ギフト


『今年のバレンタインのおすすめはこれ、なんとチョコレートでできたビールなんです~!!』
 
「へえ、いろんなもんが出てきますね~」
「そりゃ業界も必死だろうからな」
 ビールを片手にこたつの上に広げられているつまみのスナック菓子を食べながら、蓮川と光流がテレビに映るバラエティ番組を目を向けたまま雑談を始める。 そんな二人をよそに、忍は夕飯の残り物にラップをかけ、洗い物を始める。
「うちの奥さん、バレンタインは毎年ケーキ作ってくれるんですよ」
 ふと蓮川が、思い切り顔をにやけさせながら言った。
「あんまり料理は得意じゃないんで、ケーキもスポンジ固かったりするんですけど、でも本当に一生懸命作ってくれるんですよ~」
 完全なるのろけ話を始める蓮川に、しかし光流は少しも耳を傾けずテレビのリモコンを手にもって適当にチャンネルを変えていく。
「昔はたくさんチョコもらってる先輩たちが羨ましかったけど、今となってはやっぱり義理チョコいくつあったって、本命一つのチョコには叶わないってつくづく思いますよ。光流先輩も相変わらず職場の女の子たちからたくさん義理チョコもらってますけど、空しくありません? いいかげん本気の恋もしたら……」
 突然、バコッと大きな音が鳴り響き、丸めた新聞紙でしたたかに頭を殴られた蓮川が机の上に突っ伏した。
「今日はもう帰れ、おまえ」
「……って、いきなり追い出すことないじゃないですかっ!! せめて上着返してくださいっ!!!」
 即効で玄関の外にポイ捨てされた蓮川が、寒さに身を縮ませながらドアを叩いて訴える。
 数秒後、ドアが開き蓮川の上着だけが投げ出され、またすぐにバタンと扉が閉じた。
 ふるふると肩を震わせながらも、蓮川は上着を着込み、その場からとぼとぼと歩き出したのであった。
 
 
 玄関の鍵を閉め、膨れっ面を隠さないままにリビングに戻った光流は、洗い物を終えて燃えるゴミをまとめている忍に向かって口を開いた。
「忍っ、俺もケーキ作っ……」
「さっさとゴミ捨ててこい」
 光流の言葉を遮るように、忍はゴミの袋を光流に突きつけた。
 光流は言われるままに即効で家を出て行きゴミ捨て場にゴミを放り込むと、また即効で部屋に戻り、こたつの上を片付けている忍に向かっておもむろに口を開いた。
「俺もケーキ……」
「風呂入ってくる」
 またしても忍は、光流の言葉を遮るようにその場から歩き出した。
 しかし光流は諦めない。ぴったり忍の後にくっついて歩き、訴えを始める。
「俺もケーキ作って!!!」
「蓮川ごときにいちいち張り合うな、馬鹿」
「だってあいつ、口開けば奥さんののろけばっかで、すげー腹立つ!! 俺だってたまにはのろけ話してーよっ!!!」
「しても構わんが、あいつ倒れるぞ」
 バスルームの脱衣所にたどり着き、忍は上着を脱ぎながら、ムキになる光流に呆れ顔で言う。
「俺だって本命からのチョコ欲しい!! ケーキ作るまでしなくていいから、せめてチョコ買ってチョコ!!」
「嫌だ」
「なんでっ!? おまえ俺のこと愛してないのか!?」
「今頃気づいたのか?」
 極めて冷酷な忍の言葉に、光流が明らかにショックを受けた顔をして、どんより暗い空気を背負って顔をうつむけさせる。
 直後、光流は低い声を発した。
「……浮気してやる」
「すれば?」
「あ、言ったな!! 本気でするぞ!! 俺が本気って言ったら本気でするかんな!?」
「出来るものならやってみろ。それはそうと光流」
「ん?」
 いつの間にやら上半身素っ裸になっている光流の腕をグッと掴み、そのまま忍は脱衣所の外に光流を放り出した。そして即座に鍵を閉める。
「風呂くらい一緒に入らせろ~っ!!!」
 脱衣所の扉を叩きながら訴える光流を無視して、忍は額に青筋をたてながら黙々と衣服を脱ぎ始めた。
 まったく煩い奴だと頭を抱える。
 隙あらば一緒に風呂に入ろうとする光流を阻止するため、脱衣所に鍵をかけたのは正解だったとつくづく思いながら、忍はバスルームの扉を開いた。
 
