恋話

 

 

 

(うぅ……)

 一人暮らしの部屋の一角で座り込みながら、俺はひたすら頭を抱えていた。

 右手の中には、小さなダイヤのついたシルバーリング。半年ほど前に給料三か月分を費やして購入した婚約指輪。

 既に結納も済ませて、結婚式の場所も日取りもさんざ苦労してようやく決定して。あとは二週間後の式に備えて体調を整えておくだけなのに、どうして今頃になってこんなことになっているのだろう。


『もう絶対に別れる! 結婚なんてしない!!』


 昨日の夜、夕食を作って待っていてくれた彼女は、仕事から帰ってきた俺の顔を見るなり泣きながら叫んで喚いて、理由を尋ねる俺の言葉に少しも耳を傾けないまま、薬指にはめていた指輪を俺に投げつけて部屋を出て行った。

 全くもってわけの分からなかった俺は、ただ呆然と彼女を見送り、それから一睡もできないほど悩みに悩み、そして今に至るわけだ。

 なんであの時すぐに追いかけなかったのだろうと後悔しながら、何度も電話やメールをしたけれど、彼女が応答してくれる気配は微塵も無く。とにかく今日はこれから仕事に行かなければならないし、終わったらすぐに彼女の家に直行してきちんと話を聞こう。

 そう思いながら立ち上がり、指輪をテーブルの上に置く。スーツに着替えようと、クローゼット前に置かれた引越し準備途中のダンボールを避けようとしたその時だった。

ダンボール箱に詰められた雑貨の一番上に、入れた覚えのない黒いケースが置かれているのに気づき、目を見張る。かなり古びたそのケースを手に取り開くと、そこには高校時代の学生証がしまわれてあった。

 こんなもの、一体どこにあったのだろう。思いながら、懐かしい気持ちでいっぱいになり、「緑都学園」と書かれた学生証を取り出してみる。すると一枚の紙が音も無く床の上に舞い落ちた。 

 足元に落ちたそれは、少しだけ端の破れた一枚の写真。

 映っていたのは、高校の制服を着た二十年前の自分と、それから、可愛らしい顔をした髪の長い少女。

 瞬間、俺はハッと目を見開いた。


 ああ……そっか、そういうことか。彼女……これを見て……。


 そう思ったら、ずいぶんと可笑しくなって、俺はつい苦笑してしまった。

 仕事が終わったら、これと指輪を持って、彼女のところに行こう。あとそうだ……卒業アルバムも必要かもしれない。

急いで本棚を漁り高校の卒業アルバムを見つけ、それからスーツに着替え、俺は通勤用の鞄に写真と指輪と卒業アルバムをしまった。





 また……あいつだ。


「先輩~、今日の放課後、空いてます?」

「う……」

「瞬!」

 相手の言葉に頷くよりも先に、俺は瞬の元に歩み寄った。

「今日、前に迷ってた靴買うの付き合ってくれ」

 俺が勢いのままに言うと、瞬は「ああ」と思い出したように頷いて、それからにっこり微笑んだ。

「うん、いいよ。じゃあ放課後」

 笑顔で手を振って、瞬は長い髪をなびかせ、軽やかな足取りで自分の教室に向かって走って行った。

 その場に取り残された俺は、目の前に立つ相手の不穏な空気に気づかないはずもなく、やや気まずい想いで視線を向ける。すると案の定、一つ年下の後輩は俺に呆れたような怒ったような視線を投げかけてきた。

「……邪魔せんでくれませんか?」

 低い声に、二年経っても少しも変わらない関西特有のイントネーションが妙に勘に障る。けれどなんとなく反論しづらくて黙り込むと、野山は小さくため息をついた。

「あーあ、せっかく映画のタダ券手に入ったから誘お思たのに。しゃーないから、次の日曜にまた誘おかな」

 俺に背を向け、なんだかわざとらしい言い方をする野山にカチンときて、俺は眉を吊り上げて口を開いた。

「おまえ……いいかげん、瞬に妙なちょっかいかけるのやめろよ!」

 思わず声を荒げると、野山は振り返り、またも呆れたような視線を俺に向ける。俺は思わず眉をしかめた。

 く……っ、何でだ? 何で一つ年下の後輩に、ちょっと不穏な視線向けられただけで怯んでしまうんだ俺っ。

 一歩退いた俺に、野山は相も変わらず鼻で笑うような視線を向けてくる。悔しさを胸に、俺は野山を眼鏡越しに精一杯睨みつけた。

「そんなに気になるなら、先輩もなりふり構わず「お願い」すりゃええやないですか。いつまでもお友達ごっこしててもしゃーないでしょ?」

 冷めた口調でそう言うと、野山は俺に背を向け廊下を歩いて行った。

 そのやたらと余裕で、やたらと人を見下した態度に、俺は苛立ちばかりを感じて、握った拳が震えるのを抑えることが出来なかった。


 何が「お願い」だ!! 

