cute

 

「可愛い~!!!」

 仕事からの帰り道、不意に女子高生の甲高い声が耳に届いて、僕は思わず振り返った。

 見ると、某アイドル男性がアップで微笑んでいる、シャンプーの宣伝看板を前に、女子高生二人組みが異常なほど高いテンションで「可愛い!!!」を連発していて、なんだか苦笑してしまった。

(あ……)

 ふと僕は、気づいた。

(ああ、そういうことか……)

 思い出したのは、昨日の自分と、ずっとずっと昔の、幼い頃の自分。


 

 
 いつものようにソファーに横たわり眠る忍先輩の顔が、あんまり無邪気だったから、ついつい悪戯したくなっちゃって。

 そっと耳元に唇を寄せて、耳たぶを軽くくすぐったら、忍先輩はピクッと小さく身体を揺らして、それからゆっくりと目を開いた。

「……起きちゃった?」

 尋ねると、忍先輩はぼんやりした瞳で僕を見つめて、またすぐに瞼を閉じる。

 また寝ちゃうのかなって思ってたら、突然、忍先輩の腕が僕の首に回ってきて、一瞬鼓動が大きく跳ね上がった。

(うわ……!)

 寝起きって、割と人の本性が出るものだと思う。

 忍先輩が本当は、凄く甘えたさんだっていうのは、分かってたつもりだけど。

「もう起きる?」

「……ん……」

 ぎゅうって思い切り抱きついてこられちゃった日には、さすがに。

 抑えきれない愛しさが溢れ出して、僕はそっと忍先輩の髪を撫でながら、頬に唇を寄せた。

 同時に、こんなこと、光流先輩にもしちゃってるのかな、なんて冷静に考えると、それはそれで光流先輩の反応を想像して笑っちゃったりもするんだ。

 こうして僕の欲望は難なく抑えられてるわけだけど。

(きっと、分かってないよね)

 本当は、心の奥底じゃ、めちゃくちゃに犯してしまいたいほどの欲望に駆られてるなんて。

 




「忍先輩って、ほんとに可愛いよね」


 だからなのか、ついつい意地悪の一つもしたくなったのかもしれない。

 しっかりいつもの様子に戻った忍先輩と食事をしながら、ちょっと上から目線でそんな言葉を口にしたら、忍先輩は思い切り眉をしかめて不機嫌そうに僕を睨みつけてきた。

 失言、とすぐに思ったけど、「ほんとのこと言って何が悪い?」って、余計に怒らせちゃう僕も、つくづく大人げないって思った。

 

 当然その日は少しも甘えてくることはなく、一人で食事の後片付けをして、一人でお風呂に入って、一人でさっさと家に帰って行った。いつもなら、お皿洗いくらいは一緒にするし、たまには一緒にお風呂入ったりもするし、連休の日は必ず泊まって行くのに。

(まったく大人げないったら)

 僕も大概だけど、軽い気持ちで放ったたった一言が許せない忍先輩は、ほんとに不器用すぎる人だと思う。

 なるほど、デリカシーの欠片もない光流先輩とすぐ喧嘩になる理由も、納得。

 光流先輩もやっぱり、同じ事言って、怒らせたことあるのかな? 今度、聞いてみようかなって思ったその瞬間。



「あら、なんて可愛い娘さん!」 


 突然、過去の記憶がフラッシュバックした。


ピンク色の着物を着せられて、仏頂面で歩く僕に、お母さんはいつも、腰を下ろして同じ目線で僕に話しかけてきた。


「なにぶすっとした顔してるの? せっかくの可愛い顔が、台無しよ」

「……だって、ぼく、男の子なのに……。こんな着物、おかしいよ……!」

 

その頃の僕は、もう幼稚園の年長さん。さすがに「男」としての自覚が出てきていたし、周囲の男の子達もそれまで男女関係なく無邪気に遊んでいた時と違い、異性の区別をつけられるようになっていたから、見た目がどう見ても女の子なのに性別は男の子である僕に対して、風当たりがキツい子の一人や二人、当然のようにいた。


「やーい! 男女! 男のくせにピンク着るなよな~!」


 からかってくるのは大抵、ガキ大将気質の暴れん坊で、外ではめちゃくちゃ威張り散らしてるくせに、お母さんには物凄く甘えたな、いわゆる「内弁慶」な子供だったと、今では思う。

 でもその頃の僕は、そういった子供が内に寂しさや自信の無さを秘めていることなんて、まだ分かるはずもなかったから、些細な言葉で深く傷ついては、鏡に映るまるで女の子な自分の姿を見るたびに、酷く落ち込んだりしたものだった。