 
「……で、また喧嘩したと」
 バレンタイン前日、日曜なので仕事休みの瞬は、同じく仕事休みで暇を持て余しているのか、フラリとやってきたもののやたらと不機嫌そうな忍に事の次第を聞くなり呆れ顔でため息をついた。
「チョコの一つくらい買ってあげればいいじゃん。それでしばらく機嫌良く過ごしてくれるなら、安い買い物だと思わない?」
「高いとか安いの問題じゃない。それくらいおまえにも分かるだろう?」
 忍は完全に憤慨した様子で声を荒げる。
 あれからというもの、光流は口を開けば「チョコが欲しい」の一点張りで、頑なに拒む忍に、やれ「愛がない」だの「冷たい」だのと文句ばかりを連ね、最終的にはいじけまくって不貞寝するという毎日。あまりの子供っぽさに、いいかげん忍が切れるのも当然といえば当然だろう。
「またそういう、変な意地張るんだから」
 しかし瞬はあくまで呆れ顔で言った。
 忍の言いたいことは分かる。
 この自分が、バレンタインに女みたいに浮かれながらチョコレートを選んで買ってプレゼントするなど、そんな恥さらしな真似をするくらいなら死んだ方がマシだといったところだろうか。
 それも分からないではないが、瞬にとっては実につまらない理由でしかなかった。
「そんな小さいことで見栄張らなくたっていいじゃん。好きな人にチョコ贈るくらい、恥ずかしいことでも何でもないと思うけどなあ」
 瞬のその言葉に、忍はやや怯んだように黙った。けれどやはり納得いかない様子で、瞬を睨みつける。
 瞬は小さく息をついて、椅子から立ち上がった。
「よし、今から買いに行こう」
 そうしてすぐさま出かける準備を始める。
 しかし忍は立ち上がらなかった。
「行くよ、先輩」
「行かない」
「行くの」
「行かない」
 実に頑固な忍の態度に、瞬は困ったように頭を抱える。
「じゃあ、僕の買い物付き合って? それならいいでしょ?」
「……チョコは買わんぞ」
「分かりました。もう何も言いません」
 渋々と立ち上がる忍に、瞬は深くため息をつきながら応えたのだった。
 
 
「……買わんと言っただろう」
「だから僕が買うんだってば。いいから来て」
 目をすわらせる忍の腕を強引に引っ張って、瞬は目の前の扉を開いた。
 様々な種類のチョコレートが並ぶ小さな店内には、その狭さに関わらず女性客で溢れかえっている。そんな女性客に一斉に目を向けられ、忍はくるりと向きをかえて店を出ようとするが、瞬に引き止められた。
「もー、そんな恥ずかしがらなくても大丈夫だって。自分が思うほど、他人のことなんか気にしちゃいないよ、みんな」
 瞬はそう言って平気で店内のショーケースに足を向けるが、忍はやはり今すぐ店を出たい想いでいっぱいだった。
 昔のようにどこからどう見ても女の子にしか見えない瞬と二人で入るならともかく、どう見ても良い年をした男二人で入る店ではないこの場所で、完全に周囲の視線を集めているのは、自意識過剰が原因では絶対にないはずだ。昔と変わらず少しも人の視線を気にしない瞬のほうが、どう考えてもマイペースすぎるのだと忍は思う。
「おすすめのチョコ、教えてもらっていいかな?」
 瞬がにっこり微笑みながら、若い女性店員に声をかけた。チョコレートの説明を受けながら、どんどん距離が近づいて、次第に女性店員が頬を赤く染めていっているのも気のせいではないはずだ。
 忍は額に青筋をたてて踵を返すと、店内から足を踏み出した。
 
 
 苛立ちを隠せない様子で早足で歩く忍の背後から、駆け足の音が近づいてくる。
「先輩、待ってよ!!」
 不意にがしっと腕を掴まれ、忍はあくまで不機嫌な表情のまま振り返った。
「なに怒ってるの?」
「おまえはいったい何人の女と付き合ったら気が済むんだ?」
 確実にその場の勢いで十歳近く年下であろう女性店員を口説きに入っていた瞬に、忍は怒り半分呆れ半分の口調で尋ねる。
「ごめんごめん、久々にタイプの子だったからさぁ」
「顔だけで判断するな!」
「え-、それ忍先輩にだけは言われたくないなぁ」
 あはははと笑いながら、瞬は言う。
 忍は相変わらず不機嫌さを隠さないままに、瞬に背を向けた。
「もう帰るぞ、俺は。またな」
「あ、うん、……先輩!」
 そのまま家に帰ろうとする忍を、瞬は腕を捕らえて引き止めた。
 忍は振り向き様、視界に飛び込んできた小さな袋を前に目を見開く。
「一日早いけど」
 微笑みながら、瞬は手に持った紙袋を忍の手に握らせた。
「甘い物苦手な人にも人気のチョコだから」
「……」
「光流先輩には、キス一つで十分だと思うよ。じゃあ、またね」
 笑顔のままにそう言うと、瞬は手を振ってその場から駆け出していった。
 紙袋に入ったモスグリーンの包装紙に焦げ茶のリボンがかけられた小さな箱を、忍はやや神妙な面立ちで見つめながら、しばらくその場に佇んでいた。
 