 男同士でお願いもクソもあるか!!!

 心の中で悪態ばかりをつきながら、ようやく長い授業を終え放課後。

 ホームルームが終わってすぐに、俺は二隣向こうの教室に向かった。

どうやら丁度、こっちも終わったところらしい。帰り支度を始める生徒達に混じり、鞄の中に教科書を詰め込む瞬の姿を発見して声をかけようとすると、先に瞬がこちらを振り返った。

「ごめん、待った?」

 急いで帰り支度をして、瞬が駆け寄ってくる。「うちも今終わったとこ」そう返事をして、二人並んで校舎の外に向かった。



 勢いで「靴買う」なんて適当な理由つけて野山から引き離したものの、実は財布の中身は非常に厳しく。だけど言った手前、買わないわけにもいかず、百貨店の紙袋を片手にしばらく昼飯抜きかと落ち込みながら人ごみの中を歩き続ける。

「うわ……見て、すっごい可愛い子~」

「ホントだ~」

 ふと、横を通り過ぎたOLらしき女性二人組が俺たちに視線を向け、笑顔でそんなことを囁き合いながら通り過ぎていった。

 俺は何気なく隣に歩く瞬に目を向ける。

一応、同じ男用の制服着てるんだけど、男に見える……わけないか。

思わず心中でため息をつく。

 腰まで届く長いサラサラの髪。パッチリした瞳にくるっとカールされた長い睫。白い肌に細身の身体。ピンク色の唇。どれをとっても、まるで男のものではないどころか、テレビに出てる女優もアイドルも顔負けのヴィジュアルは、男の視線だけではなく女性の視線までも惹きつけてしまう。

 毎度思うんだけど、一体俺、周りにどういう目で見られてるんだろう。たぶん「釣り合わねー」とか「勿体ねぇ」とか思われてるんだろうなぁ。

ショーウインドウに映った地味な自分の姿を見るたびに、俺は肩が下がる想いだ。

「栃沢、お腹空かない?」

「ああ……夕食までずいぶん時間あるし、何か食ってくか。どこがいい?」

「ミスド行こう、ミスド!」

 すぐ目の前にあるドーナツショップを指差し、瞬は俺の返事も待たずに足を急がせた。

俺、あんまり好きじゃないって、確か前に言ったはずだけど……まあ、いいか。

 小さく息をついて、俺は速度を変えずに瞬の後を追った。 

 

  なんだかこのところ、苛立つことが多い気がする。

 たぶん、受験勉強で疲れているせいだ。そう自分に言い聞かせながら、寮の部屋を出てトイレに向かおうとしたその時。

「先輩~、行きましょうって~~」

 例の癇に障る関西弁を耳にした途端、足が自然と止まった。

「え~、だって興味ないもん、その映画」

「絶対おもろいですって! 保障します!!」

「うーん……」

 迷いを見せる瞬に、野山はなおもしつこく映画の誘いをかける。

 また間に入りたくなったけれど、どうにかこらえてトイレに向かおうとすると、瞬が俺に気づいたようにこちらに視線を向けた。反射的にドキリとする。

「とちざ……」

 けれど俺は、俺に声をかけようとした瞬から咄嗟に視線を逸らし、そのままトイレに向かった。

 

 胸の奥が酷くもやもやする。心臓が異常にドクンドクンと脈打って、苛立ちが止まらない。自分でも変だということは分かっていた。たぶんもうとっくに、その理由も分かっていた。ただ認めたくないだけだということも。

(くそ……っ)

 洗面所の鏡の向こうの自分は、酷く疲れた顔をしている。その顔に、なおさら苛立ちばかりを感じた。こんな自分、最低だと思った。いっそ目の前の鏡に拳を叩きつけて、バラバラに割ってしまいたいほどに。

 

 その日も、もやがかかるような胸の内を抱えたまま登校しようとする俺の前に、なんだかやたらと重い空気を背負った蓮川の姿が目に入り、俺はすぐに駆け寄って蓮川の肩をポンと叩いた。蓮川は力なく振り返るが、振り返ったその表情は酷く重苦しく。

