黒い太陽

 暗闇が怖くて泣いていた夜、ぽんぽんと優しく背中を叩かれて腕枕をしてもらって、やっと涙が止まってからそっと尋ねてみた。
「どうして夜があるの? ずっと明るかったら、何も怖くないのに」
「うーん……そうだなぁ……」
 少し考えてから、優しく微笑んで、弘兄が言った。
「太陽はいつも、みんなを照らしてるだろ? でもずっとずっと照らし続けてたら、太陽も疲れちゃうんだよ。だから、もう休んでいいよって、お月様が代わりに出てきて、みんなを眠らせてあげるんじゃないかな」
「そっかあ……そうだね、太陽もたまにはお休みしないと、大変だもんね」
 なんだか凄く安心して、そうしたら、急に暗闇が怖くなくなって。
 今、太陽はゆっくり静かに眠っていて、お月様が俺を眠らせてくれている。
「ありがとう」って心の中で呟いて、静かに目を閉じて、いつの間にか眠りに落ちていた。
 
 
 何気なく目を通した本に「日食」のことが詳しく書かれてあって。
 そのせいだろうか、急にそんな昔のことを思い出したのは。
 太陽が月に覆われる日。
 その時、世界は真っ暗になるのだろうか。
 なんて、ちょっとセンチになっていたら、いきなり後頭部に激痛が走って、俺は咄嗟に振り返って目の前の人物を睨みつけた。
「光流先輩っ、何でいきなり叩くんですかっ!!」
「さっきから呼んでんのに無視するからだろーが」
 光流先輩が不機嫌そうに言い放つ。
 確かに、物思いに耽るあまり全然ちっとも気づかなかった俺が悪い。
 悪いけど、だからってすぐ暴力に訴えるのはどうかと思う。まだズキズキ痛む後頭部を押さえながら、俺は椅子から立ち上がった。
「何の用ですか?」
「高木んとこでバトルがあってな、部屋めちゃくちゃになってっから、片付け手伝え」
「またあの二人、喧嘩ですか!? 何度目ですかこれでっ!!」
 このところ、165号にいる1年生の高木と笹本が、何かというと喧嘩しては部屋が破壊されかねないほどのバトルを繰り広げ、そのたびにとりあえず2人を腕力で黙らせることのできる光流先輩が借り出され、その後始末に俺も付き合わされる毎日。
「やっぱり部屋替えした方がいいんでしょーか、あの2人」
 1年生のうちは喧嘩なんて当たり前といっても、こうしょっちゅう寮内で暴れられたのではたまったものじゃない。
「必要ねーだろ。仲悪いってわけじゃねーからな」
「だったら何でそんなに喧嘩ばっかすんですかっ」
「仲が良いほどって言うだろ?」
「俺は瞬とそんな殴り合いになるほどの喧嘩しませんよ。光流先輩だってそうでしょう?」
「まあ、殴り合いの喧嘩にはなんねーけどな……」
 何だか含みのある言い方をして、165号室の扉を開いた光流先輩は、傷だらけの顔を互いに背けたまま座っている高木と笹本に声をかける。
「おら、助っ人呼んできたから部屋片付けっぞ! いつまでもふてくされてんじゃねえ!」
 光流先輩の叱責に、2人は渋々と立ち上がり、部屋中に散らばった本や小物に手を伸ばす。
 しかしまた凄まじいな……。そのうちこの部屋、マジで崩壊されるんじゃないか?
「いったい今度は何が原因だ?」
 割られたカップの破片を拾いながら、俺は2人に尋ねた。
 2人は相変わらずムスッとしたまま、先に高木が口を開く。
「こいつが、俺のプリン勝手に食うから悪いんですよ」
 思いっきり肩の力が抜ける高木の言葉に、笹本が咄嗟に言い返す。
「てめーだってこの前、俺のバナナ食っただろ!?」
「名前書いとかねーから悪ぃんだろーが!! 俺のプリン、ちゃんと名前書いてあっただろ?!」
「字が小せぇんだよ! 見えねーんだよっ!!」
「あ?! てめーの目は節穴か!? ここにでっかく書いてあんだろーがっ、「あきらのプリン」って!!!」
「見えねー!! ぜんっぜん見えねー!!」
「いいかげんにしろっ、おまえら!!!」
 あまりにくだらなすぎる言い合いに、俺は即効で声を荒げた。
 たかがプリン一つでこいつら……小学生か!?
「そんな喧嘩ばっかしてんだったら、部屋替えするか?」
 気を取り直して尋ねると、二人は互いに気まずいように顔を合わせる。
 すぐに「そうします」って言うかと思った俺には、ちょっと意外な反応だった。
 結局、部屋替えの話はなくなって、どうにか部屋を生活できる程度に片付けて、俺と光流先輩は165号室を後にした。
 
