sleeping beautiful


「今日で会うのは最後にしましょう?」
 つい先ほどまで抱き合ってた彼女が、すっかり帰り支度を整えた後、やや鋭い視線を僕に向けながら言った。
「うん、分かった」
 僕は即答した。
 彼女の眉が、ピクッと小さく形を変える。
「あなたって本当に、愛のない男ね」
「そうかもね?」
 にっこり笑ってそう言った直後、頬に鋭い痛みを感じた。
 目に少し涙を浮かべた彼女が、僕に背を向けてホテルの部屋を去って行った。
 僕は小さくため息をついて、ベッドの上に腰を下ろす。
(いった……)
 けっこう本気で叩いてくれたなぁ。久しぶりかも、こんな感覚。
 でもちょうど良かった。そろそろ別れないとヤバいかもって思ってたとこだし。
『愛のない男ね』
 言うだけ言って去って行った彼女の言葉が、頭の中にリフレインする。
 でもそんなこと言われてもね。
 僕なりに、これでもちょっとは愛してたよ?
 でなきゃ君のためにプレゼント考えたり高級ホテル予約したり愛の言葉を囁いたり、そんな面倒なこと出来ないでしょ。セックス目当てなだけなら、金のかからない相手なんていくらでもいるし、いちいち愛を囁く必要もない。それでも足りないって言うなら、もっと自分を満たしてくれる相手を探しなよ。僕はもう、これ以上は何もあげられない。
 君を、壊したくないと思うから。
 
 
 翌日、朝から最悪の気分のまま職場に辿り着いてやる気のないまま仕事を終えると、別の科のナースである若槻利香が声をかけてきた。
「瞬、今日空いてる?」
「うーん……そんな気分じゃないからやめとく」
「あら珍しい。なに落ち込んでるの?」
 すぐに僕の心情を察して、彼女が言った。
 さすが、これまでの女の中で一番長く付き合ってるだけのことはある。といってもあくまで恋人同士ではないけど。
「いや、僕って愛がないのかなぁって」
「ようするにフられたんだ?」
 利香はそう言って面白そうに笑みを浮かべる。僕は苦笑した。
「まあ確かに、愛があったらそうあっさり諦められないんじゃない?」
「ああ、そう言われればそうだね」
 確かにそうだ。フられたところで涙の一つも出やしないし、まあなんだかんだ言っても結局は自分の欲望を満たすためだけの存在に過ぎなかったわけで。
「なによ、思い当たる人でもいるの?」
 かなり意外だといった風に、利香が目を見開いた。
「そりゃ僕だって、本気で人を好きになることくらいあるよ」
「あなたが? 冗談でしょ? どんな相手よ」
「失礼しちゃうなー、まるで僕が人間らしい感情持ってないみたいじゃん」
「そうじゃないけど……ただ、想像つかないのよ」
「想像?」
「あなたが本気出すところ」
 
 
(本気?)
 いや、これでも毎日、本気で生きてるつもりだよ?
 そんなことを思いながら家に戻ると、携帯のメール着信音が鳴り響いて、携帯電話の画面を見た途端に自分の顔が緩むのを感じた。
『おにいちゃま、いつ帰ってきてくれるの? 唯はちょっと怒ってます』
 少し膨れっ面をした妹の画像を見て、さっきまで悶々としていた気持ちが途端に暖かくなる。
 そうだなぁ、そろそろ実家に帰って、前に約束してたデートしてあげないと、本気で嫌われちゃうかも。それは辛いし悲しいから、来月の連休にでも一度実家に帰ろう。
 まったく……もう高校生なのに、いつまで甘えん坊なのかな。普段は気が強くてしっかりしてて、将来立派な社長になるってみんなから期待されてるのに、僕がいると途端に我儘ばっかりで。
『来月帰るから、もうちょっと待っててね』
 困ったものだと思いながらメールの返事をして、やっぱり僕はダメだなって、ちょっと凹んだ。
 分かってるんだ、僕が甘やかしすぎるから悪いんだって。でも仕方ないじゃん。こんな風に甘えられたら、やっぱり可愛くてたまらないんだもん。
 なのにどうして、愛情は注ぎすぎたら溢れ出してしまうんだろう。与えたら与えただけ、水をやりすぎて枯れてしまう花のように、毒にしかならないのだろう。
 そうと分かっていても、僕にはこんな毒のような愛し方しか出来ないから。
(ほんと、愛がないのかもね)
 