「ど、どーした? 何かあったのか?」

顔を引きつらせながら尋ねると、蓮川は深くため息をついた。

「別に……何もねーよ」

 どこからどう見ても何も無い奴の顔じゃないと思うが、蓮川は酷くやさぐれた表情でそう言うと、そのままとぼとぼと歩いて行く。

「どうも五十嵐さんといろいろあったみたいなんだよね~」

 突然背後から声をかけられ、俺は鼓動が跳ね上がるのを感じながら振り返った。そこには困ったような瞬の姿があって、俺はすぐに平常心を取り戻して表情を整える。

「うまくいってたんじゃないのか?」

 少なくとも三年生に進級する頃は、まだラブラブだったのに。思いながら尋ねると、瞬もまた蓮川同様に深くため息をつく。

「五十嵐さん、元彼と寄り戻したみたい。すかちゃんと別れるのも時間の問題じゃないかな~」

「え!? なんだよ、それ!! 酷くねぇ!?」

「うん、僕もそう思うけど……。でも五十嵐さんの相手の男って、小さい頃からずーーーっと一緒にいた相手だよ? よく考えたら、そう簡単に離れられるはずないよね……」

 そう言って、瞬はどこか悲しい瞳をする。

 確か五十嵐の元彼って、幼馴染で、ずっと一緒に育ってきた相手で、蓮川と付き合う前は周囲から「勝手にやってろ」って言われるくらいラブラブで。言われてみれば確かに、蓮川の入り込む隙があったのがおかしいくらいだったのかもしれない。

 そう思ったら途端に切なくなって、やるせない気持ちになる。蓮川の気持ちを考えるといたたまれなくなって、胸が苦しくなった。

「恋ってやっぱ、一筋縄じゃいかないよなぁ……」

 ぽつりと呟くと、何故か瞬がきょとんと目を丸くした。

「なんだよ?」

「いや……栃沢も恋してるんだなぁって思って」

「は!?」

 思いがけない瞬の言葉に、おもいきり眉をしかめると、瞬はにっこり微笑んだ。

「頑張りなよ栃沢。僕、応援するから」

 そう言って俺の方をポンと叩くと、瞬はその場から走り出して蓮川に追いつき、落ち込んでいる蓮川に懸命に明るい声をかける。

『恋してるんだなぁって思って』

 さっきの瞬の言葉が、頭の中をぐるぐる回る。

 俺はしばしその場に立ち尽くした。



(恋……?)

 ってつぶつぶいちご?

 なんかそんなCMあったよなとか明後日なことを思いながら、次の瞬間には頭を抱えて机の上に突っ伏していた。

「どうしたんだ? トッチー」

「……別に」

 同室の筒井が心配そうに声をかけてくるが、俺は素っ気無く返事をした。それよりもそのあだ名はいい加減止めて欲しいと思いつつ、今日何度目になるか分からない深いため息をつく。

 いいかげん、悩んでいても仕方ない。こういう時はさっさと寝るに限る。

「俺、今日ひろやんのとこ泊まってくるわ」

「おう、おやすみー」

 親しい同級生のところに向かうため部屋を出て行った筒井を見送り、俺はベッドの布団の中に潜り込んだ。

 明かりを全て消して、さっさと寝てしまおうと思うものの、何故か睡魔は一向に訪れない。代わりにもんもんとした気持ちばかりが込み上げてくる。

(うぅ……)

 駄目だ、眠れない。

 せっかく今日は一人だし、ここは一発抜いてスッキリするしか……。

 悶々とした想いで枕元のティッシュを数枚手にとり、パジャマのズボンの中に手を伸ばす。「する」と決めた途端に悲しいほどに反応を示す自分のものを握り、心の赴くままに上下に扱いた。押し寄せてくる快楽の波。イきたくてたまらなくなった瞬間。


『栃沢……』


 脳裏に聞き慣れた声が響き、鮮明に映像が浮かび上がる。


「……っ……」

 ドクンと大きく鼓動が跳ね上がったと同時に、ティッシュの中に体液が解き放たれる。

 やや乱れた息を整え頭の中が少しずつ冷静になってくるにつれ、凄まじい罪悪感が体中を駆け抜けた。

 ティッシュをゴミ箱の中に放り込み、俺は頭からがばっと布団を被った。

(最低だ……!!!)

