10


三月、どこか浮き浮きと華やぐような、心地よい暖かさ。
天気予報が伝える桜前線も、太平洋側から毎日、ゆっくりと日本列島を包んでいく。

(花が馬車に乗って、海岸を真っ先きに春を捲き捲きやって来るというのは、案外本当かも知れないな)
高校時代に図書室で読んだ小説、その一節から思い浮かべる春の風景。
そんなイメージを、この季節に忍は毎年、心に思い浮かべる。
それが、忍にとっての春の訪れだ。

今朝、庭の水仙が一斉に花開いたのを見つけた忍は、早春の予感に密かに心をときめかせる。

──そうだ。
春が、今年もきっと真っ直ぐにやってくるんだ。

*
*

(よし、始めるか)

休日の忍は、今日こそ衣替えを済ませようと、朝から気合いを入れて家の中を動き回っていた。
明日は双子の、そして明後日には光流の誕生日を控えているため、毎年、春休み中のこの週の前後、池田家はなかなかに忙しい。

双子の10才の誕生日プレゼントは、もう既に光流と二人で選んであるが、光流の分はまだ買いに行けていない。
(午後は、絶対に買いにいかないとな。その前に片付けだ)
忍は、一人静かに気合いに満ち溢れる。

(光流は早番、ちびたちは剣道教室、・・か。朝から衣更えするには、最高の日だな)
腕まくりをして、忍はクローゼットの扉を開く。
コート類やマフラー、厚手のセーター類は思いきってクリーニングに出し、春物のニットやシャツと入れ替えようと、昨夜のうちに決めていた。

(でも、念のため、俺としのの分は、一枚ずつ厚手のを残しておこうか)
寒がりの自分に似てしまった小さな忍の、いつも指先を袖の中に縮めている姿を思い浮かべる度、忍は何とも申し訳ないような気持ちになる。

(──・・かあさん。おれ、・・手、ちょっと・・つめたい)
(──ああ、だいぶ冷えてるな。おいで、しの)

くちゅんと可愛いくしゃみをしてから、とことこ寄ってきた体温を思い出し、忍は更にもう一枚セーターを追加で残すことにする。
(念のためだ。風邪をひいては、元も子もないし・・)
心の中で、自分に言い訳をしながら、手前の引き出しに戻す。
子どもがいなかった頃の自分なら、何を過保護なと、内心呆れていたに違いないから。

四人分の衣替えとなると、部屋はあっという間に洋服類の山になった。
いつもまめに掃除は行っているつもりだが、半年近く眠っていた衣装ケース類のせいで、何となく部屋中が埃っぽくなる。
(こういう作業は、あいつらがいる時だと、なかなか進まないしな・・)
けほと軽く咳をし、僅かに顔を顰めながら、忍は思わず嘆息する。

光流や子ども達の熱烈な愛情は、忍にいつだって擽ったいほどの幸せを、惜しみなく与えてくれるけれど。
何か集中して作業をしようという時には、正直言って、少々面倒な時がある。

(──忍、忍ってば! なあなあ、美味い? 美味い? 俺さ、今日は非番だったから、お前が最近ハマってたトルコ料理店のディナーコース、再現してみたんだぜ?)

──美味い。
美味いし、ありがたいが、・・どうしてお前の辞書には幾つになっても『後片付け』というワードがないんだ!?
どうするんだ、この台所の惨状は!!

(──かあさん、ねぇかあさんってば! おれね、おれね、今日はー、学校帰ってからー、しのとカレーのざいりょう、買ってきてー、せんたくもの、入れてー、あとねっ、あとねっ! おふろのお湯も、入れたんだよ!)

──ああ、ありがとう、みつる。とても助かるな。
でも、気のせいかな。色々なことが、全部途中で終わってる気がするんだが。
(やっぱり中身まで父親似か・・)

(──・・・・・・おれ。お野菜、切って。お肉、切って。カレー、作って。・・・・。せんたくもの、干して、たたんで、しまって・・。・・・・おふろの、お湯・・、こぼれる前に、止めて・・、・・フタ、したの)

──・・・・。ありがとう、しの。

三者三様の遣り取りを思い出して、もう一度小さな溜息をついた忍だったが、それでもほのかに微笑む。
(・・まあ、色々幸せということなんだろうけどな)

いつもは忙しさに追われて、なかなか実感できないけれど。
一人だけの我が家で、家族の笑顔を思い浮かべて感じる、こんなささやかな幸福。

*
*

二時間ほどかけて、衣替えは一段落した。
そろそろ昼になるところだ。

予定ではここで終了だが、春休み中はいつも双子の元気な声で賑やかな家の中が、今日は静まり返っているせいで、何となく落ち着かない気持ちになる。
「・・一息入れるか」
誰に言うともなく呟いて、忍はひとりキッチンに向かった。

コーヒー豆の缶を一度手に取ったが、少し迷ってから元の棚に戻した。
それから忍は、インスタントの瓶から粉をマグカップに入れ、電気ケトルで瞬時に沸いた熱湯を無造作に注ぐ。
こくんと一口飲み、軽く顔を顰めた。
「・・不味い」
しんとした空気が気になって、ついつい独り言が多くなる。
──一人だと、味気ないな。
昔の自分なら、全く逆の事を思っただろうなと、自分でも少しおかしくなった。
シンクの縁に後ろ手をつき、天井を眺めながら考える。
(光流の誕生日プレゼント、何にするかな・・)