 
『そんな小さいことで、見栄張らなくたっていいじゃん』
 
 
 二月十四日。
 バラエティ番組の中でバレンタインの日に幸せそうに笑い合う数組のカップルの会話が部屋に流れる中、忍は職場の仲間やこれまで仕事で関わったことのある女性から貰ったいくつかのチョコレートを前に、小さく息をついた。
 昔はこんなものでも、それなりに嬉しかったように思う。多いほど嬉しいものだと、わざわざ複数の女性のもとに回収にまわった記憶も、しかし今となっては実に馬鹿馬鹿しいとしか思えない。
 結局は、単なる見栄だったのだなと、自嘲しながら目の前のチョコレートを袋にしまう。適当に置いておけば、どうせ光流が全部食べるだろう。そう思いながらモスグリーンの包装紙に包まれたチョコを手にした途端、ピタリと忍の動きが止まった。
 
『甘い物苦手な人にも人気のチョコだから』
 
 だったら、わざわざこんなものよこさなくたって。自分はチョコレートなんて全然好きじゃないし、一つも必要としてないのに。
 そんなことを思いながらも、どうしてか、このチョコレートだけは他の義理チョコと一緒にしてしまう気にはなれなくて。
 そっと焦げ茶のリボンに手をかけたその時、不意に玄関の扉の開く音が聴こえてきて、忍は咄嗟に手にしていたチョコレートをキッチンの戸棚の奥に隠した。
 
「ただいま~」
 遅くに帰ってきた光流が、いつものようにコートとスーツの上着をハンガーに引っ掛け、テーブルの椅子にやれやれと腰を下ろしながら、ドサッと音をたてて大きな紙袋をテーブルの上に置いた。
 忍と同じように、職場の仲間やこれまで関わってきた少女達からの贈り物である大量の義理チョコ。昔は大勢のファンの子達からの贈り物であるチョコを嬉しそうにみんなに見せびらかしていた光流も、高校を卒業してからは、ただ黙々とチョコレートを平らげ、翌月のホワイトデーにささやかなお返しを配るだけになっていた。
「飯は食ってきたのか?」
「あ……うん」
「……風呂、入れてくる」
 何故か光流の顔が見れなくて、そそくさとバスルームにむかおうとしたその時だった。
「忍」
 呼び止められ、振り返ると、光流が何やら照れくさそうに視線を逸らしたまま、コートのポケットから何かを取り出した。
「どーせ……くんねぇだろうから、俺がやる」
 言いながら、耳まで顔を真っ赤にして光流が差し出してきたのは、モスグリーンの包装紙に包まれ焦げ茶のリボンがかけられた、小さな箱。
「職場の女の子に聞いてさ……。これ、甘いもん苦手でも、食べれるみたいだから……」
 忍の手にそっと渡して、渡された忍は、無表情のままにチョコレートを受け取る。
「け、けっこう恥ずかしかったんだからな! このチョコ売ってる店、女の子ばっかで……なんかめちゃくちゃ見られたし……!!」
 照れ隠しなのか何なのか、光流はやけに言い訳がましい言葉ばかりを並べる。
「……馬鹿」
「あ!?」
 ぽつりと呟いた忍の言葉に、光流が咄嗟に顔をしかめた。
 しかしそんな光流を無視して、忍はチョコレートをテーブルの上に置くと、いきなりその場から早足で歩き出した。
「ど、どうしたんだよ!?」
「出かけてくる!!」
「忍……っ!?」
 コートを着て財布を持って、あっという間に家を出て行ってしまった忍を、光流は呆然と見送ったのだった。
 
