心音
「先輩、なにか悩み事でもあるんですか?」
「あ?」
車の中で先ほどファーストフードで買ったばかりのハンバーガーにかじりついていると、隣の運転席に座って同じように遅めの昼食を食べている蓮川が遠慮がちにそう尋ねてきた。
「なんか最近、ため息ばっかりついてるから」
「あー……そりゃ、こうしょっちゅうフォローさせられてちゃため息も出るっつの」
「……スミマセン、成長してなくて」
蓮川はうなだれながら言った。
たまたま同じ署に配属されてきた高校時代の元後輩、蓮川と一緒に仕事をするようになってから早一ヶ月。高校時代とまるで変わってない間の抜け具合に、見るに見かねてたまにこうしてフォローに回ってるわけだが、おかげで自分の仕事が増える一方で、我ながらこの苦労性には呆れるばかりだ。
けれど実は、俺がしょっちゅうため息をついている理由は、そんなことが原因じゃない。
でも蓮川に相談してもなぁ……。言ったところで驚きのあまり鼻血吹いて倒れるだけだろうしな、こいつの場合。
「あ、忍先輩は元気ですか?」
ふと蓮川の口から悩みの原因である名前が飛び出て、俺は思わず心臓を押さえた。
「げ、元気だけど? あいつがどうかしたのかよ?」
「いや、俺まだこっちに戻ってきてから会ってないから。それにしても、まだ一緒に暮らしてたなんてビックリですよ。相変わらず仲良いんですね」
「……まあな……」
「でもいいかげん、結婚しないんですか? 二人とも」
「余計なお世話だっ」
「だっ!!」
俺は丸めた雑誌で蓮川の頭を勢いよく叩いた。
ったく、相変わらず一言多いんだよっ。
……にしても、忍とよりを戻したとほとんど同時に、蓮川も北海道から東京に戻ってきてこうして一緒に仕事して
るって、これも運命ってやつなんだろうか。
などと考えていたら、またため息が一つ漏れた。
家に帰って玄関の鍵を開こうとすると既に空いていて、俺は反射的にドキッとして、少し躊躇いながら玄関のドアを開いた。
「た、ただいま……」
なぜか妙に遠慮がちになりつつリビングのドアを開くと、味噌汁の香りが鼻について、途端に気持ちが和らぐのを感じた。
「おかえり」
けれどキッチンに立っていた忍の声を聞いた途端、また心臓が跳ね上がる。
おもいっきり忍から視線を逸らしつつ、スーツの上着を脱ぎ捨ててネクタイをはずし床の上に投げ捨てると、いきなり忍が「光流!」と大きな声をあげて、またビクッと肩が震えた。
「な、なに?」
「脱いだらすぐにハンガーにかけろと言っただろう?」
「あ……はい! 今すぐかけます!」
俺はあたふたと、言われた通りにハンガーにスーツの上着を引っ掛けた。
うう……こういうとこ、相変わらず潔癖というか完璧主義というか……一人で適当に暮らしてた日々が懐かしいぜ。だからってもちろん、もう二度とあの時には戻りたくないけど。
料理を続行する忍の後姿をチラリと見て、俺は思わず咄嗟に口元を押さえた。同時に耳まで顔が熱くなる。
ヤバい……!!
エプロン姿、ヤバい!!!
今すぐ押し倒してぇ!!!
「し、忍……っ」
「何だ?」
「……あ、いや……今日の飯、なに?」
宙にあげた行き場のない手を下に降ろして尋ねると、忍はごく普通に「生姜焼き」と応えた。
数分後、食卓に綺麗に並べられた夕食を前に、なんていうかいろんな意味で感動を覚えつつ、向かい合わせで特にこれといった会話もなく黙々と夕飯を平らげる。
「そーいや、蓮川がおまえに会いたがってたぜ。今度連れてくっか」
「ああ、そうだな。元気にしてるか?」
「全っ然、変わってねーよ。相変わらず手がかかるっつーか」
「そういうところが可愛いんだろ?」
そう言って、忍は薄く笑みを浮かべた。
『おまえほどじゃないけど』
咄嗟にそう返しそうになったけど、何故か言葉が詰まって、また胸がドキドキし始める。
「ごちそうさま!」
俺は綺麗に平らげた皿とお茶碗をガチャガチャと無造作に重ねて、キッチンのシンクに運んだ。
また一緒に暮らすようになって、もう一ヶ月近く経つというのに、俺は毎日こんな調子だ。だから会話もあんまり長続きしない。昔はどんな風に会話してたんだったか、不思議なくらい思い出せない。
「俺洗うから、先に風呂入ってこいよ」
「ああ……じゃあ頼む」
忍の後姿を見送って、俺は食器を洗うためスポンジに洗剤を滲ませる。
何でだ……。
何で俺、毎日毎日、こんなドキドキしてばっかりいるんだ?
だいたい、また一緒に暮らし始めてもう一ヶ月近く経つというのに、いまだエッチどころかキスもしてねーって、どういうことだよ!?
(絶対、変だ……!!)