明後日の、光流の誕生日。
何が欲しいと尋ねた時、光流は何とも言えない微妙な顔をして、大袈裟に嘆いたものだ。

(誕生日っつってもなあ。もうじき俺も大台だぜ? 一体何が嬉しいっての)
(何を贅沢言ってる。俺の方が三ヶ月も先に、大台にもう乗ってるぞ)
(忍はいいんだよ。何歳になっても、相変わらずめちゃめちゃ美人だもん。俺なんかさぁ、年々顔面修復能力が落ちてるせいか、皺だの雀斑だのが目立ってきちゃって)
(安心しろ。俺の目には、十分男前だ)

つい慰めてしまい、へらりと嬉しげに笑った光流に、熱烈な感謝のキスを降らされて。
なし崩しになだれ込んだ濃厚なセックスで、この馬鹿ヘンタイ絶倫野郎と、散々泣かされてしまった恥ずかしい記憶が蘇り、忍は一人赤面した。
(・・つまらんことを思い出した、くそ)
熱を感じる頬を、手で無闇矢鱈と扇ぎながら、忍は一人、大きく息をつく。

本当は、プレゼントしたい物が密かにあった。
でも、それを渡した時の光流のリアクションを想像すると、実現するには心のハードルがかなり高い。
(渡して、もしぽかんとされたら・・)

「──絶対に嫌だ」
思わず、声が出た。
そんなことになるくらいなら、何にもやらない方が遥かにマシだと思いつつ、そんな自分のプライドの高さに、忍は自己嫌悪する。
(・・仕方ない。こういう面倒な俺に惚れた、あいつだって悪い)
手前勝手な理屈で悪態をつきながら、マグカップを手持無沙汰に撫でた。
そして、ぼんやり想いを馳せる。

──時々、これは夢だろうかと思う時がある。

真夜中、はっと目を覚ましては、傍らで熟睡している光流の寝顔に力が抜けて。
思わず顔を両手で覆いながら、肩で何度も深呼吸を繰り返したことは、もう数知れず。
(・・夢か)
悪夢の中の忍はいつも、光流の手を自ら棄てる。
そして、悪党である事を自ら選び、全てを手に入れ、そして酷く暗く哂っていた。

そんな時、忍はそっとベッドを抜けだし、子ども部屋を見に行く。
ついこの間まで、二人仲良く一つの布団で寝ていた双子は、ボーイスカウトに入ったのをきっかけに、布団を別々にする練習を始めたばかりだ。

2段ベッドの上の段、バンザイの格好で両手をあげ、可愛いおへそを剥きだしに、布団を蹴っ飛ばして眠っている小さな光流。
その布団を、忍は丁寧に掛け直す。
(んー・・、だいすきだよぉ、かぁさんー・・。・・うー・・、ちゅーは・・くちに、してよぉ・・)
(・・何の夢見てる、こら)
思わず苦笑し、そっとすべすべの頬に唇を落とす。

そして、下の段を覗けば。
眠りに落ちる寸前まで夢中で読んでいたのだろう、冒険小説や動物図鑑などの重たい本に指先を挟んだまま、小さな忍が熟睡している。
その頭を撫で、起こさないよう、注意深く本を抜いて枕元に戻してやった。
(・・かあ、さん・・。空を、とぶのって・・、・・鳥、みたいで・・、たのしい・・)
(俺と一緒に、空を跳んでくれてるのか。・・ありがとう、しの)
忍は微笑みながら、その白い額にキスをする。

暫く、双子のすぴすぴという寝息を、フロアマットに腰を下ろして耳を澄ませて聞いて。
それから忍は、自分と光流の温かなベッドに静かに戻っていく。

(あー・・? ドコ行ってたの・・忍・・?)
(子ども部屋。・・起こして悪かったな)
(んー・・。全然いいけど、お前・・、身体すげぇ冷えちゃってんじゃんよ・・)

寝惚ける光流に、ぎゅっと抱き寄せられて。
パジャマ替わりに光流が着ているスウェット越しにも分かる、見事に鍛えあげられた逞しい胸に顔を埋め、忍はほっと心から安堵して。
そして、今度こそ穏やかで幸せな眠りに落ちてゆくのだ。

「・・駄目だな、切りがない」
我に返った暫く忍は、どうにも味気ないコーヒーを飲み干すことは諦めて、丁寧にマグカップを洗い、洗い籠に伏せた。
そして部屋に戻ると、それからはただひたすら、黙々と片付けに熱中する。

和箪笥の奥の奥や、最上段の観音開きの棚。
長身の光流や忍でも、普段はなかなか手が回らない場所まで、丁寧に埃を取り、拭き掃除をする。
(ついでだ、断捨離しよう)
元々の綺麗好きも手伝って、余分なものはこの際整理しようと勢いがついた忍は、片っ端から様々な収納箱を引っ張り出した。
時々肩をぐるぐる回して一休みしつつも、要領よく手を動かし、整理を進める。

──俺と、俺の家族の家が、もっと気持ちのいい場所になる。

気付けば、小さな光流がいつも元気に歌っている平成ライダーの主題歌を軽く口ずさんでいる自分に気づき、さすがに気恥ずかしくなった。
(不思議だな。家族のことだと、面倒も楽しいなんて)
衣装ケースの山の中、洋服類の真ん中で忍は唇を綻ばせ、せっせと手を動かし続ける。

*
*

やがて、最後の片付け場所になった、普段あまり使っていない客間がわりの和室で、忍は手を止めた。
作り付けの、最上段の棚の奥。
忍自身が、幾重にも重なる想いを込めて、大切な宝物を納めている、その美しい和柄の紙箱。