 ボコボコに自分を殴りつけてやりたい気分だった。

 ごめん。

 ほんと、ごめん。

 何度も心の中で謝るけれど、抱いた罪悪感は少しも薄れず。

 明日の朝、俺はまともに瞬の顔が見れるのだろうか。

ちゃんと、見なきゃ。

 少しも自信はないけれど、そう固く心に誓った。




 「やった! じゃ、日曜の朝に迎え行きますんで!」

 酷く嬉しそうに声をあげ、瞬に映画のチケットを手渡し、野山が自室に戻って行く。

 210号室に集まっていた同級生達は、半ば感心した様子でその姿を見送った。

「いいのかよ瞬、期待もたせて」

「なんの期待だっ、なんの!」

 同級生の言葉に、即座に蓮川がつっこむ。そういう系にまるで免疫のない蓮川にとっては、「男同士」という異世界は絶対的に有り得ない事のようだ。

 いやでもそれは、俺だって同じだ。誰が男相手に恋心なんて抱くものか。俺はあくまで女の子が好きだし、ノーマルだし、男になんてこれっぽっちも興味はないし。

「やだなー、あんなの本気なわけないじゃん。それにこの映画、けっこう面白そうだし」

 瞬もまた、有り得ない事のように言った。当たり前のことなのに、一瞬、チクリと胸が痛んだ。

「おまえ、興味ないって言ってたじゃん」

 酷く苛立ちを感じて、俺は低い声をあげた。

「うん、でも野山の詳しい説明聞いてたら、悪くなさそうだなって」

 その言葉に、ますます苛立ちが募った。

「結局、あいつの言葉に乗せられたのかよ。そんなフラフラしてたら野山だって変な期待抱いて当たり前だっつの」

 酔いも回っているせいか、いつもより口調が辛らつになっていることは自分でも分かっていたけれど、止められなかった。

「何それ? 言っておくけど、野山はそんな奴じゃないから」

瞬が明らかにムッとした表情をする。

「そんなの分かるもんか。だいたいおまえ、自分が男だって自覚あんの? 男だらけのこの男子寮でそんな格好でいたら、いつ襲われたって仕方ないんだぞ!」

「おい、栃沢……」

 柄にもなくムキになる俺に、蓮川が間に入ろうとするが、俺は止めることができなかった。

「少しは物を考えろよ! 男なら男らしくしろ!! じゃなきゃ、誰に何されたって文句言えねぇんだよ!!」 

 まるで堰を切ったように爆発する心。言いたいこと全てぶちまけた瞬間、目の前にいる驚いたような傷ついたような瞳をした瞬の顔が飛び込んできて、俺はハッとして口を閉ざした。

 そしてそのまま立ち上がり、逃げるように210号室から飛び出す。

(最低だ……!!!!)

 心の中で叫びながら、俺は洗面所に向かった。洗面場に手をついて、蛇口をひねる。冷たい水を頭からかぶった。真冬だけど、少しも冷たいなんて感じなかった。それよりも、どうしようもなく胸が痛くて。

痛くて痛くて、いっそこのまま自分を消してしまえたら良いのにと何度も思った。

 いったい俺は、どうしてしまったんだろう。

いったいこれから、どうなっていくんだろう。

 何の答えも出せない自分が、ただ、悲しくて悔しかった。



 翌日。

 一睡もできず、鉛のように思い気持ちを抱えたまま部屋を出て食堂に向かう途中、蓮川と肩を並べた瞬が目の前に現れ、俺はどう声をかけて良いかもわからず思わず視線を逸らすけれど、瞬はいつもと何一つ変わらない様子で笑顔で駆け寄ってきた。

「おっはよー」

 無邪気な笑顔が、酷く心に痛い。

 俺は気まずい想いのまま瞬に視線を向け、思い切って口を開いた。

「瞬、昨夜は……ごめん。俺、すっげー酔ってて……」

 言い訳がましいと思いながらも謝罪の言葉を口にすると、瞬は変わらず微笑み続ける。

「やだなー、気にしてないよ。あれくらい、すかちゃんにいつも言われてる事だし」

 瞬はあっけらかんと言い放った。

 言葉通り全く少しも何も気にしていないその様子に、なんだかやたらと拍子抜けしつつも、内心酷く安心して自然と顔が緩んだ。

「ってゆーかすかちゃんのがずーっと酷いよね。男のくせに。男なら。男らしくしろ。今まで何百回言われたか」

「とーぜんだろ!? せめていいかげん髪は切れよ!」

「やーだ」

 あくまで髪を切るつもりは無いらしい瞬は、はっきりきっぱりそう言うと、先に食堂にむかって歩いていく。蓮川が深くため息をついた。

「ったくあいつは……」

 ぶつぶつと文句を言いながら、蓮川も瞬の後を追う。なんだか同情せざるをえなかった。

 瞬のあの容貌には、蓮川も入学当初からずっと翻弄させられっぱなしだもんなぁ。でもあの同居人相手に少しもやましい感情を抱かずにいられる蓮川の方が、俺としては尊敬せずにはいられないのだが。

 そう思ってから、またしても自己嫌悪に陥った。

 つまり俺はやっぱり、いつだってそういう「やましい」感情を瞬に抱いているわけで。

 いいかげん、自覚しなきゃいけないのかもしれない。

(でも……)

 自覚したところで、一体どうしろって言うんだよ?

 最初から一欠けらの望みもない告白なんか、したところで空しいだけじゃんかよ。

 だったら何もしないで、想いを胸に秘めて友達のままでいた方がずっとマシだ。下手に感情を露にして避けられて、今までの関係を全てぶち壊すよりもずっといい。

そう、ずっと、今までのままでいた方が……。

 やりきれない想いばかりを胸に、俺はその場を歩き出した。



 俺とは正反対の堂々とした立ち振る舞い。物怖じしない性格。飄々とした物言い。周囲の視線などまるで気にせず、あくまでマイペースに、納得のいかないことは納得がいかないと迷わず声をあげる。