 
 疲れた。はっきり言って疲れた。
 っとに寮長なんて、ロクなもんじゃない。雑用係以外の何者でもない。何が悲しくてこんな役割をしなきゃならないのか……って、それもこれも目の前にいる光流先輩のせいだ!!!
「よくこんなこと、1年も続けてられましたね」
「1年どころか卒業まで続きそうだけどな、この調子じゃ」
「……スミマセン、頼りない寮長で」
 呆れた声に、俺はかなり恐縮しながら応えた。
 俺が寮長になってもう半年近く経つというのに、未だに真っ先に頼られるのはやっぱり光流先輩。で、俺はそのたび光流先輩に付き合わされる感じで、結局のところ今までと何も変わりなく、実質上の寮長は光流先輩であるも同然のこの状態に、いいかげん自分でも成長しなければと思ってはいるのだけど。
 でも……叶うわけないじゃないか、俺がこの人に。
「難しいですね、他人同士が一緒に住むって。そーいや俺も、1年の時はよく言い合ってたけど、最近じゃ要領を得たというか……さすがに滅多なことじゃ喧嘩しなくなったなあ」
「おまえはちょっとは瞬に感謝しろ」
 またも呆れたようにそう言って、光流先輩はバシッと俺の頭を殴った。
「ど、どーいう意味ですかっ!!」
 何で俺があいつに感謝なんかしなきゃなんないんだっ!?
 けれど光流先輩は応えてはくれず、さっさと廊下を歩き出す。
「じゃあ光流先輩は、忍先輩に感謝してるんですか!?」
 俺は後を追いかけながら尋ねた。
 一瞬の間を置いて、光流先輩が口を開きかけたその時。
「終わったか? 光流」
 211号室の扉が開いて、中から姿を表した忍先輩が、いつもの落ち着いた微笑を俺達に向けてきた。
「ああ、一件落着」
 光流先輩は素っ気無くそう言って、開かれた扉の中に入っていく。
「忍先輩、いたんですね。留守かと思ってました」
 っていうか、いるなら忍先輩も手伝ってくれれば……って、無駄か、この人にそんなこと頼んでも。
「いたら悪いか?」
 そんな俺の心中を見抜いたように、忍先輩が尋ねてくる。
 思わずドキッとして、俺は慌てて首を横に振った。
「いえ、なにも!! 悪くありません!!」
 にっこり微笑みながらもどこか負のオーラを放つ忍先輩に、俺はひたすら恐怖するのみだ。
 何でだろう、もう2年以上も付き合ってるのに、何で俺はいまだにこんなにこの人が怖いんだ!?
「蓮川」
「はいっ!!!」
 この笑顔が……笑顔が怖いんだってば!!! 頼むから普通にしてて下さい!!! 
 普通の忍先輩……って……あれ?
「どうした?」
「あ……いえ」
 ふと俺は、気づいた。
 普通の忍先輩……?
 それって、どんな顔……だっけ?
「少し寄ってくか? 蓮川」
 不意に、忍先輩が同じ笑顔なのに、さっきよりずっと柔らかくなった表情をして、俺は何故だか急に安心して、うながされるままに211号室に足を踏み入れた。
 光流先輩もさすがに疲れたのか、ダルそうに下段のベッドの上に寝転んで、俺はいつもの場所に腰を下ろす。
「それにしてもプリン一個であそこまでバトルって、どう思います? 忍先輩」
「おまえだって怒るだろう、楽しみにしてたものを勝手にとられたら」
「そりゃそうですけど、でも、別にプリン一個で殴るほど怒ったりしませんよ」
「それはおまえが奪われたことがないからだ」
「……どういう意味ですか」
 尋ねても、忍先輩は静かに口の端に笑みを浮かべるだけで、応えてはくれなかった。
 こういうとこ、光流先輩と一緒だ。いつもいつも、肝心なことは何も言ってくれない。
 そのたび俺は置いていかれたような気になって、胸のうちが酷くモヤモヤする。
「忍~、ソレとってくんねぇ?」
 ふと光流先輩が体を起こして、忍先輩に声をかける。
 忍先輩はすぐさまテーブルの下に置いてあった缶ジュースを光流先輩に向けて放ち、パシッと音をたてて光流先輩がそれを受け取り、缶のプルタブを引き抜いた。
 突然、バタン!!と派手な音をたてて扉が開く。
「あ、スカちゃんいた~!! も~、探してたんだよ!?」
「なんだよ、瞬」
「何だよじゃないでしょ!? 2時から出かけるって約束してたの、忘れてるでしょ!!」
「あ、悪い!!」
 そーいや、一緒に映画見に行く約束してたっけ。見事に忘れてた。つか、とっくに3時過ぎてるし。
「ごめん!! ほんっとごめん!!」
「もうっ、五十嵐さんとの約束なら、絶対忘れないクセに」
「いや、それはだって……当たり前だろっ?」
「はいはい、どーせ僕はどうでもいい存在だよ」
「んな怒るなって、瞬~~!!」
 どうでも良いってワケじゃないけど、やっぱりホラ、彼女と友人は全く別物っていうか……だからつまり、その。
 その……。