「瞬くん、可愛い~」


 次に思い出すのは、いつも僕の周りに群がってきた、やたらと面倒見のよい女の子たち。

 何かというと僕にかまいたがる彼女達は、最初から僕が一人では何も出来ないと決め付けては、手を洗ったらハンカチを差し出してくれたり、頼みもしないのに服の着替えを手伝ってくれたり、横にいるといつも必ず手をつなぎたがった。

 今思えば、単純に、「お母さんごっこ」がしたかっただけだと思う。

 ほら、女の子って「おままごと」とか、「お人形遊び」とか、大好きだし。でもそれって、コミュニケーション能力をあげる上では凄く大事な遊びなんだって、そっち系の専門職に就いた大学時代の友人が言ってたっけ。

 今はなるほど、女の子がいつか本当の「お母さん」になるためには大事なことだったんだったって思えるけど、その練習にいちいち利用されてた僕にとってはたまったもんじゃなかった。

 男が「可愛い」なんて言われたって、男としてのプライドが傷つくだけで、ちっとも嬉しいことじゃないし。自分のことくらい、ちゃんと自分で出来るのにって思いながら、逆らえば思い通りにならない事に拗ねる女の子が面倒で、結局はいつも彼女達の「お人形さん」だったように思う。

 


「もう、こんな格好、イヤだよ……」

 


 どうしてお母さんは、僕にこんな格好させるの? 本当は、イヤでイヤで、たまらないのに。

 それとも僕が男の子だから悪いのかな?

 きっと最初から女の子だったら、良かったんだよね。

 だから、我慢しなくちゃ。

 お母さんが望む「女の子」にならなくちゃ。



「瞬……見て?」


 ある日想いが爆発して、泣きながら訴えた僕の手を握り締めて、お母さんは大きな姿見の前に僕を立たせた。


「ほら、ピンクの着物、凄く似合ってるでしょう? お母さん、こんな可愛い子、見たことない!」


 瞳に溜まった涙をこすって、鏡を見上げた僕の瞳に最初に映ったのは、自分の姿じゃなくて、僕の隣に腰をおろして満面の笑みを浮かべる、誇らしげなお母さんの顔だった。


「誰がなんて言おうと、瞬は世界一可愛い、最高の男の子よ!」

 

 大好きなお母さんが、あんまり自信満々に言うものだから、僕の胸も熱くなって。

 

 それからだ。


 誰に「可愛い」って言われても、「ありがとう」って言えるようになったのは。


 そうだよ、たとえどんな姿をしていたって、何を言われたって、どんな風に他人に思われたって。

 

 ただからかわれるのが嫌だっただけで、本当の僕は、ピンク色の綺麗な着物も、それが似合う自分も、似合うと言ってくれたお母さんも、僕を必要としてくれる友達も、みんなみんな、大好きだった。


 だから僕は、僕のままでいいんだ。




 

 って僕が思えたのが、まだ幼稚園児の頃だったわけだけど。

(幼稚園児……??)

 あ、だめだ。また笑っちゃいそう。

 なんてふざけてる場合じゃなくて、分かってるよ本当は。

 きっと忍先輩は、そんな風に褒めてもらったことなんて、一度もなかっただろうからさ。

 でも、今更なにを褒めてあげたってなぁ……。どうせ「馬鹿にしてる」とか「上から目線」だとか「子供扱いするな」とか「出来て当然だ」とか、そんなヒネた返答しかないのは分かってるから、結局のところ自ら気持ちを開くまで放っておくしかないんだよね。

 


 そんな事をうだうだと考えながら道を歩いていると、またまた「可愛い~っ!!!」って女子中学生の黄色い声が耳に届いた。

 一度気になり始めると、とことん気になるもので、女の子はアイドルでも動物でも服やアクセサリーにでも、本当によく「可愛い」って言葉を使うものだなぁと感心してしまう。たぶん「可愛い」って言われて喜ぶ男は、滅多にいないよ?って言いたくなるけど、そんな男の気持ちなんて、好きなアイドルや好きな動物や好きなものに夢中になっている彼女たちは考えもしないんだろう。

 そう考えると、僕が昨日言った台詞も、やっぱりずいぶんと忍先輩のプライドを傷つけてしまったんだろうなぁと、大反省。

 次に会ったら、今度は必ず先輩が喜ぶ言葉を口にしよう。

 僕なりに、一生懸命考えて。




「すかちゃんて、やっぱり可愛いよね」

「……男が可愛くても仕方ないんだと、何度言ったらわかるんだおまえは?」

 こっちもこっちで、相変わらず頑な。

「いいじゃん、男が可愛くて何が悪いの?」

「良いも悪いもない! 単純に気色悪いだけだ!!」

 うわぁ、僕相手にそれハッキリ言っちゃう?

