Friends

 明日は日曜日。久しぶりに丸一日の休み。

 コンビニでのアルバイトを終え、光流は久方ぶりの休日を前に、浮かれ気分で自宅のアパートへ足を向ける。

 ふと、光流は何かに気づいたかのように瞳を動かし、ピタリと足を止めた。

「あ……」

「光流!?」

 前方からやってきた相手と目が合った瞬間に、光流は目と口を大きく開いた。相手も同様に驚きを露にする。

「おお、シンジ! ひっさしぶりだなぁ!!」

 光流が笑顔を浮かべながら声をかけたのは、中学時代の同級生であった。

「おまえ何でこんなとこにいるんだよ?」

 シンジもまた嬉々とした様子で光流に話しかける。

「ああ、そこのコンビニでバイトしてんだ。今終わったトコ」

「ちょうど良かった、俺、これから暇してんだ。せっかく会えたんだし、飲みにでも行かねぇ?」

「おぉ、行こうぜ」

 何せ最後に会ったのは、高校時代に野球の試合をして以来だ。

 二人は即効で意気投合し、近くの居酒屋に駆け込んだのであった。

「そーいやおまえ、真弓とはまだ付き合ってんの?」

 和気あいあいと昔語りをしながらビールジョッキを五杯ほど飲み終わったところで、光流が何気なくシンジに尋ねた。

 するといきなり、シンジの額から「ピキッ」と音が鳴り、周囲の空気が凄まじく重くなった。光流がしまったといった風に額に汗を流す。

「そういやぁ……」

 重い空気を纏ったまま、シンジが立ち上がり光流に詰め寄った。

「あん時おまえにバッドで殴られて右足くじいたおかげで、翌月の野球の試合には出れないわ真弓にフられるわ、あれから散々な日々を送ったんだ俺はっ!!!」

「言いがかりだっ! 絶対に言いがかりだっ!!!」

 確かに野球試合の後、バッドで一発殴ろうとはしたものの、負傷したのは決してそのせいではなく、殴りかかった拍子にシンジが避けようとバランスを崩して足をひねったせいだし、そもそもその件での被害者はどちらかといえば光流の方であったわけで。

「怪我はともかく、真弓にフられたのは俺関係ねーだろっ!!」

「黙れっ!! あの後、真弓は俺に言ったんだ! 「あんたみたいな野球馬鹿より、やっぱり光流の顔の方がずっと好きだった!!!」って!!!」

「いや、それ俺、全っっ然嬉しくねぇし!!!!」

 結局顔だけかよ!!!みたいな台詞に、光流はかつての真弓の言葉を思い出し、ただひたすら落ち込むばかりである。

 中学時代、数多の女にいくら好きだ好きだと言われたとて、夢見る少女達にとって所詮は手の届かないアイドル。理想の王子様。妄想上の人物。もっと斜めから見れば女同士でキャッキャと楽しむための道具にすぎなかったわけで。

 そんな夢見がちな乙女達も、個人になれば実のところ至って現実的な一人の女。そんな地に足つけた女が本気で愛するのは、いつだって身近にいる自分に見合った男なわけで、要するに光流のことをリアルに愛している女はほぼ皆無に等しかったわけである。

「で、結局別れたのかよ……」

「んなわけねーだろ、ちゃんとすぐ仲直りしたよ」

 飄々と言い放ったシンジの言葉に、光流はわなわなと肩を震わせた。あの極寒の中、本気で野球の試合に挑んだ事を心底後悔しながら、目の前で目一杯いちゃつかれたことを思い出して怒りに身を震わせる。

