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「池田君……」 「あ?」 眠い。まじで眠い。 昼食のコンビニ弁当食った後で、ついうとうとと居眠りしかけたその時、仕事仲間の里中玲子に声をかけられ、俺はハッとして顔をあげた。 すると目の前には、何やら呆れたような軽蔑したような眼差しを向ける玲子の姿。 「忙しいの解るけど、せめて髭くらい剃ったら?」 「あー……、ああ、家帰ったらなー」 眉をしかめ訴えかけられるが、俺はといえば眠気の方が勝って、玲子の声などまるで耳に届いていなかった。 ちょっと本気で限界かもしれないなどと思いながらも、仕事中に寝るわけにもいかず、どうにか意識を保っていると、玲子は呆れたようにため息をつく。そして横に目をやると、先ほどまでとはうって変わった高い声をあげた。 「すごーいっ、蓮川くんのお弁当、美味しそう~!!」 ぼんやりした意識の中、横を向くと、無心で弁当を食っていた蓮川がぽっと頬を赤くした。 いつものごとく「愛妻弁当」とやらを口にしていた蓮川は、「凄い凄い!」と弁当を褒めたたえる玲子に、「ええ、まあ……」と、照れ臭そうな嬉しそうな表情を向ける。 思わずイラッとして、俺は蓮川がまだ食べずに残していたと思われる大好物の卵焼きに手を伸ばした。 「ちょっと先輩っ……!!!」 蓮川が目をむいたと同時に、綺麗に作られた黄色い卵焼きを口の中に放り込む。 くっそ……見た目だけかと思ったら、コンビニ弁当の10倍美味いじゃねーか。腹立つ。 「やっぱ奥さんいると、違うわよねえ。蓮川君のシャツもネクタイも、いつも綺麗にアイロンかけられてるし。池田君、羨ましいと思わない?」 皮肉めいた口調で玲子に言われ、ますますイラッとした俺は、即座に椅子から立ち上がって己に気合を入れ、眠気を吹き飛ばした。 「外回り行ってくる」 椅子にかけていたスーツの上着を片手に、俺は二人に背を向けた。 なーにが愛妻弁当だ。シャツやネクタイにアイロンだ! んなもん、俺だって、俺だって……!!!! (してくれたことねぇ……っ!!!) 気付いたと同時に切なさがこみ上げてきて、瞳に涙が滲んだ。 過去を振り返ること数十年。あいつ俺に弁当作ってくれたことあったっけ? シャツにアイロンどころか、洗濯物畳んでくれるのすらたまにしかないような気がするのは、きっと気のせいじゃないはずだ。むしろ俺が弁当作ってやったり、自分のついでにあいつの分もアイロンかけてやった記憶しかねぇ!!! 突然、震えがくるほどの屈辱と怒りに襲われ、俺はぎゅっと拳を握りしめた。 だめだ……っ、このままじゃ、男としての俺が危機だ!!! だいたい蓮川ごときがあんな至れり尽くせりの生活してるのに、なぜこの超絶男前の俺が、学生時代両手に余るほどの女にちやほやされていた俺が、自分で弁当作ったり服にアイロンかけたり、あまつさえ掃除やら洗濯やら、あげく数少ない休日に飯の支度までしなくちゃならない!? 何かが間違っている。絶対に間違っている。 よし、今日こそは言うぞ。このままいつまでも、尻の下に敷かれ続けてたまるものか!!! というわけで、さっそく明日の弁当を頼んでみたわけだが。(※あくまで「お願い」) 「コンビニに飽きたなら自分で作れば良かろう」 眠気マックス、極度の空腹、スーツはよれよれ、髪はぼさぼさ、あまりにも惨めったらしい俺とは対照的に、既に風呂に入り上等なパジャマに身を包み、お高いワイン片手に優雅にパソコン打っていた忍が、俺に見向きもせずに冷たく言い放った。 こ、こいつ……っ。 やべぇ今すぐ犯してぇ。その澄ましたツラに涙が滲む様が見てみてぇ。 い……いやいやいや違うっ、今はそんな話じゃなくて!! 「そーいうわけじゃなくて! 俺はおまえの作った弁当が食いてぇんだ!!」 