 
「よう瞬、久しぶり」
 もうすぐ勤務時間が終了という頃、僕の前に姿を現した一人の男に、僕は咄嗟に目をすわらせた。
「なに? 金ならもう貸さないよ」
「ちげーって。たまには飲みに誘いに来ただけだって」
 スタスタと歩く僕の後を追ってくるその男の名は、井畑亮介。
 ややウエーブがかった黒髪と、少したれ気味の瞳に長い睫。よく整ったその顔立ちは、僕のよく知る人を彷彿とさせる。けれど、中身は全くの別人。ただのチンピラ以外の何者でもない。いったい今までいくら借金を踏み倒されてきたかしれない彼にいいかげんうんざりしつつも、いまだ友人を続けてる僕も大概お人好しだと思う。
 あまりにしつこい彼に、結局この日も付き合わされる羽目になり、一般のサラリーマンや学生達ばかりが集う居酒屋に足を運び、向かい合わせでビール片手に僕は彼を睨みつけた。
「んな怖い顔すんなって。今日はちゃんと金返しに来たんだよ」
 そう言って、亮介は懐から封筒を取り出し僕に差し出した。
 僕は少なからず驚いた。ちゃんと返す気があったとは意外だ。まあ、もともと返してもらう気もなかったけど、それにしてもどこから調達してきたのやら、怪しい金に違いないのは確かだ。
「いいかげん、まっとうに生活したら? くだらないことばっかしてないで」
「うっせーな。お坊ちゃまに何が分かるよ? おまえのそういう人を見下した態度、ほんとあいつそっくりだな」
 亮介の言葉に、僕はますます視線を鋭くした。
「まさか忍先輩のところに行ったりしてないだろうね?」
「とっくに忘れたよ。ムショにぶち込まれたくもねーからな」
「それは賢明な判断だね、おまえにしては」
 にっこり微笑むと、亮介はチッと舌打ちした。
「そういうおまえはどうなんだよ? どうせまだ諦めきれてねーんだろ?」
「悪い?」
 同じ相手からの失恋仲間に、僕は即答した。
「無駄だと思うぜ? あいつ、人の心なんか持ってねーよ」
「おまえには見せなかっただけだよ」
 はっきり言ってやると、亮介はまた苦い顔をする。
「おまえには見せてるのかよ?」
「そうだね……昔よりは、ずいぶん見せてもらってるよ」
「だったらさっさと物にしちまえよ。抱きてぇんだろ?」
「一緒にしないでくれる? っても、おまえも最後まではやってないんだっけ」
「別に恋人同士だったわけじゃねーからな。要するに傷の舐めあいって奴だよ」
「思い余って刺すほど執着してた奴が何言ってんの」
 本当は今でも許せないけど、刺された本人が許すって言ってるんだから仕方ない。
 それにしても忍先輩も、いくら最悪の精神状態だったとはいえ、何でこんなどうしようもない男と付き合い持ったんだか。身体許してないと知っただけ安心はしたけど、本当にバカだと思う。それは本人が一番よく分かってるだろうから、何も言うつもりはないけれど。
「おまえが執着なさすぎなんだよ。本当に好きだったら、そんな冷静でいられねぇだろ、普通」
「何が普通かは人それぞれだ。僕はおまえみたいな愛し方の方が、本当に愛してるなんて思えないね」
 少しばかり苛立ちを感じて思わず声を低くすると、亮介もまた同じように僕を鋭い視線で睨みつけてきた。
「そういうとこも、あいつそっくりだぜ、おまえ。本当は怖いだけだろ? 本気出して負けて打ちのめされるのが」
 口の端に笑みを浮かべ、亮介は言った。一瞬、返す言葉を失った。
「本気で好きなら、怖がってねぇで叫んで奪えよ」
 まっすぐに僕を見据える亮介の目から、僕もまた視線を逸らさず口を開いた。
「おまえはそうやって奪って、何かを得れたのか?」
 僕の言葉に、亮介は一瞬目を見開いた。
「本当に愛してるなら、壊すことなんて出来ないはずだ。奪うなんてカッコいいこと口にしたところで、結局は自分の愛を満たしたいだけだろ?」
 彼が僕に容赦ない言葉を浴びせるように、僕もまた容赦ない言葉を彼に突きつけた。
 ガタン!と音をたてて亮介が椅子から立ち上がる。
「可哀想だね、勝ち負けでしか愛を図れないなんて」
 彼が一瞬即発で逆上しかねないのは分かっていたけれど、僕は容赦ない言葉を続けた。
 案の定、胸ぐらを掴みあげられる。けれど僕は彼から視線を逸らさなかった。しかし殴るまではせず、亮介は悔しそうに舌打ちすると、パッと手を離した。
「っとに食えねぇ奴。あいつよりよっぽど心がねぇよ、てめぇは」
「ごめんね? 生まれつきだから」
 笑みを浮かべると、亮介はますます嫌そうな顔をする。
「一生、そうやって人を見下して生きてろよ。てめぇが本気出さないうちは、死ぬまでずっと一人だぜ?」
「ご忠告ありがとう。よく覚えておくよ」
 僕がそう答えると、亮介はまた舌打ちして、さっさと店を出て行った。
 ……ったく、すぐ喧嘩売るくせに、最後は必ず言うだけ言って逃げていく。だったら最初から最後まで穏やかに話せないものかな。
 それなのに、どうしてだろう。 いつも後味悪い想いするだけなのに、きっぱりと縁を切ることが出来ない自分がいることも確かで。たぶん、きっと、惹かれているからだと思う。僕にはない強さがあって、僕には決して持てない心を持つ彼に。
 それは……やっぱりどこか、あの人に似ている。
 かといってもちろん、あの人の足元にも及ばないけどね。
 小さく息をついて残りのビールを飲み干すと、僕は店を出るため椅子から立ち上がった。
 