自分でも変だっていうのは分かっている。
でも、どうしてもタイミングが掴めないのだ。
そもそも再会後が悪すぎたのだと思う。
そう、あれは一ヶ月近く前。
数年ぶりにこの家に戻ってきた忍は、玄関のドアを開くなり、ふるふると肩を震わせた。
「光流……」
「なに? どーした?」
「どうしたもこうしたもあるか!! なんだこの部屋は!? 今すぐ掃除するぞ!!」
「はいっ!!!」
そのあまりの気迫に、忍に言われるままに即効で大掃除を始めて。
結局それからニ週間くらいは掃除、掃除の日々で、とてもじゃないけどエッチになだれこむ雰囲気ではなく。
いや確かに、無残なくらい散らかってはいたけど、微妙にゴミ屋敷に近い感じにはなってたけど、だからって数年ぶりに再会してより戻した直後に二人そろって大掃除ってどうよ……。
あまりに現実的すぎて、涙も滲むというものだ。
(変わってねぇよなぁ……)
小さくため息をつきながら洗い物を終えて、リビングのソファーに腰をおろしてテレビをつける。
しばらくして、忍が濡れた髪を拭きながら戻ってきて、途端にまた鼓動が跳ね上がった。
妙に緊張してる俺とはまるで裏腹に、忍はあくまで平静に、ごく普通に俺の隣に腰を下ろす。湯上りの石鹸の香りに、俺はたまらない気持ちになって、今すぐ肩を抱き寄せたい衝動にかられながらも、身体が硬直して全く動かない。
「し、忍……っ」
「何だ?」
「……俺も風呂入ってくる!」
俺はそう言うとすかさず立ち上がって、即効で風呂場にむかった。
(何でだ……っ!!!)
風呂場の壁にガンッ!と拳をあてながら、俺はひたすら混乱する。
っつーか、前ってどんな風にキスしてたっけ!? どんな風にエッチになだれこんでたっけ!?
もっとこう自然に、普通にできてたハズなのに、なんで今こんな、まるで童貞丸出しの中学生の恋みたいな感じになってるわけ!?
確か忍と初めてエッチした時だって、こんなドキドキした覚えはない……どころか、あっさり強姦してたじゃん俺!!!
(うあああああ……っ!!!)
突然、高校時代のあんな事やそんな事が思い出されて、俺は思わず頭を壁に打ち付けた。
なんなんだ高校時代の俺!! どうしたらあんな事やそんな事が普通に出来たんだ!? 若さって怖い! 怖すぎる!!! でもある意味すっごく羨ましい!!! ……じゃなくって!!!
(ダメだ……っ)
もうこのままじゃ、一生できる気がしねえ!!
勇気を出せ、俺!!
今日はせっかく早く帰ってこれたんだし、これ以上ないチャンスじゃねーか!
(やる……! 絶対、やる!!)
硬く心に決意して、俺はシャワーのコックをひねった。
どうエッチに持っていくか頭の中でシミュレーションしつつ、いつもより念入りに身体を洗ってしまう自分がなんだか悲しかった。
心臓バクバクさせながら風呂からあがってリビングに戻ると、忍は何やらゴソゴソとクローゼットの棚を整理していた。
(また掃除って……)
どんだけ完璧主義なんだよ……。つっても今更、嫌ってほど知ってるけど。
「光流、この箱のオモチャはいるのか?」
ふと、俺に気づいて忍が尋ねてきた。水色のカラーボックスに適当に放り込まれたオモチャを見て、俺は自分の顔が緩むのを感じた。
「あー……そうだな、もう必要ねーけど、捨てるのもな~……」
「預かってた子供のものだろう?」
「うん」
忍がこの家に戻ってくるほんの少し前まで、俺は三歳の男の子を預かっていた。だいぶ以前に、俺の所属する少年課にたびたび通っていた不良少女の子供で、いろいろな事情があって俺のところに駆け込んできたそいつをどうしても放っておくことが出来ずに、三ヶ月ほど預かって親代わりをしていたわけだが、無事に母親の元に戻っていって、それからは一度も会っていない。
「届けてやればいいじゃないか。近くに住んでるんだろう?」
「そーだな、近いうち行ってみっか」
言いながら、俺は箱の中の木で出来たおもちゃのオルゴールを手にとった。
「あいつ……凛(りん)っていうんだけど、やっぱ家庭が複雑だったせいか、夜中になると泣いてばっかでさ。このオルゴールがすげー気に入ってて、かけてやるとすぐに泣き止んで。でもうっかり床に落として壊れちまって、どうにか直そうと頑張ったんだけどやっぱ無理で。仕方ねーから俺が代わりに歌ってやったら、「そんなんじゃない!!」って余計に泣き出しちまってさ」
思い出して俺は苦笑した。
凛を預かってた三ヶ月、ずいぶん苦労させられたけど、いざ離れたたらやっぱり凄く切なくて、何度もあの小さな温もりが恋しくなった。もし忍が戻ってきてくれなかったら、今頃抜け殻みたいになってたと思う。
「大変だったけど……でもやっぱ、預かって良かったよ。子供を愛するのに血の繋がりとかって関係ないんだなって、心底思えたから」
「そうか……」
俺の話を聞いて、忍は伏し目がちに微笑した。
