とんとんまーえ!


「光流。……ちょっと、大事な話があるんだ」


一日の終わり、明日は珍しく二人とも揃って休みで、光流としては今夜たっぷり忍と愛し合えるとのんきに浮かれて歯を磨いていたところだった。
振り返ると、リビングの床にきちんと正座した忍が、じっと光流を見つめている。
その顔に、今まで見たことも無い表情が浮かんでいて、光流は思わずどきりとしてしまう。



不安と、喜びと、恥ずかしさと。
色んな感情が入り混じるのを、必死に堪えているような忍は、もう壮絶に色っぽくて。

光流は慌てて歯磨きを済ませると、忍の元へと飛んで行き、隣に座り込んだ。
すぐ間近で見つめると、しのぶの潤んだ瞳が光流を一心に見つめていて、もう下半身にどとんと来てしまう。
何とか欲情を抑え、光流はそっと忍のきめ細かい頬を両手で包んだ。

「……忍? どうしたの?」
「光流……。信じてもらえるといいんだが……」
不安に揺れている瞳が堪らなくて、まだ何も事情も解らないのに光流は笑ってぎゅっと忍を抱きしめた。
ぽんぽんと、華奢な背中をあやすように軽く叩いてやる。


「今更何だよ。もう俺の心なんて全部お前のモンだぜ? 俺は何があったってお前の味方だし、お前のことなら全部信じてる。今までおれたち、喧嘩も別れもいっぱいしたけど、その度に二人でちゃんと乗り越えてきたじゃん?」
「光流……」

今にも泣いてしまいそうに、綺麗な涙を瞳いっぱいに浮かべた忍が、ぎゅっと光流の首筋に腕を回すと、縋るようにキスをねだってきた。
少し情緒不安定なその様子が気掛かりで、優しく何度も唇を重ねながらも、光流まで何だか不安に駆られてくる。
「忍……俺に教えて?」
「ん」
小さな子のようにこっくりと頷くと、忍は緊張を織り交ぜながら光流の胸の中に顔を隠すように埋めると、殆ど消え入りそうな声で呟いた。

「……俺、こ、子どもが出来たんだ……。医者の話だと、やっと安定期に入ったって。……信じてくれるか、光流?」


瞬間、何も言葉が出なかった。頭が真っ白過ぎて、光流はただただ忍を凝視する。
そんな絶句している光流をひどく不安げに見つめていた忍が、やがて目を伏せ俯いてしまう。
その淋しげな仕種に、ようやく光流は何とか我を取り戻した。


「──子ども?」
忍がこっくりする。
「忍……子どもが出来たのか? 本当に?」
こくんこくんと、忍が頷く。
そんな、物慣れない忍の仕種に思わずときめきながらも、光流はつんのめるようにして言葉を続けた。
「あ、安定期……ってことは……」
「──俺の場合、悪阻の程度やエコーの画像からすると、四ヶ月は過ぎたらしい」
思わず光流は強く忍を抱きしめ、叫んだ。
「つ、悪阻とかって一体いつの間に……ってか、な、なんでそんな大事なこと、俺に言わなかったんだよ!? ──ってゆーか、子ども! 俺と、忍の……っ!!」


嬉しい! めちゃめちゃ嬉しすぎる!!


絶叫し、満面の笑顔を弾けさせた光流が、驚く忍をぎゅっと抱き締めた。
慌てたように、真っ赤に顔を染めた忍が、うかれまくっている光流を何とか制止する。
「光流……。お前、他に何か俺に言いたいことないのか?」
「言いたいこと? そりゃいっぱいあるよ! 赤ちゃん元気なのかとか、いつ妊娠したって解ったんだよとか、……そうだ! いつ生まれる予定なんだよ!?」
「……いや、そうじゃなくて……」
興奮しまくる光流にがしっと両肩を捕まれ、更に超早口で捲し立てられて。
忍は暫くの間、ぽかんとしていた。それから、肩を震わせてくすりと笑う。
そんな忍を、いぶかしげに光流は覗き込んだ。
「……忍?」
「お前ってほんと、呑気というか、楽天的っていうか。……ずれてるというか」
「ずれてるとかは、お前にだけは言われたくねーぞ、俺」