やや声を張り上げると、忍はやっとこちらに顔を向けるものの、その眼差しは今日の玲子と同じ、呆れたような軽蔑したようなものだった。 「また蓮川にでも感化されたのか?」 低い声で尋ねられ、俺は言葉に詰まった。 う……見透かされてる。完っっ全に見透かされてる……。 「いいか光流、俺とおまえの関係は、世間で言うところの「夫婦」とは全く別のものなんだ。いちいち蓮川と比べて振り回されていたら、この先辛いのはおまえ自身だぞ?」 忍はうなだれる俺の肩にぽんと手をおいて、慰めとばかりにやけに優しい声を放つ。でもその優しさには確実に裏があると、俺は本能で感じ取った。 「じゃあ聞くが、俺とおまえの関係が、世間で言うところの「夫婦」とどう違うんだよ?」 キッと強い眼差しを忍に向け、俺は負けじとばかりに口調を強くした。 「こうやって一緒に暮らしてるし、エッチもするし、何よりお互い愛し合ってる! だったら弁当の一つや二つ、作ってくれても良いだろ!?」 「なぜ一緒に暮らしているから愛し合っているからという理由だけで、俺が弁当を作らねばならないんだ?」 まるで意味が解らないという風に言われ、俺は咄嗟に返す言葉を失った。 え? なにこの完全に俺がおかしいみたいな空気? 「い、いや、だって……、普通、だいたい家にいて時間がある方が作ってくれるもんじゃねぇ……?」 「そんなものは理由にならないな。おまえがろくに家に帰れない仕事を選んだのはおまえだし、おまえに時間がないのは本来しなくていい仕事を好んでしているせいだし、むしろ生活のリズムを乱されて迷惑をこうむっているのは俺ばかりだ。なのに何故、その迷惑をこうむっている俺が、わざわざ大事な時間を犠牲にしておまえに弁当を作ってやらねばらないんだ? おかしいだろう? どう考えてもおかしいと思わないか?」 「あ……、いや、その……」 い、言われてみれば、確かに……おかしい……のか? え……でも蓮川だって、俺と同じくらい仕事して家に帰ってないし、奥さんパートして働いてるけど毎日弁当作ってくれるし、シャツにアイロンも……。って言いたいけど、この鬼気迫った表情を前に言えるわけがねぇ!!! 「わ、わかっ……」 思わず頷こうとしたその瞬間、俺はハッとして自分を取り戻した。 そうだ、いつもここで納得するから悪いんだ!! この鬼気迫る表情に怯むから悪いんだ!! 「う、うるせぇっ!!!!」 空腹と眠気マックスで思考が鈍っていた俺は、頭を振って目を覚まし、それからバン!!と机を叩いた。 「俺が作れって言ってんだから、四の五の言わず黙って作……」 今日こそはガツッと言ってやると決心したんだ。ここは何がなんでも強気でいくしかないと、、負けずに最後まで言おうとした途中で、俺は目の前に確かに「まるでこれから殺す家畜でも見るような瞳」を見た。 「そうか、そこまで言うなら作ってやろう。ただしその後は……解ってるな?」 おっそろしく低い声で言うと、忍は俺に背を向けた。 その後姿には、部屋中が冷気で満ちるほどのオーラが漂っている。 (捨てられる……!!!!!!!) 咄嗟に俺の中の誰かが大絶叫した。 「い、いや、すみません、ごめんなさい。ちゃんと自分で作ります!!!」 だから捨てないでお願い!!! 縋る想いでそう言うと、一呼吸おいて忍が振り返り、にっこりと優しい笑みを浮かべた。 「解ればいいんだ。疲れてるんだろう、さっさと風呂に入ってこい」 忍はいつもより若干高い声でそう言うと、俺の耳元に唇を寄せてきて、 「……ベッドで待ってるからな」 低く囁くような声で言った。 背筋がゾクゾクするようなその声に、俺の反抗心は綺麗さっぱり消え去ったのであった。 やっぱどう考えても、いいように操られてるよな俺。尻に敷かれてるよな俺。 