その表情があんまり綺麗で、俺はまた自分の鼓動が高鳴るのを感じ、手にしていたオルゴールを床に置いてそっと忍の肩に手を伸ばす。
しかし今まさに触れようとした途端、携帯電話の着信音が鳴り響いた。
思い切り心の中で舌打ちしながら、俺は立ち上がってテーブルの上の携帯電話に手を伸ばした。
『あ……光流先輩!!』
電話の相手は蓮川だった。
とりあえず会ったら即効殺す!!と思いながら話を聞くと、今すぐ事件現場に来てほしいとの依頼だった。
俺は心の中で深くため息をつきながら電話を切り、急いでスーツに着替え、現場に向かったのだった。
視線一つにドキドキして。仕草一つに戸惑って。名前呼ばれただけで胸が熱くなる。
「なあ蓮川……おまえ、まだ奥さんにドキドキしたりするか?」
「はい? 何です急に?」
日曜だってのに朝から現場で仕事を終え、助手席に座る蓮川に尋ねると、蓮川は怪訝そうに俺を見てきた。
「そりゃまあ……たまには、しますよ」
しかし顔を真っ赤にしながらも律儀に答える。
「そういう時って、どうしてる?」
「どうって……ふ、普通に、抱きしめたりとか……?」
「だよな~……」
信号が赤になって、俺はハンドルに肘をかけながら深くため息をついた。
そうだよなぁ……普通に抱きしめりゃいいだけのことなのに、何でそれが出来ないんだろう?
「先輩、やっぱりおかしいですよ?」
「わーってるって。それより腹減らねぇ? なんか食ってくか?」
「あ、俺、これから兄貴のとこ行く予定なんですけど、良かったら先輩も来ませんか?」
「おお、久しぶりに会いに行ってみっか。おっさん元気か?」
「相変わらずですよ。甥っ子達もだいぶ大きくなったけど、まだまだ手がかかるんで苦労してるみたいですけど」
確か緑の下に、二人子供が出来たんだっけ。そりゃ三人もいたら苦労するよなぁ。俺なんて一人だけでもいっぱいいっぱいだったのに、そこはさすがとしか言い様がない。
最後に会ったのはいつだったろう。懐かしさばかりを覚えながら、俺は蓮川の兄宅に向けて車を走らせた。
以前は平屋だった蓮川の実家は綺麗な三階建ての家に建て替えられていて、俺たちを迎えいれてくれたすみれさんは昔と少しも変わらず、幸せ色の空気を振りまきながら「いらっしゃい」と言ってくれた。
「光流!? おまえ久しぶりだな~、元気にしてたか?」
「久しぶり、おっさん。変わってねーなぁ」
俺を見るなり目を大きくした高校時代の保険医に、俺は自然とにやけた笑顔が浮かんできた。
「あははは、おっさんにおっさん言われたくないなぁ」
保険医は相変わらず能天気な口調で、少しも変わらない笑顔を向けてくる。
ふと、バタバタと賑やかな足音が近づいてきた。
「やっくん、いらっしゃい!!」
「やっくん遊んで~!!」
階段から駆け下りてやってきたのは、どうやら蓮川の甥っ子と姪っ子だ。まだ無邪気な小学生の二人が、蓮川に絡みついていく。
「あれ、緑は?」
「今日は朝から出かけてるのよ。中学生にもなると、家にいることは少なくって」
蓮川が尋ねると、すみれさんはやや寂しそうにそう答えた。
そうか……緑ももう中学生なのか。さぞ大きくなったろうな。会いたかったけど、留守とは残念。
月日の流れを感じると共に、すみれさんが用意してくれた昼食をみんなで一緒に囲んで談笑した後、蓮川が甥っ子姪っ子の相手をしている間、俺は保険医と二人向かい合わせで懐かしい話に花を咲かせた。
「あいつとは、うまくやってるのか?」
保険医に尋ねられ、思わず俺は一瞬言葉を詰まらせた。
「ま、まあな。っても……つい最近より戻したばっかだけど」
「別れたのか? おまえらが?」
かなり意外そうに保険医が言う。
「いろいろあってな。でも今は元通りだぜ?」
「ほう……まあ何にしても、幸せそうで良かったよ」
心からそう思っているらしい笑顔に、俺は自分の気が緩むのを感じて、気がつけば自然と尋ねていた。
「ただ……出来ねーんだよ」
「は? 何がだ?」
「……だから、その……エッチが……」
次の瞬間目を丸くされて、事の経緯を詳しく話すと、保険医は呆れたような可笑しいような何とも言えない顔つきをして俺を見てきた。
「そりゃ、恋、だな」
そしてふと、真剣な顔つきをしてそんな言葉を口にする。瞬間、俺の心臓がドキッと高鳴った。
「恋……?」
「そう、恋だ」
「でも、今までだって恋してたはずなんだけど」
「いいか光流、恋っていうのは次第に愛に変わっていくものだ。しかし今のおまえの状況でいくと、一度離れたことにより、また新たに恋という感覚が芽生えている状態だ。つまり今のおまえは、まさに初恋に陥った時と似たような感覚にあるわけだ」
「な、なるほど……! さすがだぜおっさん!!」
さすがは悩める男子高校生のカウンセラー。あまりに的確な答えに、感動すら覚えるじゃねーか!!