 
 目の前の皿が片付けられたと同時に差し出された、ピンク色の包装紙に包まれた贈り物。
「あ、ここ、最近できた人気のお店だよね。嬉しいな、一度食べてみたかったんだ」
 差し出されたチョコレートを受け取って、瞬は優しく微笑んだ。目の前の女性もまた、嬉しそうに微笑む。
「さすが瞬、こういうの詳しいね。うちの彼氏なんか、ゴディ○すら知らないのに。わざわざ苦労して買ったチョコあげても空しいだけだから、 近所のスーパーで売ってたチョコあげたら、それでぜんぜん満足してた」
「まあ男なんて、普通そんなもんだよね。僕が変なんよ、きっと」
「そう? 私は世の中の男の人が、みんな瞬みたいだったら良いのにって思うよ」
「ありがと」
 微笑みあう二人の間に、次の料理が運ばれたその時だった。
 ふと携帯の着信音が鳴り響き、瞬が「ちょっとごめんね」とその場を離れる。
「もしもし、どうしたの忍先輩?」
『今すぐ家に戻れ』
「え……今すぐって……どうしたの? 何かあっ……!」
 即効で電話を切られ、瞬は困惑しながら店内に戻る。
「ごめん、急用が出来たから、今日は帰るね」
「えーっ! 今日はずっと一緒にいれるって……」
「ごめんね。お詫びに来月、お返しに何でも好きなもの買ってあげるから、許して?」
「……急用って、女の人?」
「違うけど、大事な人なんだ」
「妹さん?」
「ううん」
「そう……分かったわ」
 やや悲しげに目を伏せながら、彼女は頷いた。
「じゃあ、出ようか。食事、途中だけど、また来月来ようね」
「……うん」
 手をつないだまま、二人は店を後にする。
 瞬がもう一度「ごめんね」と言って、彼女の頬にキスをして別れを告げ、彼女に背を向けて歩き出したその時だった。
「瞬……!!」
 呼び止められ、瞬は振り返る。
「お返し、いらない。今日で、最後にするつもりだったから」
 まっすぐに瞬を見つめたまま、彼女は震える声で言った。
「私……彼氏と、別れる。ちゃんと別れて……また次の恋、するから」
 涙の溜まった彼女の瞳を、瞬は黙って見つめた。そしてゆっくりその場から歩き出して、彼女の元に近づく。
 見上げてくる瞳が、必死で涙をこらえている。
「こんな私でも、幸せになれるかな……?」
 こらえきれない涙が一粒、彼女の頬を伝った。ファンデーションの下に隠れた、頬の小さな傷痕に、瞬の指が優しく触れる。
「なれるよ、絶対に。僕が保障する」 
 その言葉に、彼女の両目から涙が溢れた。
「ずっと……優しくしてくれて、ありがとう……」
「うん」
「忘れないね……瞬のこと、ずっと」
「良い女は、忘れるものだよ。……さよなら」
「……うん……ばいばい」
 頬に流れる涙を拭って、瞬はもう一度優しく微笑む。静かに背を向けて去って行く彼女を見送った後、その場から走り出した。
 
 
 また喧嘩でもしたのだろうか。
 やれやれと息をつきながら自宅のマンションへ辿り着くと、この寒空の下、しかし少しも寒さなど感じていない様子で、忍は待ち受けていたかのように瞬の前に立ちはだかった。
「どうしたの先輩? また光流先輩と喧嘩でも……」
 瞬が尋ねる言葉を遮るように、忍が瞬の目の前に、右手に持っていた紙袋を差し出した。
「やる」
「え……」
「ちゃんと自分で買ったからな!」
 投げやりで、まるで喧嘩でも売っているような言葉だけを吐き捨てて、忍は瞬に背を向け去っていった。
 わけが分からないまま呆然と忍を見送り、瞬は手渡された紙袋の中身に目を向ける。
 そこには銀色の包装紙に包まれた、人気高級店のチョコレート。
 思わず瞬は、こみあげてくる笑いをこらえきれずにクスクスと笑い出した。
(やっぱり、叶わないなぁ)
 でも、渡す意味、ちょっと間違えてるよ?
 そんなことを思いながら笑い続けていると、ふと携帯の着信音が鳴り響いた。
『瞬? 今から会える?』
「うん」
 電話越しの女性相手に即答して、瞬は今来た道を戻っていった。
 