でも昨夜はいい夢見せてもらったし、なんかもう弁当の一つや二つでぐだぐだ言う自分が情けなく思えてきたのも確かで。 それなのに。 「うわー、間宮さんのお子さん、可愛い~!!」 職場に着くと、先輩である間宮さんと蓮川、それに玲子やまだ年若い婦人警官が数人で一箇所に集まり、何やら談笑していた。 「あ、池田さん! 見てみて! 間宮さんのお子さん、凄い可愛いんですよ!!」 婦人警官の一人がそう言って、俺に間宮さんの家族写真を向けてきた。 そこには間宮さんと奥さん、それからまだ幼い二人の子供がピースしている暖かい光景が映っていて、俺は心が和むと同時に、どこか胸が締め付けられるような想いを覚えた。 「ほんと、可愛いっすね」 けれど俺は笑顔を浮かべて、間宮さんに写真を返す。間宮さんは幸せそうに笑った。 「あ、ねえねえ、蓮川さんもお子さんの写真持ってるんでしょ? 見せてくださいよ~!」 「え……あ、ああ、こんなもんで良ければ……」 尋ねられた蓮川が、懐から取り出した財布の中にいつも忍ばせている家族写真を、みんなの目の前に差し出す。 先ほどと同じように「可愛い!」とはしゃぐ婦人警官たちを横目に、俺は自分のデスクに腰を下ろした。 (家族、か……) やっぱ、良いもんだよな。 もし俺にも子供がいたら、あんな風にいつも写真、持ち歩くんだろうな。 そこまで思って、俺は咄嗟に思考を閉ざした。 それ以上は、考えてはいけないような気がした。 人間っていうのは、考えたくないと思えば思うほどに考えたくなってしまう、天邪鬼な生き物のようで。 あれ以来、街中にいると、気がつけば「家族」の姿を目で追ってしまう自分がいる。 もうとっくに振り切ったと思った想いは、まるで絆創膏で応急処置された傷口のように、些細な出来事をきっかけに薄いガーゼ一枚剥がれたら、あっという間に噴き出して、広がっていく。 これまでだって何度もそんなことを繰り返しているのに、俺にはまだ、傷口を完全に塞ぐ方法が見つかっていないんだ。 「ママぁ……!!!」 母親の後を必死で追っていく子供の姿。抱きついてくる子供を受け止める母親。片方の手には母親、もう片方の手には父親。 幼い頃からずっと、ずっと、憧れていた光景。 自分の「本当の」、家族。 (バカ……だよなぁ……) ほんとに、いつまでこんなこと、繰り返してんだろ。 俺が帰る家は、昔だってちゃんとあったし、今もちゃんとあるじゃねーか。 いつまでも感傷に浸ってないで、さっさと帰ろう。 そうすれば、俺の「家族」が待っててくれる。 俺はともすれば崩れそうな心を立て直し、自宅に向かって歩き出した。 (って、全っっ然、待ってねーし!!!!) 家のドアを開けると、どこもかしこも真っ暗闇。 ああそうさ解ってるとも。今日は土曜の夜。明日はあいつ仕事休み。どーせいつものように瞬のとこ行ってるに決まってんだ。 いや別にそんなのは全然かまわねーよ。あいつにだって友達は必要だろうし、相手が瞬ならなおさら何も言うことはない。むしろよろしく頼むってなもんで、ああでも腹立つ!!! 今日は奮発して吉○家で鰻丼食ってきた直後に、あいつらその数倍高いもん食ってんだろうと思うと、なんか無性に腹立つ!!! 暗いリビングに明かりをつけ、どかっとソファーに腰を下ろし、とにかく落ち着こうと、俺は深呼吸するように息を吐いた。 少し落ち着いたところで、そういえばと、何気にスマートフォンの画面に目を向ける。 スマホには返事だけで小一時間かかりそうなほどたくさん、メールやラインのメッセージが届いていた。 世話になってる職場の人や、世話してる若者達のメッセージ一つ一つに目を通してると、笑ったり苦笑したり呆れたり、様々な感情の波が押し寄せてくる。一通り返事を終えて画面を閉じる と、すっと感情の波が引いていく。 しばらくして、静かな部屋に一人きりでいることに気付く。 