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  魔王召還

 安らかに夢の中にいた光流が、突然の爆音と共にハッと目を覚まして、咄嗟に上半身を起こした。
「な、何だ今の音?!」
 慌ててベッド脇のカーテンを引き部屋を見下ろす。
 すると部屋いっぱいに大きな魔方陣を描いた紙が敷かれ、その傍らに忍が立っていた。
「おまえ……また妙な事しやがったな?!」
 光流は不機嫌さを露わにして言った。
 まだ日曜の朝方の六時過ぎである事も原因の一つだが、妙な魔術や呪術はやめろと何度も言っているのに、一向に聞き入れようとしない忍に怒りを隠せない様子だ。
 一体今度は何の術かと、ベッドのはしごをつたい床に足をつけると、忍がすっと両手を差し出してきた。
「今度こそサタンを召喚しようと思ったら、こんなものが出てきた」
 顔色一つ変えず、忍は淡々と言い放つ。
「こ、これは……!!」
 光流の目が大きく見開かれた。
 忍の手の平の上に乗っているのは、忍と全く同じ顔をした、手乗りサイズの人間。
「クール……?」
 間違いなく見覚えのあるその人間は、以前に文化祭で忍が演じた、魔王クロレッツ、本名はクール・ミント……そのものだったのである。
 
 
「いや、確かに魔王には違いないけどさあ……」
「でもあの話って、どこかの漫画家が書いた物語じゃないのか?」
「その物語から召喚されてきたんだろ?」
「いやそれ、無理ありすぎじゃね?」
 食堂のテーブルの上に立つクールを目前に、寮生達が物珍しげにワイワイと騒ぎ立てる。
「どーすんだよ忍、これ。早く戻してやった方がいいんじゃねーのか?」
「次に魔方陣が使えるのは、夕刻の六時六分六秒だ。そういうわけだから、光流」
 ポンと忍が光流の肩を叩く。
「あとは頼んだぞ」
「こ……こら待てぇぇぇーーー!!!」
 光流は咄嗟に引き止めるが、忍は構わず食堂を出て行ってしまった。
「さすが忍、自分の分身でも容赦なく冷たいな」
「まあ頑張れよ、光流」
 寮生達も光流に応援の声を送るだけ送ると、我知らずといった顔で食堂から去っていった。
 結局残ったのは、光流と蓮川と瞬の三人のみ。

「ちっちゃい忍先輩、可愛い~」
 瞬がちょこんとクールの頭を突っつく。
「んな暢気なこと言ってる場合かっ! どうすんですか光流先輩!!」
 蓮川が困った様子で光流に尋ねると、光流は深くため息をついた。
「夕方まで面倒見るしかねーだろ。っとにロクなことしねーな、あいつ」
 おまけに人に面倒ごとを押し付け、自分はさっさと逃げる始末。
「ところでさっきからちっとも喋りませんね。喋れないのかな?」
『……様子を伺っていただけだ』
 いきなり声を発したクールに、三人は同時に目を見開いた。
『お前達は、私のよく知る人物たちと瓜二つだが、どうやら別人のようだな』
 こんな状況下にあってもまるで冷静なクールは、忍と同じ姿をしているだけあって、やはり中身もよく似ているようである。
「うわ、声も忍先輩と一緒だ~。あれ、でも確かクールって、幻で大きくなれなかったっけ?」
『どうやらこの世界では、魔法は使えないようだ』
「そうなんだ~。でも何で、こっちの世界に来ちゃったの?」
『旅の途中で仲間からはぐれ、魔方陣を描いて仲間の元へ移動しようとしたら、ここに繋がったのだ』
「仲間って、ハーブとティノのチェルシー? もしかしてまだ、地の果てに行く最中?」
『ああ、その通りだ』
「おまえ……すげーな」
 光流が感心しながら瞬の顔を見つめた。
 この状況でよくそこまで物語を思い出し、なおかつ普通にクールと話せる瞬を思わず尊敬してしまう光流である。
「ま、夕方になったら魔方陣使えるって忍先輩も言ってたし、問題ないんじゃない?」
 サラリと瞬が言い放つ。
「そ、そうですよ光流先輩! 今日1日の辛抱じゃないですか!」
「蓮川……てめぇ、逃げる気だな?」
 光流に睨まれ、蓮川は咄嗟に目をそらして後ずさった。
「俺、今日、五十嵐と約束あるんで……じゃあ頑張って下さい!!」
 そう言ってきびすを返すと、蓮川は見事な駆け足で去っていってしまった。
「あ、コラ蓮川……っ」
「僕も買い物行く用事あるから、頑張ってね光流先輩」
「瞬っ!! 待ておまえら~っ!!!」
 瞬も容赦なく冷たい背中を向け、去っていく。
 結局、残されたのは光流とクールのみだった。
『ハーブ、喉が乾いた』
「え……俺、ハーブじゃねえって。光流だ、池田光流」
『ミツル? まあ何でもいい、早く水をくれ』
 まるで変わらない平静な表情のまま、クールは言った。
 口調まで忍とそっくり同じで、光流は思わず苦笑する。
 そしてコップに入れた水をクールの前に差し出すが、とてもクールが飲めるサイズではない。
「あー……ちょっと待てよ、スプーンでなら飲めるか?」
 食堂の食器置き場から、小さめのスプーンを拝借し、そのスプーンで水をすくってクールの口元に持っていってやると、クールは少し飲みにくそうにしながらも口の中に水を含んだ。
 なんとなく親鳥にでもなったような気分で、光流はクールをじっと見つめる。
「まあせっかくだし、こっちの世界でも見学していくか?」
 クールを手の平に乗せ、光流は笑顔を浮かべながら言った。
 クールの表情がほんの少し和らいだ。
 
