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  おかえり

 

 「あ、見て見て~、おっきい犬がいる!」
 日曜の昼過ぎ、駅前のファーストフード店で昼食を終え、蓮川と瞬と忍の三人が寮に帰る道のりを歩く途中。公園を通りかかった際に発せられた瞬の声に、蓮川と忍は同時に公園の中に顔を向けた。
 公園のベンチの前に座り込んでいる、明るい茶の毛色をした大型犬を見て、蓮川も笑顔を浮かべる。
「ホントだ、飼い犬かな? 俺、犬って結構好きなんだよな」
 言いながら、蓮川は公園の中に足を向ける。瞬と忍も後に続いた。
 人の近付く気配を感じ取ったのか、犬が三人に振り向いた。途端に大きな丸い瞳を輝かせて、走り寄ってくる。人懐こいその素振りに、蓮川が地面に片膝をついて手を差し伸べたその時。
 ゲシッ!!と思い切り蓮川の頭を踏みつけ通り越し、犬は物凄い勢いで忍に飛びかかろうとする。が、忍は何を思ったのか、咄嗟に犬の頭を右足で踏みつけた。
「忍先輩っ!!動物虐待はやめて下さいっ!!」
 起き上がった蓮川が、踏みつけられて地面に突っ伏している犬を見て、慌てて声を荒げる。
 しかし忍は踏みつける足を少しも緩めようとはしない。
「忍先輩~っ、可哀想だからやめてよ~!!」
 さすがに犬が気の毒になり、瞬も慌てて止めに入るが、忍は心なしか異常なまでにムキになっている様子だ。
 しかし踏みつけられた犬も、そのまま黙ってはいなかった。踏ん張った手足に渾身の力を込め、立ち上がろうとする。忍も負けまいと踏みつけた足に力を込めるが、突然物凄い底力で犬が立ち上がり、忍は片足を振り払われて地面の上に倒れこんだ。ほぼ同時に、犬が忍の上に覆い被さり、忍の頬や首筋に鼻を寄せて匂いを嗅ぎまくると、顔中を執拗に舐め始めた。
「く……っ……!」
 忍はめいっぱい迷惑そうに身をよじり、犬を押しのけようとするが、犬は両前足でがっちり忍の肩を抑えつけている。
「す、凄いなアイツ、あの忍先輩を押さえ込んでるぞ……!!」
「凄い馬鹿力だね……」
 助ける気は更々ないままに、蓮川と瞬が感心した様子で、忍と犬のじゃれ合いなのか闘っているのかよく分からない様子をまじまじと見つめる。
「この……馬鹿犬……っ!」
 いいかげんにしろとばかりに忍は犬を睨みつけるが、犬は一向にやめないどころか、忍の首筋に鼻を埋め込んだまま、あろうことか下半身を動かし始めた。
「あれって……交尾だよな……」
「交尾だね……」
 蓮川と瞬が目をすわらせる。
「でも何で忍先輩に発情してんだ?」
「変わった犬だね……」
 やはり助ける気はないままに、二人はただ忍と犬の様子を見つめる。
 刹那、いいかげんブチ切れた忍の拳が犬の顔面に直撃し、犬は地面の上に倒れこんで目を回した。
「忍先輩っ! 動物虐待はいけませんって!!!」
 蓮川が慌てて気絶した犬に駆け寄る。
 ようやく解放された忍は、はだけられたシャツを整えながら立ち上がった。
「おい、大丈夫か!? しっかりしろ~っ!!!」
 蓮川がゆさゆさと犬を揺さぶる。
「放っておけ蓮川、行くぞ」
 しかし忍は冷徹に犬を一瞥してそう言い放ち、踵を返してスタスタと歩き出す。
 突然、犬がムクリと起き上がり、またも快方していた蓮川の頭をゲシッ!!と踏みつけ、忍めがけて走り出した。気配を察した忍がすぐさま振り返る。
「お座り!!!」
 そして物凄い気迫でもって犬を睨みつけ、気合の入った声をあげた。
 途端にピタリと犬の動きが止まり、その場に座り込む。
「さすが忍先輩、負けてないよスカちゃん」
「あーいうの(←調教)得意だもんな」
 その場に従順に座りつつも、一瞬でも気を抜けばすぐさま飛び掛ってくるであろう気合たっぷりの犬と、一瞬たりとも気を抜かず目を逸らさない忍の睨み合いがしばし続く。
「どっちが勝つと思う~?」
「うーん……とりあえず早く終わらせてくれないと帰れないな、俺達」
「光流先輩、呼んで来ようか?」
「まだ帰ってないんじゃないか?」
「でもこのままじゃ決着つかないよー」
 既に睨み合うこと30分、いいかげん帰りたい蓮川と瞬だが、この凄まじい気迫の間に入れるほどの勇気もないようだ。