(・・少しだけ)
片付けを中断し、その綺麗な紙箱の蓋を開けた。
手を伸ばし、中から幾つもの小さな包みを取り出す。
その中の一つ、大分年期の入った新聞紙に包まれた包みを手に取る。
(これは・・)
どきどきとはやる気持ちを抑え、そっと包みを開いてゆく。
現れたその中身に、忍の瞳が懐かしさに細められた。細い指先で愛しむように、そのややくたびれた表地とファーを撫でた。
(・・久し振りだ)

忍が揺れる瞳で見つめる、その先。
それは、とても小さく愛らしい、二対の子ども用ブーツだった。

──そう。
あれは確か、東京では珍しいくらいの大雪が降った日だ。
双子が5歳の年の、あの忘れられない雪の日の思い出。
(──みつる! 外に行くならブーツを・・!)
止める間もなく、雪に夢中になって飛び出していってしまった小さな光流が、案の定、雪の冷たさに大ベソをかいて。

(──・・ごめん、なさい。まま・・)
(──うん。ごめんなさいがちゃんと言えて、偉いな、みつる)

そしてまた、あったかモコモコブーツに履き替え、ぱあっと満開笑顔になった小さな光流の横で、忍のコートの裾をそっと引いた、小さな忍の控えめな甘え方。

(──・・しのは俺と同じで、寒いの苦手だからな。おうちに、帰ろうか)
(──うん)

普段無表情な顔を、嬉しそうにほわっと綻ばせた、小さな忍の愛らしさ。
そして、その軽い身体を抱き上げた瞬間に感じた、甘酸っぱいほどの『愛しい』という感情。

*
*

しばらくブーツを見つめたまま動けずにいた忍は、何かに導かれるよう手を動かし、次の包みを手に取った。
今度の包みは、大分大きくて重みがある。
(これは、確か・・)
そっと開けば、華やかな色合いが目を引く、何とも愛らしい子ども用のスーツが2着、現れる。
(・・ということは、こっちの箱は、あれか)
気付いて、その脇に納められていた帽子箱の蓋を開けると、小さな小さな帽子が、これまた2つ。

このスーツと帽子は、仕舞ったのが比較的最近だから、忍の記憶にも新しい。
(みつるのスーツは、こっちのピンクだったな。あいつは光流と同じで華やかだから、こんな派手なスーツも、うんと似合ってて・・凛々しかった)

得意気にハットを指先で回そうとして失敗し、くすんと体育座りで落ち込んでていた姿を思い出し、くすりと思わず笑ってしまう。

そして、そんな小さな光流の横で、黙々とキャスケットを人差し指の先だけで器用に回していた小さな忍はといえば、相変わらず淡々と見えたが、その澄んだ瞳の奥は、初めてのスタジオ収録への好奇心で、きらきら輝いていたことを、忍はよく知っている。

(しのは、パープルの膝丈スーツが、親の欲目でなしに、世界一似合ってたな)
どう考えても親の欲目全開の思いに浸りながら、忍は微笑む。

*
*

そのあとも、かなり長い時間をかけて、忍は 沢山の思い出の品を開き続けた。
それは、池田家の歩んできた、大切な思い出の欠片たち。

例えば、かなり奥から出てきたアルバムには、赤ちゃん時代の小さな光流と忍の沢山の写真が、それこそ山のように収められていた。
その中の一枚に、忍が産後の体調が悪く、なかなか退院できなかった頃、池田の実家の面々が毎日のようにお見舞いに来てくれた時の写真があった。

ベッドから上半身を起こした、少し青ざめているが淡い笑みを浮かべた忍自身と、そんな忍を支えるようにぴったり寄り添っている光流。
二人の腕の中には、真っ白なおくるみに包まれてすやすや眠る、赤ちゃんの光流と忍がいて。
そして、そんな四人を囲んで、後ろから優しく見守っている、池田家の人々・・。

(・・そうか、この時だったんだ)

見つめる忍の視線は、満面笑顔で光流の後ろに立っている正が抱えている額縁に引き寄せられた。
今も池田家のリビングに飾られているそれには、光流の父が見事な達筆で書いてくれた書が納められている。

『命名 池田光流 忍   
 ────平成××年3月××日』

(──父ちゃん、これって・・)
(──やあ、久々に筆を使ったから、あまりうまいもんじゃないけどね。なあ光流、それに忍くん。この子たち、本当にとてもいい名前だね)
(──全くもう! あんた達ときたら、あんた達ときたら・・!)
(──なんだよ、おかあさん、感動しすぎだって。そんなに泣いたら、忍さんたちが困っちゃうだろ? )
(──正、おめぇもそんな大声出すんじゃねぇ、ガキどもが起きちまう。ほれ、光流に忍、なんて情けねぇツラしてる。おめぇらはもう、新米とはいえこいつらの親だろうが。しゃっきりしろ)

池田の家の人々の、そんな温かな気遣いも、優しさも。
命名額に泣き笑いする、光流の情けなく崩れた横顔も。
全部、全部覚えている。
「忘れる筈が、ない・・」
震える忍の指先が、一番奥から出てきた最後の小箱に触れた。

それは、かなり古ぼけた、小さな小さな桐の小箱。

(──・・俺、・・こ、子どもが出来たんだ。医者の話だと、やっと安定期に入ったって。・・信じてくれるか、光流?)