 
 いったい何が悪かったのだろう。
 いいかげんしつこい? こんな女々しいことするな? それとも大量の義理チョコ??
 頭を抱え悶々と悩み続ける光流の耳に、玄関の扉の開く音がする。
 光流はすぐさま椅子から立ち上がって、リビングを出て玄関に向かっていった。
「忍……!」
 酷く不安げな目で出迎えにやってきた光流に、忍は片手に持っていたコンビニの袋を無愛想に差し出した。
「なに? これ……」
 光流はきょとんと目を丸くし、コンビニの袋を受け取る。ガサガサと音をたてて中身を見ると、大きなビニール袋いっぱいに大量のチョコレートが入っていて、光流はますます目を大きくした。
「おまえは質より量だろ」
 まるで無愛想に言いながら、忍は靴を脱いで床に足をつける。
 少しの間があってから、突然、光流が「ぶっ……!」と吹き出して、それからゲラゲラと腹を抱えて笑い出した。
「や……やっぱおまえって……面白ぇ!!!」
 まったくもってデリカシーのないセリフと笑い声に、忍がブチッと血管の切れた音をたて、光流からコンビニの袋を奪いとった。
「あ……返せよっ、俺のだろそれ!?」
「うるさいっ! もうおまえにはやらん! もう絶対に死んでも二度とやらん!!」
「ごめんって!! ごめんなさい!!!」
 さっさとリビングにむかっていく忍を追いかけて、光流はガバッと背後から抱きついた。
「すっげぇ嬉しかったんだってば、本当に」
 耳元で囁かれたその言葉を聴いた途端、ピタリと忍の足が止まる。
 
『嬉しかったんだ』
 
 そう、嬉しかったから。
 
 同じ色と同じ形、同じ想いの詰まった、小さな愛情の証。
 
 だから悔しくて。
 つまらないことで見栄ばかり張って、恥ずかしがって、くだらないって自分に言い訳して、本当に大切なことを見逃していた自分が、どうしようもなく悔しくて。
 光流だって本当は、昔から物凄く見栄っ張りのくせに。照れ屋のくせに。
 そんな光流が、自分のために頑張って買ってきてくれたのだと思ったら、やっぱりいつまでたっても負けてるとしか思えなくて、どうしようもなく悔しくなった。
 
「一生分……だからな」
 でも、もうこんな事は二度とごめんだ。
 そう思いながら、勢いだけで買ってきた大量のチョコレートを光流に手渡すと、光流は途端に思いっきりだらしなく顔を緩める。蓮川なんかよりずっと、ずっと、幸せそうに笑う。
「好きだよ、忍」
「……分かってる」
 小さく言って、忍はそっと、光流の唇に自分の唇を重ねた。
 途端に腰を掴まれ、抱き寄せられる。絡んでくる舌の感覚に翻弄された後、唇を離して薄く目を開くと、優しい瞳が目の前にあって、今度は頬に唇が触れる。
「あ……そういや、いいもの貰ったんだ!」
 突然、光流がそう言って忍から身を離し、リビングに飛び込んでいった。
 何事かと後を追うと、光流がテーブルの上に置いた義理チョコの詰まった紙袋の中から何かを取り出した。
「チョコの香りのバブルバス!!」
 やたらと自慢げに光流が忍の前に差し出したのは、ボトルに詰まったボディソープだった。
 何をしたいのか即座にピンときた忍だが、光流があまりに無邪気に嬉しそうに言うものだから、まあいいかなんて思ってしまって、仕方ないように忍は微笑した。
 