「だったら昔のことはさっさと水に流せよ……っ。どうせおまえ、何だかんだ言っても真弓のこと好きで仕方ねぇんだろ?」

 光流が声を震わせながら言うと、シンジは途端に顔を赤らめた。

「そりゃ……やっぱ、あいつほどいい女はいねぇしよ」

 そして完全なるノロケ話を始めるシンジを前に、光流は更に額に青筋をたてた。

「ちょっと気ぃ強いとこはあるけど、優しいとこもあるし、よく気が効くし、料理も上手いしよ。なにより俺のこと、誰よりも一番に愛してくれてるしな」

 酔いも回っているせいか、顔をニヤけさせながら自慢げに話すシンジに、光流は我慢の限界とばかりに手にしたジョッキを震わせたが、どうにか落ち着こうと小さく深呼吸する。

「まあ……そーだよな。多少気は強くても、愛があればちょっとくらいの欠点なんて、なんてことねぇよな」

 そしてどこか得意げな顔をして、思わせぶりな言葉を吐いた。そんな光流を見て、シンジがハッと目を見開いく。

「なにおまえ、もしかして、今、彼女いんの!?」

 意外だといった素振りのシンジに、光流は一瞬「彼女じゃなくて彼氏だけど」と心の中で怯むものの、見栄の方が勝ったのか、やや得意げにカッコつけた顔を見せた。

「ま、まあな……」

「なんだよ、それを早く言えよ! おまえ死ぬほどモテるくせに、死ぬほど女運悪いから心配してたんだぜ!?」

 シンジは嬉しそうに言うが、光流は余計なお世話だとばかりに眉をピクピクと震わせた。

「でもまさか、また変な女に捕まったりしてねーだろうな?」

「余計なお世話だっ! 残念ながら、これ以上ないくらい最高の恋人だ!!」

 本気で心配するシンジに、光流は半ば切れ気味に訴えた。

「まじかよ? 顔は? 性格は? 料理できんの?」

「そ、そりゃ……顔はどんな女も比較になんねーくらいハンサムだし、性格は……まあちょっと個性的ではあるけど、とにかくしっかりしてるし頭も良いし、しっかりしてる。料理の腕も最初はちょっとアレだったけど、今じゃ抜群の腕前だ」

 色ボケしているせいで、一度は盛大にノロけたくて仕方なかった光流は、酒の勢いも手伝って、ここぞとばかりに(いまいち自慢になっていない)自慢話を始めた。シンジが非常に疑わしい目つきで光流を見つめる。

「いや、でもやっぱ、真弓にはかなわねーと思うぜ?」

 光流に負けず劣らず見栄っ張りなシンジは、負けてたまるかとばかりに自分の彼女の自慢話を始めた。

「あ? 忍のどこが真弓に劣るっつーんだよ!?」

 光流もまたムキになって、シンジの言葉につっかかっていく。

「はぁ!? シノブだかなんだか知らねーけど、俺の真弓バカにするとはいい度胸だなぁ!? どーせおまえを好きになる女なんて、理想ばっか高いミーハーで頭足りない馬鹿女だろ!?」

「その一人だっつの! てめーの彼女は!!」

 現実を見ろ現実を!!と光流はシンジを責めたてるが、頭に血がのぼったシンジはまったく聞いちゃいない様子である。

「おお、だったら見せてみろよその「シノブ」とやらを!! ほんとに真弓より良い女かどうか、俺が見極めてやらぁ!」

「う……!」

 壁際に追い詰められ、光流が怯んだ。

 真弓より確実に「良い男」である自信はあるが、言うに言い出せない様子である。

「見せらんねーのかよ? やっぱ嘘なんだろ? 彼女なんか出来てねーんだろ?」

 光流が怯んだのを良いことに、更に追い詰めてくるシンジを、光流は悔しげに睨みつけるが、「彼氏です」とは言い返せない以上、フルフルと肩を震わせるしかない。

「ったく、すぐバレるようなちっせー嘘つくなよな。おまえは昔からやることセコいんだよ」

 が、あくまで追い詰めてくるシンジに、いい加減我慢の限界が来たのか、光流が低い声をあげた。

「……なんだ」

「あ?」

 ボソッと呟いた光流に、シンジは眉をしかめた。光流が顔をあげ、やや涙目の瞳をキッと睨みつけるようにシンジに向けた。その並々ならぬ様子に、シンジが神妙な顔つきをする。

「……男……なんだ……っ」

「へ?」

 あまりにも意外な光流の告白に、ぎょっと目を丸くするシンジであった。


 それから十分後。

「そっか、そーいうことだったんだな」

 先ほどとはまるで違った、何故かしんみりとした雰囲気の中、シンジが真面目だけれど相手を気遣わせないような飄々とした口調で言った。光流はあくまでバツが悪そうだが、思いがけないシンジの言葉に目を見張った。

「いや、おまえって昔から女を対等に見れないとこあったじゃん? それで女とうまく付き合えねーのかなって思ってたからさ。でも、相手が男なら対等にならざるを得ないもんな。良かったじゃん、そんだけ好きになれる相手が出来てさ」 