(──人間てすげぇのな。こんなにも好きで好きで、本当に好きで堪らないと、・・男同士だってちゃんと赤ちゃんが出来るなんて、さ。俺、正直言って、考えてもみなかった)

(──俺の神様は光流だって、ずっと思ってたけど。本当の神様も、やっぱりちゃんといるんだなって。・・お前と一緒に、幸せになろうって──頑張って良かった)

光流と忍の、大切な愛しい子どもたち。
みつると、しの。
小さな二人が、忍のお腹の中で過ごしてくれた、どきどきするような奇跡の十月十日。

(うわ、今蹴った! すげぇなぁ、ほんとに忍のお腹ン中に、俺たちの赤ちゃんがいるんだなあ)
(そんなに俺の腹ばっかり撫でるな、ばーか)

忍たち四人を、優しく、そして強く。
大切に大切に結び付けていた、それは絆の証。

(──駄目だ、もう)

胸が、ぎゅっと苦しいほど詰まって。
堪らず桐の小箱を胸に掻き抱いたその時、とても温かな体温が、背中から忍をぎゅっと包み込んだ。

*
*

「・・顔、見るな」
「──何で?」

優しい光流の声に、恥じて忍は震える声を必死に堪える。
「・・こんな・・こんなみっともない顔、見られたく、ない」
「そんなこと言うなよ。みっともない事なんて、一つもねぇよ。──・・うん。ほんと、ちっちゃくて可愛いな、このブーツ。あいつら、本当に大きくなったよなぁ。お前が毎日、一生懸命育ててくれたお陰だよ」
「・・馬鹿!」

お前と、俺と。
二人で、夢中で、無我夢中で。
みつるとしのを、育ててきたんじゃないか・・!

子どもが、まさか俺たちの間に出来るなんて、誰も信じなかった。
「俺だって・・! おれだって・・最初は、信じられなかった・・」

声が、もうどうしようもなく震えた。
堪らず、激しく顔を横に振って呻く。
──だって、だって、本当にありえないじゃないか。
そんな、そんな・・
「夢みたいな・・夢よりも幸せなことが、あるわけないじゃないか!!」
忍の叫びは、ほとんど涙声になって光流に叩き付けられる。

──でも、光流は。
とても静かに、穏やかなままで、少しもたじろがなかった。

*
*

「・・忍」

──良かったな。
お前も、・・俺も。
神様がちゃんと傍にいるってこと、信じられるようになったもんな。

「みつ、・・る・・」
「時々、思うんだ。グリーンウッドで俺たちが出逢ったのは、俺とお前が、神様を信じられるようになるための、そういう旅の、一つの節目だったのかなぁって。──俺たちみたいに・・」

光流の囁きは、まるで撫でるようだった。

「俺たちみたいに、幸せなんて信じない、信じられない、そんな捻くれ者に、神様が『もう信じていいんだぞ』って、男の俺たちに子どもなんて、とんでもねぇ奇跡をくれたんじゃねぇかな」
「・・・・」
「な?」
「──そんなの、非科学的だ・・」
「はは、確かにな。でも、ほんとに叶っちまっただろ? ・・奇跡」

忍は、震える声で囁き返す。
「・・本当に? 本当に、・・かみさまが、俺たちに奇跡なんて・・くれたのか・・?」
「だから、それがみつるとしのだよ」

*
*

力が、かくんと抜けた。
「お、おい、忍くん?」
後ろから抱きしめたままだった光流が、慌てたように忍の両脇に腕を差し入れ、支えてくれる。

忍は、ぎゅっと顔を歪めて光流を睨み付けた。
「ばか。・・見てきたみたいに言いやがって。だいたいお前のは、神様じゃなくて仏様だろうが」
「はは、そりゃそうだ。──ほら、泣くなよ。ちび達が心配してるぜ?」

その言葉に、慌てて首だけ後ろに曲げると、光流の裏から不安いっぱいに忍を見つめている二対の瞳と視線が合った。

「かあさん、かあさん、何で泣いてるの? どこかいたいの? へいき?」
「・・・・かあさん。・・どこか、いたい・・?」

もう泣きべそをかいている小さな光流と、長い下睫いっぱいに涙を溜めている小さな忍に、胸がきゅっと痛くなった。
それでも忍は淡く微笑むと、光流の抱擁の中で双子に囁く。
「・・みつる。しの・・。 ──おいで」

「「かあさん!」」
左右から、双子が飛び付いてきた。
目を閉じて二人を抱き留めた忍を、背中から光流の大きな手がぎゅっと抱きしめてくれる。
もう何も言えず、潤んだ瞳で忍は光流をただ見つめた。
「・・・・」
「分かってる。──愛してるよ、忍」

──馬鹿ばっかりだ。
どいつも、こいつも。

(・・俺にはもう、宝物しか、ないじゃないか・・)
どっと零れ落ちそうになった涙を感じ、慌てて忍は目を固く閉じて。
自分の大切な宝物たちの体温に、そっと身を委ねた。

「かあさん、落ちついた? もういたくない? へいき? 泣かない?」
「・・・・・・・・。かあさん・・」
小さな光流が、忍の濡れた頬を掌でこしこしと拭いてくれる。
そして小さな忍は、イイコイイコと呟きながら忍の頭を撫でてくれた。

(・・何だこれ。何だろう、これ・・)
何かが、また胸の奥を暖かに塞ごうとするのを堪え、忍は一つ、大きく深呼吸をした。
それから、まだ不安そうに上目遣いをしてくる双子に、優しく笑いかける。

