ふわふわさらさら
午前6時30分。
光流がむくっと上半身を起こし、前髪をかきあげながら大きなあくびをする。
実に気だるげにはしごを伝い降りると、とうに起きて制服に着替えている忍が、右手で頭を押さえながら真剣な表情で鏡と睨めっこしている。
(……??)
光流は怪訝そうに眉を寄せ、忍の元に歩み寄った。
忍は鏡を見つめながら、頭から手を離す。すると、髪の毛の一部がぴょこんと跳ね上がった。
なるほどと、光流はしばし忍の様子を観察する。
忍のまっすぐなストレートへアは、一度寝癖がつくとなかなか元に戻らない。そして忍の性格上、寝癖がついたままの登校など言語道断。どうにかして治そうと四苦八苦しているその様子は、光流にとってあまりに面白すぎた。思わずぷっと吹き出すと、忍が鏡越しにジロリと光流を睨みつける。
「いいじゃねーか、ちょっとくらい寝癖ついてたって。うちの学校、男しかいねぇんだし」
言いながら、光流は忍の寝癖のついた髪にそっと触れる。
先ほど忍がやっていたように、一度押さえて手を離すと、ぴょこんと髪が跳ね上がって、光流はまた可笑しそうに笑いながら、何度も同じことを繰り返す。
「触るな」
忍は実に不機嫌そうに言い放った。
「だって面白ぇんだもん」
けらけら笑いながら言う光流の手を跳ね除け、忍は立ち上がった。
「どこ行くんだよ?」
「洗ってくる」
寝癖を押さえながら、忍はそう言って部屋を後にした。
ぼさぼさ頭の光流はと言えば、柔らかい癖っ毛なので、ちょっと手櫛を加えればあっという間にいつものヘアスタイルになる。忍の苦労などわかるはずもなかった。わかったところで、光流ならば寝癖がついたままで平気で登校するであろう。
面白くない、と忍は思う。
けれど寝癖のついた自分なんて、絶対に許せない。そんなみっともない姿を人前に晒すくらいなら、仮病を装ってでも学校を休んだ方がマシだ。
髪を濡らしどうにか寝癖を元に戻して部屋に戻ると、光流は制服に着替えていて、髪の毛もいつも通りで。
起きた時は、あんなに酷い状態だったのに。
納得いかないまま制服のタイを締めなおすと、光流がそっと髪に触れてきた。そのまま頭を抱きこまれて、光流が忍のさらさらの髪にじゃれつくように顔を埋める。
「おまえの髪って気持ちいー」
「……行くぞ、朝飯食いっぱぐれる」
忍は素っ気無く言って、光流の体を引き離した。
午後9時30分。
机に向かい、参考書と睨み合いを続ける光流の背後で、茶を入れたマグカップを持った忍がピタリと足を止めた。
突然、つむじの辺りを突っつかれて、光流がビクッと肩を震わせ目を丸くする。
「なんだよっ、いきなり!?」
頭を押さえながら振り返ると、忍は無表情のままで。
「いや、なんとなく」
低くそう言うと自分の椅子に腰を下ろし、机の引き出しからオッズ表を取り出す。
なんなんだと目をすわらせつつ、光流は参考書に視線を戻す。すぐにその表情が苦悶に歪められた。
駄目だ。どう考えても解らない。チラリと忍に目を向ける。けれど、聞いたところで教えてくれるはずがない。
やや考えた挙句、光流はパタリと参考書を閉じた。考えても解らないものは解らない。そういうわけで。
「忍くーんっ」
がばっと背後から忍に抱きつく。
忍は平然としたものだ。
すりすりと忍の肩に頬を摺り寄せる光流の髪が、忍の頬にかかる。ふわふわしたその感触は、少しばかりくすぐったい。
「邪魔だ、どけ」
「嫌だ」
「どけ」
「いーやーだっ」
意地でも離れないというように、光流はぎゅっと忍の体を抱きしめる。
結局そのまま床の上になだれ込んで。
忍のさらさらの髪に、光流が唇を寄せる。
光流のふわふわの髪に、忍が指を絡ませる。
なんだかやけに気持ちがいいなと思ったその時、突然、部屋の扉が派手な音をたてて開いた。
「せんぱーいっ、テレビ見せてっ!」
「……何やってんですか?」
蓮川が眉をしかめながら尋ねた。
「……プロレスごっこ?」
忍の上に覆いかぶさったまま、光流が心の中で舌打ちしながら言った。
「いい年して何やってんですか」
直後、光流に派手に四の地固めをかけられた蓮川だった。
午前1時30分。
ベッドは狭すぎるから、本当は一人で寝たいのだけれど。
頬にかかる柔らかい髪の感触があまりに気持ちいいから離れがたくて。なかなか眠れずにいた忍は、なんとなく、隣で眠る光流の髪にそっと指を絡ませる。
きっとこの髪は、明日も寝癖なんて物ともしないんだろう。
そう思ったら、やっぱり少し、羨ましくなった。
髪の毛といえばと、ふと、忍は思い出す。
『ううん、これはただ切るのがもったいないだけ。似合うし、こんなにきれいなんだもの』
思い出して、やっぱり、羨ましいと思った。
いつか、あんな風に、自分の事を好きになれたらいい。
どんなに笑われても、おかしいって言われても、変だってからかわれても、自信を持って、ありのままの自分でいられたらいい。
もしそんな日が来たら、自分の髪が一番好きだって思える日が来たら、このふわふわの髪が、今ほど好きじゃなくなるのだろうか。
出来るなら。
どちらも同じくらい、好きになれたらいい。
(なれる気がする)
なかなか寝癖の治らない、大嫌いな自分の髪を、優しく撫でてくれるこの手があるから。
いつかきっと、自分ごと、全てを好きになれる日がくる。
でも今はまだ、ほんの少し、憎らしいから。
「……いてっ!」
ぎゅっと光流の髪を引っ張って、忍はすぐに瞳を閉じた。
光流が頭の上に「?」を浮かべ、眉をしかめながら自分の頭を押さえる。
(ばーか)
心の中で笑って呟いて、忍は心地良い眠りに身を投じた。
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