彼なら一体、どうするのだろうか。

 尋ねてみたくもあったけれど、絶対に負けそうな気がして、とても尋ねることなんて出来なかった。

 結局俺は、ただの臆病者なんだ。

「やっぱ俺、どんなアイドルより先輩のこと可愛い思いますわー」

「ごめんなさい」

「あらら……」

 ペコリと頭を下げられ、野山は苦笑する。

 相変わらず、馬鹿な奴。心で悪態をつきながら、グラビア雑誌を広げて雑談する同級生達の中で、缶ビールの中身を一気に飲み干す。

「先輩先輩、ゲームしましょうよ。負けたら何でも好きなもん奢りますから」

 ニヤリと笑って、野山がポッキーを一本、口にくわえた。

 ばーか、そんなゲームに瞬が応じるはずないだろ。

「え、ほんとにー? 絶対勝つ!!」

 思いがけず、瞬がのりのりで身を乗り出した。そして野山の目前に顔を近づけ、ポッキーの反対側を口にくわえる。蓮川が「また馬鹿なことを」と頭を抱える横で、俺は鼓動が高まって焦りもに似た感情を覚えた。

「なんのゲームですか?」

「キスが怖くて先に口離した方が負けってやつだよ」

 同級生の説明に、フレッドがきょとんとした顔をする。

「なんでキスがこわいですか?」

 このあたり、さすが外人。日本人とは感覚が違うようだ。

 あくまで不思議そうな顔をするフレッドをよそに、ゲームが続けられる。確実に顔が近づいて、あと一口で唇同士が触れる寸前まで顔を寄せ合った瞬間、俺の中で何かが爆発した。

 突如立ち上がって空き缶を床に叩きつけた俺に、周囲が肩をびくつかせる。瞬も同様に驚いたのか、その瞬間にポッキーが折れて、二人は近づけていた顔を離して俺に目を向けた。

 けれど俺は何も言わず、黙ったまま即座に部屋を飛び出した。



「栃沢……!」

 廊下を歩いて自室の扉を開こうとしたその時、駆けてくる足音と同時に瞬の声が耳に届いた。

「どうしたの? なんか様子が変だよ?」

「……別に、何でもない」

 低く言って、俺は自室のドアノブに手をかけた。回そうとした手に、瞬の手が重なってくる。

「何か気に入らないことがあるなら、ちゃんと言ってよ」

 瞬がそう言って、俺に鋭い視線を向けた。

 気に入らないこと?

 そんなもん、ありすぎていちいち言葉にもしたくない。

「何もない。いいから俺のことなんて放っておけよ」

 あくまで拒絶を示し、俺は瞬の手を振り払って自室の扉を開いた。同居人はまたどこかの部屋に遊びに行っているのか、中には誰もいない。それが悪かったのか、瞬は了解も得ずに俺と一緒に部屋の中に足を踏み入れる。

「放っておけるわけないでしょ? そうじゃなくても栃沢、最近様子がおかしいってみんな心配してるんだよ?」

「単に受験勉強で疲れてるだけだから、気にしないでくれ。分かったらもう出て行けよ」

「……本当に、そうなの?」

 納得いかないというように、瞬は厳しい顔つきを緩めない。

「……そうだよ」

 俺は小さく応えた。

 頼むから、これ以上、俺の中に入ってこないでくれ。そう心で叫ぶのに、瞬が出て行く気配はまるでない。

「だったらちゃんと、僕の顔、見てよ」

「いいから……出て行けよ」

「栃沢……!」

「出て行け……!!」

 酷く感情が高まって、俺は声を荒げた。

 これ以上、入って来るな。

 おまえがいるからおかしくなるんだ。

おまえがいるから、俺が俺でいられなくなる。


 もう、こんな想いはごめんだ……!!!

 

 気がつくと、俺は瞬の肩を掴み、強引に床の上に押し倒していた。

 叫ぶ心のままに、唇で唇を塞ぐ。頭の中は完全に混乱していて、自分でも何をしているのか、まるで分からなかった。

「と……っ」

 唇を離すと、必死で抵抗を示す瞬の肩を抑え、パジャマの裾から手を潜り込ませる。もう一度唇を重ねようとしたその時、みぞおちに凄まじい激痛が走った。膝蹴りをくらい呻き声をあげた瞬間、肩を押され床に背をつける。先ほどとは逆の体制で、瞬の顔が目前になった。