「もう大丈夫だ。──さて、お前たちが帰って来たってことは、もう夕方近いんだな。明日はお前たち、明後日は光流の誕生日だから、今日はシンプル飯でいいよな?」
ええーっという可愛いリアクションを想像して、わざと悪戯っぽい口調を作った忍だったが、何やら妙に大人びた表情を双子が浮かべるから。
戸惑い、小首を傾げる。

「みつる? しの?」
「かあさん。ええと、ええとね、かあさん。・・あれ? しの、何だっけ?」
小さな光流に焦ったように見つめられた小さな忍が、励ますように小さな光流に囁く。
「──・・たまには、ふうふ、水入らず」
「そうだ! ね、かあさん、たまには、ふうふ、・・あれ?」
「・・・・みつる。水入らず」
「うー、分かってるってば! ねぇかあさん、今日はとうさんと、ミズイラズしていいよ!」
「──水入らず?」

訳が分からず首を傾げた忍の前で、小さな光流が傍らの相棒と手を繋いで笑う。
「そう! おれとしのは、今夜はぁ、おじいちゃんたちのおうちに、おとまりするの!」
「・・は?」

呆気に取られている忍をよそに、むずかしいコト、言えちゃった、言えちゃった! と、小さな光流が嬉しそうに跳び跳ねる。
「みつる? 一体お前・・」
言い切ってやっちゃった! という謎の充実感を漂わせている小さな光流の浮かれている表情に、忍はそれ以上問いかけるのを諦めた。
代わりに視線を移し、いつもながらぽおっとしている小さな忍の顔を覗き込む。

「しの。俺に分かるように、教えてくれないか」
「ん。・・・・。あのね、かあさん。明日はおれたちの、たんじょうび、だよね?」
「ああ」
「それだけ?」
「え・・」
小さな忍の、澄んだ無垢な瞳が、真っ直ぐに忍を見つめる。

「・・あのね。おばあちゃんがね、お正月に、言ってたの」
可愛い声が、忍にゆっくり囁きかける。

「みつると、おれの、たんじょうびは・・。とうさんと、かあさんにとって、うんとうぅんと、たいせつな日なんだよって・・。──節目、の・・だいじな日・・」
「しの・・」
「あんたたちの、とうさんと、かあさんにとって・・、けっこん、きねん日だと思うよって・・、おばあちゃん、言ってたの」
「・・!」

驚きに目を大きく見開いた忍に、珍しく長いセンテンスをひといきに言ってのけた小さな忍は、はふうと息をつき、それからほわっと笑った。
そして、隣の小さな光流をちょんとつつく。

嬉しげに頷き返すと、今度は小さな光流が、お日様笑顔を弾けさせた。
「だから、ね! おれとしのは、今日はおばあちゃんちにおとまり行くの。だからぁ、とうさんと、かあさんはぁ、・・えっと、・・ふうふ、みずいらずで、なかよくしてね! な、しの!」
「・・ん」

仲良くしてねとハモる双子に、忍はみみまで真っ赤に染まった。
「・・」
恐る恐る振り返れば、何とも悪戯っぽい笑みを浮かべた光流が甘く笑う。

「──今夜は仲良くしてね、奥さん?」
「お前・・!」

(貴様、実家に根回ししてただろう!)
赤面して怒鳴ろうとした唇は、臆面もなくへらりとした光流に、ちゅうと奪われる。 
「んんっ・・!」
「忍くん、子どもの教育上よろしくない罵倒は、どうぞ慎んで、・・な?」

──あとはベッドで、ゆっくり可愛く反撃していいからさ。

双子が目を丸くして見上げるその場で、過激な反撃を封じられて。
(恥かかせやがって・・!こいつが宝物だなんて、前言撤回だ!)
もう一度顔を寄せてこようとした光流を渾身の力で突飛ばし、忍はこのまま家出したくなった。

*
*

「──家出どころか・・俺のちんこでナカにカギかけられちゃう気分、どうよ・・?」
「ぁんっ・・! この・・サイテー野郎・・っ、死んじまえ・・!」

光流の逞しい両肩に縋りついたまま、狂暴なぺニスで激しく突き上げられた忍は、堪らず大きく喘いだ。
「やぁ・・、掻き、まぜるなっ・・、ひんっ・・!」
「あー・・狭くってぎっちぎち・・堪んね・・」
「ひとの、話を・・聞け・・、・・っぁ、あっ、あっ、ああっ!」

苦手な正面座位で抱かれたまま、散々に光流のペニスに貫かれて突き上げられ、羞恥と快楽に侵食されていく。
頭の中が沸騰し、あまりの気持ちヨさに負け、抗議の言葉が片っ端からトロトロに蕩けていってしまう。
(ナカ・・、こいつ、ので・・、はじけ、そうだ・・)

欲望剥き出しに貪られる身体が、細胞が、びくびくと痙攣を始めた。
──また、・・絶頂が、くる・・。
その予感に、跨がる腰は無意識に淫らに揺らめき始め、殆ど腹まで反り返ったぺニスからは、引っ切りなしに精液が溢れ返る。
そんな忍の苦悶をねっとり眺め、光流が囁いてきた。

「ははっ・・、忍・・エロい顔・・、サイコー・・」
「んあ・・、ぁ、ぁう・・こんな・・イきっぱなしは、やだ、・・っひっく・・、ゃあ、ゃぁ、・・みつ、るぅ・・」
「いんだよ、エロくて・・、忍のザーメンなら、いつだってぶっ被りてぇんだもん・・」
「この、・・ゲスが・・、・・ぁ、ぁあ、ぁあっ、・・・・、また・・イ、くぅ・・!」