 まるで当たり前のことのように言われ、光流が感動したようにシンジを見つめた。

「おま……おまえって、やっぱ良い奴だな……っ!」

 単純にして感動屋の光流は、酔いも手伝ってか、まったく偏見の目で見ないシンジに本気で感動しているようだ。瞳に涙を滲ませる光流を前に、シンジが苦笑した。

「ま、おまえが好きになる男なら、よっぽど美少年なんだろうな。なあ、まじで明日、紹介しろよ? Wデートしようぜ?」

「い、いやでも、おまえは良くても、真弓は……」

「ああ、あいつなら平気平気。心広いし、男同士のそーいうの好きみたいだから、返って喜ぶんじゃね?」

「そ、そーいうの……?」

 どういう意味だろうと首をかしげる光流に、シンジは満面の笑みを浮かべた。

「よし、決まり! 明日、9時にディ○ニーランドで待ち合わせな!」

 有無を言わさない口調で言うシンジであった。


「絶対断る」

 一秒と間を置かずWデートを拒否され、光流は「ああやっぱり」と涙目になると共にがっくりと肩を落とすが、諦めない姿勢で顔をあげた。

「でも、約束しちまったし! 今回だけだから! 頼むこの通り!!!」

 神に祈るがごとく頭を下げる光流だが、忍の頑なな態度は変わらない。当然だ。忍が男同士でWデートなど、天地が引っくり返ってもするわけがない。しかも相手はノーマルの男女カップル。忍にとっては拷問以外のなにものでもないだろう。わかっているが、一度はしてみたかった「遊園地でデート」をどうしても諦めきれない光流は、しつこく食い下がる。

「何で男同士だからってだけで、ダメなんだよ!? 俺だって一生に一度くらい、普通にデートしてみてぇよ!!」

 半分泣く勢いで、責め立てるように光流は言うが、忍は「死んでも嫌だ」とあくまで拒否し続ける。

 いつまでたっても平行線の話し合いはいつもの事。結局はどちらかが根負けするまで言い合うしかないのだが、今回は双方とも死んでも譲る気はないだけに、段々と凄まじい言い争いに発展した。

「おまえはいつもそうだよな! 周りばっかり気にして、男として器が小せぇんだよ!」

 ついに言ってはいけない言葉まで言い放つ光流に、忍もまた怒りの限界とばかりに瞳を鋭くした。

「そこまで言うなら行ってやる。普通の男と女みたいに堂々と手を繋いで歩いて、何ならアトラクション待ちの最中に抱きしめてやろうか? パレードの最中にキスの一つでもしてやろうか? いいか、周囲にどんな目で見られようとも、絶っっ対に逃げるなよ?」

 完全にブチ切れた忍は、恐ろしく低い声でそう言い放つと、やや顔を引きつらせた光流に背を向け、風呂場へと向かったのであった。

 売り言葉に買い言葉。

 後悔先に立たずとはまさにこの事。

 何故昨夜の喧嘩の際、最後まで冷静でいられなかったのだろうと、激しく自己嫌悪しながら朝を迎えた忍の前で、光流はやけに張り切りながら出かける準備を始めている。

 しかし一晩寝て冷静になった今、男同士でWデートなどやはりどう考えても寒い。寒すぎる。絶対に嫌だ。嫌なものは嫌だ。嫌だったら嫌だ。忍は心の中で絶叫しながらも、光流には平静を装った顔を向けた。

「光流、今日は今年一番の真夏日になるそうだ」

 朝のワイドショーを見ながら、忍が言った。

「だから何だよ?」

 光流が目を据わらせる。

「何もこんな日に行かなくても良いんじゃないか? 熱中症にでもなったら……」

 にっこり微笑みながら言う忍の腕を、光流は険しい顔つきでがしっと捉えた。

「野球ん時と違って、今回は俺とおまえ二人しかいねーんだよ! 寒いだの暑いだの往生際悪いこと言ってねぇで、とっとと行くぞ!!」

 行くと言ったからには何がなんでも連れて行く。何がなんでもデートする。光流はあくまで渋る忍を、強引に家から連れ出したのであった。


「ねえねえ、どんな相手だと思う~?」

「高校時代の同級生だって言ってたぜ? もしかして、あの野球の時にいた髪の長い子じゃね? やっぱ実は男だったんだよあの子!!」

「うんうん! すっごい美少女(誤)だったよね!? やだ素敵!!!」

 完全に目がハートになっている真弓を見ながら、シンジは彼女の趣味にやや疑問を抱くものの、そこはどんな変態でも愛でカバーできるというか恋は盲目というやつなのだろう。異様に浮かれている彼女を暖かい目で見守りながら、シンジは彼女と共に光流の到着を待った。

 しかしいつまでたっても、約束の相手はやってこない。十分たち二十分たち、三十分過ぎたところでいい加減切れ気味のシンジの前に、ようやく光流が恋人と共に姿をあらわしたのは、待ち合わせから一時間近く経過しようとした頃だった。