(ああ、そっか……)

「……ごめん、瞬」

 さっき忍先輩が言ったこと、なんとなくだけど、分かった気がした。
 俺、ずっと瞬に、甘えてたんだ。
 今も、甘えてるんだ。
 いつだって、瞬は必ず許してくれるって、知ってるから。
 勝手に俺のもの奪ったりしないし、たとえ自分が奪われても本気で怒ったりしないって、知ってるから。
「ごめん……」
 途端に酷く自己嫌悪に陥って、顔をうつむけて謝罪の言葉を口にすると、瞬は小さく息をついて口を開いた。
「いいよ、そのかわりアイス奢ってよね」
「え!? 俺、今月金欠なんだけどっ!!」
「問答無用。ほら、早く行くよ!」
 そう言うと、瞬はさっさと先に部屋を出て行ってしまった。
「じゃあ、行ってきます」
 俺は先輩達に顔を向けて、そう言い放つ。先輩達はいつものように、特に何も言わず、表情だけで「またな」と言った。
 そして、部屋を出て、ドアを閉めようとしたその瞬間。
「忍」
 光流先輩が、いつもよりトーンの低い声で、小さく忍先輩を呼んだ。
 刹那、俺は、自分の鼓動がトクンと高まるのを感じた。
(今の……光流先輩?)
 そこにいたのは、俺が今まで目にしたこともないような、静かな微笑を浮かべ、酷く大人びた表情をした光流先輩。
 どうしてか、決して触れてはいけないような気がして、俺は静かに扉を閉じた。
 
 
「なあ、瞬」
「ん?」
「先輩達って、時々、怖くない?」
「……どこが?」
「よく……分からないけど」
「僕は怖くないよ。全然、ちっとも」
「そ……っか、そうだよな。なんか俺、最近、考えすぎかな」
「色ボケしてんじゃないの~? 五十嵐さんと、もうキスくらいした?」
「な……っ! してねーよっ!!」
「あ、したんだ~!! ねえねえ、どうだった? どうやってしたの?!」
「してないって!!……あ」
「どしたの?」
「いや、昼間なのに月が……」
 
 明るい空に静かに浮かぶ月を眺め、俺はまた幼い頃の記憶と共に、昼間考えていたことを思い出した。
 
 太陽が月に覆われる日。
 
 黒い太陽が、世界を照らす。
 
 その時、世界は真っ暗になるのだろうか。