 
 悪酔いも手伝って最悪の気分のまま家に辿り着き、玄関の鍵を開こうとして、既に空いていることに気づいた。
 ドアを開いて靴を脱いでリビングに入ると、電気はついているけど誰もいなくて、僕はすぐに寝室にむかった。暗い寝室の電気をつけると、ベッドの上に横たわっていた姿が小さく動いた。
「忍先輩」
 僕はベッドの端に腰掛けて、よく眠っている忍先輩に小さく声をかけた。でも、目を開いてはくれない。
 サラサラの髪を撫でて、こめかみの辺りに唇を寄せる。
「忍先輩」
 耳元で囁くと、忍先輩はようやくゆっくりと目を開いた。
「……おかえり」
「来てたんだね。鍵、ちゃんとかけておかないとダメだよ?」
「ああ……悪い、忘れてた」
 まだ少し寝ぼけた様子で、先輩はぼんやりした目つきのまま言った。
「帰らなくていいの? 今日は光流先輩、仕事?」
「ああ」
「そう。じゃあ泊まってく?」
 返事もせずに、忍先輩はまた静かに目を閉じた。
「おやすみなさい」
 僕はそう言うと、静かにドアを閉めて寝室を出てリビングにむかった。
 ソファーの上に腰を下ろして、一息つく。
 なーんか……疲れたなぁ、今日は。
 こういう日は、やっぱりさっさと寝るに限る。
 素早く立ち上がると、バスルームにむかってシャワーを浴びてパジャマに着替えて、僕はまた寝室にむかった。
 静かな寝息をたてている忍先輩の隣に身体を寝かせ、いつものように、眠りに落ちるまでただ先輩の寝顔を見つめ続けた。
 