「遅ぇぞ、光流!!」

「悪ぃ悪ぃ、こいつがなかなか煮え切らなくてよ」

 苦笑しながらシンジに謝る光流の横に立つ、まるで無表情で全く血の通っていない瞳をした、想像していたような可愛らしい美少年とは程遠い外観の忍を前に、シンジが表情を凍らせた。 

「あ……どうも、君が……忍くん……?」

 え、まじで?みたいな表情で忍に声をかけるシンジだが、ここまで来てもまだ煮え切らない忍は、不機嫌さ全開でシンジを睨みつけた。元より利用できない男になど何の価値もないと思っている忍だ。目の前の見知らぬ、ごくごく平凡で何の役にもたたなそうな男に愛想を売る気など、さらさらなかった。

 そんな忍のあまりの迫力に怯えるシンジだが、突然、真弓がシンジを押しのけて忍の前に躍り出た。

「は、はじめまして! やだやだ、想像よりすっごい素敵な人~!! 今日はよろしくお願いします~!!」

 異常なほど興奮した様子の真弓には、忍の不機嫌さなどなんのその。ハートを散りばめた瞳を忍に向ける真弓に、途端に忍はにっこりと涼しい笑みを浮かべた。

「はじめまして。手塚です。今日はよろしくお願いします」

 一見すると人当たりの良い笑顔だが、その裏には確実な何かがあると光流は直感した。

  

 嫌な予感は見事に的中するもので、合流してからというもの、忍は常に真弓にぴったりと寄り添い歩き、その後ろを光流とシンジが並んで歩く始末。これではどう見ても、忍と真弓がごく普通のカップルで、光流とシンジが男同士のそれにしか見えない。あいつ絶対に計算してやってると、光流は心底苛立ちながらも、楽しそうに話している忍と真弓の間に割り入ることも出来ず。

「なあ、何でこんなことになってんだ?」

「俺に聞くな」

 結局アトラクションも全て男同士で乗るはめになっている光流とシンジは、少しも微塵も何も楽しくないWデートに疑問を抱きつつも、非常に仲よさそうな彼女と彼氏の会話に入ろうとしても入れない(というか忍が入らせない)状態である。

「おまえさ、あのカレシのどこが良いわけ?」

 椅子に乗ってひたすら運ばれるだけのアトラクションの最中、シンジが実に不思議そうに光流に尋ねた。

 確かに顔は申し分ないほど良いが、あの豹変ぶりからして、とてもじゃないが性格が良いとは思えない。可愛げなど微塵もなければ、同じ男として劣等感しか感じない。いったい何がどうなったら、あんな男に恋が出来るのか疑問でならないシンジだった。

「てか、もしかしておまえが女役?」

「ちげーよっ! あ、あれでも可愛いとこあんだぜ、一応……」

「可愛いっておまえ……恋は盲目にもほどがあんだろ」

 本気で信じられないと目をすわらせるシンジに、何も言い返せない光流であった。

「忍~……っ」

「……」

「おまえの恋人は誰だ? え?」

 胸ぐらを掴みあげられるものの、あくまで光流から顔を逸らし続ける忍に、光流は怒りの表情を隠さない。

「そうかよ! そんなに俺とのデートが嫌なら、もういい! さっさと帰れ!!!」

 いいかげん我慢の限界で怒りマックスの光流は、そう怒鳴りつけると、忍に背を向けて歩き出した。

「ちょっと光流!!」

 頭から湯気を出している光流を、真弓が即座に追いかけた。


 その場に取り残された忍は、やや表情を暗くするも、一歩も足を踏み出すことはなく。

「そりゃまあ、怒るの当たり前だと思うぜ~?」

 不意にぼそっと声をかけられ、忍は無表情のまま振り返った。食べかけのポップコーンを「食う?」と差し出すシンジに、忍は「結構だ」とあくまで仏頂面を向けた。

「あんたさ、ほんとにあいつのこと好きなの?」

 どこか呆れたような口調で、シンジが忍に問いかけた。

「好きなら普通、喜ぶ顔が見たくねぇ? あんたは嫌かもしんねぇけど、あいつのために、ちょっとくらい楽しいフリしてやってもいいんじゃねぇ?」

 シンジは諭すように言うが、忍はあくまで頑なな表情を変えない。こりゃダメだと、シンジは小さくため息をついた。

 いったい何でまた、こんな愛想のあの字もないような奴を好きになったんだか。つくづく解らないと思いながらも、一人置いておくのも憚られる。光流のことは真弓に任せて、とりあえずは忍の横を歩くシンジであるが、二人の間に漂うのは気まずさばかりであった。