聡い癖に、自分にはまるで無関心で天然。
お互いに就職し、実質的にも光流のパートナーとなったという実感がそうさせるのか、最近妙に人妻の色っぽさを醸し出す忍に、自分がどれだけ日頃から、余計な色目を使う野郎がいないかと心配ばかりさせられている事か。
そんな事を並べ立てる光流を呆れたように見つめていた忍は、ひとつため息をついてからまた、くすくすと笑い出す。
しかしやがて、綺麗な涙が忍の滑らかな頬を一粒、ぽつんと零れ落ちた。


「し、忍? どうしたんだよ?」
「光流……」
焦る光流に小さく首を横に振りながらも、声を出さずに静かに涙を流す忍の、そのあまりに儚げな姿が堪らなくて。
光流は、忍を抱きしめる腕に力を込めた。
なるべく優しくと意識しながら、そっと胸の中に問い掛ける。
「忍?」
涙に濡れた瞳で、そっと忍が笑って囁く。
「……ばーか。普通はまず、男が妊娠する訳ないだろって、まず突っ込み返すところなんじゃないのか?」
「あ……そ、そっか……。何か俺、忍が俺の子ども生んでくれると思ったら、もう頭いっぱいになっちゃってさ」
照れ笑いをする光流に少し赤くなると、忍は長い睫を伏せて続けた。
「……俺、てっきりお前に、どこの女を妊娠させたんだって大騒ぎされるんじゃないかと思ってた」


再び、光流は頭が真っ白になった。慌てて忍の顔を覗き込む。
「お、俺と忍のこどもだよな? 俺、そういうふうに受け取ったけど、……まさか違わねぇよな?」
狼狽える光流に、忍はほのかに笑って頷いた。
「違わない。安心しろ、お前と俺の子だ。──出産予定は、春頃。三月の終わりくらいだな」
「三月……」
蕩けそうな笑顔の光流を眩しそうに見つめてから、やっと安心したように忍は力を抜いた。
悪戯っぽく笑うと、光流の唇にそっとキスして囁きかける。
「……お前と誕生日が近くなりそうだから、誕生日ケーキは毎年三人纏めて一つですみそうだ。まだ薄給のお前には、経済的で良かっただろ?」
「えーっ! ケーキくらいさあ、纏めてとか止めようよぉ忍ー……──って、なんで三人?
小首を傾げた光流に、少し恥ずかしそうに、でも誇らしげに忍は笑った。


「双子だって。……パパにはこれから、うんと稼いでもらわなけりゃな?」


*
*


その夜、珍しく忍から誘われてベッドで抱きしめあった。
打ち明けたことで気持ちが楽になったのか、いつになく積極的に光流の唇を性急に求める忍にときめきながらも、何となく光流は落ち着かなかった。
光流のそんな戸惑いに少し苛立つように、しっとりと汗を浮かべながらも忍が軽く光流を睨む。
「……光流……なに、考えてる……?」
「あー……あのさ、忍……?」
「ん……? ぁ……、もっと、ちゃんと……キス、しろよっ……」
シーツの中で身を捩じらす忍を組み敷きながらも、光流は恐る恐る囁いた。
「なぁ、忍……。その、──おまえとその、……えっちしても、今大丈夫なのかな?」
「……」
情けなさそうに眉をさげる光流を前に、少しまだ息を弾ませたまま、忍は沈黙した。
光流としては、妊娠中のセックスが果たして身体に負担をかけないのかよく解らず、暫くは布団を別にした方がいいんだろうかとお伺いを立てたつもりだったのだが(そんなの絶対絶対我慢できねぇけど!)、忍はひどく寂しそうな顔をして、顔を逸らす。
「……子どもができると、妻に性欲が沸かなくなる父親がいるらしいが、お前もその口なのか?」
「馬鹿、違うって!!」
反射的にかっとなった光流は、顔を背けてしまった忍の頬を強引に掴み、その瞳の中を覗き込んだ。
「もともと今夜は、お前をぐっちゃぐちゃになるまで愛してやる予定だったんだよ! ……たださ、妊娠のこととか、俺……正直よく解んねぇから。お前の中に、大事な俺たちの赤ちゃんがいるのに、その……突っ込んだり揉んだりしていいのかなって」
「……」
相変わらずデリカシーさにまるで欠ける光流の物言いに、忍は心底嫌そうに溜息をついた。
「馬鹿とは何だ。──まぁ、それについては大丈夫だと先生に言われてる。清潔にして、あまり──その、……は、激しくするなとは注意された。先生が言うには、妊娠中にセックスするカップルの方が、妊婦の体調にもメンタルにもいい影響を……」
「忍! お前、可愛いことばっか言い過ぎっ……! 激しくしたくなっちゃうから、もう黙ろうな?」
「ん……」
照れたように頬を赤く染める忍を、目を細めて光流は見つめた。そして、柔らかく包み込むようにそっと忍を抱き締める。
暫く二人、黙ってお互いの鼓動を聞いてから、光流がぼんやりと呟いた。