酷い孤独感。まるで、暗闇の中に閉じ込められたかのように。 妙に世話しない、落ち着かない気分。 (嫌だ……) 何が? (一人は……) どうして? だって俺は一人じゃない。 (怖い……) 何よりも大切な家族がいる。仲間だってたくさんいる。面倒見なきゃならない奴だって大勢……。 なのにどうして。 (一人は嫌だ……!!!) 「あーもうっ!!!」 そのまま一人でいたら何かに押しつぶされそうな想いにかられ、俺は思わず声を張り上げた。 このままじゃ駄目だ。 そう思って俺は立ち上がり、今帰ってきたばかりの家を出て夜の街に繰り出した。 確か疲れて眠くてどうしようもなかったはずなのに、気がつけば俺はいつも、人に囲まれてバカみたいに騒いでる。 宴会が終わった後は疲労感に苛まれて次の日まで影響するのに、それでも家に一人でいるよりはずっとマシだった。 一緒にいる相手は誰でも良かった。何かに追われるような感覚を紛らわせてくれる相手なら、誰でも。 くだらない会話をしてみんなを笑わせたり、時に人の悩みに寄り添い一緒に考えたり、叱咤激励したり。そうしている内は、自分のことに目を向けずに済む。つまりは現実逃避というやつだ。自分の闇に目を向けたくないだけだということは知っていても、それに気づいてしまったら、抑えていた何かを制御できなくなりそうで怖かった。 そんな時は決まって酒を飲みながらどんちゃん騒ぎして、何度も吐いてはまた別の連中と酒を飲む。時に前後不覚になることも少なくない。悪癖だと解っていても、暗闇に支配されるよりはずっとマシだった。 もう二度と、誰かを傷つけたりはしたくない。 例によってそんな日が続き、どうにか自力で家に帰ったと同時にぶっ倒れた、次の日の朝。 酷い頭痛と共に目を覚ました俺の目に、見慣れた顔が映る。 「よく眠れたか?」 「……おかげさまで」 玄関で倒れた記憶はうっすら残っているのだが、いつの間にベッドまで移動していたのか。こういう時、こいつがそれなりに力のある男で良かったなんて明後日なことを思いながら、ゆっくりと上半身を起こすと、忍が胃薬と水を差し出してくれた。 「仕事で何かあったのか?」 「いや……」 薬を胃に流し込むと、俺は再びベッドの上にうつ伏せに倒れて頭から枕をかぶった。 「……おまえが弁当作ってくれねーから」 忍の視線から隠れたまま、俺は拗ねた口調で言った。 本当はそんなことが原因じゃないけど、いつもいつも飲みすぎるなって言われてるのに、また同じことをしてしまったことを責められるのが怖くて、咄嗟に出た言い訳。 案の定、忍の口から呆れたようなため息が漏れる。 「まだそんなくだらないことを言ってるのか」 「何がくだらねーんだよ!?」 俺は枕を離し、ガバッと起き上がって反論した。 「蓮川の奥さんはちゃんと毎日弁当作ってくれるし、シャツにアイロンだってかけてくれるのに、おまえ俺のために何一つしてくれねーじゃねぇか!!」 何故だろう。忍の口から溜息が漏れた途端、突然、胸の内の何かが爆発した。 抑えようとしても止められない。 「せっかく帰ってきたって留守にしてる事も多いし、俺のことなんかどうでも良いんだろ!? だいたい世間で言うところの家族でも何でもないなら、俺たち一緒にいる意味あるのかよ!?」 それでも顔色一つ変えない忍を見たら、ますます怒りが込み上げてきて、俺は一通り思いをぶちまけた後も、怒りを抑えることは出来なかった。 「……それなら別れるか?」 しばしの沈黙の後、低く発せられた忍の声に、俺は絶望にも似た気分に囚われた。 「な……んだよ、それ」 尋ねても、忍はまっすぐに俺を見るだけで、質問には応えない。 酷い虚無感に襲われ、俺は小さく息を吐いた。 「おまえ……まじで俺のこと、好きでもなんでもねーんだな……」 疲れた。 