「……そろそろお開きにして、帰りますか?」

 白けた風にシンジが言った。

「先に帰ると伝えておいてくれ」

 忍が相変わらず無表情のままそう言って、シンジに背を向ける。

「ちょっ……待てって!」

 咄嗟にシンジが忍の腕を掴んで引き止めた、その時だった。

「やだ、痴話喧嘩?」

「よせよ、気持ち悪ぃ」

 カップルらしき男女が、ヒソヒソと声を潜めながらシンジと忍の横を通り過ぎていく。

「おい……!」

 その会話がしっかり聞こえていたシンジは、思わず喧嘩を売る勢いで声をあげたが、咄嗟に忍がそれを制した。真剣な瞳で見据えられ、シンジがハッとした様子で口を閉ざした。

 少しの沈黙が二人を包み込んだ後、シンジが神妙な面持ちで口を開いた。

「俺は……そんなこと思ってねぇから」

「……そう思っている人間の方が多いかもしれない」

 忍がやや瞳を伏せながら、低い声で言った。

 先ほどまでの無表情とは違う、どこか憂いを帯びたその表情に、シンジは目を見張った。

「なんか……ごめん。俺、なんも解ってなくて……」

 シンジは心底、申し訳なさそうに言った。理解あるフリして、結局は人事でしか物を見ていなかったのかもしれないと、己の浅はかさを思い知らされた。誰だって「気持ち悪い」なんて目で見られて、平気でいられるはずがないのに。

「で、でも、気にすることねぇよ! 恋愛は自由なんだからよ! それに好きになる理由に、男も女もねぇだろ!?」

 必死で慰めの台詞を口にするシンジを、忍はきょとんとした瞳で見つめた。そして、可笑しいようにクスリと笑みを浮かべる。

 その刹那、シンジは一瞬、自分の鼓動が跳ね上がるのを感じた。

「ありがとう。気にしすぎなのは自分でも解ってるんだが……」

 そこまで言って、忍は目を伏せて黙り込んだ。

 思いがけない素直な反応に、シンジはまたしても意外な面を見た気がして、何故だか妙におかしな気持ちを覚えた。

 しかし、かける言葉も見つからないのか黙り込む。しばし沈黙したまま向き合っていると、不意に忍の足元がフラつき、シンジが咄嗟に肩を掴んだ。何事かと狼狽したシンジだが、忍の額にわずかに滲む汗を見て直感した。


 日差しが照りつける太陽の下、どう見ても熱中症のような症状を起こしている忍を、シンジは即座に木陰に移動させて座らせた。

 すぐに近くの売店で冷たいスポーツドリンクを購入して、忍の元に戻って手渡すと、忍はやはりずいぶんと辛そうにペットボトルを受け取り、蓋を開いて口に含んだ。

「しんどいなら、早く言えば良かったのに」

「……」

 シンジは応えない忍を見つめ、つくづく思ったことを口に出せない奴なんだなと確信した。

「シャツのボタンくらい、外したら?」

 そりゃこの暑さの中、そんなきっちりボタン締めて少しも水分とってないのだから、熱中症になって当たり前だ。思いながら言うと、忍は「ああ」と頷いて、一番上のボタンを外した。その静かな動作を眺めている内に、自分や光流とはまるで違う世界の人間なんだなということに気づいた。最初に感じた嫌悪感の理由もわかったような気がしたシンジは、彼が「こう」である理由も、なんとだなくだが解ったような気がした。

(あいつもまた……)