 
 しかし小さい人間を連れ歩くというのは、なかなかに大変なもので。
 しかもクールは外見同様、中身も忍によく似ていて、好奇心旺盛なうえ身勝手な行動が多く、少し目を離した隙にどこかへいなくなってしまう。
「クールっ! どこだ~っ!?」
 忍と違って小さい分、探すのも並大抵の苦労ではない。
 普段のハーブの苦労が伺え、光流は物語の世界の自分に同情した。
 やっと公園でクールの姿を見つけたかと思ったら、毛を逆立てた猫のすぐ目前に立っていて、光流は慌ててクールの体を抱き上げた。
「お……まえっ、ちょこまか歩き回るなっ! 危なく猫に食われるとこだったじゃねーか!」
『あんな動物、ドラゴンに比べたらどうという事はない』
「ここでは魔法使えねーんだろ? だったら今のおまえは、猫どころかコレと同じ!」
 足元に歩いている蟻を指差して、光流は言った。
「うっかり踏まれないように、ちゃんと俺の肩に乗ってろ!」
 クールを乗せた手を肩に持って行くと、仕方ないようにクールは光流の肩によじ登ってちょこんと座った。
「なんか……変な感じ」
 まるで忍を肩に乗せているようで、そのあまりに妙な感覚に、光流は複雑な表情を浮かべた。
 
 
 昼食に買ったパンを小さく千切って与え、一緒に食べて満腹になったところで、光流が下段のベッドの上に寝転ぶと、クールは光流の肩の上に腰を下ろした。
「なあ……俺、あの話見て、ずっと疑問に思ってたんだけど」
 わずかな沈黙のあと、光流が口を開く。
「おまえ、ハーブに殺されただろ? なのに何で、あっさり仲間になったんだ?」
 自分が演じた役とはいえ、光流にはずっと納得のいかない疑問だった。
 昔の友人に裏切られ殺されて、それでもハーブを許して仲間となったクールの心情が、どれだけ考えてもよく分からなかった。
『私は……ずっと、待っていた』
 光流の疑問に、クールが長い睫を伏せて答える。
『恐ろしいモンスターになっていく私を、あいつが止めに来る日を……待っていた』
 光流は黙ってクールの言葉に耳を傾ける。
『魔王になど、なりたくなかったのだ……本当は。だから、あいつに止めてもらえて、私は嬉しかった』
「そっか……」
 小さく微笑んで、光流は心の中で想った。
 もしも自分がハーブの立場だったら、やはりそうしたのだろうか、と。
「地の果てにたどり着いたら、人間に戻れるんだろ? だったら早く、自分の体、取り戻さないとな!」
 励ますように光流が言うと、ハーブはどこか暗い表情をした。
「どうしたんだ? 早く体取り戻したいんだろ?やっぱ不便だよな、その体じゃ」
『……地の果てになど、たどり着かなくても良いと、思っている』
「……どうして?」
『このままずっと、ハーブの手の中にいられるなら……私はこのままで良い』
 一見変わらないクールの表情。けれどその瞳の奥に宿る、悲しいほどに一途なハーブへの想いを、光流は見逃さなかった。
「俺も……殺すかもしれない」
『え?』
「もしあいつが、俺から離れて遠くに行くくらいだったら、殺してでも自分のものにするかもしれない」
 まっすぐに、クールが光流の瞳を見据える。
「きっとハーブも、同じ気持ちだ」
 光流はクールを見つめ、きっぱりとそう言い切った。
 クールが静かに微笑む。
 光流も優しく微笑み返した。
 世界は違っても、きっと想う心は同じだと、言葉にしなくても分かりあえるような気がした。
 