「……人間てすげぇのな。こんなにも好きで好きで、本当に好きで堪らないと、……男同士だってちゃんと赤ちゃんが出来るなんて、さ。俺、正直言って、考えてもみなかった」
「俺だって、驚いた。……でも……」
「うん?」
光流の腕の中、目を閉じていた忍が顔を上げ、ほのかに微笑む。
光流は思わず見惚れたまま、忍の言葉を待った。
擽ったそうに笑う忍が、ただもう、堪らなくていとおしくて。

「俺の神様は光流だって、ずっと思ってたけど。本当の神様も、やっぱりちゃんといるんだなって。……お前と一緒に、幸せになろうって──頑張って良かった」
「忍……」
涙が零れ落ちる忍が、あまりにも尊くて。光流は堪らなくなり、その震える身体を強く掻き抱いた。


──そして、あれから5年……


*
*



「うー……つめたいよう……」
ゆきが、もうずぅっと、ふってる。とっても、とってもさむい。


それなのに、みつるはゆきのなか、りょうあしぱたぱたと、あばれてて。
みつるがわぁんとなきそうになると、しのぶもうんと、なきたくなる。


「みつる……。だからままが、ぶーつはいてきなさいって、いったのに……」
「だってだっておれ、はやくおそと、いきたかったんだもん! ……うぅ……しのぶぅ……あし、つめたいよう……」
「……ぱぱがきっと、もうすぐもどってきて、くれるから……」
「うー……。ぱぱ……まま……」


ぐすぐすとなきだしたみつるをみてたら、しのぶはもう、あたまがぐるぐる、いっぱいで。
ぽろっとなみだがこぼれそうになったら、ふわっとやさしいにおいがした。


(……まま……)
だいすきな、ままが、きた……!


「……みつる」
びっくりして、みつるのところ。しゃがみこんで、やさしくささやく、だいすきなまま。
そぉっと、そぉっと、みつるのくつを、ぬがせてくれた。


「みつる。しもやけになったらどうするんだ?」
「……ごめん、なさい、なさい。まま……」
「うん。──ごめんなさいがちゃんと言えて、偉いな、みつる」


ままの、とってもやさしいこえ、……だいすき。
しのぶは、ゆっくりと。ままを、きゅってひっぱった。


「……しの?」
「まま……」

ままはいつも、やさしくしのって、しのぶのことを、よんでくれる。
じっと、みあげたら。ちゃんと、ままは、やさしくわらって。
そして、ぎゅって、しのぶをだっこしてくれた。

しのぶは、とってもうれしくなる。
だって、とってもとっても、……まま、うれしそう……。



*
*



「みつる! しのぶ! わりぃ、パパ遅くなって……って、忍?」
「……遅い」
バタバタと、焦って走りこんできた光流を、呆れ顔で忍が軽く睨んだ。
「ばーか、今頃来るな。だいたい、子供達置き去りにする馬鹿がどこにいる」
「ごめんて! みつるがスニーカーの足が寒い寒いって言うから、速攻で家戻ってあちこち探したんだけど、みつるのブーツがどこに仕舞ってあるのか、全然分からなくってさ……」
「もう、履かせた」
「……へ?」
「さっき、みつるにブーツ履かせた。いいからお前は、このスニーカーを持っていけ」
「……ほんと、すんません……。こら、みつる! お前はまた、どこ行く気だ!?」
さっき泣いたナントカで、わぁいと走り出したみつるを、光流が慌て追いかける。
「全く、似た者親子が……」
「……まま?」
軽く溜息を付いた忍に、大人しく抱っこされていた小さなしのぶが、小首をかしげる。
優しく笑って、忍は腕の中をそっと揺すりあげた。

「なんでもない。……しのは俺と同じで、寒いの苦手だからな。おうちに、帰ろうか」
「うん」

そっと、忍は幸せそうに微笑んだ。


頑張って、幸せになろうと思って。うんとうんと頑張って、大好きな光流と、ここまで歩いてこれた。
──もっともっと。ちびと、お前と、……そして俺と。
四人でもっともっと、世界中で一番、幸せになろう。