「うんうん、おまえももう充分おっさんだぞ?」
「で、どうすりゃいいんだ!? どうしたら俺は忍とエッ……」
尋ねようとした口を、咄嗟に塞がれる。
「子供に聞こえるだろうが、バカ」
「……どうしたら出来るんだ?」
声を潜めて尋ねると、保険医は小さく息をついた。
「とりあえず、手をつなぐところから始めてみたらどうだ?」
「手をって……こう……?」
頭の中でシミュレーションしつつ、保険医の手を握りしめる。
「そうそう、そうなると自然にこうなるから」
「なるほど、それでこういくわけだな?」
おお、だいぶ感覚が掴めてきたぞ。
「二人とも、何やってるの……?」
そこへ片付けを終えたすみれさんが戻ってきて、思いきり怪訝そうに尋ねられ、俺たちは慌てて手を離したのだった。
保険医とのシミュレーションを頭に叩きつけつつ、夕刻になって家に戻ると、ソファーの上で忍が熟睡していた。
仕事は休みだけど、また朝から掃除に専念していたのだろう。綺麗に整理された部屋を見渡して苦笑しつつ、
そっとソファーの横に膝をついて忍の寝顔を覗き込んでみる。長い睫が小さく揺れて、形の良い唇が静かに寝息をたてている。
途端にまた心臓がバクバクしてきて、息苦しいほどの圧迫感に襲われる。
(どうしよう……)
好きで好きで、どうしようもなく好きすぎて、もう本当にどうして良いか分からない。
触れたくてたまらないのに、それすら怖くて手が震えて、見ているだけで目頭が熱くなってくる。
やっぱ保険医の言ったとおり、恋……してるんだなあ、俺。
(抱きてぇ……)
思いっきり抱きしめて、何度もキスして、俺の腕の中で感じる忍の顔が見たくてたまらない。
せめて……せめてキスだけでも。
そう思って、忍の髪に手を伸ばして、わずかに触れた瞬間だった。
「……ん……」
突然、忍が覚醒して、俺は目いっぱいあたふたしながら即効で忍から離れた。
「帰ってたのか……」
「た、ただいま……」
どうにか平静を保ちつつ、しかし顔は合わせられないまま立ち上がろうとすると、不意に腕を掴まれた。
「光流……」
忍に視線を向けると、忍はじっと俺を見据えてくる。
……って……え……これってもしかして……。
(誘われてる!!??)
そうなのか? そうなのか!?
いや間違いないだろ!!
この怪しい視線!! 少し潤んだ目つき!! これはもう間違いないだろ!!!
「頼みがあるんだ」
酷く真剣な忍の表情。
やはり間違いない!!
そんな……頼まれなくたって、俺はいつだっておまえのことを……。
「忍……っ」
即効で抱きしめようと手を伸ばした瞬間、
「マヨネーズ切れてるから買ってきてくれ」
忍はまるで無表情にそう言い放つと、俺の腕を手すり代わりに起き上がり、さっさと立ち上がってキッチンへむかっていった。
行き場を無くした俺の手だけが、無様に宙を漂うのであった。
つーか……あいつは一体、どういう気でいるんだ?
車の運転中、またしても深くため息をつきながら、俺は真剣に考えた。
俺のところに戻ってきてくれたってことは、あいつも俺のことを好きってのは確かはハズで。なのに何で、昔と少しも変わらず、ああも冷静でいられるんだ?
エッチだって、全然その気ないみたいだし……。
まあ昔から、滅多に自分から誘うようなことはなかったけど、それにしてもと思わずにはいられない。
好きだったらもっとこう、いろいろいろいろ、あれもこれもしたいと思うのが普通じゃねーのか!?
「あーもうっ!!!」
「なんですか急にっ!?」
悶々とした気分を抑えきれないままに苛ついて声をあげると、蓮川がビクッと肩を震わせて叫んだ。
「蓮川……おまえ童貞捨てた時って、どうやってエッチに持っていった?」
「目がイッてますよ光流先輩!! 一体どうしちゃったんですか!?」
「いいから答えろ……っ、おまえはどうやって初エッチしたんだよ……っ」
「ま、まさか光流先輩、いまだに童貞なんてことは……」
「ねぇよ……っ! ねぇけど、今まさにそんな気分なんだよ……っ!」
「意味が分かりません~!!!」
涙目になりながら声をあげる蓮川に、しかし俺はとても平静な気分にはなれず、握り締めた拳をハンドルに叩きつけた。
ダメだ、いくら蓮川に聞いたってらちがあかねえ! たぶん絶対、なんの参考にもなりゃしねぇ!!
ここはアレか、瞬か? 瞬にでも聞くべきなのか?
