ホント、なに企んでんだ?」
「酷いな、何も企んでなどいないぞ?」
「だったらその顔やめろっっ」
光 流は呆れたような顔をすると、忍から離れて立ち上がる。
「しないのか?」
「布団の上がいいんだろ? 今敷くから待ってろっ。なに企んでんだか知らねーけど、んなもん俺に通用しねーからな!」
 半ば怒ったように言って、光流は隣の部屋に布団を敷き始めた。
 その後姿を見つめながら、忍は小さく息をつく。
 別に何も企んでなどいない。いや、ある意味企んではいるけれど、決して悪どいことなんかではないのに、なぜこんなに疑われなければならないのだろうと思うが、それはいつもの行いが悪いせいだから仕方がないと自分に言い聞かせる。
 ただ純粋に伝えたい想いがあるだけなのに、むしろ悪辣なことを考える方がよっぽど楽だと思う自分に、また嫌気がさした。早くこんなこと、終わらせたいとすら思ってしまう。
「敷けたぜ~!」
「あ、ああ……」
 光流の声に思わずドキリとして、おずおずと布団の上に移動すると、光流は即効で忍の身体を自分の下に組み敷いた。
「じゃ、聞かせてもらいましょーか、おまえの企みとやらを」
「だから、別に何も企んでなんて……」
「嘘だ。そーいう顔する時は、おまえロクなことしねーだろーが」
「この状況で何をすると言うんだ?」
「自白するまで身体に聞く」
 ニヤリと笑うと、光流は忍のパジャマを手早く脱がせて全裸にし、いきなり中心部分を握り込んだ。
 突然襲い来る快楽に、忍は思わず身を捩る。逃がさないというように、光流は空いた手で忍の腕を掴んで布団に押し付けた。自身を上下に扱かれながら、光流の舌が乳首を弄ぶ。そこはすぐに硬く反応を示した。
「言えよ、なに企んでる?」
「なに……も……っ、ないって……」
「嘘つけ、白状するまでイかせねーぞ」
 達しそうになるほどまでに追い詰められたと思うと、突然愛撫の手を止められ、あまりに意地の悪いやり方に憤りを覚えながら、忍は光流のことを睨みつけた。そうすると、また刺激を加えられる。ビクッと忍の身体が波打つのを、光流は楽しげに観察する。
「言う……から……っ、やめろ……っ」
 弄ばれるだけの感覚に耐え切れず、忍は息を乱しながら光流に訴えた。
 ようやく、光流の手が忍を翻弄させるのを止める。
「さっさと白状しなさい、忍くん」
「……その、前に……」
忍は光流の首に腕を回すと、唇を重ね、熱いキスを求めた。
「……ん……」
 光流は一瞬驚きを見せたが、すぐにそのキスに応える。
 忍は夢中で光流の舌を貪った。
 しっかり光流を感じて、覚悟を決めて、それからでなければ、とても言えそうにない。

(光流……)

(光流)

舌を絡ませながら、心の中で、何度もその名前を呼ぶ。

(大丈夫……)

もう……言える。

「光流……」
 熱いキスのせいで薄紅色に染まった頬のまま、忍はまっすぐに光流の目を見つめた。
 そして。
「……好き……」
 ありったけの心を込めて、伝える。
 そうしたら、突然、酷く感情が昂ぶって。
 目の前が涙で滲んで、結局、光流の顔がよく見えなくなって。
 こんなんじゃ、ちっとも伝わらないと思ったら、やっぱり自分が情けなくなって、涙がこめかみに零れ落ちた。
「……っ……!」
 突然、光流に強く抱きしめられる。
 何事かと一瞬驚いていると、光流は更に強く忍の身体を抱きしめ、ぎゅっと目を閉じて、やっととばかりに口を開いた。
「おまえ……それは……っ、ヤバいって……っ!!」
 光流の言葉に、忍は途端にきょとんと目を丸くする。
 ヤバい? 人の決死の告白の、何がヤバいというのか。忍はわずかに眉をしかめた。
「今の、すっげー……キた……・っ」
「意味がわからん」
 ヤバいだの、キただの、そんな抽象的な言葉ばかり口にされても、さっぱりわけが分からない。
 光流のあまりに激しい動揺ぶりに、驚愕するあまり昂ぶっていた感情が一気に退いて、やっと光流の顔が見れたと思ったら、その顔は耳まで真っ赤に染まっていた。
「どうしたんだ? おまえ」
「どうって……はい、完璧に俺の負けです。これまでで最高にやられちゃいました」
「だから、意味がわからん」
「もう……おまえってズルい……っ、ズルすぎ!! もう……もう、ホントにこいつはっ!!!」
 やたらと一人で盛り上がってる光流に、忍はただただ漠然とするばかりだ。
 痛いほど強く抱きしめられて、迷惑そうに身を捩るけれど、光流の力は一向に弱まるどころか強さを増して、結局諦めて抱きしめられるより他はなかった。
「俺も好きだよ。大好き! もう好きすぎて死ぬ!」
 頬や額や唇、忍のあらゆるところにキスしながら、光流は何度も同じ言葉を繰り返した。
「もう……いい……っ」
 いいかげんにしろと、忍は光流の身体を押しのける。
 それでもしつこくキスの嵐が襲ってきて、やっぱり言うんじゃなかったと少々後悔し始めた頃、光流の指が胸の突起を優しく撫でて、忍は小さく声をあげた。
 