ただどうしようもなく疲れて、俺は投げやりに声を放った。 相変わらず忍は黙ったままで。何を考えてるんだか解らないその冷静な面を見てたら、もう何もかもどうでも良くなって、俺は立ち上がると部屋を出て、思い切りドアを閉めた。バタンと派手な音が響いた。子供じみた八つ当たりだと解っていても、苛立ちが募ってどうしようもなかった。 せっかくの休日だっていうのに、まったく何やってんだか。 しばらく一人で町をぶらぶらして冷静になると、あまりにも子供じみていた自分が恥ずかしくなるものの、すぐ帰って謝るのもカッコ悪ぃし……。 んなことをグダグダ考えてる内に、気がつけば結構な時間が過ぎていて、ああやっぱ謝るしかないなと思って家に帰って来たものの、部屋の中はどこもかしこも真っ暗だった。 (またかよ……っ) どーせこんなこったろうと思ったけど、また家出しやがったあいつ……っ。 昔から俺が本気で感情を爆発させると、些細な事でも決まってこうだ。言いたいことがあるならその場で言ってくれりゃいいのに、黙り込むからろくに喧嘩も出来やしねぇ。で、結局何も解決しないまま、俺が折れて迎えに行って謝って終わり。いつものパターン。はいお約束!! いや確かに、毎度喧嘩売ってるのは俺の方だし、今日だって弁当作ってくれないアイロンかけてくれない家で待っててくれないって、おまえは反抗期の中学生か!?って殴りたくなるレベルの話だし、謝らなきゃいけないのは解ってるんだけど!! ただ……一言でもいい。怒るでも泣くでも殴るでもなんでもいいから、おまえの気持ちちゃんと訴えてくれなかったら、俺だって何も解らねぇよ……。おまえのこと全部理解してるつもりでも、俺だって不安になることくらいあるんだって、どうして解ってくれねぇんだよ……。 とにもかくにも、うだうだ悩んでても仕方ないと思い、俺は気を取り直してポケットからスマホを取り出した。 『あ、光流先輩? 忍先輩ならうちに来てるよ~。迎えに来る?』 瞬が電話に出るなり、聞くまでもないといった口調で言った。 うう……なんだろうこの凄まじい屈辱感。 「瞬……俺はな、何も本気で「弁当作って欲しい」って言ったわけじゃねーんだ」 どうせ事の次第は解っているだろうから、せめてそんなくだらない事が原因ではないということだけはどうしても解って欲しくて、俺は出来る限り真剣な声で訴えた。 『うん、なんかよく解んないけど、お弁当作ってあげれば済む話なんでしょ? だったら僕が作ってあげよーか?』 俺の真剣さなどなんのその、めちゃくちゃ軽い声で単純明快に解決策を出してきた瞬に、俺は本気で「自分くだらない」と思った。 つーか、あいつにもこれくらいの気楽さと柔軟さがあれば、こんなつまんねーことでこんな大喧嘩にはならないはずなんだが……。 「いや、おまえに作ってもらっても……」 『だよねー!』 また速攻で返事が戻ってくる。 どこまでも明るく気の抜ける声に、一気に肩の力が抜けた。 「とりあえず迎え行くわ。あいつに言っといてくれ」 『わかったー。待ってるね』 俺は電話を切ったあとがっくりと肩を落とし、後悔という雨嵐の中、深くため息をついた。 し、忍さん……。 思いっっっきり表情を硬くし、背後にブリザードが吹き荒れている忍を前に、俺は即座に頭を下げた。 「ごめん、悪かった! もう弁当作ってくれとか言わねーし、酒も飲みすぎない!!」 今にも土下座せんばかりの勢いで謝るが、忍は一向に表情を緩めない。それどころかますます頑なになっているような気がして、だったらどうすりゃ良いんだよ!?と心の内で絶叫する。 「よくまあ喧嘩の種が尽きないもんだねぇ。お弁当一つでそこまで深刻になるって、先輩達、ある意味すかちゃん以上だよ?」 場の空気をまるで読まず、瞬が呆れたように声をあげた。 そのあまりに的確な表現に、俺は返す言葉を失った。 