綺麗星と自転車


 

 黒いボディも、つるりとした感触の真新しいサドルも、街灯の下で鈍い光を放っている。誰かを乗せて走りたいと訴えているような最新型の変速式自転車は、間近に見るほどに格好良いと思う。

 おれは寮生活をしている。だから自転車がなくても不自由を感じたことはないし、絶対に必要なものではないのだけれど、自転車通学組の奴らが流行りものの自転車に乗っているのを見かけると、少しは羨ましい気分にもなるわけで。だから、「当たったならラッキーかな?」程度の気持ちで雑誌の懸賞に応募してみたら、見事に当選したというわけだ。今、こうやって深夜の緑林寮からこの裏路地まで自転車を持ち出してきたのは、日中に届いたばかりの自転車を週末まで眠らせておくのが我慢できなかったからだ。

 それにしても、前輪側を担いできたのはおれだったけれども、後輪側を担いでサポートしてくれていたのは、同室の忍だ。誘ってみても断られるかと思っていたら意外にあっさりと話にのってきたのは、彼の、新しいもの好きの血が騒いだのかもしれない。あまり話題にしたことはないけれど、家電類の新製品やニューモデルの自動車にやたらと詳しかった記憶がある。

「なあ、おれが先でいいのか?」

 おれは、路上におろした自転車のハンドルへ手をかけながらも、肩越しに振り返って訊いてみる。すると忍は、こくりと頷いて、にっと笑った。

「おまえが当てた自転車だろう?はやく乗ってみればいい」

「そうか!ありがとな」

 忍が了解してくれるのだったら、心置きなく初乗りの感触を楽しめるというものだ。おれは嬉々としてサドルに跨ると、ハンドルを握って、右足だけペダルを踏み込んでみた。流石、新品は違う。軽く体重をかけただけで、滑るように自転車は動き出した。ライトもしっかりと前方を照らしてくれるし、これなら暗い夜道でも安心だろう。

「すげぇ、いい感じ!」

「それは良かったな」

「よし。それじゃあ、真夜中のサイクリングといきますか!忍は、しばらく後ろに乗っていてくれよな?」

 道路脇でちいさな円を描いてから軽く荷台を叩いて促すと、忍は「了解」と、楽しげな顔つきで脚を上げて自転車を跨いできた。

「光流。肩、借りるからな?」

 はなから忍は、荷台に大人しく腰掛けるつもりはなかったようだ。彼はおれの両肩を左右それぞれに掴みながら後輪のちいさなツメへ器用に足を乗せたらしく、一輪車に乗るような要領で体勢を整えた。けれどもおれはといえば、Tシャツ越しに体温の低い肌の感触が伝わってきて、内心慌てていた。だって、気になる奴から触れられたら、胸がドキドキしたっておかしくはないだろう?

 しかし、これでは忍が殿様でおれが家来みたいだ。うまいことやられたような気もしたけれど、それにもまして嬉しい気持ちのほうが強かった。だからおれは、「お……、おう!んじゃ、出発ー」なんて少々裏返った声で返事をすると、自転車を漕ぎだしたのだった。

 人影も車も見当たらない道路は、最高に走り心地がよかった。至極緩やかな上り坂となっているのも、最新の変速機能を試すのにはもってこいだ。レバーを動かしてギアチェンジすると、ふたり乗りだというのに苦にならない。

「忍、やっぱり6段変速は違うわ。おれ、まだまだ余裕だもん」

「ほう。それは凄いな」

「へへっ、気持ちいいや」

 笑ったついでに深呼吸すると、秋の気配を含んだ夜の空気が気管や肺にひんやりとした感覚を残していくのが心地よい。忍もおれと同じくらいにご機嫌だとよいのにと思いながら、ペダルを漕ぐ足に力を込めつつ、空を見上げたときだった。ちらちらと瞬いている星々の間に一筋の光が走り、すうっと消えていった。

「忍、流れ星!」

 一層嬉しくなって弾んだ声をあげると、くすりと笑った気配がして「悪いな、見ていなかった。願い事でもしたのか?」と訊かれた。流石にそこまでの余裕はなかったと答えると、彼は言った。

「そうか。じゃあ、注意しながら見ておいてやろう。次に流れ星を見かけたら、女運の悪いお前の代わりに祈ってやるからな。一生彼女が出来ないように」

「なんだそれ!ひでえなぁ」

 おれは忍に抗議しつつも、本当に良かったと思っていた。正直、いまでは彼女をつくりたいという願望はほとんどなくなっていた――おれだって男だし、もてたい気持ちはあるけれども――し、何より、忍もはしゃいでいるのが分かったからだ。大概の場合は淡々と、もしくはしれっとして話すものだから、慣れないと真面目に語っているのか冗談なのかがわかり難い忍だけれど、最近はもう、大丈夫だ。今夜の忍は、俺にまけないくらいに機嫌が良い。

(なんか……。好きな奴を自転車の後ろに乗せていて、しかも、周りには誰もいなくて、流れ星まで見ちゃって。なんだかこういうのって……、デートみたいで最高じゃないか?)

 ふと、この状況はものすごいことではないかと考えてしまったら、ぶあっと顔全体が熱くなった。顔だけじゃなくて、首や、忍がずっと掴んでいる両肩までそうなったものだからまずいと思ったけれども、デートなどと意識した所為で想像だけがどんどん膨らんでいき、「この先おとなになってからもずっと、忍とふたりだけの時間を過ごせたらよいのに。色々なところへ行けたらよいのに」とまで思ってしまう。そう。勿論、今みたいに自転車じゃなくて車を運転して、助手席に忍を乗せて……

(――――。うわぁ……!ど、どうしよ!)

 頭の中では大人っぽくてロマンチックなストーリーが勝手に展開していくものだから、すごく焦る。しかし、このままでいたなら、背中越しにではあっても勘の鋭い忍には気付かれてしまいそうだ。

(よ……よし!)

 おれは、鼻歌よりもちょっと大きいくらいの声で歌い始めた。これ以上欲張りなことを考えないように。そして、せめてカーラジオの代わりになるようにと。

 ふたりのお気に入りの曲ばかりをセレクトして、懸命におれは歌った。半ば夢見心地の状態ながらに、力いっぱい自転車を漕ぎながら。

 十五歳。星が綺麗な夜の出来事だった。

  

12/08/27