いやでもあいつのことだ、「そんなのさっさと押し倒せばいいじゃん」で終わりだ。あいつはそういう奴だ。
「でもそうですね、ムード作ったりは、したかなぁ?」
「ムード!?」
ぽつっと呟いた蓮川の言葉に、俺は即効で反応した。
そうか、ムードか!!
「良いこと聞いたぜ、サンキュー蓮川!!」
「はあ……」
ムードと言えば、やはり海か……。
『忍……最後にここに来た日のこと、覚えてるか?』
『ああ……忘れるわけないだろう?』
『俺、ずっと……待ってたよ。一日たりとも、おまえのこと忘れた日は、無かった』
『光流……』
『会いたかった……忍』
『俺も……っ!』
よっしゃこれだ!! これしかねえ!!!
「忍……今度の日曜、ちょっと出かけねぇ?」
「おまえも休みか? ならちょうどいい、行きたいところがあったんだ」
どこか嬉しそうに、忍が言った。
もしかして忍も、俺と同じこと考えてた!?
「クローゼット整理するのにいくつか棚が欲しいから、ニ○リに行かないか?」
「……分かった、行こうか」
にっこり微笑む忍に、俺は心の中で号泣しながら応えたのだった。
頑張っても頑張っても一向に前進しない自分にため息ばかりつきながら、その日もパソコンで「恋」だの「初エッチ」だのという言葉ばかり検索してしまう自分に、ますますため息が漏れる。
ホント、何やってんだ、俺……。三十過ぎてこれは、いくらなんでも情けなさ過ぎだろ。
でもよく考えたら俺、忍に会うまでまともに恋したことなんかなかったもんなぁ……。
またしても深くため息をつくと、不意に玄関の方から物音がして、俺は慌ててパソコンのブラウザを閉じた。
「ただいま」
「おかえり」
珍しく日曜に仕事に出かけ、夕刻近くに帰ってきた忍は、少しばかり疲れた様子でスーツのネクタイをはずす。
その仕草一つ一つがやけに色っぽく感じて、ずっと見ていたいのに妙に気恥ずかしくなってしまい、俺はパソコンの電源を切って立ち上がり、キッチンにむかった。
大学時代は当番制にしていた食事の準備は、いつの間にか、俺よりはだいぶ時間に余裕のある忍の仕事になってたけど、こういう日くらいは作らなきゃなと思い、昼間に買い足した材料を冷蔵庫から取り出そうとしたその時だった。
携帯電話の着信音が鳴り響き、俺は開いた冷蔵庫の扉を閉めて、テーブルの携帯に手を伸ばした。
着信の相手は蓮川だった。出るのやめようかなと思いつつも、仕方なく携帯を耳にあてる。
「もしもし? なんだよ蓮川、また何かあったのか?」
うんざりしつつ尋ねると、少しの間を置いて、蓮川が口を開いた。
酷く言いにくそうな、やけに暗い声に、眉をしかめた次の瞬間、俺は携帯電話を床の上に落としていた。
(今、なんて……?)
───凛君が、亡くなったそうです……。
嘘……だろ?
なに……バカなこと……言って……・。
「もしもし、蓮川? ああ、俺だ。何があった?」
忍が咄嗟に俺の携帯電話を拾い上げた。
俺は頭の中が真っ白になって、ただひたすら呆然と目の前を見つめる。
いきなり肩を掴まれたかと思うと、物凄い衝撃が頬に加わった。
「目が覚めたか?」
「あ……ああ……」
ぼやけていた視界が、一瞬にして元に戻った。
「今夜がお通夜だそうだ。今から行くぞ」
忍の言葉に、また気が遠くなりそうになる。
すぐに出かける支度を始める忍に、俺はただうながされるままに付いていくことしか出来ずにいた。
嘘だ。
頼むから、嘘だって言ってくれ。
何かの冗談だって。
だってあいつが。
『またね、とーちゃん!』
つい一ヶ月前まで、元気に笑ってそう言って、母親の元に戻っていったあいつが、どうして……!!!