 ずいぶんと面倒な奴を好きになったものだ。シンジは心の中で呟きながら、頭の中に光流の顔を思い浮かべ、クスリと笑ってしまった。

「やっぱ、あいつらしいな」

 ついうっかり、思ったことを口に出してしまう。

 忍に怪訝そうな目で見つめられ、シンジはどこか大人びた瞳を忍に向けた。

「おまえさ、もっと友達増やせよ。例えば……俺みたいな?」

 ニヤリと得意げに笑いながら言うシンジに、忍は眉をしかめる。

 その正直な反応に、シンジはまたしても笑ってしまった。

「うわ、腹立つ。ぜってー嫌だとか思っただろ今?」

「……思ってない」

「嘘だね。もろに顔に出てたもん。わかりやすっ」

 完全にからかう口調で言うと、忍はますます額に青筋をたて、瞳に怒りを露にする。

 随分とからかい甲斐のある相手を前に、楽しくて仕方ないように笑い続けるシンジであった。

「忍くーん、そんな怒るなって~!」

 スタスタと前を歩く忍を追いかけながら苦笑するシンジの前に、前方から真弓と光流の姿が表れた。

「もーっ、どこ行ってたのよ!? 探したんだよ!?」

「それが忍クンが熱中症でダウンしててよ~。こいつこんな面の皮厚い顔して、意外に虚弱体質なのな」

「面の皮が厚いのはどっちだ」

 カチンと来た様子で忍が言い返すと、シンジがまたも顔をにやけさせる。

「悪かったな繊細クン。痩せ我慢も大概にしろよ~?」

 延々とからかわれ続け、忍は本気で殺意を含んだ瞳でシンジを睨みつけるが、シンジはまったく動揺しちゃいない様子だ。

「あらまあ、いつの間にかずいぶんと仲良くなったのね~」

 そんな二人の様子を見ながら、真弓が感心したように言った。

「いや面白ぇわ、こいつ。なあ光流……」

 忍の肩に手をかけながら、シンジが光流に顔を向けたその時であった。

 光流の周囲に異様なまでの怒りのオーラが漂うのを察知して、シンジは一瞬にして全身を硬直させた。

「そ、そろそろお開きにすっか! あとはお互い、二人きりで楽しもうぜ!!!」

 シンジが焦りを露に、大きな声で言い放った。

「え……、なによ急に……!!」

「いいから行くぞ!」

 眉をしかめる真弓の腕を掴み、シンジは即効で二人から離れたのであった。

「ちょっと! 何なのよ……!」

「まあまあ、いいじゃねーか。あいつら二人きりにさせてやろうぜ」

 もっと一緒に遊びたかったと拗ねる真弓の手を握り、シンジは諭すように言った。真弓はつまらなそうに口をとがらせながらも、シンジの言葉に納得したのか、渋々と歩き出した。

「あいつ、変わってねーよなぁ」

「……光流のこと?」

「正、覚えてるか? あいつの弟。普段兄貴風ふかせて横暴に扱ってるくせに、俺と仲良くしてると、すっげー面白くなさそうな顔してさ。あの頃から、ぜんぜん成長してねー」

「なによ、人のこと言えるの?」

 ヘラヘラ笑うシンジを、真弓が睨みつけるように見据えた。

「へ?」

「私といるより、忍クンといる方がずっと楽しそうだった」

 そう言って口をとがらせる真弓を前に、シンジはやや焦りを露にした。

「ば、バカ言ってんじゃねーよ! 俺は男には微塵も興味ねーし、おまえといる方がずっと楽しいっつの!!

 必死で言い訳を始めるシンジだったが、完全にヤキモチをやいている真弓の耳に届くはずもなく。

 そういう自分だって、中学時代、彼氏の自分といるより、光流のファン仲間の女友達ときゃーきゃー騒いでる時の方が、ずっと楽しそうだったくせに。そう心でぼやくものの、言い出すことは出来ないまま、懸命に真弓の機嫌をとり続けるシンジであった。

 

 忍の体調が優れないため、光流が運転することになった車の中、ずっと無言のままでいた二人だが、不意に光流が口を開いた。

「悪かったな、今日は。無理につき合わせて……」

 どちらかが譲歩しなければ、ずっとこの気まずい空気が流れ続けるのかと思うと、いいかげん怒ることにも疲れて、自分が折れることを決めた光流だった。

 けれど忍は窓の外を見つめたまま、相変わらず無愛想。

「でもあいつら、悪い奴じゃなかっただろ? 俺に怒るのはかまわねーけど、あいつらの事は悪く思わないでくれよな」

 光流が困ったように言うと、忍はピクリと眉を動かした。

「……誰も悪く思ってなどいない」

 不機嫌さを全開にそんな風に言われても、説得力はゼロなのだが。光流は心の中で呟いて、ふぅと小さくため息をついた。

「じゃあ何をそんなに怒ってるんデスかー?」

 余計に忍を苛つかせるだけだとわかっていながら、光流はわざと挑発するような口調で尋ねた。

 案の定、忍にキッと睨みつけられるが、光流は動揺しない表情で忍を見据えた。口で言うより目で訴えた方がこたえる忍は、わずかに怯んだ表情を見せ、光流から視線を逸らして俯き加減で言った。