蓮川以上って……。俺ら、どんだけ!? 「あとは帰って、二人で解決しなよ。僕、明日朝早いから、今日は付き合ってらんないよ?」 瞬が実に面倒くさそうに言った。 つ、冷てぇ……。忍とはまた違う意味でブリザードのごとく冷てぇ……。 普通、友人同士が揉めてたら、何とかしてやろうとか思わないのかこいつは!? 同じことを思ったのか、忍も睨みつけるような瞳を瞬に向けた。 「そんな顔しても駄目。ちゃんとお弁当、作ってあげなよ?」 しかしあくまで強気な口調の瞬に、忍は相変わらずキツい視線を向けるが、何も言わず黙って立ち上がった。そして椅子にかけていた上着を手に取り、さっさと玄関に向かって行く。 って、おまえもおまえで、世話になった友人に挨拶の一つも無しかよ!!! 「わ、悪かったな……」 「いや、いつものことだし」 代わりに謝ると、瞬は心から何も気にしていないように、あっけらかんと言い放った。 どうにも羞恥心ばかりが込み上げてくるように思うのは、きっと気のせいじゃないはずだ。 「それより光流先輩、少しはお酒、控えてね」 「え? あ……ああ、解ってる」 「ほんとに~?」 非常に疑わしい目つきを向けられ、俺はついつい怯んでしまった。実際、止められる自信はゼロに近い。 「心配してるんだよ。僕も、忍先輩も」 ふと、瞬が酷く優しい声で言った。 まっすぐな曇りのない瞳を向けられ、何故か一瞬、胸が苦しくなった。 「ああ……。じゃあ、またな」 俺は咄嗟に目を逸らしたまま、瞬に背を向けた。 あまりに直接的な言葉に、照れくささの方が勝ってしまったからかもしれない。 「素直」という言葉は、あいつや蓮川のためにあるような言葉だと、つくづく思う。 根っから捻くれた俺たちにはたぶん、無縁なものだ。 それがあるなら、最初からこんな風に気まずくなったりはしないんだろう。 頭の中では理解していても、意地とかプライドとか、見栄や自分らしさを無くすことは出来ない。それを無くしてしまったら、これまで必死で積み上げてきた全てのものを失ってしまうようで、怖いんだ。 「忍……」 帰り道でも、家に帰ってからも、一言も口を効かないままの忍に、俺はこれ以上どうやって伝えれば良いのか解らなくて、ただ情けなく名前を呼ぶことしかできなかった。 「あ、あのさ……、瞬に、言われたよ。酒、控えろって……。おまえにも迷惑かけて、悪かったな」 たぶん怒っているのは、それが理由なんだろうと、瞬に言われてようやく解った。 冷たい後姿に伝えると、忍はようやく振り返って俺を見てくれた。 刹那、胸がドクッと音をたてた。忍が今にも泣き出しそうな瞳で、俺を見つめるから。 どうして良いのか解らずにいると、忍が突然、手を振りあげた。殴られるのかと思わず目を閉じたその瞬間、体に重みがかかって、俺は背後のソファーの上に倒れこんだ。 何事かと目を開くと、すぐ目前に忍の顔があって。 「おまえなんか、勝手にどこででも野たれ死んでろ」 あまりの言い様に呆気にとられたと同時に、髪をがしっと掴まれる。 思いがけず唇に唇が重なってきて、咥内に舌が割り込んでくる。 そのあまりの激しさに、俺はただ頭の中が混乱して、混乱すると共に、胸の内で何かが音をたてて目を覚ました。 切れ長の瞳の奥に光る、火よりも熱い情熱的な色。 内に秘めた本来の姿を見せるその時が、何よりも俺の胸を熱くさせる。 「……っ……は……」 引き締まったしなやかな肉体。白い肌に汗が滲む。目を細めて快楽に喘ぎ、苦しげに嬌声を放つ。 もっと感じさせたくて、足を広げて何もかも目の前に曝け出させる。 胸の突起は限界まで尖り、そそり立った欲望の象徴が、蜜を溢れさせて俺の愛撫をねだっている。忍が羞恥心に染まった頬をして、俺から顔を背けた。 「どこ触って欲しい?」 