 一応僕でも、傷つくことはあるんだけど……って、ちっとも傷ついてないのは、やっぱ言われた相手がすかちゃんだからだろうなぁ。

「あ、僕、チョコパフェ頼もーっと」

「おまえ、今俺が言ったこと聞いてたか?」

 またしても目をすわらせるすかちゃんをよそに、僕はファミレスのウエイトレスさんにチョコレートパフェを注文した。

「何でだろうね。すかちゃんといると、肩の荷降りるよ」

「おまえに背負う荷物なんかあるのか?」

「まあ、すかちゃんほどはないだろうね」

 なんたって二人の子供と気の強い奥さんと横暴な先輩、計四人の面倒見なきゃならないんだから、毎日重たい顔してイライラしてるのも当然だと思う。

「少しはお兄さん見習って、肩の力抜いて生きたら~?」

「俺はあいつと同じ道は絶対に辿らないと強く心に誓ったんだ!」

「それでエリート街道まっしぐら? でも楽じゃないでしょ? エリートって。もともと向いてないんだしさ」

 僕の言葉に、すかちゃんはわなわなと肩を震わせる。

 何でかなぁ、すかちゃん相手だと、傷つく言葉と分かっていても、不思議とずけずけと言えちゃうんだよね。

 ……忍先輩には、絶対に言えないのに。

「悪かったな、向いてなくて」

「うん。だから、凄いよ」

 僕はにっこり笑って言った。

途端にすかちゃんが、ちょっと照れたような顔になる。 

「ほんと頑張ってるよね。偉いなぁ、すかちゃんは」

 すかさず褒めると、すかちゃんは顔を赤らめて、それから「あ、当たり前だろ。家族のためだし」とぶっきらぼうに言った。

 この素直な反応。まったく可愛いったら。

「おまえ、自分が注目浴びてるって分かってる?」

「うん」

 最高に男前の僕が、男と向かい合わせでチョコレートパフェ食べてるんだもん。注目されて当然。でもそんなの気にしないし、すかちゃんだってたいして気にしてないでしょ?

 何だかんだ文句言いながらも、いつもありのままの僕を受け止めてくれるすかちゃんだから、僕もきっと、誰よりも甘えられるんだ。





「……こんにちは」

「……どこに行ってた?」

 すかちゃんとパフェ食べに、とは言わないまま、僕は先輩の質問には応えずソファーに腰を下ろした。

 昨日の今日でうちに来るとは、また光流先輩と何かあったのだろうか。一つ小さくため息をついて、怪訝に思いながら顔を見上げて、僕はまた自分がやらかしたことに気づいた。

 忍先輩が、どこか寂しげな瞳をして、ジャケットを羽織って帰り支度を始める。

「もう帰るの?」

「……ああ」

 低い声。決して僕と目線を合わせないその様子に、僕はまた無神経なことをしてしまったんだと気づかされた。

 考え事してただけで、決して無視したつもりじゃなかったんだけど、いつでも相手の一挙一動に気を張り巡らせている忍先輩にとっては、そう取られても仕方ない態度だったのかもしれない。

 くるりと僕に背を向けた先輩に、僕は咄嗟に背後から抱きついた。一瞬、先輩の身体が硬直するのが分かった。

「帰らないでよ」

 甘えるようにそう言って、先輩を抱きしめる腕に力を込める。

「まだ……帰らないで」

 なんだか安い昼ドラみたいな台詞だな。

 頭のどこかでそんなことを思いながら抱きしめたままでいると、少しずつ、先輩の肩の力が抜けていった。

「ご飯、一緒に作ろ?」

 緩やかに微笑んで言うと、先輩はゆっくりと僕に顔を向けた。

一瞬、泣きそうな瞳をしたのは、きっと気のせいじゃない。

 



 近所のスーパーに買い物に行って、一緒に好きな材料を選んで、一緒に食事を作って、他愛のない会話をしながら食事をする。先輩がお皿を洗って、僕が拭いて、協力し合って後片付けをする。お風呂の掃除は、昨日は僕がしたから、今日は先輩がしてくれた。特に約束はなくて、暗黙の了解。昨日、ちょっと嫌な別れ方をした罪悪感があったのか、今日はお風呂も一緒に入ってくれた。

 本当は二人とも、一緒にするより一人でする方が気楽だし、心の距離を測ることも苦手だけど、触れ合うことは、きっと嫌いじゃないよね。



「ちょっとだけ……悪戯していい?」

 心地良い温度のお湯の中、背後からそっと抱きしめて、ほんのりピンク色に染まったうなじに口づける。困った顔してるって知りながら。

「……駄目だ」

「痕はつけないから」

 本当は、この桜色の肌に噛み付いて、自分のものにしちゃいたいけどね。

 大丈夫。

 本当の気持ちを抑える方法は、ちゃんと分かってる。

「あ……っ」

 耳の後ろに舌を這わせると、思わずといった風に先輩が声をあげた。

 咄嗟に「可愛い」って叫びそうになったけど、それは言っちゃいけない台詞だったことを思い出した。

「凄く……いいね、その反応」

 囁くようにそう言って、人差し指と親指で左の乳首を摘むと、今度は唇を引き締めて声を出すまいとする。でもそっちの方がそそられるって、もしかして分かっててやってるのかな?