「……虐待死、だそうだ」
車を運転しながら小さく発した忍の声に、俺は再び目の前が真っ暗になるのを感じた。
『とーちゃん』
また、あいつの笑顔が頭の中に浮かび上がる。
震える手をどうにかこらえようとしても、鼓動は高まっていくばかりだった。
全て夢であって欲しい。
そんな願いは、凛の母親の実家へ着くなり、無残に打ち砕かれた。
わずかな訪問客の中に混じって、既にたどり着いていた蓮川が、俺達を家の中に誘導してくれた。
「池田さん……!」
かつて凛を俺に預けに来た母親、千穂が、俺を見るなり目に涙を浮かべた。
けれど俺は彼女に声もかけず、漠然と目の前を見つめた。
まだ信じられない想いでいた俺の目に、小さな棺桶と凛の笑顔の遺影が移った瞬間、俺は沸き起こる衝動を抑えきれず、千穂の胸ぐらを掴みあげた。
「何で……何でだよっ!! 約束……したじゃねーかっ!!!」
「ごめ……ごめ……なさい……っ!!」
千穂の瞳から、涙が溢れる。それでも俺は、掴んだ手を緩めることは出来なった。
「光流先輩、やめて下さい!」
間に入ろうとする蓮川を押しのけ、俺はますます強く手に力を込めた。
「絶対いい母親になるって……もう大丈夫だからって……おまえそう言ったんじゃなかったのかよ!! 俺は……おまえのこと信じてたから、だからあいつを……!!!」
「光流、もうやめろ」
突然、物凄い力で腕を掴まれた。
「今、一番苦しんでるのは、彼女だ」
その強い力とは裏腹に、酷く落ち着いた口調で囁かれた忍の言葉に、俺はハッとして目の前の千穂を見つめた。
「ごめんなさい……!!!」
俺の手が離れるなり、千穂は床の上に崩れるように座り込んで、何度も何度も同じ言葉を口にしながら涙を流し続けた。
家に戻ってからも一言も口も聞けないまま、俺は床の上に座り込んだ。
静寂だけが辺りを包み込んで、どうしようもない悲しみと後悔ばかりが胸を引き裂く。
そうして、思い出す。
初めて出会った時、まだ十五歳だった千穂は、もう誰がどう見ても救いようのないほど荒んでいて。俺はそんな千穂をどうしても放っておけなくて、何度も諭して怒って時には殴りつけて、そうして全力でぶつかっていく内に、あいつは少しずつ心を開いていってくれて。酷い家庭環境で育った千穂だったけれど、もう絶対に大丈夫だって思えるくらい明るい笑顔を向けるようになってくれて。
だからあいつが、どうしようもない事情で俺のところに凛を連れてきた時、俺は迷うことなく凛を預かって、あいつを信じて迎えに来るのを待っていた。
そして約束通り、あいつはちゃんと迎えに来た。
もう大丈夫。これからは絶対に良い母親になるから。頑張って幸せになるから。
そう言って、凛を連れて帰っていった。
あの時。
(どうして……)
母親に手を握られながら、ゆっくり俺を振返った時の、凛のどこか不安そうな瞳。
それを知っていたはずなのに、俺は、見て見ぬふりをしたんだ。
(俺の、せいだ……)
職場の上司や同僚、蓮川にだって、何度もおまえが預かる必要は無いって、お人よしも大概にしろって、すぐに施設に預けるべきだって。そう、言われていたのに。
俺は、千穂のことを信じたくて。どうしても信じたくて、そんな自己満足のために、凛を犠牲にしたんだ。
みんなの言う通り、すぐに施設に預けていれば、こんな結果になることはなかったのに。
(俺のせいだ……!!!)
どうして俺は、いつもいつも、間違ってばかりいるんだ!?
冷静に考えさえすれば、こんなことにはならなかった。
それなのに、その場の勢いで奇麗事ばかりを並べて、きっと救えるはずだって信じて、結局は誰のことも救えない。救えるはずない。そんなこと、もう痛いくらいに知っているのに、また同じ過ちばかりを繰り返して。
最低だ。
(最低だ……!!!)
どうしようもない後悔と自己嫌悪に苛まれ、心が悲鳴をあげる。
狂いそうな胸の痛みをどうにかやり過ごそうとしていると、ふと、耳に聞き覚えのある音が届いて、俺は静かに顔をあげた。
コトンと音をたてて、忍がテーブルの上におもちゃのオルゴールを置いた。
凛が大好きだった、オルゴールの静かなメロディーが部屋の中に響き続ける。
夜中に泣き続ける凛に、何度も聴かせてやったメロディー。
急速に記憶が甦る。
抱きしめた腕の中の、小さな温もり。
孤独で冷え切った俺の心に、愛しさや暖かさを取り戻してくれた、あの小さな優しさ。
後から後から、涙が溢れて止まらなかった。
この曲、もう一度だけ、あいつに聴かせてやりたかった。
初めてあいつが俺に我侭言って、どうにかして直してくれって頼まれて、何度も何度も頑張って直そうとしたけど結局直らないまま、あいつは母親の元に戻っていった。
なのに何で、ドライバー一本でそんな簡単に直るんだよ……。
やっぱおまえ、凄ぇよ……。
鳴り続けるオルゴールのメロディーを耳に、俺はただ涙を流し続けた。
(忍)
(忍)
(忍!!!)
追いかけても追いかけても届かない夢を、何度も見た。
目が覚めても、やっぱり忍はどこにもいなくて。
待ち続けることに疲れて、疲れ果てて、それでもどうしても忘れられなくて。
今日は帰ってくるかもしれない。明日こそ帰ってきてくれるかもしれない。
そんな期待にただ疲れて、仕事に打ち込むことでどうにか自分の心を誤魔化しながら、冷えていくばかりの心。
どうして、おまえは俺を置いて行ってしまったんだ?
それとも俺が、おまえを殺したのか……?
ずっとずっと、殺し続けていたのか?
守るつもりで、ずっと守られていたのは、俺の方だったのか?
頼むから、教えてくれ。
俺は、なにを間違えたんだ?