 いったん収まった熱が、また高まってゆく。
 光流の指先が、柔らかくそこに触れたと同時に、唇が重なってくる。
 自分の口から自然と漏れる声が、やけに甘くて気恥ずかしくて、でもこらえきれない。もっとと叫びたくなるのを我慢しながら、ひたすら光流に身を委ねる。
 光流も同じ想いでいるのか、少しばかり性急に、しかし優しく中に押し入ってきた。
「忍……好きだよ、忍……」
 耳元で囁かれる、光流の声。目を閉じていても、はっきりと感じる。
 今なら、どうされてもいいと思うくらいに、おかしくなる。
「あ……あっ! みつ……る……っ!!」
 同じ言葉を返したかったのに、激しく揺さぶられて、名前を呼ぶのが精一杯だった。
 もう駄目だとキツく目を閉じた瞬間に、強く抱きしめられる。
 息ができなくなるほどの熱い抱擁に、目尻に涙が伝う。
 ずっとこのまま繋がっていたい。触れていたい。抱き合っていたい。
 離れたくない。
 光流の体温を、感じていたい。
 強くそう思いながら、忍は光流の背に手を回して、しっかりとその身体を抱きしめた。
 
 
「なあ、もう一回、言ってくんねえ?」
 布団に横になったまま、光流が忍の顔をまじまじと見つめて「好き」の言葉を求めてくる。
「……」
 しかし忍は、開きかけた口を閉じて、光流から視線を逸らした。
 本気で進歩がないと、自分自身に呆れ返る。
 どうしてただ一言を言うだけのことが、光流の顔を見た途端に言えなくなるのか。
 だからって、開き直って造った笑顔で言ったって、光流には通用しない。真剣に伝えることが必要なのに、それが出来ない。しっかりと、言うべきことを言わなければと必死で胸の鼓動を抑えていると、不意に光流に抱きしめられた。
「あー……もう、いいよ」
 苦笑しながら、光流は忍の髪に顔を埋める。
「ごめん……俺、また意地張って……。不安にさせて、悪かった」
 優しくて、真剣な声。
 どうして光流が謝るのだろうと、忍は悲しげに目を伏せる。
「おまえが頑張ってるの、ちゃんと分かったから……。だからもう、言わなくていいよ。おまえのぶんも、俺が、しつこいくらい言うからさ」
 泣きたくなるようなその言葉に、忍は光流の背に腕を回して、半ばしがみ付くように強く抱きついた。
 与えられるばかりの自分。
 与えてくれるばかりの光流。
 このままじゃ、やっぱり、駄目だ。
「……好き、だ……」
 ぎゅっと光流に抱きついて、蚊の泣くような声で、忍は言った。
 とても、光流の顔は見れない。でも、せめて、言葉だけでもと思う。
 同じように、安心させたいから。
 おまえが一番だって、分かっていてもらいたいから。
「……うん……俺も、大好き……」
 今にも泣き出しそうな、光流の震える声が、ただ愛しい。
 甘えてばかりいないで、頑張らなきゃいけないと、心から思った。
 しっかり光流の顔を見て、本当の気持ちを言葉に出来るように、毎日、頑張ってみよう
 
 いつか当たり前に「好き」が言える、その日まで。
 
 
 
 
おまけ
 
「手塚君、お願いだから付き合って下さい!!」
 大学から出ようとしたその時、突然目の前に立ち塞がった一人の女性に、光流と忍は咄嗟に身構えた。
 忍を狙う女性にしては珍しい、ストーカー気質のその女性は、目に涙をためながら必死で忍に訴える。
「私……私、もう、あなたがいないと生きていけません!! お願いです、付き合って!!」
「何度も言うようだけど、無理なものは無理だから」
 忍は少しも動揺しない態度で、にっこり微笑んでそう言った。
「だったら死んでやる!!」
 するとその女性はいきなりカバンの中からナイフを取り出し、自分の首に突きつけた。
「お、おい……!!」
 光流が激しく動揺する。
 しかし忍はあくまで態度を変えず、
「死ねば?」
 これ以上ないほど冷徹にそう言い放つと、彼女の横を通り過ぎて歩き出した。
 途端に彼女は石のように固まり、その場に凍りつく。
 光流は顔を引きつらせながら彼女を見るものの、深く関わりたくもないので、そそくさとその場を離れた。
 そして、思う。
(何でアレが言えて、「好き」の一言が言えねーんだ……???)
 つくづく分からない奴だと思いながら、忍の後を追って、その肩に腕をかけた。
「……好きだよ、忍」
 耳元に小さく囁くと、忍はチラリと光流を見て、何か言いかけたけれどやっぱり口を閉じて。
 ますます分からない奴だと思いながらも、なんだか妙に可愛くて愛しくて、今すぐキスしたい衝動を必死でこらえながら、もう一度同じ言葉を囁いたのだった。