耳元に囁くと、忍が屈辱を露に口元を引き締め、首を横に振った。 それでも焦らして太股から付け根にかけて指を這わせていると、忍が徐々に息を荒くしていく。 「早く……しろ……っ」 どうやら限界らしい。命令口調で忍が言った。その高慢な態度にゾクゾクする。 俺は忍の両の膝裏に手をかけ足を大きく開かせて、欲しがっているそこを口に含み、丹念に愛撫した。 そうして淫らな格好をさせればさせるほど、淫らな声をあげさせるほど、体中の血液が沸騰して、前後不覚になるほどの快楽を呼び覚ます。 それは酒よりも遥かに誘惑的で強烈で、俺を虜にして放さない。……まるでよく効く麻薬だ。 「ん……あ……ぁ……っ!」 絶頂の後の、忘我した瞳。 今なら何をしても許されそうな気がした。 酷く被虐的な想いにかられるけれど、イかせることで満足感を得た俺は、ほんの少し理性を取り戻し、出来る限り優しく丁寧に、潤滑油で濡れた指を忍の中に潜りこませる。 指を入れたままのそこがきゅっと引き締まり、心地よい感覚に包まれた。 「忍……俺の事、好き?」 解りきっているのに、聞かずにはいられなかった。酷く気持ち良さそうで無防備な忍の瞳が、まるで幼子のようにか弱く見えたから、愛しさばかりが募って。 「……ん……っ……」 忍が小さく首を振る。頷いたのか、それともただ感じただけなのか。 「好き……だろ?」 言って欲しい。 ただ一言でいいから、その瞳で訴えられたら、たとえ明日死んでも何一つ悔いはないのに。 「は……やく……っ」 少し苦しげに、ようやく忍が訴えてきた。……けど。 先ほどまでの気持ち良さそうな表情とは違って、何だか凄く怒ってるように見えるのは、もしや焦らしすぎちまった?? 「何を?」 俺を睨みつけてくる、全っ然可愛くないその様子を前に、つい意地悪心が込み上げてきて、俺は低い声で尋ねた。 すると忍はますます、俺をキツい瞳で睨みつけてくる。 こ、怖ぇ……。今にも噛み付いてきそうなほど本能剥き出しだぜ。 でも、噛み付くなら噛み付いてこいってなもんで。 「そんなに俺が欲しい?」 忍の瞳を見下ろしながら、思い切り優越感たっぷりに言うと、いきなり両手でガシッと髪の毛を掴まれた。 「欲しいのは……おまえの方だろう……?」 欲情に染まった荒々しい瞳をまっすぐ向けてきて、忍は言った。 挑発的な声。誘惑する身体。剥き出しの本能。火よりも情熱的な……瞳。 俺の胸も、熱くなる。 「あ……うっ……!!」 忍の肩を抑えつけ、迷わず中に入っていく。 間髪入れず、何度も奥を蹂躙する。 好きだよ、そういうおまえが一番。髪の毛一本残さず食い尽くしたくなるくらいに。 熱い肌と肌が触れ合い、縋りつき、懇願し、求め合うこの時だけが。 (満たされる) おまえが俺の全てだ。 ずっと、何かに追われているような気がしていた。 でも追われてるんじゃない。 泣いてるんだ。 心の片隅で、小さく震えて怯えて泣いている子供がいる。 俺はどうやってその子供を泣き止ませたら良いのか解らなくて、いつも焦って、戸惑って、混乱するあまり、自分もまた泣きそうになっている。 でも絶対に泣くもんかと、怒ったり、拗ねたり、誰かのせいにしては八つ当たりばかりを繰り返している。 頼むから、もう泣かないでくれ。その声は、俺にはあまりにも辛すぎるから。 (でも、怖いんだ……) 何が? (一人でいることが……) おまえは一人じゃない。だからもう、泣かないでくれ。 (置いて行かないで……) やめろ……! もう、思い出させないでくれ……!!! (捨てないで……!!!) その小さな子供から目を背けることは、俺が俺を捨てたことになるのだろうか。 まるで憑き物が落ちたようにすっきりした朝。 今日は良い仕事できそうだぜと思いながら家を出ようとした俺の目前に、忍が小さな手提げカバンを差し出してきた。 