びゅるっとぺニスから弾け飛んだ精液が、光流の逞しい腹をどろりと汚す。
「はあっ・・、・・ぁ、ぅ・・」
「・・あー・・。お前の、濃すぎ」

左の手の指先でそのぬめりを掬い取った光流が、にやりと笑ってその指先を舐める。
「・・やめ、ろ・・、そんなの・・舐める、な・・」
「そんなのって──こんなの?」
「ぁむっ・・!」

甘い囁きと同時に、まだ精液が残る指先を銜えさせられた。
自分自身の吐情の苦い味に、痺れるような快楽の興奮が、もうどうしようもなく増してゆく。
(・・くそ・・、ど畜生が・・)

朦朧とする合間にも、再びいやらしい指先が、忍の身体を弄り始める。
激しく絡み合った汗と精液のせいで、どろどろの身体を、激しく喘ぎながら光流に押し付けた。
「! ・・、で、る、ぅ・・」
深く感じて忍は極まった。
二人の腹でギチギチに反り返っていた忍のペニスから、またもどぷっと濃厚な精液が迸る。

「・・あ、ぁ、ぁ、・・は、ひぁ・・」
「──ははっ・・、イくの、早すぎ。・・最速記録」
「う、る・・さ、・・いっ・・」
「忍のチンポ・・すげぇ濃いぃピンク・・、マジで人妻の色じゃねぇよな・・」
「この、・・クズ、が・・っ、──はあんっ!」

唇を重ね、夢中で舌を吸い合いながらもぐいとねじ上げられたペニスの凶暴さに、忍は激しく乱れて顔を振る。
「んっ、んっ、ぁんっ、ああんっ・・! みつ、る、・・っひっく・・、み、つ、・・るぅ・・!」
「あー・・、サイッコー・・お前のアナん中・・、大好き・・」
「ひいっ・・!」

光流の囁きに完全に反応し、アナルがぎゅうと凋んだことに激しく忍は恥じ入る。
(くそ・・くそ・・!)
自分の淫らな身体を罵る合間にも、腸壁が光流のペニスをぎゅううと卑猥に絞り上げるのが分かる。

「あーキッツイ・・、忍、相当溜まってた・・?」
「うる、さいっ・・!」
「へへ。・・それなら、期待に応えて──ネクスト」
「ば、か・・、み、つる・・、もぉ、・・、む、り・・」
「ばか言うなよ・・。独身の時は、一晩中二人でエロいコト、しまくったじゃんよ・・?」
「も、・・ほんと、に・・むり、なんだ・・」

汗と涙に塗れた忍の情けない哀願を、両手で包み込んで光流は笑う。
荒い息ながら、れろと忍の舌を吸って囁いた。
「んんっ・・!」
「ムリって、なぁんでだよ・・? 久々に、独身気分・・盛り上がんねぇの、お姫様・・」
「・・ばか、な・・いいかた、は・・、・・っは、あっ・・、・・よ、せ・・」
「──なあ。10年前の今頃はさ・・、もうすぐ産まれるかもって、めちゃめちゃ焦りまくってたよな・・。それがまさか、10年後にこんな記念日セックス出来るなんて、すげぇ興奮する・・」
「んーーっ、んーーーーーーっ・・!」

再び唇を奪われ、散々に舌を甘く蹂躙された末に、漸く解放される。
忍は、涙目で光流のだらしなく緩んだ顔を睨みつけた。
「・・クソ、野郎・・、な、にが・・、はあっ・・、・・記念日、だ・・」
「だあってさ・・、俺ら、高校で初エッチしてから・・、大学では同棲で、そのまま卒業後もずっと一緒で・・、そのあとお前の妊娠じゃん・・? よく考えたら、いつが結婚記念日なのか、分かんねぇなって・・ずっと悩んでたんだよね・・」
「ぁ・・、も・・、もう・・ちんぽ・・擦るの、・・やぁ・・」
「だから、かあちゃんに・・、俺らの結婚記念日、いつだろって相談したらさ・・、やっぱ、双子が産まれた日が、一番の記念日だろって言われてさ・・、流石はかあちゃんだと、思わねぇ・・?」

(──どれだけ恥ずかしいことを、実家で臆面もなく相談してるんだ貴様は! 恥を知れ、この○■×#▲○ーーーーっ!)
忍の渾身の罵倒は、再びサカったらしい光流の容赦ない突き上げに、敢なく蕩けてしまう。

「はひっ、はひっ、はひっ、はひいっ!」
「サイコー・・、あー・・、もっと俺のちんこ、締めて・・」
「あ、あ、あんっ、あぁんっ! ・・ぁ・・、・・おまえの・・、ち、ちん、ぽ・・、が、・・ナカで・・、あん・・、びゅるって・・!」

忍の理性が、完全に快楽に犯された。
焦点の合わない視線を朦朧と天井に投げたまま、自分で腰を激しく左右に振る。
そして銜え込んだままの光流のぺニスを、獰猛にアナルの最奥へと誘い込み始めた。

「みつるっ・・! みつ、る・・、もっと、もっと、もっとぉ・・!」
「っ、・・この・・ちぎれるっつぅの・・、淫乱かよ・・!」
「もっとぉ・・、・・もっ、と、ぉ・・! ・・・・、あひぃーーーーっ!!」