 
 午後六時前。
 忍が部屋の扉を開き中に入ると、光流は下段のベッドの上で眠っていた。
 そしてその手の中で、クールもまた眠りに落ちている。
 安心しきったような、二人の寝顔を覗き込んで、忍は目を細めた。
 
 光流の手の中に、自分がいる。
 
 守るように。
 
 守られるように。
 
 それは何だか、酷く羨ましい事のような気さえして、胸が締め付けられる。
 
「光流!起きろ!」
 気がつくと、忍は光流の体を揺さぶっていた。
「あ……帰ってきたのか?」
 光流が寝ぼけ眼で目をこすりながら上半身を起こした。
 その手の中からクールがこぼれ落ちて、忍が咄嗟にクールの体を手の平で受け止めた。
「そろそろ魔方陣を開くぞ」
 忍は無造作に光流にクールを手渡し、魔方陣を描いた紙を床に広げる。
 そうして六時六分六秒ちょうどに呪文らしきものを唱えると、ボンッ!!と大きな音が響き渡った。
「あ……!!」
 咄嗟に光流が声をあげる。
「え……あれ!?  ここどこ!?」
 魔方陣の真ん中に、今度は普通サイズの人間の姿があった。そしてその人物は見事なまでに光流と瓜二つで。
『ハーブ!』
 クールが声をあげると、ハーブが咄嗟に振り返る。そしてすぐさま光流に近づき、クールに手を差し伸べた。
「クール!! すっげぇ探したんだぞ!? 心配させやがって!!!」
 クールが光流の手から、ハーブの手に乗り移った。
「もー、絶っっ対、俺から離れんなよ!?」
 おそらくは物凄く心配してたであろう様子。
「で、ここはどこだっ?  おわっ!! 何で俺がここに!?」
 ハーブがきょろきょろと周囲を見回し、光流の顔を見るなり大きく目を見開いた。
「ってこっちにはクール!? なんだ!? いったいどーいうことだっ!!」
 今度は忍を見て目を丸くするが、忍はあくまでハーブを冷静に見つめて言った。
「説明している時間はない。早くしないと戻れなくなるぞ」
「え……あ! 何か知らねーけど、行くぞクール!」
『落ち着けハーブ』
「落ち着いてる場合かっ!! えーと……よくわかんねぇけど、クールのこと面倒見てくれてありがとな!」
「あー……落とさないように気をつけて帰れよ」
 光流が苦笑しながらハーブにむかって言った。
「おう! クール、しっかり掴まってろよ!」
『ああ』
 クールがハーブの服にしっかり掴まったと同時に、ハーブは魔方陣の中に飛び込んでいった。
 こうして慌しく、魔王様は元の世界に戻っていったのである。
 
 
「で、結局、なんだったんだ……」
「知らん」
「知らんじゃねーっつの! もう妙な真似すんなっ!!」
 光流は怒りを露わにするが、忍はまるで聞いちゃいないように視線は遥か彼方だ。
「にしても、あいつら、大変だよなぁ」
「何がだ?」
「えー、だってさ」
 不意に光流が、忍の体をそっと抱き寄せた。
「幻じゃ、こういうことできねーだろ?」
 優しく耳元で囁かれて、忍は目を細めた。
 
 光流の手の中に、今、確かに自分はいる。
 
 このままずっと時が止まれば良いのに。
 
 そう想いながら、近づいてくる瞳を前に、そっと目を閉じた。