 
 それにしても、よく寝る人だなぁ。
 今日は休日だというのに、特に何をするわけでも、どこに行くわけでもなく、気がつけばいつの間にかソファーの上で眠っていた忍先輩を見つめながら、僕は半ば感心すら覚えた。
 昔はどちらかといえばあまり寝ない人だと思ってただけに、正直僕はちょっと驚いている。
 数ヶ月前に合鍵を渡してから、忍先輩は割と頻繁に僕の家にやって来るようになって、好き勝手に上がりこんではまるで我が家のようにくつろいでいる。鍵渡した時は、持っててくれるだけで満足してたから、まさかこんな風に本当に来てくれるなんて思ってなかった僕にとっては、かなり意外。
 もちろん嬉しいことではあるのだけど、それにしても。
(分かってるのかな?)
 確か、何度も好きだって言ってるし、何度もキスだってしてるし、僕の気持ちはじゅうぶんすぎるほど伝えてるはずだし。
 なのに、警戒心の欠片もないこの様子って、一体どういうことなのかな?
 ここまで気持ち許されると、逆に手が出せないっていうか、恋する人を見てるというよりは滅多に懐かない猫を手懐けたような気分というか、とにかくそういう気には全くなれないわけで。これが計算してやってるのか、まったく無意識でやってるのか分からないから、タチが悪いとしか言い様がない。
(この人って……)
 もしかしたら、本気でタチ悪いのかもしれない。
 まさかこういう人だとは思ってなかったなぁ、昔は。
 でも、それだけ気持ち許してくれてるのは、やっぱり嬉しい。
 それにたぶん、寂しいんだと思う。
 光流先輩がいくら忍先輩を愛してるといっても、あの人は根っからの仕事人間なうえ天性の世話焼きでお節介だから余計なことばかり抱え込んじゃう人だし、おかげで家にいないことがほとんどで。忍先輩はそう簡単に自分を見せる人じゃないから、きっと職場でもプライベートでも気持ちを許して付き合えるような友人っていないだろうし。
 だからもしここが、光流先輩のそば以外で唯一落ち着ける場所なら、僕はいつでも迎え入れてあげたい。
 安心しきった寝顔を見つめながらそっと髪に指を絡ませると、自然と顔が緩むのを感じて、やけに暖かい気持ちになって、ずっとこうしていたくなった。
(好きだよ)
 誰がなんと言おうと、僕はやっぱりこの人を好きだと思う。
 初めて合鍵を渡した人。そばにいてほしいと思った人。……愛した人。
 だから大切にしたいんだ。たとえそれが毒にしかならない愛情だと分かっていても、与えられるもの全てを与えてあげたい。
 そうしても、この人ならきっと、大丈夫だと思えるから。
 
 
「先輩、そろそろ起きて?」
 窓の外が暗くなってくる頃、耳元で囁くと、先輩はゆっくり瞼を開いてガラス玉みたいな瞳を僕に向けた。
「お腹空かない? ご飯、食べに行こうよ」
「ああ……」
「なに食べたい? 肉? 魚?」
「……魚」
「じゃあ、この前良い店見つけたから、そこ行こう」
 少し乱れたシャツを調えてあげると、忍先輩はまだ少し眠そうに頷いた。
 