「……ん……」
夜中に目が覚めたら、俺はしっかり忍に抱きしめられていた。
いつの間に眠ったのかも、どうやって眠ったのかも覚えていない。
(忍……)
静かな寝息をたてている忍の胸に、擦り寄るように身を寄せる。
暖かくて、酷く心地よくて、優しくて、まるで生まれる前に戻ったような感覚だった。
心臓の音が聴こえる。 生きている音が、聴こえる。 (忍) こめかみに涙が伝った。
頼むから、もうどこにも行かないでくれ。
もう絶対に間違わないから。
これからは何があっても、おまえだけを想って、愛して、生きていくから。
そうして苦しみも悲しみも喜びも、全てを分ち合って。
守りながら、守られながら、一緒に生きていこう。
ずっと、一緒に。
どこまでも、一緒に。
この心臓が音を止める、その時まで。
「うーす!!蓮川!!」
「光流先輩……今度は何があったんですか?」
今日もはりきって仕事場に足を踏み入れた俺を見るなり、蓮川が怪訝そうに尋ねてきた。
「あ?」
「元気すぎて怖いです」
目をすわらせて蓮川が言う。
「え? 別に何もねーよ?」
「おもいっきり顔ニヤけてますよ」
「まあまあ、いいじゃねーか。んなことより行くぞ!」
「はい! ……って、俺のが上司なんですけど!?」
何やらうるさい蓮川の声は無視して、俺はさっさと現場にむかうため足を急がせた。
車の中でも蓮川はやたらと不気味がっていたが、俺はといえば、もう気分は上々、ヤル気満々。
だって、なんたって昨夜はついに……ついに、一線越えちゃったしな!!!
もうあの色っぽい顔、色っぽい声、色っぽい体、思い出すだけで鼻血100リットルは余裕で吹けそうだぜ!!
「蓮川……やっぱ新婚って最高だよな」
「はい? 光流先輩、まだ独身なのに何言ってんですか?」
「今日もとっとと仕事終わらせて早く帰っぞー!」
「人の話聞いて下さいよっ」
現場から即効で帰宅して、玄関のドアを開けるなり、俺はバタバタと足を急がせた。
「忍っ!!!」
が、飛びつこうとした途端に、キッチンでキャベツの千切りをしていた忍がサッと身を翻して、俺は思いっきりよろめいてシンクに手をついた。
「よけんなっ」
思わずつっこむと、忍は手にしていた包丁を目の前にかざし、睨みつけるように俺を見てくる。
俺はニヤリと笑って、じりじりと忍に近づいていく。
「来るな……っ」
「相変わらず分かってねーな。やめろと言われれば余計に燃えるのが俺ってもんだぜ? 忍くん」
「おまえが燃えると余計に逃げたくなるのが俺というものだ」
「誰が逃がすかよっ!」
俺はそう言うと、包丁などお構いなしに忍に飛びかかっていった。
あっさり床の上に押し倒された忍は、ジロリと俺を睨みつけてくる。
けれど唇にキスした途端、諦めたように息をついた。
「……ベッドに行くぞ」
「了解!!」
俺はめいっぱい笑って応えた。
「んーーーっ!」
「も……しつこい……っ!!」
何度も抱きしめてキスしまくる俺に、忍はうんざりしたように声をあげて、俺の顔を押しのけてくる。
でも構わずに手首をシーツの上に押し付けて、強引にもう一度唇を奪った。
あんなに悩んだのがバカらしいくらい、一度一線を越えてしまえば元に戻るのは容易いことだった。
ちゃんと、身体が全部覚えてる。忍が感じるところ。あ、ここ良かったなとか、ここが弱かったなとか、ごく自然に覚えてて、あんまり素直にビクビク反応する忍に、思わず笑っちまうくらいだった。
「今まで、分かっててわざと焦らしただろ」
「おまえが分かりやすすぎるんだ。パソコンの履歴くらい消しておけ、馬鹿」
きっぱり言われて、俺は思わず言葉を詰まらせた。
つーかやっぱり、しっかりがっつり焦らしてくれてたってわけか。こういう性悪なとこも相変わらずだ。
恥ずかしさと共に悔しさがこみ上げてきて、俺は早急に忍の上着を脱がせると、露になった乳首に舌を這わせた。ピクッと忍の体が震える。
「さんざ我慢してたぶん、とうぶん自制きかねーからな」
「人のせいに……するな……っ」
憎らしい口をききながらも、忍の瞳が恥じらいの色に染まってくる。途端にたまらない気持ちになって、まとわりついている邪魔な衣服を全て剥ぎ取る。
先ほどの愛撫で硬く尖った乳首を指で摘み、首筋や鎖骨に赤い印をばら撒き、それから脇腹の傷にそっと口付けた。以前はなかった傷。こんな深い傷痕、いったい何があったのか気にならないといえば嘘になる。でも理由も何も聞かなかった。いずれ忍が話してくれるまで、待とうと思ったから。
それに、これまでの過去なんて、どうでもいい。
今、忍はここにいる。俺の腕の中にいる。これから先も、ずっと。
「……あ……っ、んぅ……っ」