 二人が溜息混じりに睨み合いを見守っていると、不意に、犬が立ち上がって威嚇を始めた。ジリジリと忍のそばに歩み寄り間合いを詰めていくが、しかし決して飛び掛ろうとはしない。
「……伏せろ」
 忍が犬から決して視線を逸らさないままに低い声を発した。
 しかし犬は応じない。一歩一歩確実に間合いを詰めていくと、突然、前足で激しく地面を蹴りつけ、「バウッ!!!」と声をあげて忍に飛び掛った。
 またも忍は地面の上に抑え付けられ、犬が忍の胸元に鼻を寄せて鼻息を荒くする。
「……また交尾始めたぞ」
「変な犬……」
 思いっきり悔しそうに身を捩る忍の首に今にも噛みつかんばかりに舌を這わせ、下半身を動かし始める犬に、蓮川と瞬は思いきり眉をしかめる。
「……あ……っ……」
 耳を執拗に舐められて、忍の身体がビクッと震えた。
 ますます犬の鼻息が荒くなる。
「だから何で忍先輩に発情してんだ?」
「さあ……なんか変なフェロモン発してるんじゃないの?」
 がっちり犬に抑え付けられて、いつの間にやらシャツが大きくはだけている忍を見つめながら二人は頭を抱えるが、やはり助ける気は微塵もないようだ。
「い……いかげんに……しろっ!!!」
 怒り頂点の目をして、忍が渾身の力を込めて犬を投げ飛ばした。
「バウッ!!!」
 派手な音と共に、またしても犬が地面の上に倒れこんで目を回した。
 間髪いれず、忍は犬の頭を右足で踏みつける。
「忍先輩っ!! それはやりすぎです~っ!!!」
 そのまま頭を踏み潰すのではないかというほどの力の込めように、咄嗟に蓮川が止めに入った。
「この馬鹿犬……殺す……!!!」
 しかし忍の怒りも限界であったようだ。本気で殺しかねないほどの気迫に、蓮川が表情を青くする。
「忍先輩っ、ほんとに死んじゃうよ~!!」
 さすがに見かねた瞬も止めに入るが、忍はますます足に力を込める。
 瞬間、犬がパチッと大きな目を開いて、踏みつけられた足をあっさり振り払ってムクリと起き上がった。
「す、すげー回復力……」
「化け物レベルだね……」
 かなりのダメージを受けているはずなのに、少しの傷もない犬を前に、蓮川と瞬は驚愕の目を向ける。
 そんな二人をよそに、犬は性懲りもなくパタパタと尻尾を振りながら忍に近付いていく。
 しかし忍はもはや相手にしていられないとばかりに、犬にこれ以上ないほどの冷徹な目を向け、くるりと背を向けて歩き出した。
 犬の尻尾が動きをやめ、同時に「きゅーん」と小さな声をあげた。
 思わず振り返った忍の目に、酷く悲しげな潤んだ瞳で忍を見上げる犬の姿が目に入り、忍は何故か急にその場から動けなくなった。
「あの忍先輩が罪悪感を感じている……!!」
「ほんと凄いね、あの犬……」
 いったいこれからどうなるのだろうと固唾を呑んで二人が見守っていると、ふと犬が忍の足元に擦り寄った。
 そしてまた「くーん」と小さな声をあげると、忍の頬をペロリとそっと舐め、あっさりと身を翻してその場から駆け出していったのだった。
「やけにあっさり諦めたね」
「何だったんだ、あの犬……」
 ぽつりと呟いた蓮川と瞬に、不意に忍がくるっと顔を向けた。二人は何故か妙に萎縮してしまう。
「……帰るぞ」
 小さくそう言って、忍はその場から歩き出した。
 その声がなんだかいつもと少し違う気がして、蓮川と瞬は黙って忍の後に続いた。


 あの馬鹿犬。
 心の中で呟きながら自室のドアを開いた忍の目に、床の上に転がって熟睡している光流の姿が目に入った。
 今日は朝からどこぞへ出かけていて、帰ってくるのは夕飯前だと思っていたのに。
 忍はそっと、光流の顔の脇に膝をついて、その寝顔を見つめる。
 明るい茶色の髪。
 ああ、確か、同じ色だったな。
 そう思った瞬間、気がついたら、そっと触れていた。
 柔らかい感触。
 ふと光流の長い睫毛が小さく揺れて、突然、大きな瞳がパチッと開いた。
 忍は表情を変えないままに口を開く。
「……朝からどこに行ってた?」
「ヒミツ」
 光流はそう言うと悪戯めいた笑顔を浮かべて、それからそっと、忍のうなじに手を伸ばした。
 抱き寄せられて、耳元で唇が小さく囁く。
「……おかえり、忍」