「声、聴かせてくれないの?」

 せっかくこんなに、ご奉仕してるのに。お湯の中でそそり立つ、熱い塊を握り締めながら、もう身体も心も限界を感じているのはこっちの方だ。

 せめて声くらい、聴かせてよ。

 これ以上、何も求められない僕を、少しでも好きだと想ってくれるなら。

「あ……しゅ……っ……ん……!」

 達する瞬間に名前を呼ばれて、僕も本気でイくんじゃないかと思った。

 先輩の息遣いが荒い。上下する肩に、そっと口付ける。

「好きだよ、先輩」

 耳元に囁くと、先輩が振り返る。僕はその唇に唇を重ねる。欲情に染まった瞳を見つめながら舌を絡ませる。熱い肌に触れる。

 ……どうしてかな。 

 こんなに悪い人なのに、どうして僕は、この執着を捨てることが出来ないのだろう。



(簡単に捨てるくらいなら)

 

 最初から「好き」だなんて、認めたりはしない。




 疲れちゃったのか、ベッドに行くより先にソファーの上でうとうとし始めた先輩の横で、不意にスマートフォンの着信音が鳴り始めた。その音を聴いて、どこかで聴いたことのある着信音だなと思った僕は、思い出したその瞬間に思わず「え!?」と声をあげそうになるほどびっくりした。

「先輩、電話だけど」

 けれどどうにか平静を保って、先輩に声をかける。先輩はのろのろと起き上がって、スマホを耳にあてた。

「煩い、何の用だ?」

 開口一番迷惑そうに「煩い」って……。なんて可哀想な光流先輩……。

「そのことなら……もういい。ああ……じゃあな」

 先輩は相変わらず煩そうにそう言って、電話を切ってまたソファーの上に寝転がった。

「帰らなくていいの?」

「まだ仕事中だ」

「そ。ねえ、ところでその着信音って忍先輩の趣味?」

「そうだ。悪いか?」

「いや、僕も好きだけどさ……」 

 最近人気の非公認ゆるキャラだっけ? すっごい不気味な動きするけど、なんか可愛くて、憎めなくて、人気あるのもわかるんだけど。

 でも……でも!!

 そのテーマソング着信音に使うって、どんだけ好きなの!? ってかそんなキャラじゃないでしょ忍先輩!!??

「忍先輩、ああいうの嫌いかなって思ってたから、意外」

「……昔なら、嫌いだっただろうな」

「何で好きになったの?」

「一生懸命な奴は嫌いじゃない」

「……そっか」

 案外、僕も、大事な部分を見落としてたのかもしれない。

 けどさ、忍先輩がそんな着信音使ってたら、「可愛い」って言われても仕方ないと思うんだけど……。いや、それとも僕が惚れてるからそう思うだけで、例えばすかちゃんだったら「怖い」って思うに違いないように、やっぱり普通は不気味に思うものだったりするのかな?

「やっぱり、好きだからなんだなぁ……」

「何がだ?」

「いや……」

 ぼんやりとした思考のまま、僕は忍先輩に微笑みかけた。

「忍先輩が、大好きだなって思って」

 そう言うと、忍先輩はいつも通り、仏頂面。

 でも、「可愛い」って言われた時みたいに、悪い気はしてないみたい。

 きっと忍先輩は、「可愛い」と同じくらい、「好き」って言葉も、言われ慣れてなかったよね。

 でも昔よりはずいぶん、言われ慣れてきたのかな?

 何かを「好き」って思えるってことは。 

「今度、グッズ買いに行こうよ。僕もキーホルダーとか欲しい」

「それは要らん。歌が気に入っただけだ」

「……光流先輩に、つっこまれなかった?」

「元々あいつが勝手に入れたんだ。俺は嫌だと言ったのに」

「ああ、やっぱり嫌だったんだ」

「当たり前だ」

「じゃあ何で気に入ったの?」

「気に入ったというより……慣れたんだろうな」

 少し考えてから言った忍先輩のその言葉は、なかなかに感慨深いものがあった。

 

 それならこれから、もっともっと慣れてもらいましょうか。

 

 僕なしでは、要られなくなるくらいに。