 その表情に、一瞬、息が詰まった。

 鋭い眼光。怒りを隠さない表情。肩を掴まれた手に酷く力がこもる。そのあまりの強さに、相手が間違いなく男なのだということを実感させられた。

「瞬……っ」

 突然、瞬が思いもかけない行動に出た。俺の下着の中に、瞬の手が伸びる。

「や……め……っ」

「……こういう事がしたかったんでしょ?」

 俺の昂ぶる熱を握りしめ、瞬が耳元で囁いた。明らかに怒りを含んだ声だった。

「ちが……っ、やめ……っ!!」

 嫌で嫌で、たまらなかった。

 でも瞬は少しも力を緩めようとはしないし、加える愛撫の手も休めない。

「……っ……く……」

導かれるままに、俺は瞬の手の中に快楽の証を解き放った。

 あまりの情けなさと惨めさに、目の前が涙で滲む。乱れる呼吸を必死で整えるけれど、瞬の顔は見れずにいた。

「少しはすっきりした?」

 そんな俺とは正反対に、瞬はあくまで冷静な声色でそう言って俺から離れると、ティッシュの箱に手を伸ばして数枚引き抜き、汚れた手を拭う。またしても惨めさで涙が滲んだ。

「違う……っ」

 上半身を起こして、俺は眼鏡を外して声をあげた。

「こんなことがしたかったわけじゃ……っ」

 惨めさと悔しさと悲しさで、後から後から涙が溢れてきて、止まらなかった。

まるで小さい子供みたいに泣きじゃくっていると、目元にティッシュがあてがわれる。顔をあげると、そこにはいつものように優しく笑みを浮かべる瞬の姿があった。

「じゃあ、本当は何が言いたかったの?」

 穏やかな声。ますます泣きたくなって、俺は目をこすりながら応えた。

「好き……なんだ……」

 想いのままに声を発する。

「おまえが……好き……だから……っ」

 ずっと、ずっと、言えなかった言葉。伝えられなかった想い。

 こんな形で、こんな風に伝えたくはなかった。でも、それ以外に言葉が見つからない。

「僕も好きだよ」

 瞬の顔が見れないままティッシュで目元を拭っていると、瞬が思いもかけなかった言葉を発した。びっくりして、顔をあげて瞬の顔を見ると、やっぱり瞬は優しく微笑んでいて。なおさら胸の内が熱くなるのを感じるけれど、すぐに言うべき言葉が浮かんでこない。

「もし栃沢がさっきみたいなこと望むなら、僕はそれでも構わないよ」

「え……」

「ただし、僕が「上」だから」

 その言葉に、俺は一瞬、思考が全て止まるのを感じた。

「……上……?」

 って、どーいうことだ……?

「そう、僕が栃沢を抱く方」

 あまりにも直接的な台詞を躊躇いもせずズバッと口にする瞬を前に、俺は一瞬にして恐怖にも似た感覚を覚えて、即座にその場から後ずさった。

「い、いや、それは、さすがに……!!!」

 無理! 絶対、無理!!!

 そう心で叫びながら顔をひきつらせると、瞬はなおも平静なままにっこり微笑む。

「バカだねぇ、栃沢。やっぱり、錯覚してただけじゃん」

 そして少しだけ呆れ顔で、からかうような口調で言った。

「さっ……かく……?」

「そう、錯覚だよ」

 瞬は何だか酷く大人びた表情でそう言うと、俺の前に腰を落とす。いつもの可愛らしい顔立ちがすぐ目前になった。

「こんな男ばっかの学校と寮で生活してるから、「好き」を「恋」と錯覚してただけだよ。その証拠に、男の僕とそんなこと出来なかったでしょ?」

 瞬の言葉に、なんだか酷く納得させられて、俺は小さく頷いた。

「たぶん近くに女の子がいたら、僕のことそんな風には見てなかったと思うよ。だって僕たち、「親友」でしょ?」

 明るく笑う瞬の声が、あんまり優しくて嬉しくて、俺はただ頷くことしか出来なかった。こらえきれない涙が溢れる。

「ごめ……ごめん……っ、瞬……っ」

 本当に、ごめん。

 何度も何度も心の中で謝りながら、流れてくる涙を手の甲で拭う。瞬にぽんと頭を叩かれた。

「あははは、可愛いな~栃沢」

「な……んだよっ、それ!!」

 またしてもからかうような言葉に思わずムキになって瞬を睨みつけると、瞬は変わらずにこにこ笑顔のまま俺の頭を撫でてくる。

「だってホントに可愛いんだもん~。さっきも思わず襲いそうになっちゃったよ」

「おま……っ」

 途端に先ほどの事が鮮明に思い出されて、耳まで顔が熱くなる。

 うう……不覚だっ、一生の不覚だ!!! もう絶対絶対、あんな事は二度とごめんだ!!!

 ふざけてからかってくるばかりの瞬に「いいかげんにしろ」と悪態ばかりをつきながら、俺は心から思った。

 

そうだよな、瞬。

 
 俺たち、ずっと、「親友」だよな。




 その一ヵ月後、瞬はいつものあっけらかんとした口調で、「彼女できちゃった~」と満面の笑みを浮かべて報告してきた。

 いったい相手はどんな女だよ。誰もが眉をしかめながら口々に囁きあった。

 俺もまた、どんな相手だろうとは気になりつつも、ただ「良かったな」とだけ伝えた。

 きっと、これで良かったんだ。

 不思議なくらい、心の内は穏やかだった。



「先輩、卒業おめでとうございます」

「ああ……ありがと」

 時は三月。

 卒業式が終わり、体育館から教室に向かう途中、野山が声をかけてきた。

「野山、おまえさ……」

「はい?」

「……いや、何でもない。今まで、楽しかったよ。これから寮長補佐、頑張れよな」

「ほんとはやりたくないんですけど……まあ、ぼちぼち頑張りますわ」

 野山はどこか不満げに言う。
 来年からの寮長はフレッドに決まったけれど、彼にはまだまだ野山の補佐が必要だろう。

 なんだかんだ言っても、やっぱりおまえは頼りになると思うぜ? 