 
 最近開店したばかりの気楽なスタイルで食事ができるフランス料理店に足を運び、コース料理を注文する。
 今まで見てきたどんな女よりも上品に優雅に食事をする先輩を見てると、なんだか凄く気持ちが落ち着いて、僕は先輩の食事している姿を見るのが好きだ。
「美味しい?」
「悪くない」
「うん。好きな味だと思ったんだ。光流先輩とは、こういうところ来ないでしょ?」
「あいつと来ても恥ずかしいだけだからな」
 先輩の言葉に、僕は思わず苦笑した。
 恥ずかしいかぁ。それだけ自分のことのように思える人がいるって、やっぱりちょっと羨ましいかも。
「でも悪くないよね、牛丼とかファミレスとかも」
「そうだな」
 僕が笑うと、忍先輩も静かに微笑した。
 
 
 家に戻るとすぐに、忍先輩は当たり前のようにバスルームに向かって、ああ今日も泊まるつもりなんだと普通に納得してる自分に、なぜか一瞬ため息が漏れた。
(これってやっぱり、恋とは違うのかなあ?)
 亮介の言う通り、本当に好きだったら、こんな風に冷静でいられることってないのかな。
 それとも僕もまた亮介と同じように、自分の愛情を満たしたいだけなんだろうか。どこまでも甘やかすことで、自分が満たされたいだけ……なのかもしれない。
 なんて、僕にしては少し落ち込み気味になっていたら、ふと携帯のメールの着信音が鳴り響いた。
『忍、そっちにいる?』
 光流先輩からのメールだった。
 ってことは、忍先輩の携帯にもメールいってるはずだけど……。
(また喧嘩したな)
 咄嗟にそう思って、僕は心の中でため息をついた。
 どうせまたくだらない事が原因だろうけど、よくこれだけ頻繁に喧嘩できるものだと呆れるしかない。
 メールの返事を打とうとしたその時、忍先輩がバスルームから出てきて、僕は携帯を閉じた。
「髪、乾かしてあげようか?」
「うん」
 床の上に座る先輩の髪をドライヤーで乾かしながら、僕は尋ねた。
「今度は何が原因?」
 少し黙り込んでから、先輩は応えた。
「……ゲーム」
「ゲーム?」
「対戦してたら何度やっても俺が勝って、ハンディつけろって言うから嫌だって言ったらあいつが怒り出して……だから俺は悪くない」
「ハンディくらいつけてあげたらいいじゃん」
「……」
「はいはい、負けるのは嫌なんだね」
 僕は苦笑しながら言った。
 ほんといつまでたっても子供だなぁ、そういうとこ。
 遊びのゲームで一度や二度負けるくらい、どうってことないと思うけど。
「でもそうやって本気出して戦える相手がいるって、良いことだと思うよ」
「……おまえにはいないみたいな言い方だな」
「どうかな? 忍先輩、僕と対戦してみる?」
「そうだな、おまえの本気は見てみたいかもな」
 先輩がそう言ったと同時に、僕はドライヤーのスイッチを止めた。
「どうせ出さないと思ってるでしょ」
「というよりは、想像つかんな。おまえが本気出すところ」
 その言葉を聞いた次の瞬間、僕は忍先輩の肩を掴み顎を捕らえ、自分の方に振り向かせると唐突に唇を奪った。
 咄嗟に逃げようとした先輩の後頭部を逃がさないように押さえつけ、強引に舌を咥内に割り込ませる。
「……っ……」
 先輩の手が僕のシャツを掴んで、ぎこちないキスを交わした後、僕はまっすぐに先輩の目を見すえた。
「いつでも見せるよ? 忍先輩になら」
 少し怯んだような目をする忍先輩に、僕は落ち着いた気持ちのまま、そっと先輩の髪を撫でて笑みを浮かべた。
 そして再び、唇同士を重ね合わせる。触れるだけのキスの後、僕はもう一度尋ねた。
「見たい? 僕の本気」
 床の上に押し倒した先輩の目が、困ったように宙を泳ぐ。
 ダメだなあ、そういう時はキッパリ「見たくない」って言ってくれないと。
 中途半端な同情はやめてって、いつも言ってるのに。
 でも、きっとそれだけ、僕を好きでいてくれてるんだよね。
 先輩は……優しいから。
 けれど僕はそんなに優しい人間じゃないから。
 今は少しだけ、その優しさ、利用させてもらうよ?
「瞬……」
 開きかけた口に、僕はもう一度キスをする。
 舌を絡ませると、先輩は戸惑いながらも応えてくる。
 パジャマの中に手を潜り込ませて肌に指を這わせると、ビクッと先輩の身体が震えた。
 そっと腰をなぞって絡み合う舌の感覚を楽しんだ後、少し頬が蒸気した先輩の顔を見下ろして、僕はまた静かに微笑んだ。
「今日はもう帰りなよ」
 そう言うと、先輩は少し怒った風な目をして、僕からフイと顔を背ける。
「泊まってく」
「だめ」
「……泊まる」
「だめだってば」
 断固として首を縦に振らずにいると、先輩は明らかに機嫌を損ねた表情をする。
「帰らないなら、電話して迎えに来てもらうよ?」
 あくまできっぱりとした口調で言うと、先輩はムッとした顔のまま起き上がって、パジャマのボタンを外しはじめた。
「シャツ、とってきてくれ」
「うん」
 僕は立ち上がって、先輩の着替えをとりにバスルームに向かった。
 