「なにこれ?」 バッグのチャックを開くと、そこにはれっきとした弁当箱の姿が。俺は目を丸くした。 「……一度きりだぞ」 忍が実に面白くなさそうに言い放つ。 俺は途端に事の次第を理解して、思わずぷっと吹き出してしまった。 「おまえ、まだ気にしてたのかよ?」 喧嘩の発端を物の見事に忘れていた俺は、ついつい言わなくて良いことを口にしてしまってから慌てて後悔するが、遅かった。 「勘違いするな、瞬に言われて仕方なくだ!」 完全に怒った忍に、即効で家から追い出された俺であった。 つーか、俺の時はあんなに意地になってたくせに、何で瞬に言われたら素直に聞くんだよあいつは……。 なんとなく腑に落ちない気分のまま車に乗り込むものの、助手席に置いた弁当を見たらやっぱり嬉しくなって、思わず顔をニヤけさせてしまう。 「先輩……何か良いことでもあったんですか?」 案の定、職場につくなり蓮川に怖いものを見るような目つきで尋ねられた。 「いや……やっぱ家族っていいもんだよな、蓮川」 「……」 ますます不気味そうな目で見つめられる。 「よく解らないですけど、元気になったなら良かったですよ」 蓮川はハァと一つため息をついて、自分のデスクに腰を下ろした。 俺はそんな蓮川を見て、ふと疑問を抱く。 元気になった……? もしや俺、こいつにも心配させるくらい落ち込んでた姿見せてたのか? いやでも、他の誰にも「大丈夫?」の一言もかけられなかったところを見ると、そこまで露骨に表に出してはいなかったはずないんだが……。 (ま、いっか) そう思った瞬間、また「家族」っていう言葉が浮かんだのだけれど、なんだか照れ臭い気持ちが勝ってそれ以上は考えず、俺はさっさと仕事に取り掛かった。 車の中で一人きり、心待ちにしていた昼食の時間。 ほんとは職場で食いたいとこだけど、よく考えたら愛妻弁当なんて持ってもって行った日にゃ周囲からのツッコミがうるさくて仕方ないに違いないので、やはり一人しみじみと幸福を噛み締めながら「愛妻弁当」を食うことにした。愛妻弁当……ああ、何て素晴らしい響き。俺の人生、悔い無し!!! 一体何が入ってるのだろう。俺の好きなハンバーグかな、唐揚げかな、玉子焼きは絶対入ってるよな。 ワクワクしながら膝に置いた弁当箱の蓋を開いたその時だった。 「ひ……っ!!」 思わず声をあげ、俺は即効で弁当箱の蓋を閉じた。 い、今の物体は一体……???? 信じられないものを見た俺は、もう一度、今度は恐る恐る弁当の蓋を開く。 するとそこには、一面真っ白なご飯の上に、海苔で作られた非常にリアルなGのつく虫の姿が。 す、すげぇ……!! ここまで来ると、もはやアートの域と言えるほどにリアルだ……。どうやって切ったんだろこの海苔……。 って、いやいやいやいや!!!! (あ、あいつ……っ!!!) 仕返しだ。これは絶対に仕返しだ。報復だ。復讐だ。お得意の呪いだ。 よく考えろ俺。あいつが瞬の言葉一つであっさり俺を許して美味しい弁当作ってくれるほど素敵な心の持ち主か? どこまでも執念深くてしつこくて、一度呪ったら例え地の果てまで追っても息の根止めなきゃ気が済まないような奴じゃなかったか? そうだ今頃絶対に、G弁当にビビッてる俺を想像して、してやったりとほくそえんでるに違いない。 (くっそぉぉぉぉぉぉ!!!) こうなったら食ってやる! 初の愛妻弁当、Gだろうが何だろうが食ってやる!!! 良い方に考えれば本物じゃないだけマシだ!! 海苔で手間かけて作ってくれただけ昔よりずっと優しくなったというものだ!!!!! 俺は目を閉じ涙をこらえながら、海苔とご飯の味しかしないG弁当をガツガツと喉の奥へ流し込んだのであった。 |
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