びくびくびくっと、全身が激しく痙攣した。
足の指先まで直撃した強烈な快楽の凄まじさに、完全に白目を剥いて失神する。
がっくりと前にのめり、顎から忍は光流の肩口に撃沈した。

*
*

「・・疲れた」
ぐったりと、光流の肩に顎を乗せたまま、忍は呟く。
汗にまみれた額に、ちゅと口づけられる感触が、ひどく心地好い。

「・・お疲れ様」
「──本当に、死にそうだった」
「はは、ごめん。忍があんまり可愛い喘ぎ声、いっぱい聞かせてくれるから、つい調子に乗っちゃった。・・俺も、今夜こそ腹上死させちゃうかもって思ってた」
「・・ばか」

頬を染めて軽く光流を睨み、それでも諦めたように小さく笑うと、啄むだけのキスを返す。

真夜中の二時過ぎ、つい先程、失神から目覚めて。
忍は、光流にまだ跨がったままの体勢に気付いて赤面し、慌てて動こうとしたところを優しく制された。

(──もう、シねぇから。このまま、お前のナカにいさせて?)
(──・・そんなこと言って、また絶対サカるくせに)
(──しねぇよ。・・ほら、俺のちんこ、もう萎えてンだろ? さすがにもう、おっ勃たねぇって)
(──その下品な言葉を何とかしろ。離婚するぞ)

そんな会話も、何だか今夜は緩めで、忍はついついほだされてしまう。
(まぁ、もういいか・・)
繋がったままのアナルに、じんと鈍痛を感じながらも、光流の身体に脱力して甘えた。
約束通り、腰を振ることはなく、ただ自分の身体ごと、光流は鼻歌交じりに僅かにゆらゆらと身体を揺らしている。
(・・ぶらんこみたいだ)

──オトナの、ぶらんこだけどな。

恥ずかしい考えに密かに赤面しつつ、忍は心地好いだるさに目を閉じている。

暫く続いた穏やかな沈黙の後、不意に光流が囁いてきた。
「・・寒くないか?」

言われてすぐ、小さなくしゃみが出てしまった。
赤くなった忍の素直な反応に、光流がおっとりと笑う。
「はは、・・可愛い」
「・・うるさい」
「んー・・。名残惜しいけど、ちょっと待ってて」

忍の両脇に手を差し入れると、光流が軽々と忍の身体を浮かせてくれた。
慌てて忍は、赤い頬のまま腰を上げ、貫かれていた身体を漸く取り戻す。
(・・物足りないとか、思うな)
自分に言い聞かせて一人悶々とする忍をベッドに残し、光流は一度サイドテーブルの引き出しを開けた。
何かを掴むと、そのまま身軽な動きで、床に落ちていた自分のシャツを拾ってくる。

「はい、彼シャツ」
「・・単なるお前のシャツだ」
嬉しげに囁いてくる光流に、わざとぶっきらぼうに言葉を返す。
──だって、こんなどきどきが伝わったら、即死するより恥ずかしい。

顔を見られないよう、急いで光流のシャツを羽織ると、手を貸してくれた光流が、そのまま手を離さないことに気づいた。
「光流?」
「忍。──ちょっと、そのままでいて」
「? 何で」

答えず、にこりと光流は笑う。
怪訝な顔で小首を傾げた忍の左手を掬い、自分の大きな掌に白い手を乗せる。
そのまま、優しく撫でるような仕草で右手を動かし、そしてそっと離れていく。

ごくごく控えめに、穏やかに。
だが、幾重にも屈折した光を、全て身に忍ばせて輝く、美しい10粒の煌めき。

シンプルなプラチナの輪の表面に、その輝く見事な輝石を浮かび上がらせた、それは薬指の為だけの美しい指輪だった。


 




    「・・・・・・・・」

    忍は、何か言葉を出したつもりだった。
    でも、なにも出てこなかった。

    填められたばかりの指輪を見つめたまま動かない忍に、少し困ったように光流が上目遣いになる。
    「気に入らねぇかな」
    「・・・・」
    「こんなの買う金があるなら、双子の教育資金貯めろとか、そもそも買ったって着けれないだろうとか、色々あるとは思うんだけど! でも、かあちゃんが言うみたいに、あいつらの誕生日が、俺たちの結婚記念日なら、今年は10年めの特別な記念日だし。──あのさ、忍くん。これって一応、スイートテンって奴なんだけど」
    「・・分かってる」
    「あ、やっと喋ってくれた」

    漸く一言呟いた忍に、少しほっとしたように光流が笑う。
    それから真面目な顔になると、もう一度忍の左手を大切そうに両手で包み込んだ。

    「忍。10年間──いや、ほんとはグリーンウッドの頃からだけど、いつも、ほんとにありがとう。ずっとお前を愛してる。今の俺の幸せとか、そういうの、全部全部、忍がくれたんだ。・・どうかこの指輪、受け取ってくれねぇかな」

    *
    *

    「・・・・・・・・」

    忍は、やっぱり言葉は出なかった。
    代わりに、涙だけが一粒だけ零れた。

    *
    *

    「し、忍? 何で泣くんだよ?」
    「・・ありがとう。──ごめん」
    「え? 何で謝んの・・」

    ポカンとする光流を見つめ、忍は本当に泣き笑いになった。
    指輪が填められたばかりの、自分の左手。
    その手を包んでいる光流の手の甲に、自分の右手をそっと重ねて囁く。