 そう言おうとしたけれど、なんだかやっぱり悔しいから、その言葉は胸の内にしまっておいた。

「栃沢!」

 ふと背後から声をかけられる。振り返るとそこには瞬の姿があった。

「みんなで写真撮ろうよ! 野山も!」

「先輩、二人で撮りましょうよ~。栃沢先輩、シャッターお願いしてええですか?」

「……嫌だ」

 瞬の肩を抱きながら言う野山に、俺は心の中で舌打ちしながら応えた。途端に野山が険しい表情をして俺を見据える。

「お願いします」

「嫌だ」

「お・ね・が・い・します!!!」

「い・や・だ!!!」

「も~、だったら三人で撮ろうよ~~」

 呆れ声をあげる瞬の前で、あくまで睨み合いを続ける俺たちだった。


 凄く、あっという間だったな。

 感慨に耽る俺の前で、大きな手荷物を持った瞬がにっこり微笑んだ。

「じゃあまたね、栃沢」

 一度実家に戻るため、俺より一足先に退寮する瞬を前に、俺は小さく頷いた。

「またな、瞬」

 互いに大学は東京都内。会おうと思えばいつでも会える距離に一人暮らしの予定。

 四月には、二人揃って大学生。すぐに元気な顔が見られるはずなのに、どうしてか、胸の内が酷く締め付けられる。

「みんな、元気でね~!!!」

 一緒に並ぶ寮生達に、笑顔のままひらひらと手を振って駅に向かって歩いて行く瞬を見送り、みなぞろぞろと寮の中に足を向ける中、俺はしばしその場に立ち尽くしていた。


 誰もいなくなった路地で、なんとなく、もうすっかり我が家になっているグリーン・ウッドを見上げる。

 そうして、思い出す。


 初めてここに来た時は、こんな都会でまったくの他人と同居暮らしなんて出来るのかって、不安で不安でたまらなかった。

 胸をドキドキさせながら門を通り過ぎた瞬間、俺の目に、長い髪をなびかせグリーン・ウッドを見上げる少女の姿が飛び込んできて。

 どうしてこんなところに女の子が?

 そう思ったと同時に振り返った目の前の少女と目が合った瞬間、大きく鼓動が高まった。

『あ、君も一年生? 僕、如月瞬。よろしく~!』

 目が合うなり駆け寄ってきて、俺の手を握り締めながらそう言った少女に、俺はただただ戸惑うばかりで。

 え? 僕? ってことは……男……?

 男……!!??

(えぇぇぇぇぇ~~~っ!!!)

 心の中で大絶叫したあの日のことを思い出して、俺はつい苦笑してしまった。

 あの時はほんと、驚いたよなぁ。こんな驚いたの、人生で初めてってくらい。



 あれからすぐに、俺たちは友人になった。

 屈託なく遠慮なく誰にでも声をかける瞬には、あっという間にたくさんの友人が出来たけれど、人見知りの激しい 
俺は同居人と馴染むのにもずいぶんと時間がかかって。それでもいつの間にか自然と寮のみんなと打ち解けていたのは、いつも瞬がそばにいたからかもしれない。

 


『栃沢、買い物付き合ってよ』

『おまえまた……買いすぎだっつの!!!』


 服が好きで可愛くて珍しいものが大好きで、買い物に行くたび持ちきれないほどの服や雑貨を買う瞬の荷物を持たされながら、俺はいつも文句ばかり言っていた。

 俺は昔から服なんて普通に着られれば良いくらいの感覚で、お洒落なんていう言葉とはまるで無縁だった。

 でも瞬が、「これ似合いそう」「この靴カッコ良いよ?」そう言いながら、いつもまるで自分の事のように楽しそうに俺の服を選んでくれて。

 実家に帰るたびに、「ずいぶん垢抜けたね、やっぱ東京にいると違うね」って家族や中学時代の同級生に感心されて、それが俺には凄く誇らしくて嬉しかった。なもんだから、いつの間にか本屋に寄るとファッション雑誌を手に取るようになって、買い物に行くのも楽しくなって、お洒落の仕方もずいぶんうまくなったように思う。