 
 むせかえるような甘い香りの漂うバスルームのバスタブの中、背後からぎゅっと抱きしめられ、耳元で光流が囁く。
「知ってたか? チョコレート食べてる時って、エッチしてる時と同じ快楽物質が分泌されるんだって」
「ああ……PEAっていう媚薬に似た成分が含まれてるからだろう。実際は微量すぎて、媚薬の効果は全くないらしいがな」
「でも俺、今めちゃくちゃ興奮してっけど」
「おまえはいつものこと……、っ……」
 泡に包まれた指で円を描くように胸を刺激され、忍の身体がビクッと震える。肩から首筋に光流の唇が這う。
「……ん……っ、あ……」
「気持ちいいだろ?」
 執拗に胸を弄ばれる。ぬるりとした泡の感覚が快楽を倍増させ、己の欲望が膨らんでいくのを感じながら、忍は身体を反転させ、光流の首に腕を回して自ら唇を重ねる。熱いキスのあと、促されて膝をたてると、光流は既に硬く反応を示している忍の性器を手の平で包み込み、親指で先端を擦りながら緩やかに扱き始める。泡の感覚も混じり、快楽に瞳を恍惚とさせる忍の息が徐々に荒くなり、ぎゅっと光流の髪に指を絡ませた。
「忍、後ろ向いて? こっちもしてやっから」
肩 を押され、忍はやや恥ずかしげに身体を逆向きにして、バスタブに手をつく。目の前に露にされた双丘を割って、光流の指がソープのぬめりも手伝ってスムーズに内部に侵入していった。
「あ……、は……ぁ……、んん……っ!」
 二本に増やされた指が、内部の壁を激しく擦る。何度も奥から手前に抜き差しされ、もう片方の指で性器のくびれを引っ掛かれる。キツく閉じた忍の瞼から涙が滲み、濡れた髪が小刻みに揺れる。むせ返るような甘い香りも、もう少しも気にならない。与えられる快楽だけに身を委ね、ただ翻弄される。
 もっと強い刺激が欲しい。
 そう思うのに、光流はいつもわざと限界まで焦らす。ゆっくりと抜き差しされる指と、優しく撫でるような前への愛撫。
「ん……っ、も……っと……」
「もっと、どうしてほしい?」
「強……く……っ」
達したくてたまらない。分かっているくせにねだる言葉を言わせたがる光流に、悔しさと羞恥に苛まれながらも声をあげると、前も後ろも音をたてて強く刺激される。思わず首をのけぞらせると、耳元に舌が這った。
「あ……ぁ……っ、だめ……っ、みつ……っ!」
「イけよ、ほら……」
 バスタブを掴む手にぎゅっと力が篭ると同時に、大きく身体が震えて光流の手に絶頂の証が解き放たれた。
 大きく肩を上下させ息を整える忍の腰を掴み、弛緩する余裕も与えないままに、光流は己の欲望を一気に忍の中に突き立てた。
「ああ……っ!!」
 全身を貫く刺激に、忍が背をしならせる。
「すげぇ、ぐちゃぐちゃだぜ? おまえの中……」
「う……るさ……っ、ば……っ……、んぁ……!」
からかうような口調に腹立ち咄嗟に睨みつけると、光流は黙れと言わんばかりに腰を打ち付ける。達したばかりの性器を強く擦られ、淫らに喘がされるだけの自分が悔しくなって、忍は自らも腰を動かして快楽を貪った。
 光流の息遣いが荒くなり、なおも激しく腰を動かす。
「イ……くぜ……?」
「あ……まだ……っ」
 達する寸前だったのに突然そんな声をあげられ、途端に光流が目を丸くした。
「え……無理っ……! もー無理っ!!」
「先に……イッたら……殺す……!!」
 息を乱しながらも、忍は光流に視線を向け、本気で殺すとばかりに睨みつける。
「だったら動くな!! ……って、まじで……無理……っ!!」
「あ……!!」
 いっそう激しく内部に突き立てられ、直後、二人はほぼ同時に限界に達した。
 光流がこめかみから汗を流しながら息を整え、それから恐る恐る忍に尋ねる。
「イッ……た……?」
「……中に……」
 ふるふると忍の肩が震え、直後。
「出すなというのが分からんのかこの猿頭っ!!!」
 光流の顔面に拳が放たれたのであった。
 
 

「相変わらず凄いですね、二人とも」
 目の前でバリバリと板チョコを頬張る光流を見つめながら、蓮川が紙袋に詰まった大量のチョコを前に目をすわらせる。
「おくはんにへーひふくってほらっはか?」
「光流先輩、なに言ってるかわかりません」
 さっきから何個目になるであろうチョコレートを飽きもせず食べ続ける光流に、よく鼻血出ませんねと感心しながら、蓮川は忍に目を向けた。
「忍先輩も、これだけモテるのに、なんでまだ本命作らないんですか?」
「蓮川」
 まるっきり邪気のない言葉を向けてくる蓮川に、忍はにっこり微笑みながら思いっきり邪気を含めた声色で言った。
「人にはそれぞれ事情というものがあるんだ。……分かるな?」
「は……はいっ!! 分かります!! それはもちろん凄くよく分かりますっっ!!!」
 微笑みながら凄まじい冷気を発する忍に、蓮川は途端に顔を青くしてビシッと背筋を伸ばした。
「よしいい子だ、分かったらもう二度と余計な口効くんじゃないぞ?」
 そもそも蓮川が余計なのろけ話などしなければ、少なくとも忍にとっては去年と全く変わらない平和なバレンタインであったわけで。
 そんな忍が一生分の勇気を振り絞って買いに走った大量のチョコレートを前に、なぜにここまで怒られるのかさっぱり分からないままに、蓮川は恐怖におののいた目をしてコクコクと頷くのであった。