    「・・俺も、お前に指輪を贈りたかったんだ」
    「え?」
    「お前の、今年の誕生日に。お前に似合いそうな、綺麗な指輪があったんだ。・・れんぎょうの花によく似てる、黄色がとても鮮やかな石・・」
    「忍・・」
    「お母さんが去年の春、れんぎょうの花を見ながら教えてくれたんだ。れんぎょうの花言葉は、『希望の実現』だって・・」

    お前が毎日危険な現場で、汗や泥、疲労や屈辱、途方もない徒労感に塗れながら、這い擦るように必死に働いているとき。
    俺も、みつるもしのも、傍にいてやれない。

    ──だから、俺たちの代わりに、お前の支えになるような。
    そんな、希望や願いを託せる何かを、俺は今年、贈りたかったんだ・・。

    「・・でも、いざとなると躊躇って買えなかった。お前に渡して、もし唖然とされたら、絶対嫌だと思ったんだ。俺も、お前みたいに臆面もなく行動できたら良かったのに」
    「単純って、あのな。・・まあ、忍らしいっちゃらしいけどさ。──それじゃ、受け取ってくれる?」
    「ああ、大切にする。本当に綺麗だな・・」

    呟くと、この上なく幸せそうに光流が忍をぎゅっと抱きしめてきた。
    光流にもよく見えるようにと、忍が左手をかざすと、ごく小さな10粒のダイヤモンドが、真夜中の寝室にきらりと煌めく。
    照れくささを隠したくて、忍はわざと揶揄する口調を作った。

    「・・随分、小さいな」
    「これでも俺のへそくり一年以上分だっての!」
    「それはそれは」
    二人で身体を寄せ合い、くすくすと笑い合う。
    ちゅと、何度も戯れるように唇を重ねた。
    「んー・・」
    思わず忍が甘い吐息を零せば、ふと何か思いついたように、光流が悪戯っぽい表情で見つめてくる。

    「なあ。れんぎょうの花言葉が『希望』なのは何でだと思う?」
    「・・うん?」
    「これってかあちゃんの勝手な見解なんだけど。・・忍、聞きたい?」

    明らかに意味ありげな含み笑いに、忍は少し眉を顰める。
    何となくろくでもない予感がして、無意識に身体を引きかけたが、明らかに機嫌を上向きにしている光流に顔をぐいと寄せられ、若干引き気味に遠慮する。

    「・・別に、聞かなくてもいい」
    「じゃ、聞いてもいいよな。──れんぎょうってのはさ、真冬の寒さにもめちゃめちゃ強ぇし、株分けすれば放っておいてもすげぇ増えて、春は真っ先に、あんなに綺麗な花を咲かせるんだ。・・つまり・・」
    「うわっ・・!」

    忍の視界が、あっという間に一回転した。
    驚く間もなくベッドに弾むように押し倒され、抵抗する前に深く深く唇を奪われてしまう。
    「んんっ・・! んーーーーっ!」
    「・・かあちゃん曰く、タフで、逞しくて・・、繁殖能力がめちゃめちゃ高ぇトコが、『希望の実現』って花言葉に繋がったんじゃねぇかって。──聞こえたか? ハンショク・ノウリョク」
    「ばかっ・・、あん、な・・さんざん、ヤった、くせに・・!」
    「うーわ、下品なコト言っちゃうし。なあ、忍くん。今日は折角の結婚記念日だし、みつるとしのに、もう一人──弟か妹、作っちゃう?」
    「ぁむっ・・、この・・ど助平、野郎がっ・・! ぁ、ぁ、ん・・、・・みつ、る・・」

    ──おかあさん。

    結婚記念日に、ちび達を預かって下さったことには、心から感謝していますが。
    あなたのせいで、あなたの絶倫息子に、足腰立たなくなるほど好き放題されて。
    とてもとても、長い夜になりました。

    すみませんが、今日のちび達のお迎えは、遅くなってしまいそうです・・。

    *
    *

    ──まあ、それでも。

    「かあさん、かあさん! あのゆびわ、ゆびわ、見せて!」
    「ん、ちょっと待ってろ。・・どうだ、似合うか?」
    「似合うーっ! かあさん、うんとキレイ! な、しの!」
    「・・・・。かあさん、きらきらの、お星様みたい」
    「ありがとう。──さあ、今夜も光流は遅くなるからな、三人で夕飯にしようか」
    「はぁい!」
    「・・はぁい」

    元気にキッチンへ駆け出し、かいがいしくお手伝いをしてくれる小さな光流と忍に微笑み、忍は結婚指輪を暫くの間、眺めていた。
    やがて、その煌めきに口づけた忍の唇が、幸福の形にゆるゆると解ける。
    (・・俺も、愛してる。──光流)

    ──そう。
    これからも、いついつまでも。
    一年一年を、お前と、俺と、子ども達と。
    ゆっくりゆっくり、噛み締めて暮らしてゆこう。

    (もう一人、か。あのばか、気楽に言いやがって)

    窓の外は、桜満開の春、春、春。
    そのただ中で、気持ちのいい我が家は、春の準備ももう全て、万端に。
    (・・今年の春も、賑やかになりそうだ)
    揺れるカーテン越しに頬を染めて、忍はゆっくりと立ち上がる。
    そして、大声で何やら騒いでいる子ども達への元へと向かうため、大切な小箱を夫婦の和箪笥へと大切に仕舞った。

    今年も四人で迎える、ふわふわ幸福色に煌めく春。
    その景色は、今年も馬車に乗って軽やかに、もうやって来ていた。