「……嫌だって言った」 

 ようやく心の内を漏らした忍を、光流は仕方ないような瞳で見つめた。

「嫌だから、ずっと隠れて生きてくつもりか?」

 何も普通のカップルみたいに、人前でキスしたり手をつなげと言ったわけじゃない。男同士で遊園地で遊んでいたところで、そこまで偏見の目で見られることもないだろう。それに何より、理解ある友人に恵まれているにも関わらず、ただみんなで楽しむだけのことがどうして出来ないのか。 

 尋ねても、忍は光流と視線を合わせないまま、しばらく口を閉ざした。

「おまえそんなんじゃ、これから先もずっと友達できねぇまんまだぞ? それで良いのかよ?」

「……そんなものに、何の意味があるんだ」

 忍はあくまで納得いかないといった表情で光流を睨みつけた。

「そんなものって、おまえ……」

「だったら俺より友人を選んだらどうだ? そのほうがおまえにとっても、ずっと都合が良いだろう? ああそれより、もっと見た目にもニコニコと可愛らしく、友達にも存分に自慢できる彼女でも作るんだな。どうせ俺といたってロクなこと……」

「黙れ!!」

 突然、光流が車中に響き渡る大きな声を発し、忍がビクリと肩を震わせ、口を閉じた。

 運転のため前を向いたままの光流の表情は、やけに険しい。

「それ以上言ったら、本気で怒るぞ」

 低い声。感情を抑えている表情なだけに、それが本気の言葉であることを、忍はすぐに理解した。だからこそ、それ以上、何も言い返すことは出来なかった。

 沈黙と重い空気ばかりが二人を包み込む。

 せめて泣き出しそうな瞳を見られないよう、忍は窓の外に顔を向けた。


 

 アパートの駐車場に車を停めてから、光流は一つ小さく息をついた。

 疲れ切っているその様子を前に、しかし忍は何も言い出すことができない。

 どうしていつも、こんな風になってしまうのだろう。どうしてたった一日、いつものように笑顔を取り繕うことができなかったのだろう。自分の我を貫き通した代償は、あまりにも大きなものだった。このまま終わってしまうのだろうか。途方もない不安感が忍を襲った。

 しかし何も言い出すことはできないまま、忍が車を出ようとドアノブに手をかけたその時、突然、光流ががばっと忍に抱きついた。

「もー……っ、ほんとに悪かったって……! だから喧嘩やめよーぜ!!」

 切羽詰まったような声と共に光流にぎゅっと抱きしめられて、忍は目を見開くと共に、胸が締め付けられるような安堵感を覚えた。

 と同時に、それまで頑なに抑えてきた感情が溢れ出て、止まらなくなる。

「いら……ない……」

 光流に抱きしめられたまま、忍が小さく声を発した。

「え……?」

 光流が顔をあげた刹那、忍が光流の首に腕を回し、性急に唇を重ねる。

 あまりに唐突な忍からの抱擁に、光流は目を丸くした。

「友達なんか……いらない……。おまえがいれば、それで……!」

 唇を離してから、忍が震える声で訴えた。その瞳には、うっすらと涙すら滲んでいて。

 光流は驚愕しながらも、沸き起こる感情のままに、忍をぎゅっと抱きしめた。

 しがみつくように抱き返されて、なおさら胸の内が熱くなる。

 本当は、そんなことじゃ駄目だし、友達は大事だし、変わらなきゃいけない。そう思うのに、どうしようもなく愛しさばかりが増していく。このまま永久に、腕の中に閉じ込めておいてしまいたくなるほど。

「忍……」

 今にも泣き出しそうな瞳が、縋るように見つめてくる。光流は切なげに目を細めた。

 全身で「好きだ」なんて訴えられて、それでもまだ突き放せるほど、強くはなれなかった。

 忍が自分だけを求めるなら、いっそ本当に、誰にも見せず言葉すら奪って、その身も心も自分のものにしてしまおうか。そうしたら、もう二度と、身の内に眠る獣を呼び覚まさなくても済むのに。

 そんなどす黒い感情に支配されるままに、光流はシートを倒し、忍の身体を押し倒した。



 性急に唇を寄せ合う。光流が湿った舌を咥内に差し入れると、忍は情熱的に応えた。

 シャツを捲りあげ、露になった胸の突起を含むと、そこは敏感に反応を示す。忍の瞳がきつく閉じられ、声を押し殺すように口元を手で押さえた。逃げるように身体をずらす忍の胸を執拗に舌で弄びながら、光流は忍の下半身に手を伸ばした。