『美味しい~~っ』


 金持ちのくせに、どうしてかファミレスやファーストフードや牛丼屋が大好きで。ずいぶん後に、あんまり食べたことなかったからと聞いて、妙に納得した。

 ハンバーガーセットのポテトはいつも奪われた。

 ファミレスに入ると、最後には必ずチョコパフェを注文する。

 こんな時、女の子に見えるってのは便利なものだと思いながら、俺はコーヒーを片手に美味しそうに食べる瞬の笑顔を見つめる。

 「栃沢も食べなよ?」そう言って、チョコがかかった生クリームの乗ったスプーンを俺の前に差し出す。「甘いもの好きじゃないんだけど」言いながら、俺は口を開いてスプーンに食いつく。生まれて初めて、生クリームを美味しいって感じた。あれ以来、何かの用事でケーキを選ぶ時は、必ずチョコレートを選んでいる。 

 

『栃沢』


 頭の中で、声が響く。

 突然、俺の瞳に堰を切ったように涙が溢れた。


「……っ……」


 止めようとしても止められない涙を流しながら、俺はその場に座り込んで膝の上に顔を埋めた。

 

 瞬。


 瞬。


 瞬……!!!


 ずっと、ずっと、ありがとな。

 おまえがいたから、三年間、ずっと、ずっと、楽しかった。

 おまえがいたから、寮生活が辛いと感じたことなんて一度も無かった。


 ずっと、いつでも隣に、おまえがいたから……。


 

泣いて泣いて、気が済むまで泣いて、やがて止まった涙を全て拭って、俺は立ち上がり再びグリーン・ウッドを見上げた。


 ありがとう。


 そう、我が家に向かって囁きかけながら。




 
 さて、どう説明したものか。

 少し高まる鼓動を抑えながら、彼女の住むマンションのチャイムを鳴らす。

 出てきてくれないかとも思ったけれど、少しの間を置いて、彼女はドアを開いてくれた。

 ずいぶんと拗ねた瞳が、俺を見つめた。

 
 こいつ、男だよ。

 そう言った瞬間、彼女は目を丸くした。

 証拠のための卒業アルバムを見せると、ますます目を大きくして。

 「バカだな」って囁いて肩を抱き寄せると、まるで小さい子供みたいに泣きじゃくった。

 俺より五歳も年上で、気が強くてしっかりしていて、仕事もバリバリこなす姉御肌の彼女が、そんな風に泣くのを俺は初めて目の当たりにした。

 いつだって俺をぐいぐいと引っ張っていってくれて、付き合おうと告白されたのも彼女からなら、肝心なプロポーズも彼女から。男としてあまりに不甲斐ないと思いながらも、俺はいつも押し切られ頷くことしか出来なくて。たぶんこのまま一生、尻に敷かれ続けるんだろうなぁ。本音を言えば、ちょっと落ち込みながらの結婚だった。

 でもそんな彼女が、まさか女の子と一緒に写っている二十年以上も前の写真一枚で、泣き喚くほど嫉妬するなんて夢にも思っていなかったから、俺は驚くと同時に酷く心が温かくなって。

俺のことなんて奴隷くらいにしか思ってないんじゃないかと嘆いた時もあったけれど、ちゃんと、こんなに好きでいてくれたんだ。そう思ったら、もっとしっかりしなきゃって思った。

 これからは、ずっと、俺が守っていく。

 そう硬く心に誓いながら、俺は彼女の指に再び指輪をはめた。

 

 三日後にはいよいよ結婚式。

 いいかげん引越し準備も終わらせなきゃ。

 思いながら、ダンボールの中に荷物をしまう。ふと、卒業アルバムが目に飛び込んできて、俺はアルバムを手にとると、緑色の表紙をそっと開いた。

 懐かしい面々が視界に次々と飛び込んでくる。

 みんな、元気にしてるかな。

 三日後には、懐かしい顔が見れる。胸がわくわくして、前日には眠れないかもしれない。

『如月瞬』

 その名前を目にした途端、俺はまた彼女のことを思い出して苦笑した。

 あの写真は、すぐに処分した。この卒業アルバムは実家に帰る際に持っていって、そのまま実家に置いておこうと思う。

 もう二度と、彼女のこと、泣かせたくないから。



 数ヶ月前に届いた結婚式招待状の葉書の中に、同じ名前があった。

 「出席」の文字に丸と、隅っこに「おめでと~っ」て語尾にハートマーク。あいつ、三十過ぎてもちっとも変わってないな。たぶん結婚式もおおいに盛り上げてくれるんだろう。期待してるぜ。

 彼女にも、紹介するんだ。こいつがあの写真の女の子だよって。

 今じゃずいぶん男らしくなって、とても女の子には見えない相手を前に、やっぱり彼女はびっくりするんだろうな。

 楽しみで仕方ない。

 自然とこぼれてくる笑みを抑えきれないまま、俺は卒業アルバムをパタンと閉じた。


 なあ、瞬。


 俺、今でも思うんだけど。


『「好き」を「恋」と錯覚してただけだよ』


 おまえはあの時、そう言ったよな。


 でも俺はやっぱり、あの時、ちゃんと、恋──してたと思うぜ?