 
「またね、先輩」
 唇に軽くキスをしたけど、先輩は何も言わず怒った目だけを向けて、踵を返して自分の家に帰っていく。
 僕は苦笑しながら先輩の後ろ姿を見送った。
 あーあ、完全に拗ねさせちゃったなぁ。あの様子じゃ、しばらくは来てくれないかも。
 小さく息をついて玄関のドアを閉めると、不意に携帯の着信音が鳴り響いた。
「もしもし? 忍先輩なら、今帰ったよ?」
『あ……そっか、悪ぃな、いつも』
「いいけど、光流先輩もいいかげん大人になりなよ?」
『うっせーな、わーってるよ』
 少し間を置いて、再び光流先輩が口を開いた。
『……いつもありがとな、瞬』
「なに? 急に」
『いや……あいつが友達って呼べるの、おまえくらいしかいないからさ。……難しい奴だろ?』
「今更だよ。じゃあまたね、ちゃんと仲直りしてよ」
 携帯を切って、僕はまたため息が漏れた。
 友達……ねぇ。
 本気でそう思ってんの? 光流先輩。
 こんだけ信用されちゃうと、さすがに軽く罪悪感感じるんだけど。
 でも、あれくらいは、許してよね。
 奪うつもりは、全然ないからさ。
(あーあ……)
 なんだろう、この倦怠感。
 最近ちょっと疲れ気味かな、なんて思いながらリビングに戻ると、先輩のパジャマがソファーの上に綺麗にたたまれていて、何だかちょっと可笑しくなってしまった。
(ごめんね)
 本当は泊めてあげたかったけど、またすかちゃんに怒られちゃうからね。
 その時は嫌われても恨まれても、本当の気持ちは、いつかちゃんと伝わるんだからって。
(忘れられないね)
 それなのに、僕はあの頃から少しも成長してなくて。相変わらず、自己満足ばかりの毎日。
 すかちゃんに言ったら、やっぱりまた同じこと言われるのかな? きっと、言われるんだろうな。
 でも、まあ、悪くないよね。
 だって愛にはいろんな形があるわけだし。
 こんな形も一つくらいはあったって、いいんじゃないかって、思うんだ。
 たとえ誰に認めてもらえなくても。
 幸せの形は、いつだって自分で決めるものだから。
 だから忍先輩。
 また気まぐれに、好きな時に、僕のところに眠りにおいで。
 
(待ってるね)
 
 そうしたら、いつものように、僕の「本気」を見せてあげる。