 衣服の上からでもすぐにわかるほど、それは硬く張り詰め、光流の愛撫を欲しがっている。

「ん……ふ……っ」

 ベルトを外し、ズボンと下着を同時にずらすと、忍の熱くなっている自身が露になった。薄暗くなった車中でも電灯の淡い光のおかげで、忍が羞恥に頬を染める官能的な様が眺められ、光流は体中の血液が沸騰するような感覚を覚えた。

「あんなに人に見られるの嫌がってたクセに、こんなとこでこんなカッコすんのは平気なんだ?」

 支配欲にとり憑かれた光流は、わざと車外に見せ付けるように忍の足を大きく開かせ、忍の耳元で羞恥心を煽った。そうすると、ますます忍の自身が熱さを増す。忍が首を振って嫌がっても、まるで説得力はなかった。

「や……いや……!」

 ガクガクと忍の足が震える。それでも光流はかまわず、忍のそれを上下に扱き、指で入り口をそっと撫でる。いつもより刺激が強いせいか、忍が達するまでにまるで時間はかからなかった。しかしそれはますますの羞恥心でもって忍を刺激し、吐く息が荒く、頬は蒸気している。好きなように支配しているはずなのに、その潤んだ瞳と吐息に心を支配される。更なる欲望が膨れあがり、光流は忍の身体を反転させると、精液で濡れた指を忍の中に潜り込ませた。きゅっと締め付けられるそこを、念入りにほぐしていく。

「もっと、腰あげろよ」

 光流が命じると、誰かに見られるのを嫌がってか、忍は首を横に振った。

 ここまで露にしておいて、今更何を恥ずかしがることがあるのか。そんな意地の悪い想いが膨れ、光流は忍の内部から指を引き抜いた。光流を受け入れられるには十分なそこに、しかしすぐに入っていく気にはなれなかった。

 いっそのこと、どこまでも追い詰めてやる。昂ぶった感情はとどまることを知らず、光流は忍の尻の肉を掴み押し広げ、一番に見られたくないであろう恥部を自分の目の前に晒した。

 忍は黙って耐えている。どこまでこの羞恥に耐えられるかは見物だったが、忍が理性を取り戻す時間を与えてはいけない。光流は自制心を取り戻し、倒したシートを掴んで耐える忍の腰を掴み、性急かとも思える勢いで、一気に自身を押し入れた。忍の背が仰け反り、強く締め付けられる。間髪入れず腰を動かすと、車が揺れギシギシと音を鳴らした。

 辺りに人気は見られなかったが、もしかしたら本当に誰かに見られているかもしれない。

 けれどそんな事実も道徳心も、欲望の前では全てが霧のように吹き飛んだ。

 今はこの身体と心以外、何も見えはしないし、何も要らない。

「あ……っ、あ……!!」

 好きだと、愛してると、何度叫んでも足りない気がした。このままこの車ごとどこか遠くに連れ去って、永遠に二人きりでいられたなら。許されない想いと現実が、光流の心を苛む。

 光流が忍の顎を捉え振り向かせると、唇を重ねる。舌を絡ませると、忍もまた熱く応えてくる。

 どれほど欲望と理性がせめぎ合っても、真実はただ一つで、身体が、心が、どうしようもなく求め合う。

 だから今、せめて、この時だけは。

 誰にも渡さない。他の誰でもない自分だけのものだと、見せ付けて、決して近付けさせはしない。

「あ……っ、みつ……る……っ」

「……っ……」

 静寂と暗闇とわずかな灯りの下、心のままに求め合い欲望を吐き出し、熱くなった唇を重ねる。

 唇を離すと、忍の忘我した瞳が光流を見つめる。純粋な欲望だけを露にした忍の瞳は、光流を捉えて離さなかった。




 それから一ヶ月後。

「よぉ忍クン!」

 会うなり眉間に皺を寄せた忍を前に、シンジは目を据わらせた。

「おまえな、露骨に嫌そうな顔すんなよ」

「すまないな、気を許してる証だ」

「そーかそーか、そりゃ良かった!」

 にっこりと微笑む忍を前に、シンジは少しも気にしていない笑みを浮かべながら、忍の肩に手を回した。

 いまいち噛みあってはいないが、なんだかなんとなく仲の良い二人を前に、光流は非常に複雑な気分。

  忍に友達が出来るのは嬉しい。頼むからシンジみたいな良い友人を作ってくれ。でも何だか凄くイラつく。腹立つ。寂しい。切ない。なんだろうこのモヤモヤは。いろいろいろいろ心で呟きながらも、「仲良くなってくれて良かった!」と自分を誤魔化しつつ、忍の成長を見守り続ける光流なのであった。