内股を指でくすぐるようになぞると、早く刺激が欲しいとばかりに、ひときわ高い声が漏れる。
少し焦らしてから足を開かせ、足の付け根あたりに何度も口付けて、それからゆっくりと刺激を欲しがっている部分を口に咥え込み愛撫する。抑えつけた太股が強張って小さく震える。激しく感じてる証拠だ。
羞恥からか閉じようとする足を半ば無理やり抑えつけて、なおも口で愛撫し続けると、忍の体が一瞬大きくしなって咥内に快楽の証が解き放たれた。
目を閉じて息を乱す忍の姿にたまらない色香を感じながら、ベッド脇の棚に置いてあった潤滑油に手を伸ばして、蓋を開いて指先に垂らす。左足を開かせて、中にゆっくりと指を埋め込む。
「ここが良いんだよな?」
「あ……、や……っ」
緩急つけて指を動かすと、時折きゅっと締まる。柔らかい肉の絡みつく感触が心地よくて、何度も同じ動きを繰り返す。もう一度イかせてやろうかと思ったけど、自分の方が耐え切れなくなって、指を抜いて忍の膝裏に手をあて大きく足を開かせ、自身を押し当てた。
「入れるぜ?」
額に汗を滲ませながら、忍は覚悟するようにぎゅっと目を閉じる。
俺は余裕がなくなるのを感じながらも気遣いながら挿入していき、極力痛みを感じないように前も手で握り込んで上下に動かした。
「は……、ん……っ、あっ……!」
「……んな……っ、締めつけんなって……っ」
ヤべ……早くもイきそー……っ。
でも、まだまだイきたくないっ!!!
ずっとこの感覚を味わっていたくて動かしていた腰を止めると、忍は息を乱しながら俺の腕を掴んで、もっとと求めてくる。俺は忍の腕を掴み返して引き寄せ、上半身を起こさせた。そのまま抱きかかえて、下から腰を突き上げる。忍が俺の首に腕を回して、強くしがみついてくる。
「あ……も……と……動けよ……っ!」
「え……イヤ」
「……なん……で……っ」
「まだイきたくない」
というわけで、ちょこっと休憩。
なんて思って一息ついていたら、忍が自ら腰を動かしてきて、俺は焦りながらも必死で自制心を整えた。
「こんなエロい体のクセに、よく一ヶ月も我慢できたな? もしかして自分でしてた?」
「一緒に……するな……っ!」
「こら動くなってっ」
「も……早く……っ」
腰を掴んで動きを止めると、忍は今にも泣き出しそうに目に涙を滲ませる。
「わーったよ」
苦笑しながら、俺は忍の唇にキスをして、応えてくる舌に舌を絡ませる。
長いキスの後、掴んでいた腰に力を込めて突き上げると、忍もまた俺の首に回した腕にぎゅっと力を込めた。
そして自らも激しく腰を動かし、二人同時に真っ白な快楽に翻弄されながら、ただひたすらに互いを求め合う。
「奥……もっと……っ、あ……っ、あぁ……!!」
すげ……おまえ、乱れすぎだって。
でも俺も、もう限界。
一際強く忍の体を抱きしめたその瞬間、二人同時に意識を飛ばした。
「あ……っ……ん、ぁ……っ!!」
幾度目かの快楽の証を忍の中に解き放つと、忍が胸を大きく上下させながら、頬を蒸気させたままぐったりと力を抜いた。
忍の指に自分の指を絡ませたまま、唇や頬に触れるだけのキスをする。
「忍……もう絶対に、どこにも行くなよ……」
ぎゅっと強く手を握り締めて、溢れてくる愛しさのままに、俺は忍の耳元に囁いた。
長い指先が俺の頭に触れ、そっと抱き寄せられる。
途端に切なさばかりが胸の内に募って、目頭に涙が滲んだ。
「忍……」
握り締めた手の平が、ただ熱い。
会いたかった。
会いたくて会いたくて、気が狂いそうなほど、この時を待っていた。
ずっと……考えてた。おまえが出て行った理由。どうして俺を捨てて行ってしまったのか。
ただ悲しくて辛くて苦しくて、時に激しく憎んで、壊れていくばかりの自分に何度も問いかけた。
でも出てくる答えはいつも同じで。
分かっていたから、ただ悲しかった。
あの時、もっとしっかり手をつないで抱きしめて、なりふり構わず行くなって叫んでれば、おまえが苦しむことはなかったのか?
それともやっぱり、何をしてもどんな事をしても、おまえは俺のために、別れを選んだのか?
いくら考えても答えは出なくて。
おまえが俺のためについた嘘が、ただ、悲しかった。
抱き寄せられた胸の内から、脈打つ音が聴こえる。
なんて優しい音だろう。
生きて、この心臓が動いているうちは、この先なにがあっても、俺はおまえを守り続ける。
だから……ずっと、ずっと一緒に、生きていこう。
二度と離れないように、しっかり手をつないでいよう。
ありったけの想いを込め、俺はそっと、こめかみを伝う忍の涙に口付けた。
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